NOVA覚醒
20話 NOVA覚醒
警告音は一度鳴っただけだった。
だが、三等星振儀の静寂を知ったあとでは、それだけで十分だった。
NOVAが地下構造図を開く。秘密通路の入口付近に赤い点が十七、その後方にも新しい反応が増えていた。王宮側はもう探索ではなく、明確な目的を持って地下へ入ってきている。
「入口の封印が破られました。先頭がここへ到達するまで、およそ十二分」
「思ったより早いな」
カイトは父と母のホログラムが消えた場所を一度だけ振り返った。
カノンはまだ動かなかった。母の最後の言葉、「また会いましょう」が耳に残っているのだろう。涙はもう拭っていたが、その表情には二百年前にはなかったものがある。
悲しみだけではない。
父と母が、何かを残している。
その確信だった。
レイナが周囲を見回す。
「来た道を戻るのは無理ね。この広さなら、別の出口くらいありそうだけど」
「三等星振儀は、皇族が外敵から身を守るための施設ではありませんわ」
カノンが答えた。
「ここへ敵が入るという前提そのものがなかったのです」
「二百年もあれば前提も腐るわね」
レイナが工具ベルトへ手を伸ばした時、NOVAが突然顔を上げた。
「待って」
声の調子が違った。
三人が彼女を見る。
NOVAは中央に浮かぶ三つの輪ではなく、そのさらに奥、何もない黒い壁を見つめていた。
「どうした」
「……呼ばれてる」
カイトが眉を寄せる。
「誰に」
「分からない」
NOVA自身が困惑していた。
「音じゃない。通信でもない。でも、あそこに何かある」
彼女の青白い身体が滑るように奥へ向かう。壁まで数メートルのところで止まり、右手を上げた。
その瞬間、壁へ細い光が走った。
一本。
二本。
三本。
光は複雑な幾何学模様を描きながら広がり、中央に人間の掌ほどの紋様を作った。
レイナが息を呑む。
「さっきまで何もなかったわよ」
「今も、私には何が起きているのか分からない」
NOVAが紋様へ触れる。
ホログラムの指は本来なら壁を通り抜けるはずだった。
だが、触れた。
青白い指先から光が波紋のように広がる。
NOVA自身が最も驚いた顔をした。
「……触れた?」
低い振動が聖域全体を走った。
ブゥン……。
アークの起動音に似ていた。
だが違う。
メビウスリングコイルの共振ではない。もっと深く、建物そのものが長い眠りから呼吸を始めたような音だった。
カイトが何も言わず音を聞く。
レイナも同じだった。
二人とも技術者だからこそ、違いが分かった。
「これは球心力じゃない」
カイトが言った。
「ええ。あなたのコイルとはまったく別物」
レイナは測定器を向けたが、数値は一つも出ない。
「また解析不能。今日はそればっかりね」
黒い壁が中央から左右へ割れた。
その向こうに細い通路が現れる。
照明はない。それでも床へ足を踏み入れた瞬間、足元から淡い青の光が順番に灯っていった。
NOVAが先へ進む。
「知ってる」
カノンが彼女を見る。
「何をですの?」
「この光」
NOVAは歩いていない。いつものように床からわずかに浮いたまま進んでいる。
それなのに、どこか奇妙だった。
まるで長い間帰れなかった場所へ戻ってきた人間のように、周囲を確かめながら進んでいる。
「この通路も……知ってるわ」
カイトが後ろから続く。
「思い出したのか」
「まだ違う。記憶というより……身体が覚えているような感じ」
レイナが首を傾けた。
「身体?」
NOVAは答えなかった。
通路はほどなく広い部屋へ開いた。
何もない。
そう見えた。
中央に、一基の装置があることを除けば。
高さ二メートルほどの透明な筒。
表面は曇っており、中を見ることはできない。
レイナが近づこうとした瞬間、NOVAが手を出した。
「待って」
「今度は何?」
「分からない。でも……私が先」
NOVAは透明筒の前へ立つ。
装置の下部へ、先ほど三等星振儀で見たのと同じ古代文字が浮かび上がった。
今度はNOVAが迷わなかった。
読んだ。
「生体保存槽」
三人が同時に彼女を見る。
レイナの顔から、いつもの余裕が消えた。
「読めるの?」
「読めるわ」
「何が入ってるんだ?」
NOVAは答えなかった。
保存槽へ手を伸ばす。
表面の曇りが、ゆっくり消えていった。
最初に見えたのは髪だった。
淡い銀色。
次に閉じた瞼。
鼻筋。
唇。
肩。
見た事の無いスーツ。
継ぎ目の無い靴。
そこには人間の女性が眠っている。
カノンが息を呑んだ。
レイナは言葉を失った。
カイトだけが、保存槽とNOVAを交互に見た。
同じ顔だった。
目の前に浮かんでいる青白いホログラムと、保存槽の中で眠っている女性。
違いは一つ。
こちらには身体がある。
「……私?」
NOVAの声が小さく漏れた。
誰も答えられない。
NOVAは自分の顔へ触れ、それから保存槽の女性を見る。
「私……なの?」
装置が反応した。
古代文字が次々と表示される。
NOVAの瞳へ、その内容が流れ込む。
「個体識別……NOVA」
一つずつ読み上げる声が震えていた。
「戦術支援型生体演算体……統合人格保存……」
そこで止まった。
レイナが聞き返す。
「戦術支援型?」
NOVAは返事をしない。
表示の最後に、新しい一文が浮かぶ。
彼女はそれを見つめたまま、しばらく動かなかった。
「何て書いてある?」
カイトの声に、NOVAはようやく口を開いた。
「人格帰還を待機」
部屋が静まり返る。
一万年以上。
誰かがここへ、この身体を保存した。
そしてNOVAが戻る日を待っていたという事なのか?
