53. 焼き牛丼 全国制覇への道・後編 ~ 東京チカラめし ~
【前回までのあらすじ】・・・時は2011年。牛丼なのに「肉を焼く」という異端のアプローチで吉野家、すき家、松屋の3強が君臨する牛丼業界に殴り込みをかけた「東京チカラめし」の「焼き牛丼」。その野蛮な味付けに魅了され、すっかり病みつきになった筆者は「東京チカラめしの全国制覇」を確信する。そして運営企業である三光マーケティングフーズ的にもこの事業は手応えビンビン。社長さんが「チカラめしのみで1,000店舗以上展開する」と鼻息荒くブチ挙げるくらい、その勢いは止まらない。
行け!行け!東京チカラめし!!GO!GO!東京チカラめし!!もう、全国制覇しちゃいなよ!!
1号店のオープンから半年も経たない2011年11月に社長が「2012年6月末までに100店を超え、2012年には年間300店を開店させる」と、おもわず「強気にも程があるだろう」なんてツッコミを入れたくなるような大胆なロードマップを発表した東京チカラめし。さすがにその高すぎる目標に対しては未達となったものの、2013年には130店舗超えを達成。僅か2年そこそこでこの出店数を成し遂げるとは偉業としか言いようがない。そしてエリア的にももはや関東という枠に収まり切れなくなったのか、大阪や兵庫、岐阜と言った関西エリアにも進出。もう、文句のつけようがないほどの順風満帆な滑り出しだ。しかし、ここはまだまだ通過点に過ぎない。更なる飛躍がチカラめしを待っている・・・はずだったが、現実にはそこがピークとなってしまう。私がチカラめしと出会った日から今日に至るまでの10数年。その間に展開されたのは誰もが夢見る様なサクセスストーリーではなく、スコセッシ映画のような転落の物語だった。
前述したように2013年に念願の100店舗超えを達成したのも束の間、翌2014年には経営上の問題から半分以上の店舗を他社へ譲渡するという苦渋の決断を余儀なくされる。当然、それらの店舗はチカラめしの看板を下ろす事となり、大幅な店舗数減少に。そして、かつてのあの勢いがまるで夢だったかのように以降は1店舗、また1店舗とお店を畳んでいき、ついに2023年には大阪に1店舗を残すのみとなった。もはや全国制覇どころかチカラめしの存亡さえ危ぶまれる状況。運営会社、そして地方に住む我々焼き牛丼ファンの悲願の夢であった「全国制覇」は何故潰えたのか?それには明確な理由があった。少年ジャンプの漫画が絶対的条件として「友情」「努力」「勝利」を求められるように、ファストフード店は「安い」「美味い」「早い」が求められる。これが1つでも欠けると成立しない、シビアなジャンルでもあるが、悲しいかな東京チカラめしの焼き牛丼には「早い」が欠落していた。
前編にて「カルビが重ならない様に網の上に乗せ、焼き用のタレを一枚一枚丁寧に塗る『仕込み』の工程と、オーダーが入ってからオーブンで焼き上げる『焼き』の工程を経て提供される」と、焼き牛丼の調理工程について説明させて頂いた。そしてこの中の「焼き」の工程が他の牛丼との差別化ポイント、焼き牛丼の売りだったのだが、同時に自らの首を絞める致命的な弱点でもあった。
一般的な牛丼はあらかじめ煮込みの工程を終え、準備万端な状態の具を丼飯に乗せるだけなので調理が早い。銃で例えるなら既に装弾されて引き金が引かれるのを待つオートマチックピストルだ。おかげでシンプルな牛丼なら調理完了まで30秒かからない。サラリーマンひしめく昼飯時は別として、基本的にオーダーから着丼まで5分もかからずに提供される牛丼の早さの源泉はここにある。対し、焼き牛丼は常に「焼き」の工程に3~5分と、一般的な牛丼より長い調理時間が必要だった。これではオートマチックピストルと火縄銃が打ち合いをするようなもの。速度を尊ぶ牛丼業界においてあまりにも大きすぎる欠点であった。
そしてこの調理時間の長さというハンデに加え、更なる問題が浮上する。急激な店舗拡大に社員教育が追い付かず、現場のオペレーションが上手く回らなくなったのだ。
スタートしたばかりで数店舗しかなかった頃は良かったのだろう。焼き牛丼を開発した社員、つまりそれを熟知した社員がマンツーマンで時間をかけながらスタッフを指導・育成してたと思われるが、2年で100店舗以上新規オープンさせている状況になると話は変わる。毎週どこかで新店がオープンする修羅場では悠長に研修するような余裕など最早ない。とにかく人が足らないので配置転換や新規採用で人を搔き集め、オープン前に少し教育してすぐさま実践投入。そうやってなんとかやり繰りしていたと推察されるが、当然のようにそのような急ごしらえの新兵がすぐにベテランと同じレベルで働けるわけはない。
