海賊船ランドラグ
第25話 海賊船ランドラグ
星々の光が、黒い宇宙の中をゆっくり流れていた。
海賊船ランドラグは、エルダン星系へ続く外縁航路を巡航していた。
艦橋中央の席に、一人の女が深く腰を沈めている。
アミーラ。
ナバル星人の女だった。
人間とほとんど変わらない姿をしている。二本の腕に二本の脚、顔立ちも人間の女性によく似ていた。ただ、淡い青灰色の肌と琥珀色の瞳が、彼女が別の星で生まれた生命であることを物語っている。
短く切った濃い髪をかき上げ、アミーラは退屈そうに航路図を眺めていた。
「船長、前方に一隻」
索敵席から声が飛んだ。
アミーラの琥珀色の目が動く。
「所属は?」
「不明。登録信号も出してません。小型船です」
「護衛は?」
「見当たりません」
アミーラはようやく身体を起こした。
「こんなところを一隻で?」
「エルダン方面へ向かってるようです」
その言葉に、アミーラは航路図へ目を戻した。
この先には巨大なブラックホールがある。
まともな船なら近づかない。エルダン星系へ向かう船は、その危険領域を大きく避ける迂回航路を通る。
だからランドラグもここにいる。
船が通る場所には荷が通る。
荷が通る場所には金がある。
「拡大しな」
前方の船影が主画面いっぱいに広がった。
灰色の小さな船だった。
派手な武装は見えない。大型の貨物区画もない。外見だけなら、どこにでもありそうな古い小型船に見える。
アミーラはしばらく画面を眺めた。
「妙な船だね」
「やめますか?」
「誰がそんなこと言った」
口元が少し上がった。
「近づくよ。船体を傷つけるんじゃないよ。積み荷がなくても、船そのものは売れる」
「了解」
ランドラグの主機出力が上がった。
海賊船として長く使われてきたランドラグは、見かけだけの寄せ集めではない。獲物を逃がさないため、推進系には何度も手が加えられている。
普通の商船なら、気づいた頃には射程内だ。
ところが数分後、操縦席から妙な声が上がった。
「……船長」
「なんだい」
「距離が縮まりません」
アミーラが顔を上げた。
「こっちの速度は?」
「巡航上限の八割です」
「向こうは逃げてるのか?」
「いえ……進路も速度もほとんど変わってません」
アミーラの目が細くなった。
「出力を上げな。九割」
ランドラグがさらに加速する。
それでも距離の縮まり方は鈍かった。
アミーラはもう笑っていなかった。
「船種を照合」
「該当なしです。古い船だと思うんですが……登録データにありません」
「古い船が、ランドラグと同じ速度で巡航する?」
誰も答えなかった。
アミーラはしばらく画面の小型船を見つめ、それから背もたれに身体を預けた。
「通信を開きな」
アークの船内に通信音が鳴った。
カイトは操縦席で星図を見ていた。
エルダン星系は遠い。
さらに厄介なのが、その途中に横たわる巨大なブラックホールだった。
MIRAが示した航路は、それを大きく迂回している。
「ずいぶん遠回りするんだな」
「遠回りではなく、安全な航路よ」
MIRAが星図上の危険領域を示した。
「ここから先は空間の状態そのものが不安定になる。通常の船なら、この迂回航路を使うのが当然ね」
カイトは巨大な危険領域を眺めた。
「ふうん……」
NOVAがすぐに横を見る。
「カイト」
「なんだよ」
「今、余計なことを考えたでしょう」
「まだ何も言ってないぞ」
「だから怖いのよ」
MIRAが姉を見る。
「何か問題でも?」
「そのうち分かるわ」
「人を災害みたいに言うな」
そこで通信音が鳴った。
レイナが表示を見る。
「外部通信。後方の船からよ」
「後ろ?」
カイトがセンサーを確認すると、確かに一隻ついてきている。
「いつからいた?」
「しばらく前からよ」
NOVAが平然と答えた。
「言えよ」
「脅威ではないから」
「そういう問題か?」
「少なくとも私には」
レイナが通信を開いた。
主画面に一人の女が現れた。
カイトは一瞬、普通の人間だと思った。
だが違う。
淡い青灰色の肌。琥珀色の瞳。人間とよく似ているのに、明らかに人間ではない。
「ナバル星人ね」
レイナが小さく言った。
「知ってるのか?」
「そりゃ知ってるわよ。珍しくもないもの」
画面の女が口元を上げた。
「ずいぶん余裕だね。こちらはランドラグ。私は船長のアミーラだ」
「カイトだ」
「カイト!」
横からカノンの声が飛んだ。
「海賊相手に、なぜ素直に名乗っておりますの!」
