救出
第十二話 救出
「じゃあ、性能試験といこうか」
カイトが操縦桿を握り直すと、船首、左右、船尾に配置された四基の小型メビウスリングコイルが順に立ち上がった。
ブオッ、と低い唸りが重なる。
互いに異なる高さで震えていた音は、NOVAが位相を合わせるにつれて境目を失い、一つの細い響きへまとまっていく。やがて、その音さえ船体の奥へ吸い込まれ、アークは不気味なほど静かになった。
正面から迫る機雷は十二基。無秩序に散らされたように見えるが、逃走船の進路だけを避け、アークの正面へ扇状に広がっている。近接信管式なら、すべてを撃ち落とす必要はない。爆発範囲から外れればいい。
問題は、その隙間が普通の船には狭すぎることだった。
「右へ十二度、その直後に左へ切り返せば、三基目までは抜けられるわ。ただし四基目が船腹へ入る」
レイナは機雷の軌道を追いながら、操縦席の背へ片手を掛けた。
「切り返さない」
カイトは操縦桿を正面へ据えたまま、右舷リングの出力を上げた。
船体が傾く気配はない。
それでも窓の外で、機雷群だけが突然左へ流れた。
いや、流れたのはアークの方だ。船首を前へ向けたまま、巨体が横へ二メートルほど滑っている。
一基目の機雷が左舷すれすれを通過し、二基目は船底を抜けた。三基目が右舷へ迫ると、今度は船尾側のリングが短く唸り、アークの後部だけが横へ逃げる。船体は向きを変えず、軌道だけを折り曲げた。
レイナの指が計器の上で止まった。
「今のは旋回じゃない」
「曲がってないからな」
「船首を固定したまま、船体の位置だけ変えたの?」
「落ちる先をずらした」
カイトは前方を見たまま答えた。
「船が動くのを待つより、中心を動かした方が早い」
「その説明で分かる人間が、この船に何人いると思ってるの」
「NOVAは分かる」
「一人は人間じゃないわ」
NOVAは二人の間へ浮かび、四基のリングを結ぶ位相線を表示した。
「前後左右の局所球心力をずらし、船体の姿勢を保ったまま位置だけを移動させているの。俗な言葉へ直すなら、宇宙へ横から落ちている状態ね」
「俗な言葉の方が物騒じゃない」
レイナが言い終える前に、残りの機雷が一斉に進路を変えた。
近接信管だけではない。追尾機能まで載せられている。
「趣味の悪い玩具ね」
NOVAが機雷群の加速を計測する。
「逃走船から遠隔制御されているわ。こちらの動きを読んで、包囲を狭めている」
「だったら読ませてやればいい」
カイトは船首リングの出力を一気に落とした。
アークが急停止する。
身体へ衝撃は来なかった。球心力の中心そのものを船体と一緒に止めたため、慣性の置き場所まで書き換えられている。
直前までアークの未来位置を追っていた機雷群は、そのまま前方を通過した。だが最後尾の一基だけが反応を遅らせ、右舷後方へ迫ってくる。
レイナが警告を発するより先に、機雷が船体へ触れた。
金属を叩いたような甲高い音が一度だけ響き、爆発が青白い閃光となって窓の外を埋める。
カノンが座席の肘掛けをこつかんだ。
「命中したのではありませんこと?」
「外板温度、局所的に六度上昇。損傷なし」
NOVAの報告は、湯の温度でも測るように平然としている。
爆煙が薄れると、アークは同じ場所へ浮かんでいた。船体の表面には焼け跡すらない。爆発した機雷の破片だけが、周囲へ力なく漂っている。
レイナは損傷表示と外部映像を交互に見た。
「分かっていたけど、腹が立つほど頑丈ね」
「直せない船が壊れたら困る」
「その理屈で壊れないなら、整備士は全員失業するわ」
「中はよく壊れるぞ」
「そこだけは安心したくなかった」
逃走船は機雷原を抜けたアークを確認し、さらに出力を上げた。推進器が赤熱し、船尾から荒い噴射が伸びる。
それでも距離は縮まっていた。
「相手は限界出力よ。あと二十秒で推進器が焼き付く」
NOVAが予測線を示した。
「焼き付くまで待つか?」
レイナが尋ねると、カイトは首を振った。
「壊れたら話を聞けない」
「さっき砲塔を撃ち飛ばした人の台詞とは思えないわね」
「あれは口を開かせる前の挨拶だ」
アークは黒い小型船の左後方へ回り込んだ。
