記憶の再開
青白い光の中で、父と母の姿が静かに立っていた。
カノンは一歩も動けなかった。
二百年前、皇宮を出る朝と同じ顔だった。父はいつもの濃紺の正装を身につけ、母は淡い銀色のドレスを着ている。歳も、表情も、記憶の中と何も変わらない。
違うのは、これは生きた二人ではないということだけだった。
『カノン』
父の声が聖域へ響く。
それだけで、カノンの唇が震えた。
『もし、この記録を見ているのなら、お前は無事に長い眠りから目覚め、ここへ戻ってきたのだな』
母が隣で小さく息を吐いた。
『よかった……本当に、よかった』
その声は笑っていたが、瞳には涙が浮かんでいる。
「母上……」
カノンの声は届かない。
映像の母は、二百年前の娘へ語りかけ続ける。
『あなたを送り出した日のことを、今でも後悔しているわ。何も知らせず、任務だと信じさせたまま送り出してしまったことを』
カノンの眉が寄った。
「任務……?」
父がゆっくり頷いた。
『特異点宙域の観測任務。あれは、お前を皇都から遠ざけるためのものだった』
空気が止まった。
レイナがカノンを見る。
カイトも何も言わない。
カノンだけが、父の映像から目を離せなかった。
『当時、宮廷内部に不穏な動きがあった。私はその中心に誰がいるのか、最後まで信じたくなかった』
父の表情が曇る。
『宰相ミル・コルデラン』
その名が出た瞬間、カノンの顔が変わった。
「……コルデラン?」
幼い頃から皇宮にいた男だった。
父の側近。
政務を支え、各地の貴族をまとめ、皇帝が不在の時には宮廷を預かるほど信頼されていた。
父は続ける。
『彼は、オルテシア皇族が守るものを知ろうとしていた』
その背後へ、古い記録映像が浮かぶ。
地下施設。
封印された扉。
見たことのない遺物。
『我ら皇族は、ただ国を治めるために存在してきたのではない。遥か昔、この星系に存在した超古代文明。その遺産と秘密を守り、次代へ伝えること。それこそが、我ら一族の本当の役目だった』
レイナの表情が引き締まる。
カイトは中央に浮かぶ三等星振儀を見上げた。
『コルデランは、その存在に気づいた』
父の声に苦味が混じる。
『だが、彼は一つだけ知らなかった』
一拍。
『秘密を開く鍵は、王冠でも、権力でもない』
カノンの視線が父へ吸い寄せられる。
『皇族の血そのものだ』
レイナが小さく息を呑んだ。
NOVAの輪郭が、ごくわずかに揺れた。
父は続ける。
『コルデランは、我らを排除しさえすれば秘密を手にできると考えた。だから反乱を起こした。王座を奪い、皇宮を占拠し、地下の施設を探せば、すべてが自分のものになると』
「……愚かな」
カノンの声が低く落ちた。
父の映像は、まるでその言葉を聞いたかのように一度だけ目を伏せる。
『だが、彼は最後まで三等星振儀を見つけられなかった』
壁面に王宮地下の古い構造図が浮かぶ。
複雑な通路の中で、三等星振儀だけが完全に切り離されている。
『場所を知るのは皇族のみ。さらに、認証キーだけでは開かない。皇族生体認証が必要だ』
カイトは内心で納得した。
二百年間、ゲルモア王家が探し続けても見つけられなかった理由。
場所を知らない。
見つけても開けない。
そして、最後の皇族は宇宙の墓場で眠っていた。
父の映像が、少しだけ柔らかい表情になる。
『だから私は、お前に認証キーを持たせた』
カノンの目が大きく開く。
『なぜ観測任務へ向かう私に、これを持たせるのかと不思議だったろう』
「……はい」
答えても届かない。
それでもカノンは返事をしていた。
『お前が皇都を離れている間に何か起きても、少なくとも最後の鍵だけはコルデランの手に渡らない。それが私にできる最低限の備えだった』
母が父の手へそっと触れる。
『本当は、もっと早くあなたへ話すべきだったわ』
母の声は穏やかだった。
『でも、あなたはまだ若かった。秘密を背負わせるには早すぎると、私たちはそう考えてしまった』
「……だから、何も」
