王都の顔
第十七話 王都の顔
王都ゲルモアの大通りは、カノンの記憶よりずっと広くなっていた。
二百年前には馬車が四台並べば窮屈だった道を、今では磁気浮上式の乗合車が何列も行き交い、頭上では小型の配送機が建物から建物へ荷物を運んでいる。石造りだった家々の多くは高層建築へ姿を変え、通りには立体広告が浮かび、店先からは香辛料や焼いた肉の匂いが漂っていた。
一見すれば、繁栄した都だった。
カノンはその景色を黙って見ていた。
「意外でした?」
レイナが隣を歩きながら尋ねる。
「もっと荒れていると思っていましたわ」
「王都だからね。国の顔くらいは磨くでしょう」
カイトが前を歩いたまま言った。
「裏まで磨いてるとは限らん」
その言葉どおり、中心街から二本裏へ入っただけで景色は変わった。建物は低くなり、壁の補修跡が増え、窓には洗濯物が並ぶ。路地の入口には配給所を示す古い看板があり、長い列が通りの奥まで続いていた。
カノンは足を止める。
「また配給ですの?」
NOVAが列の先へ視線を向け、青白い表示を浮かべた。
「食料だけじゃないわ。燃料、医薬品、それから一部の生活用品も配給制。王都中心部は自由販売が多いけれど、所得の低い地区では配給への依存率が高い」
「では、先ほどの大通りで売られていた品々は?」
「買える人が買うための物」
レイナの答えは短かった。
カノンはもう一度、華やかな大通りの方角を振り返った。同じ街の中に、あまりにも違う二つの景色がある。
「税収は足りていないのですか?」
「逆よ」
NOVAが王国の公開財政資料を開いた。
「国庫収入は過去十年で増加している。特に輸出税、農業徴収、古代遺産関連の研究権料が伸びているわ」
「では、なぜ?」
「使い道の問題ね」
レイナが言った。
王宮関連予算、軍事費、王室直轄研究機関、地方総督府。NOVAが表示した数字を見れば、どこへ金が流れているのかは分かりやすかった。
カイトは数字を眺めて鼻で笑う。
「金がないんじゃない。民に回す気がないだけだな」
カノンは黙った。
怒鳴りもしない。
眉を吊り上げもしない。
ただ、配給所へ並ぶ人々を見ていた。
その列の中に、小さな少女がいた。母親らしい女性の手を握り、何か食べながら笑っている。
国が変わっても、人の暮らしまで消えたわけではない。
そこが余計に重かった。
「王が悪いと言えば簡単ですわね」
カノンが不意に言った。
レイナが彼女を見る。
「違うの?」
「違わないのでしょう。でも、それだけで二百年続く国は作れませんわ」
カイトが足を止めた。
カノンは大通りの向こうにそびえる王宮を見た。
「役人も、商人も、軍人も、地方の総督も、それぞれこの仕組みの中で生きている。王一人を替えれば全部元通りなどという話ではありません」
レイナの口元が少し上がった。
「皇女らしいこと言うじゃない」
カノンが横目で見る。
「いつも皇女ですわ」
「靴を三足選んでる時も?」
「国家運営と靴を同列にしないでくださる?」
カイトは小さく笑い、そのまま歩き出した。
「とりあえず国を建て直す前に、昼飯にしよう」
「急に話が庶民的になりますわね」
「腹が減ったまま革命すると判断を間違える」
「革命すると決めた覚えはありません!」
四人が入ったのは、大通りから少し外れた小さな食堂だった。店内には十数席しかなく、壁には手書きの料理名が並んでいる。レイナが先に席へ座り、カイトは一番安い煮込み料理を頼んだ。
カノンはメニューをしばらく見つめた。
「これは何ですの?」
「豆」
「こちらは?」
「肉」
「これは?」
「豆と肉」
「種類を減らす努力をしすぎではありませんこと?」
店主の男が笑った。
「姉ちゃん、王都の中心なら二十種類くらいあるよ。ここじゃ三種類ありゃ十分さ」
カノンは少し迷って、豆と肉を頼んだ。
料理が運ばれてくるまで、隣の卓から男たちの話し声が聞こえてきた。
「また徴発だってよ」
「今度は南部だろ?」
「いや、北の採掘区もだ。王室研究所へ回すんだと」
「何をそんなに掘ってるんだか」
「古代遺産だろ。いつもの」
カノンの指が止まる。
カイトは視線だけで彼女を制した。
聞け。
動くな。
カノンも分かったらしい。
男たちの会話は続く。
「二百年前のガラクタに、よくあれだけ金を使うよな」
「ガラクタならまだいい。見つかれば国が変わるとか、毎回同じ話だ」
「初代王の遺言らしいぜ。皇国の秘密を探せって」
レイナの目が一瞬だけカイトへ向いた。
カイトは何も反応しない。
NOVAだけが、男たちの音声を静かに記録していた。
「皇国の秘密って何だよ」
「知らん。知ってたら俺が王様になってる」
「お前じゃ三日で国が潰れるわ」
笑い声が上がった。
カノンは笑えなかった。
初代王。
つまり、コルデラン。
二百年前に父を裏切った男が、自分の子孫へ秘密の探索を残したということになる。
しかも、その話は王宮内部だけの伝承ではない。形を変えながら、民間にまで噂として流れている。
「聞こえましたわね」
店を出てから、カノンが低い声で言った。
「初代王の遺言」
レイナが頷く。
「三等星振儀のこと?」