この距離なら粒子砲で推進器を抜ける。採掘用レーザーで制御翼だけを切ることもできる。だがカイトは武器へ手を伸ばさなかった。
「右舷リングを相手の船尾へ重ねる。NOVA、位相差は」
「外部干渉として使うなら、許容範囲は一・八秒。それを超えると、こちらの姿勢制御まで引きずられるわ」
「十分だ」
レイナがカイトを見る。
「何をする気?」
「少し、落ちてもらう」
右舷リングが低く唸った。
その音はすぐ収束せず、わずかな濁りを残したまま船内へ響く。アークの球心力場が、逃走船の質量中心へ触れている。
黒い船の後部が突然横へ振れた。
船首は前へ進もうとする。推進器も同じ方向へ噴射を続けている。だが船尾だけが、存在しない中心へ引かれるように右へ滑った。
逃走船は斜めに傾き、推進軸を失った。自動制御が姿勢を戻そうとして逆噴射を繰り返すが、そのたびに船体はさらに大きく振り回される。
「球心力場を相手へ直接重ねたの?」
レイナの声には、驚きより先に技術者の興味が滲んでいた。
「重ねただけだ。向こうが勝手に落ちてる」
「それを世間では攻撃と呼ぶのよ」
「撃ってない」
「言葉の隙間へ逃げ込むのが上手いわね」
逃走船の推進器が緊急停止し、噴射が消えた。
回転だけが残る。
NOVAは残された砲塔、機関部、生命反応を確認した。
「機関停止。船体損傷なし。乗員六名、全員生存。彼らにとっては非常に不愉快だけれど、医学的には健康な停止方法ね」
通信が開いた。
《何をした! 操舵が利かない!》
「救助だ」
カイトは答えた。
《ふざけるな!》
「動けなくなった船を助けるのが救助だろ」
《貴様らが動けなくしたんだ!》
「原因まで分かってるなら、説明はいらないな」
NOVAが通信を切った。
「会話の球心力が強すぎるわ。すべてカイトの結論へ収束してしまう」
レイナは回転を続ける小型船へ固定ビーコンを撃ち込み、位置を記録した。
「警備船へ通報しておく。逃げようとしても推進器を立ち上げた瞬間、また軸がずれるように設定できる?」
「もうしてある」
カイトが答えると、レイナは半ば呆れ、半ば感心した目を向けた。
「あなた、こういうことだけは妙に準備がいいわね」
「目的地は決めてなかったぞ」
「台無しにしないで」
アークは救難信号を発していた貨物船へ戻った。
接舷口は損傷している。通常なら外部作業員を出し、手動で固定具を接続する必要があるが、アークは貨物船の船腹へ静かに並び、姿勢制御リングで相対位置を固定した。
噴射も振動もない。
二隻の間隔が一メートルを切ったところで、レイナが伸縮式の連絡筒を接続する。
「気密確認。向こうの通路に生命反応二つ。武器反応あり」
NOVAが貨物船の内部図を簡易表示した。
「船倉に十二人。別区画に三人。操縦区画に二人。救難信号は船倉の手動端末から送られているわ」
「船倉の子供たちは閉じ込められてる?」
カノンの声から、先ほどまでの軽さが消えていた。
「外側から封鎖されている。船倉の空調も最低限まで落とされているわ」
カノンはティーカップを置いた。
今度は固定具の上へ、音を立てずに置いた。
「参ります」
「俺とレイナが先だ」
カイトが工具ベルトへ小型銃を差すと、カノンは自分の服の裾を整えた。
「子供たちの前へ、武器を持った大人ばかりで現れるおつもりですの?」
「危険だぞ」
「だからこそですわ」
彼女は真正面からカイトを見た。
「閉じ込められた子供は、助けに来た者と連れ去りに来た者を、制服だけでは見分けられません。最初に安心させる人間が必要でしょう?」
レイナがカノンの顔を見て、工具ベルトの予備通信機を一つ渡した。
「カイトの後ろから離れないで。勝手なことをしたら、部屋の鍵を外すわよ」
「それは脅迫ですわ」
「効いたなら注意事項として優秀ね」
NOVAがカノンの肩の高さへ降りた。
「私も同行するわ。皇女一人では、言葉が豪華すぎて子供に伝わらない可能性があるもの」
「わたくしを通訳が必要な生き物のように言わないでくださる?」
「二百年前の皇族語を現代の子供向けへ変換するだけよ」
「必要ありません!」
カノンの声にいつもの調子が戻った。
それを確認してから、カイトは連絡筒の扉を開いた。
