MIRA
MIRAは、しばらくNOVAを見つめたまま動かなかった。
ホログラムの輪郭はまだわずかに揺れている。
対するNOVAは、今や完全な肉体を持ってそこに立っている。
「……本当にNOVAなのね」
「そうよ」
NOVAは答えたが、いつものような皮肉っぽい笑みはなかった。
MIRAの視線が、NOVAの顔から肩、腕、足へとゆっくり下がっていく。
「その身体……」
NOVAがようやく少し笑った。
「取り戻したわ」
MIRAの表情が柔らかくなった。
「よかった」
たったそれだけだった。
だが、その一言を聞いたNOVAは少しだけ視線を逸らした。
カイトは黙って二人を見ていた。
一万年前。
それだけの時間を隔てているはずなのに、二人の間には自分たちには分からない何かがある。
MIRAがもう一度、NOVAの身体を見る。
「でも、慣れてないでしょう?」
NOVAの顔がすぐに戻った。
「分かる?」
「姉さんだもの」
カイトが眉を上げた。
「姉さん?」
レイナもMIRAを見る。
カノンまで目を丸くしていた。
NOVAが小さく息を吐いた。
「そう。MIRAは私の妹よ」
「妹?」
カイトはNOVAとMIRAを交互に見た。
顔立ちは似ていない。
背丈もMIRAの方が少し小さい。
だが、二人のやり取りを見ていると妙に納得できた。
MIRAが微笑む。
「正確には、人間でいう姉妹に近い関係ね。私たちは同じ時代に造られた知性体だから」
「同型ってことか?」
「完全な同型ではないわ」
NOVAが答えた。
「私は広域管理と危機対応を重視した設計。MIRAは医療系統が中心よ」
MIRAが少しだけ不満そうにNOVAを見る。
「医療だけじゃないわ」
「知ってる。怒ると結構強いものね」
「姉さんほど乱暴じゃないけど」
「私は合理的なの」
「昔からそれを乱暴って言うのよ」
カイトが吹き出した。
「なんだ。NOVAにも昔から文句を言う奴がいたんだな」
「カイト」
「何だよ」
「今後の生命維持について、一切保証しないわ」
「医療担当の妹がいるから大丈夫だ」
MIRAが困ったように笑う。
「変わってないのね、姉さん」
「一万年くらいじゃ性格は変わらないわ」
「一万年を『くらい』で片付けるの、姉さんくらいよ」
レイナが二人を見ながら笑った。
「なんか安心した。もっと神様みたいなAIかと思ってた」
「失礼ね」
NOVAが言う。
「私はかなり高性能よ」
「性能の話はしてないわ」
MIRAの視線が再びNOVAの身体へ向いた。
「でも本当に肉体を取り戻したのね」
「ええ。ただし、面倒よ」
「面倒?」
「歩かないと移動できない。壁は抜けられない。人にぶつかる。扉もいちいち開けないといけない」
MIRAが一瞬黙ったあと、くすっと笑った。
「姉さん、昔も同じこと言ってた」
「……昔も?」
「肉体に入るたびに、重い、遅い、不便って」
カイトがNOVAを見る。
「筋金入りだったのか」
「合理的評価よ」
「しかも飯も食わないといけない」
「そこはまだ納得してないわ」
「でも食べてるじゃない」
レイナが言う。
「味覚は悪くないのよ」
「ちゃっかり楽しんでるじゃない」
MIRAは笑っていた。
その表情を見ながら、NOVAの顔から少しずつ緊張が抜けていく。
カイトには、それが何となく嬉しかった。
だが、MIRAの笑顔がふっと消えた。
「姉さん」
「なに?」
「記憶は?」
NOVAの表情が止まった。
「全部は戻ってない」
「どこまで?」
「断片だけ。この船を見ても、あなたを見ても、知っているという感覚はある。でも細かいことはまだ……」
MIRAは少し考え、静かに頷いた。
「そう」
「あなたは覚えているの?」
今度はMIRAが黙った。
その沈黙で、カイトにも答えが分かった。
「全部ではないわ」
「やっぱりか」
MIRAは中央の装置へ視線を向けた。
「私も長く休眠していた。記憶領域の一部は損傷している。でも、姉さんよりは残っていると思う」
NOVAが一歩近づく。
