惑星スメラ
第27話 惑星スメラ
巨大ブラックホールを迂回してから、アークは再びエルダン星系へ向けて加速していた。
正面スクリーンには何事もなかったように星々が流れ、あれほど異様だった光の歪みも、すでに後方の闇へ沈んでいる。
「エルダン星系外縁まで、あと三時間十四分です」
操縦席の横に立つNOVAが航法画面を確認しながら告げた。
カイトは背もたれに身体を預けたまま、少しだけ顔をしかめる。
「まだ三時間もあるのか」
「誰かさんが航路の途中で巨大ブラックホールを見物したいなどと言い出さなければ、もう少し早く着いていましたけどね」
「見物じゃない。観測だ」
「なるほど。命懸けの寄り道も、観測と言えば知的活動になるんですね。勉強になります」
「安全距離は取ってただろ」
「MIRAが取ったんです。カイトは『もう少し近くても大丈夫じゃないか』と三回言いました」
横からレイナが吹き出した。
「数えてたの?」
「当然です。将来、事故原因を説明する時に必要になりますので」
「事故になる前提で話すな」
「カイトが操縦席に座っている以上、危機管理としては妥当です」
「俺の扱い、だんだん危険物になってないか?」
「だんだん?」
NOVAが真顔で聞き返した。
レイナがとうとう声を上げて笑った。
「今のはNOVAの勝ちね」
「勝負してない」
「そういうことにしておきましょう。敗者にも尊厳は必要ですから」
「お前、スメラに着く前に船外へ出してやろうか」
「反重力機動で戻ってきますが?」
「忘れてた」
「便利な身体を取り戻して本当に良かったです」
NOVAは満足そうに微笑んだ。
そのやり取りを聞いていたカノンが、苛立ったように腕を組む。
「あなたたち、ずいぶん呑気ですのね。わたくしたちは遊びに行くのではありませんのよ」
「姫様が静かなので、皆さん気を遣っているんです」
「誰が静かですって?」
「先ほどから十五分間、一度も『まだ着きませんの?』とおっしゃっていません」
「わたくしだって、そのくらい黙っていられますわ!」
「記録を更新しましたね」
「いちいち記録しないでくださいませ!」
カイトは笑いながらカノンを見た。
「緊張してるんだろ」
「してませんわ」
「じゃあ落ち着かないだけか」
「それを緊張と言うんじゃないですの?」
「自分で認めたぞ」
カノンがハッとして口を閉じた。
NOVAが横を向く。
「見事な自白でした」
「NOVA!」
「はい」
「今すぐ忘れなさい」
「申し訳ありません。私、記憶性能には自信がありますので」
「そういう時だけ高性能を誇らないでくださいませ!」
カイトは肩を揺らした。
だが、カノンが落ち着かない理由は分かっている。
二等星振儀。
そこにはカノンの父と母が眠っている可能性がある。
二百年前に離れ離れになった両親だ。
そして、MIRAの本来の肉体もそこに保存されているはずだった。
カイトが少しだけ声を落とした。
「まあ、着けば分かるさ」
カノンはスクリーンを見たまま答えた。
「分かっていますわ。ですが……二百年ですのよ」
さっきまでの勢いが少しだけ消えた。
「もし本当にお父様とお母様がそこにいらっしゃるなら、わたくし、何から話せばいいのか分かりませんわ」
レイナも黙った。
NOVAだけが、いつもの穏やかな表情を崩さなかった。
「まず起きていただきましょう。寝ている相手に二百年分の愚痴を申し上げても、さすがに返事は期待できません」
カノンが振り向く。
「誰が愚痴を言うと言いましたの!」
「言わないのですか?」
「……少しくらいは言いますわ」
「でしょうね」
「少しですわよ!」
「では、最初の三時間くらいは聞かなかったことにして差し上げます」
「そんなに言いませんわ!」