こうして元々から遅かった焼き牛丼の提供速度は更に低下してしまう。実際、お客さんがまばらな時間帯、いわゆるアイドルタイムに利用していた私ですら「料理来るの遅いな」と思った記憶があるほどだ。それを考えれば昼飯時はもっと酷い事になっていたのだろう。おそらく提供まで15分以上と、牛丼屋にあるまじき提供速度だったと思われる。
我らジャンクフード喰いは躾が悪い犬のように「待て」が出来ない生き物。そんなせっかちな生き物からすれば牛丼を待つ10分は永遠にも感じられる長い時間だ。いくら焼き牛丼を愛していても、昼飯時にサクッと食べられないのでは使い勝手が悪い。こうして「遅い」というイメージが定着して客足が離れ、その結果として売り上げが下降していき、先ほど述べた衰退の道を辿ったのだった。
とは言え、誰が三光マーケティングを責められようか。今は大企業になって盤石な経営をしている会社でも、過去に「会社存亡の大博打」に打って出た例は山ほどある。石橋を叩いてたら勝機を逸するのが競争市場。鉄は熱いうちに打てと言う様に、勢いがある時に攻めるのが市場を制するための鉄則だ。それに社長が全国制覇を夢見、我々にそれを待ち焦がれさせた「焼き牛丼」には勝負するだけの価値があったのは疑いようもない。当時の東京チカラめしは煌々と赤くきらめく玉鋼そのものだった。ただ、「勝つも負けるも平家の常」と言う様に、勝負に敗れただけの事。悲しい事だが、受け入れるしかない現実だ。
ちなみに筆者は三光マーケティングフーズの株を持っていたことがある。デフレ全開だった2010年頃に「金の蔵」や「東方見聞録」といった激安居酒屋を大量に運営していたので、株主優待目当てで購入したのだ。価格は10万円をちょっと下回るくらい。これで年間6,000円のお食事券と1,000円の配当金が貰えるので割といい買い物したと思っていたのだが、購入してすぐにチカラめし騒動の影響か配当金がなくなった。いわゆる「無配」というやつだ。ただ、これは悲劇の通過点。数年したら次は株主優待のお食事券も中止に。投資家としてこれ以上ない悲惨な展開だったが、さすがに三光も申し訳なく思ったのか半期に一度「東京チカラめしカレー」のレトルト5袋を送ってくるようになった。こいつは常にトンカツや唐揚げ等の攻撃的トッピングを要求してくる、「東京チカラめしカレー」に通ずるパワフルなカレーで、気が付けば優待の時期になるとこれが送られてくるのをソワソワした気持ちで待つようになっていた。ちょっとした虜ってやつだ。が、これもいつしか5袋が3袋へとその数を減らし、最後にはカレー優待の廃止も決定した。これにより株を持つメリットが完全消滅。この時点で10万円で買った株の時価は3万円程度に。結局、持っててもしょうがないので売ってしまった。貰ってた優待券や配当を考えれば5万円くらいの損失といったところだろうか。仮に推定30袋は貰った「東京チカラめしカレー」を1袋2,000円で計算すれば「2,000円×30袋=60,000円」となって元を取ったと考える事も可能だが、それは完全に自分に嘘をつく行為なので敏腕投資家(※自称)としてはやってはいけない事なので止めておこう。
こうして「東京チカラめし」は爪痕だけでない何か、それも結構深いやつを私に残したわけだが、まあ、「東京チカラめし」の悲劇の裏で別の悲劇が起きていたという余談だ。投資なんて損をすることもあるのでしょうがないが、それでも筆者の事を可哀想と思ったブラザーがいらっしゃるのなら何かしらのレトルトカレーを送って頂ければ幸いだ。
さて、こうして私たちの夢、「東京チカラめしの野望・全国版」は志半ばで終わりを告げた。ただ、英国のパンクロックバンド、セックス・ピストルズがたった3年の活動期間、たった1枚のレコードをリリースしただけにもかかわらず当時の音楽シーンに多大な影響を与え、そして今もなおロックの伝説として人々の記憶に刻まれているように、チカラめしも牛丼界の伝説としてジャンクフード喰い達の記憶にいつまでも残る事だろう。甘辛いタレで仕込んだカルビを1枚1枚丁寧に焼いて熱々のご飯の上に乗せた、シンプルだけど「タマネギの甘みが欠落した不健康な味付け」というオリジナリティを持った牛丼。それはまさに世界に一つだけの丼。一定数のジャンクフード喰いを病みつきにした特別なオンリーワンだった。