「まだ海賊って決まってないだろ」
アミーラが笑った。
「察しのいいお嬢ちゃんだね。そういうことだよ」
カノンの眉が跳ね上がった。
「誰がお嬢ちゃんですの!」
「そこに食いつくのかよ」
アミーラは面白そうに船内を見回した。
「悪いことは言わない。主機を落として止まりな。積み荷と船を置いていけば、命までは取らないよ」
カイトは少し考えた。
「断ったら?」
「ランドラグから逃げられると思わない方がいい。あたしたちは、逃げる船を捕まえるためにこの船を造ってるんでね」
カイトがNOVAを見る。
「速いのか?」
「現在の宇宙船としては、かなり速い方ね」
「アークと比べたら?」
NOVAは少し考えるような顔をした。
「比較する意味がある?」
通信画面の向こうで、アミーラの眉がわずかに動いた。
「ずいぶんな自信だね」
「NOVA、相手にしなくていいよな?」
「目的地はスメラよ。海賊と遊ぶ予定は航路に入っていないわ」
「だな」
アミーラの笑みが消えた。
「どうやら、口で言っても分からないらしいね」
「いや、分かってるよ。船を寄こせって話だろ」
「だったら止まりな」
「嫌だ」
あまりにも普通に返され、アミーラは一瞬黙った。
カイトは前を向く。
「じゃ、行くか」
「待ちな」
アミーラの声が低くなる。
「逃げられると思ってるのかい?」
カイトは振り返った。
「逃げる?」
その言葉が少し引っかかった。
「俺たち、普通に目的地へ行くだけだけど」
通信が切れた。
ランドラグの艦橋で、アミーラはしばらく無言だった。
「……変な男だね」
「追いますか?」
「当たり前だろ。出力最大。あの船の前へ回り込む」
「了解!」
ランドラグの主機が唸った。
艦橋に加速が伝わる。
速度計の数字が上がり、距離が縮まり始めた。
「よし、そのまま」
だが次の瞬間、索敵員の顔が変わった。
「船長、向こうも加速!」
「どの程度だい?」
「分かりません。出力特性が……何だ、これ」
「数字で言いな」
「距離、開きます!」
アミーラが画面を見る。
さっきまで前方にいた小型船が、見る間に遠ざかっていく。
「最大出力だよ!」
「出してます!」
「だったら、なんで離される!」
「分かりません!」
ランドラグは全力だった。
それでもアークは遠ざかる。
しかも妙だった。
噴射光が強くなった様子もない。普通の推進機なら最大加速時に現れるはずの変化が、ほとんど見えない。
アミーラが身を乗り出した。
「推進方式を解析しな」
「できません。既知の方式と一致しません!」
「そんな馬鹿な話があるか」
「でも……」
アミーラは答えなかった。
ただ遠ざかっていく船を見ていた。
アークでは、MIRAが主機出力を確認していた。
「……カイト」
「なんだ?」
「これで何パーセント?」
「NOVA?」
「十二パーセント」
MIRAが黙った。
レイナが笑う。
「昨日散々調べてたでしょう?」
「数値として見るのと、実際に体験するのは違うわ」
「だから脳検査なんて必要ないって」
「それとこれは別よ」
「まだ諦めてなかったのか」
NOVAが平然と前方を見ている。
「追跡船との距離、急速に拡大中。このままなら間もなく索敵圏外ね」
カノンが満足そうに腕を組んだ。
「当然ですわ。あのような無礼な女に捕まって差し上げる理由などありませんもの」
「なんかアミーラにだけ厳しくないか?」
「気のせいですわ」
「そうか?」
「気のせいですわ」
二回言った。
カイトはそれ以上聞かなかった。
ランドラグでは、誰も喋らなくなっていた。
索敵画面から、ついにアークの反応が消えた。
「……見失いました」
操縦士が悔しそうに言う。
アミーラは怒鳴らなかった。
椅子に座り直し、しばらく何も映っていない画面を見ていた。
「船長?」
「カイト……だったね」
「はい」
アミーラの琥珀色の瞳が、わずかに細くなった。
「それに、あの船」
口元に笑みが戻った。
「覚えておきな」
部下たちが顔を見合わせる。
「あれを捕まえるんですか?」
「馬鹿言うんじゃないよ。今のランドラグじゃ無理だ」
あっさり認めた。
だからこそ、アミーラはこの宇宙で生き残ってきた。
「ただね」
彼女はもう一度、アークが消えた方向を見る。
「面白いものを見つけた」
ランドラグは速度を落とし、ゆっくりと進路を変えた。
アミーラはまだ知らない。
今日、獲物として狙った小さな船の男と、これから何度も出会うことになるとは。