「……冗談でしょう」
NOVAが呟いた。
いつもの皮肉ではなかった。
困ったように笑おうとして、それすらうまくできない。
「私、そんなに長い間、身体を置き忘れてたの?」
カイトは保存槽を見た。
「見つかったなら戻せばいいという事だと思うぞ」
NOVAが振り向く。
「簡単に言うわね」
「難しいのか?」
「分からないわよ。自分の身体を見つけた経験なんて初めてなんだから」
「俺もないわい」
「でしょうね!」
声にいつものNOVAが戻った。
レイナが思わず笑う。
「それだけ喋れるなら大丈夫そうね」
「どういう基準よ」
警告音が遠くで響いた。
王宮の部隊がまた近づいている。
NOVAが振り返る。
保存槽。
通路。
三等星振儀。
そしてカイトたち。
瞳の奥で迷いが揺れた。
「時間がないぞ、なんとかしろ!」
カイトが言う。
「分かってるわ」
NOVAは保存槽へ向き直った。
「……起動方法も分かる」
「思い出したか?」
「いいえ」
彼女は静かに首を振る。
「最初から知っていたみたい」
保存槽へ両手を触れる。
青白いホログラムの輪郭が淡く揺れた。
「NOVA」
カノンが呼ぶ。
NOVAは振り返って微笑んだ。
「大丈夫よ。たぶん」
「たぶんはやめろ、心配になる」
カイトが言う。
NOVAの笑みが少し深くなる。
「あなたに言われると説得力があるわね」
装置が起動した。
低い音が床から立ち上がる。
保存液がゆっくりと排出され、眠っていた女性の身体がわずかに動いた。
同時にNOVAのホログラムが透け始める。
レイナが一歩前へ出る。
「NOVA?」
「接続が始まった」
声が遠くなる。
「奇妙ね。ずっと船の中にいるのが普通だったのに」
指先が光の粒へ変わる。
「急に、帰る場所が身体だったなんて」
胸。
肩。
髪。
青白い姿が少しずつ崩れていく。
保存槽の女性の指が動いた。
カノンが息を止める。
NOVAの顔だけが最後まで残った。
カイトを見る。
「もし失敗したら」
「その時考えるさ」
「少しは心配しなさいよ」
「してるから待ってる」
NOVAは一瞬だけ目を丸くした。
それから、静かに笑った。
「……そう」
最後の光が消えた。
保存槽の中で、女性が大きく息を吸った。
初めての呼吸だった。
胸が上下する。
瞼が震える。
ゆっくり開いた。
青い瞳。
その奥に、ごく細い金色の輪があった。
保存槽が開く。
女性の身体が前へ傾いた。
カイトが反射的に腕を伸ばし、受け止める。
軽い。
だが、触れた身体はホログラムではない。
温かかった。
NOVAはしばらく自分が何に触れているのか分からないような顔をしていた。
やがて視線を下げ、カイトの腕へ自分の手を置く。
指先が皮膚へ触れる。
押す。
また触れる。
「……温かい」
カイトが眉を上げる。
「お前もな」
NOVAは自分の手を見る。
裏返す。
指を一本ずつ動かす。
次に自分の頬へ触れた。
「感触がある」
「身体だからな」
「説明が雑すぎるでしょう」
いつもの言い方だった。
レイナの表情が緩む。
「NOVA?」
女性が顔を上げる。
「何?」
レイナは数秒黙った。
「……本当にNOVAなのね」
NOVAは自分の濡れた髪を指先で払い、少しだけ顎を上げた。
「失礼ね。こんな美人、ほかにいる?」
カノンが思わず吹き出した。
「それだけ言えれば間違いありませんわ」
NOVAは保存槽から一歩踏み出した。
そして盛大によろけた。
カイトが再び支える。
「歩けないのか」
「一万年以上ぶりなのよ! 少しくらい待ちなさい!」
「ホログラムの癖が抜けてないな」
「床ってこんなに邪魔だったのね」
二歩目。
三歩目。
今度は立てた。
自分の足で。
NOVAは床を見つめ、それからゆっくり顔を上げた。
その時、通路の向こうから金属音が響いた。
追っ手だ。
「来たわね」
レイナが腰の武器へ手を伸ばす。
カイトも前へ出ようとした。
だがNOVAが先に腕を出した。
「待って」
声はいつものNOVAだった。
ただ、その立ち方だけが違った。
身体が自然に重心を落とし、左足が半歩前へ出る。
カイトがその姿勢を見る。
「戦えるのか?」
NOVA自身が自分の身体を見た。
「知らない」
次の瞬間、通路から武装兵が二人飛び込んできた。
銃口が上がる。
NOVAの姿が消えた。
レイナの目が追いつかなかった。
乾いた音が二つ。
兵士の銃が床へ落ちる。
気づいた時には、二人とも壁際に座り込んでいた。
一人は手首を押さえ、もう一人は何が起きたのか理解できない顔でNOVAを見上げている。
NOVA自身も同じだった。
両手を見る。
兵士を見る。
カイトを見る。
「……私、何したの?」
カイトの口元が上がる。
「面白くなってきたな」
「あなたは楽しそうでいいわね!」
NOVAはそう言いながら、初めて自分の足でカイトたちの側へ戻った。
青白い光ではない。
足音がする。
呼吸がある。
体温がある。
一万年以上の時を越え、超古代文明が残した知性は、ようやく自分の身体へ帰ってきた。
そして、その誰よりも驚いている本人を連れて、カイトたちは三等星振儀のさらに奥へ走り出した。




