4-16 「どこの世界に公爵家の嫡男をガイドと護衛にして連れまわす淑女がいるんですか」
「花祭りですか?」
ユーフェミアがアレクシオにやってきて3日目。
すっかり蔵書室の住人になった彼女に、エミールはそう提案した。
「そう、春の花祭り。週末から3日ほどアレクシオはお祭りなんだよ」
エミール曰く、花の港町と名高いこのアレクシオは、四季ごとに花にちなんだ祭りをしているという。
その中で最も華やかで、鮮やかで、賑やかなのが春の花祭りらしい。
春と言えば花の最盛期だ。
白い壁に彩り豊かな花が咲き乱れるアレクシオで、最も賑やかな季節の祭りと言っても過言ではないのだろうと、この街に初めてやってきたユーフェミアでも察することができる。
「楽しいよ、花祭り。アレクシオは輸入も盛んな港町だからね、屋台街とかご飯は美味しいし、可愛い雑貨もいっぱい並んで回るだけで楽しいよ」
「……カイン様も行ったことがあるんですか?」
カインにおすすめされて、ユーフェミアは目を丸くした。
カインは見た目が小さな竜である。
竜の末裔が治めるリブレット領では対して珍しくもない容姿なのかもしれないが、この竜、うるさいほどにとてもよくしゃべるのだ。
この3日ほどで、ユーフェミアはカインは黙れば死ぬ生き物なのだと認識していた。
かといってうざったいわけではない。リズミカルで心地よいテンポでカインはお喋りしてくれるが、読書の邪魔をするわけではないのでので、ユーフェミアは嫌いではないと思っている。が、一般人から見れば喋る竜など奇異なものでしかないだろう。
「もちろん行った事あるよ! 僕は……なんていうか、公然の秘密なんだよ! 細かいことはともかくとして、アレクシオの街の……特に市場はね、僕の庭さ!」
えへんと胸を張るカインが可愛らしくて、ユーフェミアはくすりと笑った。
それを見て、ふぅんと呟いたエミールが、ユーフェミアの隣に腰かける。ぐっと寄り添うその距離に、ユーフェミアは眉根を寄せてちょっと離れた。
この3日間、蔵書室の本に関してかなり盛り上がって、また距離が近くなったような気がしていたが、それを許すユーフェミアではない。
そんなユーフェミアをよそに、エミールはちょっと残念とでも言うように肩をすくめただけだったので、ユーフェミアはとても不服である。
「一緒に行かない? 僕が案内するよ。言ったらなんだけど、僕ガイドとしても、護衛としてもとても優秀だよ」
「どこの世界に公爵家の嫡男をガイドと護衛にして連れまわす淑女がいるんですか」
「存外いるかもしれないよ?」
「いたとしても、それは私の理解の範疇外です。友人にそんなのがいたら3日かけて教育しなおしますわ」
ユーフェミアはそう言って、ツンっと顔を背けた。
興味がないわけではないが、公爵令嬢の自分が市井においそれと降りるわけはいかないし、リブレット公爵家の次期当主であるエミールに案内させるわけにもいかない。
というか、案内できるって何だろうとすら思う。
普通の公爵家の子息は市井を案内できるはずがない。……と思ったが、相手は規格外のエミールである。
そう思ったユーフェミアは、その点についてエミールを追及するのをやめた。
多分疲れて終わるだけだろうと、この少なくない付き合いでもう十二分に理解している。
「イリア嬢は、ブライアンと行くらしいよ。騎竜の背に乗って毎日楽しそうだね」
「行くとしたらイリアと一緒に行きます」と言おうとしたのに先手を打たれて、ユーフェミアはますます眉根を寄せる。
アレクシオに来て、イリアは憧れの騎竜との触れ合いに忙しそうだ。
イリアは竜に好かれる素質があったようで、暇さえあれば騎竜やユーフェミアがまだ見ていない花竜たちと戯れて過ごしているらしい。
毎日楽しそうに竜が素晴らしい、美しいと報告してくる様がどうしようもなく愛しく可愛らしく思う一方で、イリアを溺愛しているユーフェミアとしては少し……いや、だいぶ竜が羨ましい。