カノンは周囲を確認してから、ほんの少しだけ首を横へ振った。
「そこまで具体的には知らなかったのでしょう。ただ、皇族が守っていた何かがある。その程度だったはずですわ」
「でも二百年間探してるんだよな」
カイトが言う。
「執念深い一族だな」
「褒めてますの?」
「嫌いじゃない。敵としてはな」
カノンが呆れた顔をする。
「あなた、時々ものすごく嫌な顔をなさいますわね」
「時々か?」
レイナが真顔で聞いた。
「そこは否定してくださいませ!」
NOVAがふわりと三人の間へ降りる。
「残念ながら、統計的には常時ね」
「お前まで乗るな」
軽口を交わしながら歩いていたが、NOVAの視線だけは街角へ向いたままだった。
「二人」
カイトの表情が変わる。
「何が」
「さっきからこちらを見ている人間。大通りから一人、食堂を出てからもう一人増えた」
レイナは振り返らない。
「尾行?」
「可能性は高いわ」
「いつから気づいてた」
「大通りを出た頃からよ」
カイトが横目でNOVAを見る。
「早く言えよな」
「あなたたちが政治談義に夢中だったからでしょ、邪ても悪いかななんてね」
「そこはAIなら空気読まずに割り込めや」
「普段は割り込むなと言われるのよ。人間の仕様は頻繁に変わるわね」
カイトは歩調を変えなかった。
「王宮の連中か」
「断定できない。ただし二人とも一般市民としては歩き方が不自然ね。距離を一定に保ちすぎているわ」
レイナが小声で言う。
「どうする?」
「確かめる」
「どうやって?」
カイトは次の角を曲がった。
そこは商店街だった。露店、衣料品店、修理屋、雑貨屋。人通りが多い。
彼は急に一軒の工具店へ入った。
レイナも何も言わず続く。
カノンは一瞬遅れ、NOVAと一緒に店内へ入った。
「何をなさるつもり?」
「買い物」
「この状況で?」
「必要だろ」
レイナが棚を見回す。
「何が」
「まだ決めてない」
レイナはため息をついた。
「あなたの買い物、カノンより質が悪いわ」
店の奥へ進み、カイトは鏡面仕上げの工具棚へ視線を向けた。
背後の通りが映っている。
一人。
二人。
店の前を通り過ぎる。
そのまま角へ消えた。
「やっぱりな」
レイナも棚の反射で確認した。
「王宮?」
「少なくとも観光客じゃない」
カノンの顔から笑みが消える。
「わたくしが見つかった?」
「まだ分からん」
NOVAが情報網を検索する。
「旧採掘港で未登録船を検知した記録が、王宮直属の古代遺産管理局へ送られている。公開網には出ていないけれど、周辺の監視システムが急に活性化しているわ」
「アークか」
「おそらく」
カイトは棚に並んでいた小型レンチを一本手に取った。
「この星、歓迎が早いな」
レイナがレンチを見る。
「買うの?」
「せっかく入った」
「サイズ合わないわよ」
カイトは黙って棚へ戻した。
カノンが小さく笑った。
緊張の中でも、ほんの少しだけいつもの空気が戻る。
「ここからどうしますの?」
カイトは店の裏口を確認した。
「一度、姿を消す」
「アークへ戻る?」
「戻ったら場所を教えるだけだ」
レイナが頷く。
「なら宿ね。安いところ」
「なぜ安いのです?」
カノンが聞いた。
「高いホテルは身分確認が厳しい」
「なるほど」
一拍置いて、カノンが眉を寄せた。
「でも、わたくしは皇女ですわ」
「今日は貧乏旅行者だ」
「せめて中流にしてくださいませ」
NOVAが即答する。
「予算次第ね」
「あなたまでカイト側につかないでくださる?」
四人は工具店の裏口から路地へ出た。
王宮を避け、監視網を避け、古い街区へ向かう。
その頃、古代遺産管理局では、監視員の一人が新しい映像を停止させていた。
画面に映っているのは、王都の大通りを歩く四人。
男。
赤茶色の髪の女。
ホログラムAI。
そして、金色の髪を持つ若い女性。
管理局長ダレス・ヴァーンは、その女性の顔を拡大した。
二百年前の記録画像が横へ並ぶ。
皇都から突如消えた皇女の肖像。
照合率がゆっくりと上昇する。
七十六。
八十三。
九十一。
九十六。
そこで数値が止まった。
部屋の空気が変わった。
「局長……」
部下の声が掠れる。
ダレスは画面から目を離さなかった。
「王宮へ報告しろ」
「皇女生存の可能性、と?」
「違う」
ダレスは静かに答えた。
「二百年間探していた鍵が、王都へ入ったと伝えろ」
その命令が発せられた頃、当のカノンは、古びた宿屋の一室でベッドを見つめていた。
「……狭いですわ」
レイナが荷物を置く。
「中流は諦めて」
「せめて枕を二つ」
「そこから交渉するの?」
「皇女にも最低限というものがありますわ」
カイトは窓の隙間から王宮の方角を確認した。
遠くに見える塔の上で、黒地に銀の獣を描いた旗が揺れている。
ゲルモア王国は、まだカノンを捕まえていない。
だが、もう探している。
そしてカノン自身も、ようやく理解し始めていた。
自分が二百年ぶりに帰ってきた皇女だから危険なのではない。
自分の中に、彼らが二百年間手に入れられなかったものがあるからだ。
その夜、王都の警備網は静かに動き始めた。