貨物船の通路には、薄暗い非常灯が点いていた。空気は冷え、機械油と焦げた配線の臭いが混じっている。
生命反応のあった二人は、曲がり角の向こうで待ち伏せていた。
カイトが通路へ一歩入った瞬間、銃口が覗く。
発砲音が二つ続いた。
弾丸はカイトの肩口をかすめ、連絡筒の壁へ突き刺さる。カイトは身を低くする代わりに前へ出た。相手が二発目を撃つ前に一人の手首をつかみ、壁へ押しつける。もう一人へはレイナが投げた工具が命中した。
短い悲鳴。
工具は大型のレンチだった。
「それ、投げる物か?」
カイトが尋ねる。
「当たれば工具よ」
レイナは床に落ちた銃を蹴り飛ばし、二人の腕を固定具で縛った。
「あなたの基準がうつったかもしれない」
「治らないぞ」
「困ったわね」
船倉への通路は内側から溶接されていた。
カイトが採掘用の小型切断器を取り出すと、レイナが扉の配線を確認する。
「乱暴に切ると、船倉側へ熱が抜ける。子供が扉の近くにいたら危ないわ」
「じゃあ制御盤を生かす」
二人が作業を始める間、カノンは扉の前へ膝をついた。
向こう側から、小さな物音が聞こえる。
誰かが息を潜めている。
カノンは扉へ触れ、声を落とした。
「聞こえますか。わたくしたちは、救難信号を受けて来ました。もう、扉の前に悪い者はいません」
返事はない。
NOVAが扉を透過し、船倉の内部へ淡い光の姿を投影した。
薄暗い貨物室の隅で、子供たちが身を寄せ合っている。最年長らしい少年が前へ出て、小さな送信機を握っていた。
「信号を送ったのは、あなたね」
少年はNOVAを見上げ、驚いたように目を開いた。それでも送信機を手放さない。
「助けに来たの?」
「ええ。ただし、船長は少し顔が怖いわ」
扉の外でカイトの手が止まった。
「聞こえてるぞ」
子供たちの間から、かすかな笑いが漏れた。
その笑い声を聞いて、カノンの表情が柔らかくなる。
「大丈夫ですわ。わたくしはカノン・フォン・オルテシア。あなた方を保護します」
少年が怪訝な顔をした。
「誰?」
NOVAが即座に補足する。
「昔のお姫様よ」
「昔は余計ですわ!」
今度は、はっきりと笑い声が上がった。
扉の向こうで、張り詰めていたものが少しだけ緩む。
カノンは一度だけNOVAを睨み、それから扉へ向き直った。
「肩書きは忘れて結構です。ですが、わたくしがここにいる限り、あなた方を誰にも連れて行かせません」
その声には、わがままも虚勢もなかった。
二百年前に失われた帝国の名を背負い、目の前の子供たちへ約束する者の声だった。
レイナが最後の配線をつなぎ直し、カイトが手動ロックを回した。
重い扉がゆっくりと開く。
子供たちはすぐには動かなかった。
最初に前へ出たのは、救難信号を送っていた少年だった。カノンの顔を見上げ、次に背後のカイトとレイナを警戒する。
カノンは立ち上がらず、少年と同じ高さのまま手を差し出した。
「帰る場所があるなら、そこまで送り届けます。ないのなら、見つかるまで一緒に探しますわ」
少年はしばらく迷い、その手を握った。
それを合図に、子供たちが一人ずつ立ち上がる。
NOVAがアークの居住区へ暖房と食事の準備を指示し、レイナは衰弱した子供から順に状態を確認していく。カイトは船倉の奥に積まれた密閉コンテナを見つけ、識別番号を読み取った。
すべて削られている。
だが一つだけ、古い紋章が残っていた。
それを見たカノンの足が止まる。
円環の中央に、三つの星。
彼女が眠る前、帝国宮廷直属の輸送艦に使われていた紋章だった。
「これは……」
カノンの顔から血の気が引いた。
NOVAも紋章を走査し、珍しくすぐには言葉を返さなかった。
二百年前の帝国。
ジャンクヤードで見つかったアーク。
墓場に眠っていた同型艦。
そして、現代の人身売買船に残る帝国の紋章。
偶然と呼ぶには、線が増えすぎていた。
カイトはコンテナへ手を置いた。
「どうやら、救難信号だけが目的地じゃなかったらしいな」
貨物船の外では、停止した黒い小型船が、逃げることも近づくこともできずに漂っている。
アークの初めての性能試験は終わった。
だが、彼らが拾ったものは十二人の子供だけではなかった。
二百年前から続く、まだ名前のない謎だった。




