皇帝も知らない場所
第34話 皇帝も知らない場所
館長の言葉を聞いたあとも、カノンはしばらく星図を見つめていた。
オルテシアへ伸びる一本の航路。何千年、あるいはもっと長い時間を越えて、自分の血がそこから続いている。
いつもなら何か一言くらい挟むカノンが、珍しく黙っていた。
「カノン?」
俺が声をかけると、彼女はゆっくり顔を上げた。
「……一つ、伺ってもよろしいですの?」
「もちろんだ」
館長が答える。
「わたくしの父と母についてですわ。オルテシア皇帝と皇后です。二人は、わたくしより先に行方が分からなくなっていますの」
その瞬間、館長の表情から笑みが消えた。
「名前を聞かせてもらえるか」
カノンが父と母の名を告げる。
館長はしばらく記憶を探るように目を伏せたが、やがて静かに首を振った。
「すまない。その名には覚えがない」
「……そうですの」
カノンの肩が僅かに落ちた。
俺は思わず口を挟む。
「でも、二人がスメラまで来てた可能性は高いんだ」
館長がこちらを見る。
「なぜそう考える?」
「そこはNOVAから話した方がいい」
俺が隣を見ると、NOVAは軽く頷いた。
「では、順番に説明しましょう。私たちはスメラへ来る前、超古代文明期の艦艇を一隻発見しました。艦名はSORA。現在、そこに搭載されていたメインAIがMIRAです」
館長の視線がMIRAへ移る。
「君が?」
「はい」
MIRAは短く答えた。
館長はそれだけでも相当驚いたようだったが、NOVAは続ける。
「そして、私たちがここまで乗ってきたアークも、同時代の艦艇です」
今度こそ館長は言葉を失った。
「……待ってくれ」
さっきまで研究者らしい落ち着きを崩さなかった男が、初めて明らかに身を乗り出した。
「現在のスメラには、古代戦争期の完全な艦艇は一隻も残っていない。発掘されるのは破片か、構造の一部だけだ。君たちは、それを二隻も?」
「正確には、一隻を運用し、一隻を発見しました」
「アークは今、この星にあるのか?」
「ええ。宇宙港に停泊しています」
館長はしばらく黙っていた。
皇帝というより、完全に研究者の顔だ。
「……実物を見せてもらえるだろうか」
「後ほどなら」
「ぜひ頼む」
即答だった。
俺は思わず笑う。
「急に目が変わったな」
「当たり前だ。何千年探しても出てこなかったものが、宇宙港に停まっていると言われたんだぞ」
「皇帝でもそうなるんだな」
「むしろ皇帝でなければ今すぐ走って見に行っている」
「そこは皇帝が止めてるのかよ」
レイナが小さく笑った。
館長はもう一度NOVAを見る。
「それで、君もAIなのか?」
「ええ。ただし、今は少し事情が違います」
NOVAは自分の胸元へ軽く手を当てる。
「私はすでに本来の肉体を取り戻しています」
館長の視線がそこで止まった。
「……肉体?」
「見た目だけでは分からないでしょうが、私は古代文明期に造られた生体アンドロイドです。アークに関わる記憶も、その時代の記憶も残っています」
館長はしばらく何も言わなかった。
MIRAを見た時より、明らかに衝撃が大きい。
「君は……資料で古代を知っているわけではないのか」
「ええ」
NOVAの声が少しだけ静かになる。
「私は、その時代に存在していました」
研究室の空気が変わった。
館長の目がNOVAから離れない。
「古代戦争も?」
「知っています。ただし、私の記憶も完全ではありません。アクセスできない領域や、失われた情報もあります」
「それでも十分だ。いや、十分どころではない」
館長は椅子へ座り直したが、落ち着きを取り戻したようには見えなかった。
「私は何十年も古代スメラを調べてきた。断片的な記録を拾い、欠けた部分を推測で繋いできた。それなのに今、目の前にその時代を知る存在がいる」
「期待しすぎない方がいいですよ」
NOVAが淡々と言う。
「私は歴史資料ではありませんし、記憶のすべてを自由に閲覧できるわけでもありません」
「それでも構わん。推測と実体験では重みが違う」
「研究者ですね」
「皇帝より長くやっている」
「それはどうなんだ?」
俺が言うと、館長は平然としていた。
「さて」
NOVAが話を戻す。
「カノンの両親についてです。二人が古代文明の施設を探していたことは分かっています。そして、私たちが追ってきた情報はスメラを指している」
カノンが姿勢を正した。
「その施設の名前も分かっていますわ」
館長が彼女を見る。
「聞かせてほしい」
「二等星振儀です」
今度は誰も急かさなかった。
館長は眉を寄せ、しばらく考え込んだ。
それから、ゆっくり首を振る。
「……その名は知らない。少なくとも、私が復元した古代記録の中には一度も出てきていない」
カノンの顔が曇る。
「陛下でも、ご存じありませんの?」
「残念ながらな」
俺はNOVAを見る。
「NOVAは?」
NOVAはすぐには答えなかった。
その沈黙だけで、少し嫌な予感がした。
「名称には覚えがあります」
館長の目が鋭くなる。
「知っているのか?」
「ええ。ただし、断片的です」
「どこにある?」
「分かりません」
カノンの表情が固まる。
「用途は?」
「それも完全ではありません。通常の軍事施設でも、一般の研究施設でもなかったはずです」
「はず?」
「私の記憶に制限がかかっています」
NOVAは珍しく少し苛立ったように言った。
