王都ゲルモア
第十六話 王都ゲルモア
旧採掘港を出た地上車は、最初の三十分ほど、まともな道と呼べるものを走らなかった。
ひび割れた舗装の間から雑草が伸び、ところどころ崩れた路肩を避けるたび、古い車体が大きく軋む。レイナが十分で蘇らせた車は確かに動いていたが、二百年前の皇女を故郷へ運ぶ乗り物としては、威厳という言葉から随分遠い。
「もう少しまともな乗り物はありませんでしたの?」
後部座席でカノンが身体を揺らされながら言った。
「歩くより速い」
カイトはハンドルを握ったまま答える。
「皇女の帰還ですのよ」
「誰にも知られちゃまずい皇女だろ」
カノンは一瞬黙り、それから窓の外へ顔を向けた。
「……それはそうですわね」
助手席ではレイナが携帯端末を膝に置き、王都までの古い道路網と現在の交通情報を重ねている。NOVAはダッシュボードの上に腰掛けるような姿勢で浮かび、時折道路の先へ視線を飛ばしていた。
山間部を抜けるにつれ、景色は変わっていった。
最初に増えたのは農地だった。
だが、カノンの記憶にあるものとは随分違うらしい。広大な畑は幾何学的に区切られ、無人農機が列を作って動いている。その一方で、道路沿いに建つ家々は古く、壁を補修した跡が何重にも重なっていた。
「この辺りは昔、葡萄畑でしたわ」
カノンが窓の外を見ながら言う。
「皇宮へ納める果実酒の産地で、秋になると街道沿いまで香りがしていましたの」
今は穀物畑が地平まで続いている。
レイナが土地情報を検索した。
「王室直轄農業区。主要作物の八割は国が買い上げ。自由販売は禁止ね」
「なぜですの?」
「食料価格の安定、というのが表向きの理由」
NOVAが補足する。
「ただし政府買い上げ価格は周辺国の平均市場価格より三十九パーセント低いわ。農家の所得は全国平均の半分以下」
カノンの眉が寄った。
「それでは農民が暮らしていけませんわ」
「だから補助金が出る」
レイナが画面をスクロールする。
「補助金を受けるには王国指定の農業組合へ加盟する。加盟すると種、農機、肥料を政府指定業者から買う義務がある」
カイトが鼻で笑った。
「安く買い叩いて、高く売りつけるのか」
「うまい仕組みでしょう。金が一周して、最後は同じ場所へ戻る」
カノンは何も言わなかった。
家々の間で、老人が一人、壊れた農機の横にしゃがみ込んでいる。道の反対側では小さな子供が二人、畑からこぼれた穀物を袋へ拾っていた。
それを見つめるカノンの横顔から、先ほどまでの故郷へ戻った喜びが少しずつ消えていった。
やがて道路は広くなり、交通量も増えた。
貨物車、乗合車、個人用の小型車。王都へ近づいているのだろう。頭上には高架式の磁気軌道が現れ、銀色の列車が音もなく追い越していく。
「少なくとも交通技術は二百年前より進んでますわね」
「全部が退化したわけじゃないからね」
レイナは窓の外を見た。
「ゲルモア王国は超古代文明の遺産こそ再現できなかったけど、普通の技術まで止まったわけじゃない。二百年あれば、それなりには進む」
「それなり、ね」
NOVAが高架列車の速度を計測する。
「カイトの球心力航法に慣れると、地上交通へ厳しくなるのも無理はないわ」
「比べるな」
「比べたのはあなたじゃないわ」
街道の先に検問所が見えた。
道路を横切る大きなゲートと、その両側に灰色の制服を着た兵士が立っている。通過車両は一台ずつ止められ、身分証と積荷を確認されていた。
レイナの表情が少し変わった。
「王都外周検問。全車両検査みたいね」
「避けられるか」
「迂回路はあるけど、そこにも小型検問が二つ。急に曲がる方が怪しい」
NOVAが車両登録を確認する。
「この車、登録が九年前で止まってるわよ」
「誰も乗ってなかったからな」
「その説明が通じる相手だといいわね」
