スメラ洋服店
服屋へ入った瞬間、俺は帰りたくなった。
「……見るだけじゃなかったのか?」
「見ていますわ」
カノンはそう言いながら、すでに三着抱えている。
「持ってるじゃねえか」
「見るために必要ですの。並べて眺めるだけで違いが分かるとでも?」
「俺には分かるぞ。三着とも服だ」
「あなたに聞いたわたくしが馬鹿でしたわ」
店の中にはスメラ独特の服がずらりと並んでいた。俺たちが普段着ている物と大きく違うわけじゃないが、身体に沿う細身の服や、光の当たり方で質感が変わる布、見たことのない留め具を使った物まである。どれも派手すぎないのに妙に洗練されていて、街の雰囲気とよく合っていた。
「これ、どう?」
レイナが一着手に取って俺に見せる。
「いいんじゃないか」
「適当ね。まだちゃんと見てもないでしょ」
「服見せられて三秒で何を言えってんだよ」
「では私が補足しましょう。現在のレイナの服装と比較した場合、女性らしさは約六十四パーセント増加すると予測します」
NOVAが横から覗き込み、レイナが眉を寄せた。
「何、その六十四パーセントって」
「私の主観です」
「数字にした意味ないじゃない」
「説得力が増します」
「増してねえよ」
レイナは笑いながら服を持って試着室へ向かった。
「じゃあ着てみる」
「お前、本当に買うのか?」
「せっかく来たんだから。いつまでも同じ服ってわけにもいかないでしょ」
「まあ、それはそうだけど……レイナでも服買うんだな」
レイナの足が止まった。
「カイト」
「なんだ?」
「帰ったら工具箱、全部整理して」
「なんでだよ!」
「今、理由を作ったからよ」
その向こうでは、カノンが店員とすっかり意気投合していた。
「こちらと、それからこれも。あちらの白い物もお願いしますわ」
「おい。お前、何着持ってんだ」
「まだ決めてませんわ。比較しているだけですの」
「俺の全財産が比較だけで消えそうなんだけど」
「大袈裟ですわね」
「昨日までならな! 今の俺には、この店の商品が全部敵に見えるんだよ!」
「随分と小さな男になりましたわね」
「一日で大富豪から無一文にされたんだぞ。小さくもなるわ!」
横に浮いていたMIRAが、俺の端末を覗き込む。
「正確には無一文ではありません。先ほどジャンクを売却した資金があります」
「それが今、猛烈な勢いで狙われてるんだよ」
「誰にです?」
MIRAがカノンを見る。俺も見る。
「な、なんですの、その目は!」
そんなことをしているうちに試着室が開いた。
「どう?」
出てきたレイナを見た瞬間、俺は返事を忘れた。いつもの動きやすさ優先の服とはまるで違う。淡い色の細身の上着に、腰から下は柔らかい布地が流れるような形になっている。派手じゃない。むしろ落ち着いているのに、妙に目を引いた。
「カイト? 変?」
「あ、いや。逆。全然変じゃない。……似合ってる」
レイナが少しだけ目を丸くして、「そう」と短く返し、鏡へ向き直った。なぜか俺の方が落ち着かない。
「カイト、今の返答まで二・八秒かかりました」
「計るなよ。何の参考だ、それ」
「今後の判断材料です」
「だから何を判断する気だ!」
「さあ?」
「絶対決めてるだろ!」
そこへ別の試着室が開き、今度はカノンが出てきた。
「いかがですの?」
「……おお」
白を基調に淡い金色の装飾が入った服だった。いかにもカノンが選びそうな上品なデザインで、目立つのに嫌味がない。
「似合ってるな」
「それだけ?」
「豪華」
「雑ですわ! 他に何かありませんの?」
「じゃあ……綺麗」
カノンが一瞬止まり、すぐに髪を払って鏡へ向いた。
「最初からそう言えばよろしいのですわ」
「なんで俺が怒られてんだ?」
「今回は一・四秒ですね」
NOVAが呟くと、カノンが勢いよく振り返った。
「ちょっとお待ちなさい。先ほどより短くありませんこと?」
「お前、測るなって言ってただろ!」
「測ることには反対ですわ。ただ結果は気になりますの」
「一番面倒な参加の仕方するなよ!」
NOVAが澄ました顔で頷く。
「ちなみに比較対象としては十分な差です」
「NOVA、お前も煽るな!」
「客観的事実です」
「お前の客観はだいたい信用ならねえんだよ!」
今度はNOVAが数着の服を抱えて戻ってきた。
「では、次は私ですね」
「お前もやるのかよ」
「何か問題でも?」
「ないけど……」
「その返事、覚えておきます」
「なんで買い物するだけで脅迫されてんだ、俺」
数分後、NOVAが試着室から出てきた。
黒に近い濃い色の服で、身体の線に沿っているのに露出が多いわけでもない。むしろ落ち着いたデザインなのだが、NOVAが着ると妙に完成されて見える。
「どうでしょう?」
「……似合ってる。綺麗だよ」
「今回は早いですね」
「先に言っとけば測られないと思ったんだよ!」
「学習しましたね」
「お前のせいだろ!」
NOVAは満足そうに鏡へ向かったが、カノンが俺を見る。