そう、俺たちは忘れない。短かったけど確かに輝いていた、「東京チカラめし」の「焼き牛丼」の事を・・・
・・・なんて終わり方になるのが普通なのだろうが、実は後日談がある。運営会社のSANKO MARKETING FOODS(三光マーケティングフーズから社名変更)は現在、水産部門で稼いでいるらしい。それもかなり気合が入っていて「SANKO船団」と呼ばれている自社所有の複数の船を使って自ら漁をし、獲れた魚を自らの店で提供したり、小売りに卸したりしているとの事。この前まで居酒屋や牛丼メインの商売をしてたのに、漁船を購入して漁をするなんて業態変更がエキセントリック過ぎる。まあ、チカラめしの時と同様、やると決めたらとことんやるのがこの会社の社風なのだろう。ちょっとヴァイタリティが溢れすぎてて地味な会社しか知らない私としては何だか怖いほどだ。それについこの前までは山手線なんかに乗って通勤、ネオン煌びやかな都会の居酒屋で働いていた筈が、気が付いたら漁船に乗りこみ、大漁願って海に繰り出すようになってる社員さんもタフ過ぎる。私のようにぼんやりと生きてきた人間とは全くもって適応能力が違う。きっと、乱世や世紀末の様な非常時ではこういうタフガイしか役に立たないだろう。
こうしていつの間にか水産メインになっていたSANKO MARKETING FOODSだが、祖業である牛丼への未練は相変わらず払拭出来なかったようで、あれだけ傷つき、打ちのめされたにもかかわらずチカラめしブランドを立て直す機会を虎視眈々と狙っていたらしい。いやはや、この何度ダウンしても10カウントを拒否するボクサーの如き闘争心にはグッとくるものがある。
そしてその諦めない心と「SANKO船団」が荒波の中で稼いだキャッシュが実を結んだのだろう、2024年に東京再出店という形で念願の新店オープンだ。それ以降は新店をオープンさせていないようだが、代わりにイートインでないデリバリーとテイクアウト専用店を新規オープンしたり、直営ではないライセンス供与という形でタイや香港で出店もしたりと、矢継ぎ早にチカラめし事業に関する手を打っている事からも運営のリベンジに対する意気込みが伝わってくる。
これら一連の施策がチカラめしにとって独ソ戦におけるスターリングラードのような一大転機となってくれることを我ら焼き牛丼ファンは切に願うばかりだが、今度はじっくりと時間をかけ、地道に店舗数を増やして欲しいとも思う。そう、同じ轍を踏んではいけないのだ。今度こそは入念な人材育成と同時にオペレーションの改善、ブランドイメージの向上と採算の取れる店舗の確立を成し遂げ、チカラめし事業の確実な再生を果たして頂きたい。決して「SANKO船団でお魚さんをガンガン乱獲し、それで得たキャッシュでバンバン出店して店舗数V字回復!」なんて考えず、落ち着いて着実に再建して欲しい。
ゆえに我ら焼き牛丼ファンは辛抱強く待とうではないか。私自身、「ひょっとしたら近いうちに焼き牛丼とチカラめしカレーがまた食べられるかも」と考えると必然的に鼻息が荒くなってしまうのだが、拙速による悲劇はもう見たくない。鼻息を抑えながら待つとしよう。
何にせよ、反撃の狼煙は上げられた。私の野生のカンも「チカラめしの全国制覇リベンジ、ワンチャンあるかも」と囁いている。そう、東京チカラめしの戦いはこれからだ!
と言うわけで、今回は前編と後編の二部構成で焼き牛丼への熱い想いを語らせて頂いたわけだが、ここまで話が長くなったのは勿論、私のチカラめしへの愛だ。そして私がなぜそんなにもチカラめしを愛しているのか、それが知りたければ一度現地へ赴き、その舌で焼き牛丼の「タマネギの甘みが欠落した不健康な味付け」を堪能してもらいたい。きっと私が言う「病みつき」という言葉の本当の意味を理解して頂けるのではないだろうか。そしてそれを知る事で我々は本当の意味でブラザーになれるだろう。
ちなみに東京の新店は九段下の合同庁舎内にある。場所的に本来は激務で有名な官僚の皆様のための福利厚生を目的として出店しているらしいのだが、11時から14時30分までなら一般利用が可能との事。関東にお住まいのブラザーは是非。
さて、このジャンクフード的マスターベーションとでも言うべき話を最後まで辛抱強く読んで頂いたブラザーとシスターには感謝しかない。おかげですっきりした。愛してるぜ。
それでは今回は矢沢永吉の名言のパクリから始まったので、最後は安西先生の名言のパクリで締めさせて頂きたい。運営企業の皆様、チカラめしをよろしくお願いいたします。
「諦めたらそこで『焼き牛丼』終了ですよ」