そんなイリアを甲斐甲斐しく見てくれているのはブライアンだ。
ユーフェミアは品行方正で面倒見がいいブライアンとイリアが、実はいい感じなのではと邪推している真っただ中なのだが、後日それとなく聞いたところ「え? ブライアン様ですか? ……兄様みたいにお慕いしておりますが、結婚相手としてはないですね」とイリアにはっきり言われることになる。
ちなみにさらに後日、ブライアンにも聞いてみたが「え……恐れ多くて無理です」と視線をそらされた。多分何かがあったのだろうが、イリアがにこにこと「何もないです!」と力強く言ったので、それを信じて何も聞かないユーフェミアである。そういうわけで真実は闇の中だ。
「ねぇ、行こうよ。せっかくだから町娘の格好でもして、貴族であることを忘れて楽しむなんてどう? 屋台で好きな物を買って、食べて歩いても誰も気に留めない、そんなお祭りの歩き方した事ある?」
そう言われてしまったら、ユーフェミアはないと答えるしかない。
未亜であった時ですら、彼女は人が多い祭りを苦手としていた。
アレクシオの料理がとても美味しいことは、この街に来て2日でほど良く理解している。
この街の食べ物は美味しい。
それも、非常にだ。
港町であることと、国外へと輸入業をしている都合で、ありとあらゆる食材が溢れているせいか、食への渇望がこの地の領民は非常に高いようだ。
しかも、東大陸と取引しているおかげなのか、あちらの大陸の香辛料や調味料も豊富なようで、昨日の夕飯に出てきたのは醤油を使ったスープでコトコトにこんだ野菜たち……つまりは肉じゃがに類似したスープだった。
ほっこりと、形を保ちながらも味が染みるように煮込まれたジャガイモとにんじん、さすがにいんげんはなかったが、醤油の味によく合う緑の小さな豆が程よく煮込まれていて、厚みのある豚肉は舌の上でとろける美味しさだった。
何よりも驚いたのは、醤油である。魚醤ではない、ちゃんと大豆から作った醤油である。
この調味料にときめかない元日本人はほとんどいないと言っていいほど、ユーフェミアにとって醤油は味噌と並ぶ憧れの食材だった。
ユーフェミアは、そのアレクシオ式肉じゃがを見て絶句し、口に入れて泣きたくなった。
「しょうゆ、おいしい」と呟きそうになるのをどうにか耐え、それでも噛み締めるように味わい破顔していたのを、エミールはもちろんバッチリ見ていたが、ユーフェミアは気づかれていないと思っている。
話は逸れたが、アレクシオの街には、ユーフェミアが渇望していた、未亜としての記憶に残る美味しいものがある事は間違いない。
しかも屋台だ。
屋台、=貴族は食べないジャンクフードである。
ただの公爵令嬢だったら、興味はひかれなかったかもしれないが、ユーフェミアは地球の日本で生きた記憶を持っているので、興味がひかれないわけがない。
けれども、エミールと行くのはごめんだと思った。
だってそれではまるでデートではないか。
婚約を断ってる立場で、デートに行くのはいかがなものかと思うし、なによりそういう相手と一緒に食べ歩くことに抵抗がある。
公爵令嬢たるもの、大口を開けて往来で食事をするのは不作法だし、それをエミールに見られて「食い意地が張ってる」などと思われたくない。
それだけはユーフェミアのプライドが許さない。
冷静に考えれば、逆にそう言った姿を見せて幻滅させた方が婚約せずに済むのでは? と思う所だったが、この時のユーフェミアは考えなかった。
どうしてそれをエミールに見られたくないと思っているかなんて、この時のユーフェミアには知る由もないことである。
「ねぇね、ユーフェミア」
「なんですか? カイン様」
「ユーフェミアは、日本人だったんだよね」
「……そうです」
「……カレーって興味ある?」
「……は?」
その言葉に、ユーフェミアの目が点となった瞬間だった。