「それで、今のは何秒でしたの?」
「まだやるのかよ!」
「比較は必要ですわ」
「勝手に競技にするな!」
「一・九秒です」
MIRAが静かに答えた。
「お前も計ってたのか!」
「姉さんだけでは測定者の主観が混入する可能性がありますので」
「MIRA」
NOVAが笑顔のまま振り返った。
「何でしょう、姉さん」
「後で話しましょう」
「嫌です」
即答だった。レイナが吹き出し、カノンまで笑い始める。
「お前ら、完全に俺で遊んでるだろ」
「いえ」
NOVAが否定する。
「じゃあ何してんだよ」
「楽しんでいます」
「同じだ!」
その時、店員の女性が俺を見た。
「あなたは着替えないのですか?」
「俺? いや、俺はいいよ。今ので十分だから」
「十分ではありません」
俺より先にNOVAが答えた。
「なんでお前が決めるんだよ」
「現在の服装はジャンクヤードで油にまみれるには最適です。しかし、この街を歩くには少々……」
「少々なんだ」
「残念です」
「溜めてまで言うことか!」
レイナも俺の格好を改めて見て、少し首を傾げる。
「まあ、確かに。せっかくだしカイトも着てみたら?」
「俺はこれでいいって」
「わたくしたちばかりでは不公平ですわ」
「何が不公平なんだよ」
「見られましたもの」
「服を見ただけだろ!」
「着替えたわたくしたちを、ですわ」
「同じだ!」
「違います」
NOVAまで真顔で加わる。
「どこが」
「気分的に」
「お前ら、理屈なくなってるぞ!」
結局、三人と店員に押し切られた。俺が適当に一着取るとNOVAに即座に却下され、別の服をレイナが持ってくる。
「これならいいんじゃない?」
「ちょっと派手じゃないか?」
「カイトなら大丈夫よ」
「何を根拠に?」
「……顔」
「は?」
「いいから着てきなさい」
意味が分からないまま、濃い青灰色の上着と、それに合う細身のパンツを渡された。試着室へ入り着替えてみると、見た目よりずっと軽く、身体に沿っているのに動きにくくもない。
「……悪くないな」
鏡を見る。いつもの汚れても気にならない服とは確かに全然違う。髪も少し乱れていたので手で適当に整えると、外からカノンの声が飛んできた。
「カイト、まだですの?」
「今出るよ」
扉を開けて外へ出た。
誰も何も言わなかった。
レイナも、カノンも、NOVAまで黙っている。MIRAですら俺を見たまま止まっていた。
「……なんだよ。変か?」
レイナがようやく口を開いた。
「……カイト?」
「誰に見えてんだよ」
「いや、カイトなんだけど……」
「だから何だよ」
今度はカノンが俺の顔をじっと見る。
「あなた……そんな顔でしたの?」
「失礼だな! 昨日から同じ顔だよ!」
「違いますわ、そういう意味ではありませんの! ですから、その……」
珍しくカノンが言葉に詰まった。
「何だよ。はっきり言えよ」
「カイトの顔面骨格は、以前からかなり整っています」
代わりにMIRAが答えた。
「お前、知ってたのか?」
「はい。医療AIですので、骨格や顔面各部の比率は把握しています」
「だったら教えろよ」
「聞かれませんでしたので」
「普通、自分の顔が整ってるか医療AIに聞かねえよ!」
俺はNOVAを見る。こいつまで黙っていたのが一番気になった。
「で、お前は何で黙ってんだ?」
「少々、予想と結果に差異がありました」
「つまり?」
「服装による補正効果が想定以上でした」
「結局、服の力じゃねえか!」
「そうとも限りません」
「どっちなんだよ!」
「判断は保留します」
「さっきまで散々人の反応を秒単位で測ってた奴が逃げるな!」
NOVAがすっと視線を逸らした。
珍しい。
「……お前、もしかして」
「何でしょう?」
「いや、なんでもない」
「最後まで言ってください」
「嫌だね」
少しだけ仕返しできた気がした。
レイナはまだ俺を見ていた。
「何だよ?」
「いや……かなり似合ってるなって」
「そうか? ならこれでいいな」
俺は袖を引っ張り、肩を回してみた。
「でも、これで機械いじるのは嫌だな。汚れたらもったいない」
「そこ!?」
レイナが声を上げ、カノンが額に手を当てた。
「台無しですわ……」
「何がだよ」
「全部ですわ! せっかく少しは見られるようになりましたのに!」
「少しかよ!」
NOVAが小さく笑った。
「安心しました。外見が変わっても、中身はいつものカイトです」
「褒めてないだろ」
「もちろんです」
「お前、今日はそればっかりだな!」
俺はもう一度鏡を見た。何がそんなに違うのか、自分ではよく分からない。
ただ、鏡越しにレイナとカノンがまだ時々こっちを見ているのが見えた。そしてNOVAまで、俺と目が合った瞬間、何事もなかったように視線を外した。
……なんなんだ、こいつら。
スメラの服を一着買っただけなのに、どうも面倒なことまで一緒に買ってしまった気がした。