カイトは速度を落とさず、検問の列へ車を並べた。
カノンが自分の服を見下ろす。
「わたくしの身分は?」
「旅行者」
「皇女ですが」
「今それを言ったら旅が終わる」
「不本意ですわ」
「生きて王都を見る方が先だ」
カノンは小さく息を吐いた。
「……分かっています」
車が少しずつ前へ進む。
検問の様子を見ていると、単なる入市管理ではないことが分かった。貨物車の運転手が書類を差し出し、兵士が積荷の箱を開ける。別の車では、年配の男が何か説明しているが、兵士は聞く耳を持たず、端末に表示された金額を指差した。
男が財布を出す。
兵士はその場で金を受け取り、ようやく車を通した。
カイトが前を見たまま言った。
「通行料か?」
レイナが記録を調べる。
「王都入域税。地方在住者は一人につき十二クレド。ただし貨物車は別に積荷税がある」
「王都へ入るだけで金を取るのか」
「王都の維持費ということになってる」
後部座席からカノンの声がした。
「昔はありませんでしたわ」
「でしょうね」
「皇都へ入る民から金を取って、どうやって商いをさせますの?」
答えたのはNOVAだった。
「商人が税を価格へ上乗せする。最終的には王都に住む人間が払うことになるわ」
「では結局、民から取るだけではありませんか」
「政治は複雑にすると税金に見えなくなるのよ」
レイナが言った。
「便利な技術ね」
カノンは笑わなかった。
順番が来た。
兵士が運転席へ近づき、無愛想に手を出す。
「身分証」
カイトはレイナが用意した簡易旅券を差し出した。旧採掘港周辺では臨時労働者用の登録制度が残っており、NOVAが公開システムから正規の申請手続きを済ませていた。
兵士は四人分の情報を確認する。
NOVAについてはホログラム端末として登録されているため、人員には含まれない。
「目的」
「観光」
兵士がカイトを見る。
次に錆だらけの車を見る。
さらにレイナの工具箱を見る。
「これで?」
「安かった」
「どこで借りた」
「旧採掘港」
「貸し出し記録がない」
カイトが答えるより先に、レイナが身を乗り出した。
「廃棄車両再利用申請を今朝出したわ。受付番号はここ」
兵士が端末を見る。
確かに番号がある。
NOVAが通信網の端で、何食わぬ顔で申請処理を完了させていた。
兵士は少し不満そうに端末を返した。
「入域税四十八クレド」
カイトが払おうとすると、カノンが身を乗り出した。
「少々よろしいかしら」
レイナが嫌な予感のする顔をした。
兵士も眉をひそめる。
「何だ」
「この税は、何に使われますの?」
兵士の表情が止まった。
カイトは黙って前を向いた。
止めても遅い。
「道路整備、治安維持、王都防衛だ」
「この道路は随分傷んでおりますけれど」
「……」
「それに、治安を維持するために入口で民からお金を取るというのも不思議ですわね。治安が良ければ、そもそもこれほど大勢の兵士を置く必要もないのではありませんこと?」
兵士の目が険しくなる。
レイナがゆっくり顔を覆った。
カイトは財布から四十八クレドを取り出し、兵士へ差し出した。
「こいつは旅先で政治の勉強を始めたばかりなんだ」
「黙らせておけ」
「努力する」
カノンが何か言おうとしたが、レイナが後部座席へ手を伸ばし、袖を掴んだ。
ゲートが開く。
カイトは車を前へ出した。
検問所が後方へ消えてから、カノンが不満そうに口を開く。
「なぜ止めましたの」
「まだ王都にも入ってないのに捕まる気?」
「わたくしは当然の疑問を尋ねただけです」
レイナが振り返る。
「その当然の疑問を嫌う政治というのもあるのよ」
カノンは言葉を失った。
その意味を理解するまで、しばらく時間がかかった。
王都が見えたのは、その十分後だった。
山の向こうから最初に姿を現したのは、巨大な白い塔だった。
