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52. 焼き牛丼 全国制覇への道・前編 ~ 東京チカラめし ~

「焼き牛丼。大好きだね、この言葉。素晴らしいじゃないか。こんな、何もかもが煮込まれたような牛丼業界の中で、焼き牛丼なんて・・・せめて、焼いてみろって言いたいよ」 ~ 認識番号8830(自称・エリートビジネスマン)



 さて、のっけから作者自身の名言の引用、しかもそれが極東の某島国のロックスターの名言の完全パクリという暴挙で始まったわけだが、きっとブラザー(このエッセイを読んで下さる心優しきセニョールとセニョリータの事)の皆様は許して下さるだろうと信じ、強引に先に進めようと思う。

 

 今回のテーマはみんなが大好きな「牛丼」だ。ただ、牛丼は牛丼でも世間一般の方が想像するそれとはちょっと趣が違うやつについて少々書き綴らせて頂きたい。


 それはある日の事。ぼんやりとネットサーフィンをしてたら吉野家の新商品に関する広告が目に入った。最近の吉野家は新商品や期間限定メニューの投入頻度が昔よりも遥かに高いので、いつもなら特段気にすることもないのだが今回は違った。そこにあったのは「焼き牛」という猛々しい宣伝文句。そのフレーズは長年私の頭の中に眠っていた「焼き牛丼」という甘美な記憶を呼び覚ました。「ついに吉野家が『焼き牛丼』を販売か」そう思うともう、居ても立っても居られない。すぐさま最短で行ける日をスケジュールで確認だ。もう既にこの時点で私の肉欲(※お肉を食べたいという欲求)は爆発寸前だった。


 そして休日の昼に吉野家へと向かった筆者。意気揚々とメニューを確認するも、そこには「牛焼肉丼」「牛鉄板焼肉定食」の文字があるだけで、お目当ての「焼き牛丼」は存在せず。この時点でやっと己の誤ちに気付いた。「焼き牛」のフレーズから勝手に「焼き牛丼」を想像したのは単なる私の独りよがりの思い込みだった事に。しかし、吉野家には「牛鉄板カルビ定食」や「ねぎ塩豚定食」のように鉄板を使った焼肉然としたメニューが既に存在してるのに、何故に改まって「焼き牛」なるフレーズを使ったのだろう?おかげで勘違いしてしまったではないか。「確かに誤解したのは私だけど、誤解するような状況を作った吉野家にも多少の非があるのでは」と、うだつが上がらない中年男性特有の他責思考で考えてみたが、だからと言って何かが変わるわけでもない。しょうがないと言っては牛焼肉丼に失礼だが、この日はそれを食べて帰る事にした。


 某大物タレントを起用してCMを打つくらいだ、きっと吉野家の本部も手応えを感じ、満を持しての市場投入だったのだろう。確かに美味い。そもそも薄切りの牛肉とシャキシャキの玉ねぎに甘辛いタレを絡めて焼くという方法論で不味いものが生まれるはずもない。そしてジャンクフード喰いの野生のカンが「半熟卵」を要求していたので、それを半分ほど食べた丼に投入してみたら濃いめな味付けと相まってマリアージュ(奇跡的相性)と呼べるほどの味変にも成功。こうして吉野家の商品開発力と、長年にわたってジャンクフードを喰い続けた私の老練なテクニックのコラボレーションにより牛焼肉丼を満喫する事が出来た。


「これは吉野家の一軍メニューとして定着するかも」と、こちらに確信させるほどに満足感が高い丼だった。だが、お腹は満たされて尚、心は満たされてない自分がそこにいた。やはり私が食べたかったのは「焼き牛丼」なのだ。


「焼き牛丼」それは「東京チカラめし」というチェーンの看板メニュー。私がそれと初めて出会ったのは今から10数年前、関東からUターンする直前の事。前の会社での仕事の引継ぎも終わり、有休を消化しながら昼間は荷造りやら役所への手続きといった引っ越しの準備をし、夜は関東在住の友人達や会社で仲が良かった先輩後輩から送別会をしてもらったりと、短い期間ながらも労働から離れた輝かしい人生を謳歌していた頃の事だった。

 その日は面倒な荷造りをから目を逸らし、朝からパチンコ屋に突撃、見事に返り討ちに遭った悲しみを食で癒そうと、近所のアーケード街を彷徨っていたら新規開店したばかりの「東京チカラめし」が目に入った。

 今や体育会系男子のオアシスとなった「伝説のすた丼」や、ワンコインでうな重が食べられる貧者の鰻屋「名代 宇奈とと」ですら比較的新しめのチェーンであったこの当時、「東京チカラめし」の位置づけは新興勢力の中でも更にキャリアが短い、ポッと出の新人程度の存在だった。外食産業は栄枯盛衰が常。特に食の激戦区である関東では新しいチェーンが開業しては古いチェーンが潰れ、また新しいのオープンして古いのが・・・と、新陳代謝が尋常でなく激しい。ゆえに普通なら新しいチェーンが近場でオープンしても特別な興味を惹かれる事なんて滅多にないのだが、チカラめしは違った。何故なら、敢えて「牛丼」と言うハードルの高いカテゴリーの中で勝負していたから。時代を考えるとこれは驚きの挑戦だった。