NOVAはわざとらしくカイトを見る。
「皇族の『少し』は、庶民とは時間感覚が違うのかもしれません」
「俺に振るな。後が怖い」
「賢明です」
「二人とも聞こえてますわよ!」
ブリッジに笑いが戻った。
それからしばらくして、MIRAの声が響いた。
「エルダン恒星を確認しました」
正面スクリーンの表示が切り替わる。
星々の中に、ひときわ強く輝く恒星が浮かび上がった。
レイナが身を乗り出す。
「とうとう来たのね」
「惑星八、主要衛星二十三。人工航行物を複数確認。通信波も多数。文明活動は現在も継続しています」
MIRAの解析表示が次々と開いていく。
「よかったな。誰もいない星に着いて『二百年前に引っ越しました』じゃ洒落にならなかった」
「カイトなら、その場合でも廃墟を一週間ほど調べ始めるでしょうね」
「三日だ」
「否定するところ、そこですか?」
「一週間は長い」
「そこじゃないでしょ」
レイナが呆れた。
やがてスクリーン中央に一つの惑星が大きく映し出された。
青い海。
緑と褐色の大陸。
白い雲が幾筋も広がり、その隙間から巨大な山脈が見える。
カイトは思わず身体を起こした。
「……綺麗だな」
「惑星スメラです」
MIRAが静かに告げた。
カノンが席を立つ。
さっきまでの強がりは消えていた。
「ここが……スメラ」
「記録上、二等星振儀が存在する惑星です」
「では、すぐに降りますわよ」
NOVAが間髪入れずに答えた。
「却下です」
「どうしてですの!」
「惑星を発見して三十秒で着陸を命令する皇女を、私は初めて見ました」
「目的地へ着いたら降りるのは当然でしょう!」
「自宅の庭ではありません。人口、法律、航路、入港手続き、治安状況、軍事施設の有無。確認することはいくらでもあります」
「全部確認なさい」
「今しています」
「では早くなさい」
「姫様」
「なんですの」
「急かして演算速度が上がるなら、今頃カイトは天才です」
「なんで俺まで刺された?」
「近くにいたので」
「流れ弾が正確すぎるだろ」
レイナが笑いながら航法画面を拡大した。
「でもNOVAの言う通りよ。軌道上だけでもかなり船がいる」
スメラの周囲には大小さまざまな航行物が飛び交っていた。
大型貨物船らしい鈍重な船。細身の旅客船。小型艇。さらに軌道上には巨大な施設まで浮かんでいる。
宇宙の墓場とはまるで違う。
ここには今も、生きた文明がある。
「アークと似た船は?」
カイトが訊く。
MIRAが数秒検索する。
「確認できません」
「だろうな」
レイナがアークの外部情報を開いた。
「この船、元から目立つのに、改装してさらに変な船になってるからね」
「変な船とは失礼ですね」
NOVAが言った。
「非常識な船、と訂正しておきましょう」
「悪化してるぞ」
「誉めています」
「どこがだ」
「通常船では到底出せない出力を持ち、外殻材質は解析不能、そこへ素性不明のメビウスリングコイルまで積んでいる。これを普通と呼ぶ方が、普通に対して失礼でしょう」
カイトは少し考えた。
「じゃあ、普通のふりをして入るか」
「誰がです?」
「俺たちが」
「無理ですね」
「即答かよ」
「カイト、カノン姫、肉体を取り戻した超古代AI、医療AI、未知技術まみれの船、それを嬉々として改造する技術者」
NOVAはレイナを見る。
「最後のは余計よ」
「訂正します。非常に嬉々として改造する技術者」
「そこじゃない!」
「この一行だけで入港管理局が頭痛を起こしそうです」
「素性を書くな。普通の貨物船ってことにしとけばいい」
「では積荷は?」
「……俺たち?」
「人身売買船として拿捕されたいのですか?」
「お前、代案を出す気ないだろ」
「カイトが思いつく案を潰すのが一番早いので」