続いて無数の高層建築が地平を埋め、複雑な高架道路と磁気軌道が網のように広がっている。その中心には、ひときわ広い敷地を占める巨大な王宮があった。
カノンが息を呑んだ。
「……皇宮」
建物そのものは残っていた。
だが、姿が違う。
両翼へ新しい建物が増築され、中央塔はさらに高くなっている。そして屋根の上に掲げられているのは、カノンが知る三つ星の皇国旗ではなかった。
黒地に銀の獣。
ゲルモア王家の旗。
カノンの唇がわずかに開いたまま動かない。
車は市街地へ入った。
広い大通りには人が溢れ、店舗には色鮮やかな広告が並ぶ。一見すれば豊かな都市だった。高級衣料店、飲食店、劇場、宝飾店。王宮に近づくほど建物は豪華になり、道路も美しく整備されていく。
だが、一本裏へ入ると景色が変わった。
狭い路地。
傷んだ集合住宅。
配給所へ並ぶ長い列。
制服姿の役人が何かを読み上げ、その前で住民たちが黙って順番を待っている。
「何の列?」
レイナが尋ねる。
NOVAが表示を拡大する。
「食料配給。今月から小麦と食用油の配給量が十五パーセント削減されているわ」
「さっき農地があれだけあったぞ」
カイトが言う。
「輸出量は増えている」
NOVAの答えに、車内が静かになった。
カノンは王宮を見た。
次に、配給所の列を見る。
もう一度、王宮を見る。
「……そういう国なのですわね」
声は穏やかだった。
だからこそ、レイナが横目で彼女を見た。
怒鳴った方がまだ安心できる声だった。
その頃、王宮北棟の地下三階では、古代遺産管理局の職員が一枚の解析結果を睨んでいた。
旧採掘港の監視装置が捉えた船影。
全長約十二メートル。
船体材質、解析不能。
推進反応、既存方式と一致せず。
そして二百年前の封印資料から引き出された、一枚の古い図面。
輪郭だけなら、ほぼ一致している。
管理局長ダレス・ヴァーンは椅子から立ち上がった。
「画像はこれだけか」
「監視機器が古く、解像度が足りません。しかし材質反射率と船体寸法は記録と一致します」
「乗員は?」
「確認できません」
ダレスは古い図面の端へ視線を落とした。
そこには、初代国王の時代から管理局長だけに引き継がれてきた短い文章が添えられている。
皇国の船を見つけたなら、決して破壊するな。乗員を確保せよ。特に皇族の可能性がある者は、生死を問わず王宮へ送れ。
二百年間、一度も使われることのなかった命令だった。
ダレスの指が通信端末へ伸びる。
「旧採掘港から王都までの監視記録を全部洗え。今日入域した旅客もだ」
部下が顔を上げた。
「全員ですか?」
「全部だ」
「理由は?」
ダレスは古い図面を閉じた。
「二百年間探していたものが、自分から帰ってきたかもしれん」
王都の片隅では、そんなことを知らないカイトが地上車を路肩へ止めていた。
「ここから歩くぞ」
「なぜですの?」
カノンが王宮を見ながら聞く。
「車の方が目立つ」
レイナが錆びた車体を見回した。
「確かに、この街で一番古そうね」
「歴史的価値がありますわ」
「借り物に?」
「その話を蒸し返すな」
カイトが車を降りる。
カノンも続いた。
二百年前とは違う街。
違う旗。
違う人々。
それでも、足元の石畳の一部には見覚えがあった。
カノンは一枚の古い石へ目を落とした。
端が丸く欠けている。
幼い頃、馬車を降りる時に転び、その角で膝を擦りむいたことがある。
二百年経っても、その石はそこにあった。
カノンはしゃがまず、触れもしなかった。
ただ一度だけ目を閉じ、それから王宮の方角へ顔を上げた。
「参りましょう」
「どこへ」
カイトの問いに、カノンは少し考えた。
「まず、街を見ますわ。わたくしが知らない二百年を」
そして四人は、人波の中へ歩き出した。
王宮ではすでに、その一人を探す命令が出されているとも知らずに。