「じゃあ教えて。何があったの?」
MIRAはすぐには答えなかった。
「その前に確認したいことがあるわ」
視線がカノンへ移る。
「あなた」
「わたくし?」
「名前を教えて」
カノンが背筋を伸ばした。
「カノン・オルテシアですわ」
MIRAの表情が変わった。
「オルテシア……」
その名を、確かめるように繰り返す。
「やっぱり」
カノンが眉を寄せた。
「わたくしをご存じですの?」
「あなた自身は知らない。でも、その血統は知っている」
カノンの顔から笑みが消えた。
「どういう意味ですの」
MIRAは答えず、今度はカイトを見た。
「あなたがこの船を動かしたの?」
「いや。動かしたっていうほどじゃない。カノンを見つけて、使えそうなものを持って帰っただけだ」
「ずいぶん正直ね」
「隠しても仕方ないだろ」
レイナが横から小さく言った。
「かなり持って帰ってるけどね」
「その話はもういい」
MIRAが少しだけ笑った。
「でも、そのおかげでこの船が再び起動した。そして姉さんもここへ戻ってきた」
「結果オーライだ」
「便利な言葉ね」
NOVAが言った。
カイトは肩をすくめた。
「それで、さっきの話だ。オルテシアの血統を知ってるって?」
MIRAの表情が再び真剣になる。
「知っているわ。正確には、私の記憶に残っている」
カノンが一歩前へ出た。
「では、三等星振儀についても?」
MIRAの目がわずかに開いた。
「三等星振儀を知っているの?」
「皇族に伝わる聖域ですわ」
「そう……」
MIRAはしばらくカノンを見た。
そして、静かに言った。
「なら、話は早いわ」
カイトが嫌な予感と、妙な期待を同時に覚えた。
「何がある?」
MIRAはNOVAを見る。
次にカノン。
「三等星振儀より上位の施設がある」
カノンの眉が動いた。
「上位?」
「ええ」
MIRAはゆっくりと言葉を続けた。
「二等星振儀」
部屋の空気が変わった。
カノンが息を呑む。
「二等星……振儀」
「聞いたことは?」
「ありませんわ」
その答えを聞いて、MIRAは頷いた。
「当然かもしれない。存在を知る者は、かなり限られていたから」
NOVAがMIRAを見る。
「あなたは知ってるの?」
「ええ」
「場所も?」
「分かる」
カイトは思わず一歩前へ出た。
「そこに何がある?」
MIRAの視線がNOVAへ戻った。
「私の身体」
NOVAが目を見開いた。
「あなたの?」
「そう。今の私は、この船のメインAIとして動いているだけ。本来の肉体は別の場所に保存されている」
MIRAは自分のホログラムの手を見た。
「二等星振儀の中に」
NOVAが言葉を失った。
さっきまで肉体の不便さを散々こぼしていたNOVAが、今は何も言わない。
カイトも黙っていた。
MIRAの肉体。
NOVAと同じなら、それは単なる機械の身体ではない。
一万年前の文明が造った、生きた人間とほとんど変わらない身体だ。
カノンがMIRAを見つめる。
「そこへ行けば、あなたもNOVAのようになれるということですの?」
「おそらく」
MIRAは答えた。
だが、その顔にはまだ何かある。
カイトはそれを見逃さなかった。
「それだけじゃないんだろ」
MIRAがカイトを見る。
「え?」
「顔に書いてある」
「姉さんと似たこと言うのね」
「長く一緒にいるからな」
「長いってほどでもないわ」
NOVAがすぐに訂正する。
「今そこじゃないだろ」
MIRAは二人を見て、少しだけ笑った。
それからカノンへ向き直った。
「二等星振儀には、私の身体以外にも保存されているものがある」
カノンの目が細くなる。
「何ですの?」
MIRAは一瞬だけ躊躇した。
そして、静かに告げた。
「あなたのお父様と、お母様よ」
カノンの表情が消えた。
「……え?」
MIRAはもう一度、はっきりと言った。
「二人とも生きている」
誰も声を出さなかった。
宇宙の墓場の中で、長く眠っていた船だけが、低い駆動音を響かせていた。