 当時は「吉野家」「すき家」「松屋」が他の牛丼チェーンを駆逐し、3強のポジションを盤石にしていった時期だったと記憶している。実際、当時住んでいた駅前に存在していた「神戸ランプ亭」もUターンする数か月前に閉店していたし、他のインディーズ寄りの小規模なチェーンも多くがこの前後に閉店を迎えていた。そんな牛丼業界の寡占化が加速している渦中での新規参入だ。傍から見れば無謀にも思える挑戦だったが、それ故にそのチャレンジ精神には敬意を表したくなるものがあった。それに「東京チカラめしってチェーンがブイブイ言わせてる」なんて噂も聞き及んでいたし、お値段もこのタイミングならオープン価格で「焼き牛丼」が280円だ。しかも、みそ汁付き。こうなってしまうと、もう食べない理由を探す方が難しかった。


 吉野家を始めとした3大帝国に挑む東京チカラめし。その主力こそが「焼き牛丼」なのだが、このメニューには帝国の牙城を打ち崩す一縷の可能性が秘められていた。その「可能性」の源泉はこの牛丼が「牛丼は煮込まなければいけない」という常識を捨てて独自の調理法を採用していたことにあるが、それを具体的に、かつ、簡潔に表現するなら下記のようになる。


「牛肉を一枚一枚、網の上に乗せて焼く」


 これが東京チカラめしの「焼き牛丼」の個性だ。そしてその個性を最大限引き出すために牛丼のスタンダードである薄切りのばら肉ではなく、焼肉店で出てきそうな長方形のカルビを採用している。カルビが重ならない様に網の上に乗せ、焼き用のタレを一枚一枚丁寧に塗る「仕込み」の工程と、オーダーが入ってからオーブンで焼き上げる「焼き」の工程を経て提供されるらしい。

 それに加え、一般的な牛丼にマストな存在のタマネギが入ってない「肉と米の純粋系」という唯一無二のオリジナリティも備えていた。筆者的にはここに「焼き牛丼」の最大のストロングポイントを感じた。幼少の頃より母親、保健の授業、「ためしてガッテン」的なテレビ番組といった様々なものから「栄養バランス」を気にかける様に我々は洗脳されている。程度の差こそあれ、現代日本に生きる我らは「健康教」の信者だ。しかし、全ての者が敬虔なる信徒と言うわけではない。「野菜を抜く」という教義上の最大のタブーを犯す機会を虎視眈々と狙っている不埒な輩も一定数存在する。そんな背信者たちにピッタリなのが「焼き牛丼」だ。具と飯を頬張ると口の中一杯に甘辛さが広がるのだが、その甘辛さが巷の牛丼や焼肉丼なんかとは一線を画す。普通なら牛脂とタレ、タマネギ、そして米の甘さが渾然一体となって丼ものらしい美味しさを演出するのだが「焼き牛丼」は違う。タマネギの甘さが欠落しているのだ。確かにほんの些細な差かもしれない。だが、それがもたらすのは通常のチェーン店や定食屋で出す事が出来ない「不健康な甘辛さ」とでも言うべき独自の個性だ。この「ナチュラル」よりも「ケミカル」寄りの味付けが、なんだか食べてはいけないものを食べているような背徳感を感じさせてくれる。  

 これは私が長年に渡って探し求めていた味だった。エッジが効き過ぎた商品だったので「毎日食べた」というわけにはいかなかったが、それでもマンションを引き払うまでの最後の一週間で3回食べた。

 それとお店の名前を冠した「東京チカラめしカレー」に焼き牛丼の具をトッピングした「焼肉カレー」も「焼き牛丼」に負けず劣らず。なかなかの代物だった。かなりスパイシーなカレーはファストフード店で頂くものとして確実に上位に入るくらいレベルが高いし、それに焼肉丼の具が乗ってるのだから贅沢にも程がある。スパイシーなカレーと濃いめの味付けのお肉が口の中でバチバチにやり合っている瞬間はまさに至福だった。

 


 と、ここまでの話で「そもそも牛丼じゃなくて焼肉丼なのでは?」と思われたブラザーもいらっしゃるだろう。確かにお肉の形状、タレの味付け、調理法、どれを取っても焼肉に分類されて然るべきものだ。先ほどの「焼肉カレー」だって「牛丼カレー」の呼称でないと整合性が取れなくなるのは否めない。