カノンの頬を涙が伝った。
『何も知らないまま送り出した』
母の目にも涙が浮かぶ。
『ごめんなさい』
カノンは首を横へ振った。
「謝らないでくださいませ……」
父の映像は少し間を置いた。
そして、表情を変えた。
『もう一つ、伝えておかなければならない』
聖域中央の三つの輪がゆっくり回転する。
『私と母さんは、皇都から別ルートで脱出した』
カノンの身体が固まった。
『追撃は激しく、我々の船は辺境宙域で致命的な損傷を受けた。現在、この星系を離れる手段はない』
「父上……」
『だが、絶望はしていない』
父ははっきりそう言った。
『我々には、まだ一つだけ選択肢が残されている』
そこで映像が一瞬乱れた。
レイナが反射的に端末を見る。
「記録障害?」
NOVAが首を振る。
「違う。この部分だけ意図的に暗号化されている」
映像が戻る。
父の次の言葉は、途中からだった。
『……だから、もしお前がこの記録を見つけたなら、三等星振儀の記録を最後まで調べなさい』
母がカノンへ微笑む。
その微笑みが、なぜか別れのものには見えなかった。
『カノン』
「母上……」
『あなたは、国を取り戻す必要はないわ』
カノンの表情が揺れた。
『王座も、皇国の名前も、昔の形へ戻す必要はありません』
父が続ける。
『守るべきなのは、国名ではない。そこに生きる人々と、未来だ』
カノンは黙って聞いていた。
『ゲルモア王国が二百年後にどうなっているのか、我々には分からない。良い国になっているかもしれない。あるいは、我々が恐れたものより悪くなっているかもしれない』
父は娘を真っ直ぐ見た。
『だから、自分の目で見なさい』
『そして、自分で決めなさい』
母が笑った。
『あなたなら大丈夫』
カノンの両手が強く握られる。
父と母の姿が少しずつ薄れていく。
「待って……」
『最後に』
父の声が重なる。
『三等星振儀には、我々が守ってきた秘密のすべてが眠っている』
NOVAの身体が突然揺れた。
「……!」
レイナが振り返る。
「NOVA?」
NOVAは中央装置を見つめている。
父の映像の背後に浮かんだ古代文字。
その一つを見た瞬間、彼女の瞳が金色へ変わった。
『ただし、それを開く時は慎重に』
父の声。
『すべての知識が、人を幸福にするとは限らない』
NOVAの口から、誰も聞いたことのない言葉が零れた。
「……アル=ネイラ」
カイトが振り向く。
「何だ?」
NOVA自身が驚いた顔をした。
「分からない」
壁面の文字が一つ、青白く輝く。
NOVAの中で何かが弾けた。
星。
巨大な環状都市。
光に包まれた船団。
そして、見たことのない空。
一瞬の断片が彼女の意識を駆け抜ける。
NOVAは額へ手を当てた。
「思い出した……?」
レイナが近づく。
NOVAはゆっくり首を横へ振る。
「まだ……違う」
その声には、いつもの軽さがなかった。
「でも、私の中に、この文明の記憶がある」
カノンが涙を拭い、NOVAを見る。
「あなたは……何者なのです?」
NOVAは答えられなかった。
その時、母のホログラムが最後にもう一度だけカノンへ顔を向けた。
『また会いましょう、カノン』
カノンの呼吸が止まった。
映像が消える。
青白い光だけが聖域へ残った。
誰もすぐには話さなかった。
やがてカイトが静かに口を開く。
「死ぬつもりの人間は、『また会おう』なんて言わない」
カノンが顔を上げる。
カイトは三等星振儀を見た。
「父親は、まだ何か隠してる」
NOVAも中央装置へ視線を向けた。
「ええ」
彼女の瞳の奥で、ほんの一瞬だけ金色の光が戻る。
「そして、たぶん……私も」
その直後、聖域の外から低い警告音が響いた。
NOVAの表情が変わる。
「地上で動きがある」
「王宮か?」
カイトが聞く。
NOVAは地下構造図を開いた。
複数の熱源が、秘密通路の入口付近へ集まり始めている。
「残念ながら」
いつもの微笑みが、少しだけ戻った。
「家族会議の時間は終わりみたいね」