「合理的なのが腹立つな」
MIRAが二人を遮った。
「現地通信の言語解析が完了しました。オルテシア語との共通率、約七十二パーセント」
レイナが眉を上げる。
「七十二? かなり高いわね」
「スメラとオルテシアの間に、過去かなり深い文化的交流があった可能性があります」
カノンが首を傾げた。
「ですが、わたくしはスメラについてほとんど教わっていませんわ」
「皇室記録にも情報は多くありませんでした」
MIRAが続ける。
「特に二等星振儀については機密性が高く、一般記録にはほとんど残されていません」
「カノンの両親がわざわざそこへ向かった理由も、まだ分かってないんだよな」
「はい」
MIRAの返答は短かった。
その事実だけは、軽口で流せなかった。
アークは速度を落としながらスメラ高軌道へ入っていく。
巨大な大陸が眼下をゆっくり横切った。
都市。
海岸。
山岳地帯。
そして赤道に近い海上に、巨大な人工構造物が現れた。
レイナが目を細める。
「軌道港?」
「地上と軌道を結ぶ主要施設の一つと思われます」
映像が拡大された。
円環状の巨大施設。その中央から高く伸びる白い塔。周囲では何十隻もの船が整然と出入りしている。
「ここから入るのか?」
「現地の航路信号を解析します」
MIRAがそう答えた直後だった。
「……待ってください」
声の調子が変わった。
NOVAもすぐに反応する。
「MIRA?」
「中央施設上部にある標章を拡大します」
画面が切り替わった。
白い塔の上部。
そこに金色の紋章が刻まれていた。
幾重にも重なる細長い花弁が、中心から放射状に広がっている。
カイトの表情から笑いが消えた。
「……ちょっと待て」
胸の奥が妙にざわついた。
初めて見るはずなのに、知っている。
いや。
毎日のように見てきた形だった。
カイトはゆっくり首元へ手を入れた。
「カイト?」
レイナが振り向く。
カイトは服の内側から一本のペンダントを引き出した。
幼い頃から持っていたもの。
自分の両親が誰なのかも、自分がどこから来たのかも分からなかった頃から、なぜか手元に残っていた唯一の品だった。
掌の上へ乗せる。
誰も喋らなかった。
レイナが画面を見る。
そしてカイトの手を見る。
「……同じじゃない」
カノンが歩み寄った。
「それ……ずっと持っていたペンダントですわよね」
「ああ」
「オルテシアの紋ではありませんわ」
「知ってる」
「では、なぜ……」
カイトにも答えられなかった。
ペンダントに刻まれた紋章。
スメラの巨大施設に掲げられた紋章。
ほとんど同じだった。
「MIRA」
カイトの声が低くなる。
「照合しています」
数秒が、妙に長かった。
「外周部にわずかな摩耗がありますが、基本形状は一致しています。照合率、九十九・八七パーセント」
レイナが息を呑んだ。
カノンも何も言わない。
さっきまで絶えず皮肉を飛ばしていたNOVAさえ、黙ってカイトの手元を見ていた。
「偶然では……説明しにくいですね」
ようやくNOVAが言った。
今度の声には皮肉がなかった。
「……だよな」
カイトはもう一度、眼下の惑星を見た。
スメラ。
名前を知ったのはつい最近だ。
来た記憶などない。
自分と関係があるなど考えたこともなかった。
それなのに、ずっと持っていた唯一の手掛かりが、遥か彼方の惑星で待っていた。
「二等星振儀を探しに来たんだけどな」
カイトは小さく呟いた。
「カノンの父さんと母さんを見つけて、MIRAの身体を取り戻す。それで話は一つ進むと思ってた」
誰も口を挟まなかった。
カイトは掌のペンダントを握った。
「なんで俺の話まで、ここで出てくるんだよ」
青い惑星スメラが、静かにアークの眼下を回っていた。