 これにはちょっとした事情がある。東京チカラめしの運営会社である三光マーケティングは元々牛丼を出す「三光亭」という定食屋からスタートし、その後、牛丼から撤退して居酒屋をメインとした業態にシフトしたという経緯があるのだが、どうやら牛丼への強い未練があったようだ(※)。それは東京チカラめしに関するプレスリリースの中で「原点回帰」という言葉を強調している事からも推察できる。きっと居酒屋業で成功していても、その過程で牛丼店が乱立する「牛丼戦国時代」に祖業である「牛丼」を失った敗北感や屈辱感が拭いきれなかっただろう。他から見れば業績も上がって成功しているように見えても、当の本人からすれば牛丼チェーンを再び立ち上げるための機会を他の業態で食いつなぎながら待ち続ける臥薪嘗胆の日々。そして耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、遂に念願の再出店だ。そんな三光マーケティングの牛丼に対する熱い想いを知った以上、この料理を「焼肉丼」と呼ぶなんて私には出来ない。そう、これは「焼き牛丼」なのだ。


※・・・あくまでも筆者の妄想です。実際は「久しぶりに牛丼でもやってみっか」程度の軽い気持ちだったのかもしれません。


 関東を離れる直前に出会った「焼き牛丼」。当時の私はUターンを機にこれから滅多に食べられなくなるファストフードチェーン達に名残惜しさみたいなもの感じていたが、チカラめしに関しては不思議とそういう感情を抱かなかった。何故なら「間違いなく東京チカラめしは全国制覇を成し遂げる」と野生のカンが囁いていたから。自分で言ってなんだが、私の野生のカンはかなり鋭い。それはデビュー直後の宇多田ヒカルや椎名林檎を聴いた瞬間に「この子は絶対に売れる」と確信したくらいだし、その結果が正しかったかどうかは言うまでもないだろう。どちらも今やスーパースターだ。そして「東京チカラめし」にも彼女らに負けないスターの原石としての輝きを感じていた。

 それに野生のカンだけでなく、チカラめしの約束されたサクセスは理詰めでも説明出来た。まずは単純に安くて美味い。これはファストフード店としての基礎がしっかりと出来ている証拠だ。それに加え、他の飲食チェーンにない優位性も感じていた。それは先ほど述べた、日本全国どこででも愛されそうな最大公約数的に不健康な味付けだ。例えば麺類なんかは「地域の味の嗜好」によって進出できる場所が限定されがちだ。よって、純粋な豚骨ラーメンが主流である私が住む地域に醤油感が強く前に出ている喜多方ラーメンの「坂内食堂」が進出してくるとは考えにくい。家系ラーメンもまた然り。これも我が地元では受け入れられないだろう。このように地域における味付けの好みは参入障壁となりうるが、東京チカラめしは違う。そのようなハンデを背負ってない。焼き牛丼が持つフルスロットルのジャンク感はどの地域でも受け入れられるはず。これは何よりの強みだ。

 そしてミック・ジャガーにキース・リチャーズ、稲葉浩志に松本孝弘、甲本ヒロトにマーシー、宮川大助に宮川花子といった力強い相棒がいるように「焼き牛丼」には「東京チカラめしカレー」がいる。このカレーはココ壱では代用できない独特な野蛮さを持っているので、個人的にはこれ単体でも勝負出来そうな気さえする頼れるやつだ。確実に全国制覇へのキーマンとなるだろう。

 当時の私には「焼き牛丼」と「東京チカラめしカレー」、この最強のバディが日本を席巻する未来が見えていた。 



 そして、運営会社である三光マーケティングもこの新規事業にかなりの手応えを感じていたようだ。1号店のオープンから半年も経たない2011年11月に社長が「チカラめしのみで1,000店舗以上展開する」と、鼻息荒くぶち上げたのだからその期待感が伝わってくる。とは言え、1,000店舗とは大風呂敷を広げたものだ。2025年のデータで恐縮だが、3大牛丼チェーンの店舗数は下記のようになる。


すき家 1,960

吉野家 1,241

松屋 1,086


 松屋は鳥取県だけが空白地帯で、残り46県全てに展開している。すき家と吉野家は言うまでもなく全都道府県だ。つまり「1,000店舗以上展開」と言った社長の言葉は必然的に「全国制覇」と同義になる。「全国制覇が私の夢です」と、湘北高校の赤城先輩は言ったが、競技は違えどもチカラめしの社長も同じ夢を抱いていたというわけだ。そしてそれを叶えるために必要なのは「断固たる決意」だが、先ほどの社長の鼻息の荒さから察するにその点は問題ないだろう。


 その後、破竹の勢いで店舗を増やしていき、誰もが「牛丼界の四皇の一角」と認めざるを得ない勢力となった東京チカラめし。その間、私は日本の西の果ての寒村でチカラめしがオープンするその日を待ち続けていた。


 そう、「焼き牛丼」を愛する者にとっての「約束の日」を・・・



 次回、「焼き牛丼 全国制覇への道・後編」

 果たして、「東京チカラめし、全国制覇の夢」の行方やいかに!?

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