「二等星振儀に関係する情報だけ、妙に曖昧なのです。存在を知っている。名称も覚えている。しかし、それ以上へ進もうとすると情報が途切れる」
館長が低く呟く。
「意図的に封じられた可能性があるな」
「私もそう考えています」
そこへMIRAが静かに加える。
「SORA側の記録にも、名称以外の有効情報はほとんど残っていません」
館長は二人を交互に見た。
「古代文明そのものを知る君たち二人にも、場所が分からない?」
「ええ」
NOVAが答える。
「だから困っているのです」
「なるほど……」
館長は椅子の背へ深く寄りかかった。
しばらく黙ったあと、急に笑った。
「これは面白い」
「父と母が行方不明なのですけれど?」
カノンの声が低くなる。
「すまん。言い方が悪かった」
「とても悪いですわ」
「だが、研究者としては興奮せずにいられない。私の知らない古代施設が存在し、しかも古代を知る者の記憶からさえ隠されている」
「そこまで言われると、確かに普通じゃないな」
俺も星図を見る。
館長は机の操作盤へ触れ、今度は古いスメラの地形図を呼び出した。
現在とはかなり違う。
海岸線も、都市の位置も、地形そのものも一部変わっている。
「これは古代戦争以前のスメラですか?」
レイナが身を乗り出す。
「復元途中だ。正確とは言えないが、現在知られている古代施設の位置はかなり重ねてある」
NOVAが地図を見つめる。
「……いくつか、私の記憶と一致します」
館長の顔がまた変わった。
「本当か?」
「完全ではありません。ただ、この地域には軍用施設があったはずです。こちらは研究区画。そして、この一帯には大規模な地下構造がありました」
NOVAが指を動かすたび、館長が食い入るように見る。
「待ってくれ、その情報は記録にない」
「でしょうね。戦争末期には閉鎖されていましたから」
「閉鎖理由は?」
「そこまでは覚えていません」
「……悔しいな」
「私もです」
初めて、この二人が同じ顔をした。
レイナが小さく笑う。
「なんか似てきたわね」
「誰と誰が?」
「NOVAと館長」
「不本意です」
「私は光栄だ」
「撤回します」
館長が笑った。
少し空気が軽くなる。
だが、カノンは地図から目を離さなかった。
「もし二等星振儀が、この地図にも載っていない施設だとしたら……父と母はどうやって見つけたのでしょう」
「そこだな」
俺も同じことを考えていた。
館長がカノンを見る。
「二人がスメラへ来たのは、いつ頃だ?」
カノンが分かる範囲で時期を説明する。
すると館長は少し眉を寄せた。
「その頃なら、私はまだ生まれていない」
「え?」
「当時の皇帝は私ではない。君の両親がここへ来ていたとしても、私が直接知らないのは当然だ」
カノンの目に、僅かに光が戻った。
「では、記録が残っている可能性は?」
「ある」
館長は即答した。
「公的な来訪記録、宇宙港の古い記録、皇室側の記録。全部調べる価値がある」
「本当ですの?」
「ただし期待はしすぎるな。古い記録は欠損も多い。それでも、何もしないよりは遥かにいい」
「十分ですわ」
カノンは強く頷いた。
「父と母に繋がる可能性があるなら、どれだけでも調べます」
館長はその言葉を聞いて、静かに頷く。
「では決まりだ」
「何が?」
「私も探す」
俺は少し驚いた。
「皇帝が?」
「ここでは館長だと言っただろう」
「便利だな、その使い分け」
「便利だから使っている」
NOVAが小さく息を吐いた。
「皇帝という職業も思ったより自由なのですね」
「君にだけは言われたくない気がする」
「なぜです?」
「古代文明の生体アンドロイドがジャンク屋と旅をしている」
「合理的な選択です」
「どこが?」
「少なくとも退屈はしません」
「そこは否定しないんだな」
俺が言うと、NOVAは平然とした顔をした。
「事実ですから」
館長は再び地図を広げる。
「まずは情報を整理しよう。NOVAが覚えている古代スメラの施設。MIRAに残っているSORAの記録。カノン皇女の両親が残した情報。そして、私が持つ現代スメラ側の資料」
「全部重ねるのか」
「そうだ。どれか一つでは見えなくても、重ねれば形が出るかもしれない」
レイナが椅子を寄せる。
「それなら私も手伝う。施設の構造や技術的な特徴なら、何か拾えるかもしれない」
「わたくしもやりますわ」
カノンも迷わず言った。
「父と母のことですもの」
俺は全員を見回した。
「……俺も?」
NOVAがこちらを見る。
「当然です」
「なんでだよ」
「カイトには最重要任務があります」
「何?」
「皆の邪魔をしないことです」
「帰るぞ」
「冗談です」
「最近、冗談の顔で言わなくなったな」
「成長しました」
「悪い方向に?」
「主観ですね」
館長が声を上げて笑った。
「なるほど。確かに退屈はしなさそうだ」
「だろ?」
「カイト、そこで誇らないでください」
俺はため息をつきながら、机の上に浮かぶ古代スメラの地図を見た。
二等星振儀。
カノンの両親。
NOVAですら場所を思い出せない施設。
そして、その存在をスメラ一の古代史研究者である館長も知らない。
ここまで来れば、偶然消えた記録とは思えない。
誰かが隠したのか。
それとも、最初から知られてはいけない場所だったのか。
俺たちはスメラへ来て、ようやく目的地に近づいたつもりでいた。
どうやら本当の入口は、まだ見つかってすらいなかった。




