4-17 「僕は誰の味方でもなくて、僕の味方なんだよ」
カインは、今何と言ったのだろうとユーフェミアは思った。
カレー。
日本の国民食の1つである、カレーと言ったのだ。
ユーフェミアの白いのどがゴクリと鳴った。
そんなもの、興味があるに決まってる。
「ユーフェミアはもう、気がついてると思うけど……アレクシオってご飯が美味しいんだよね、すごく日本寄りで」
「……そうですね」
「まぁ、ぶっちゃけると僕のせいなんだけど」
「……はぁ?」
「まぁ、それは置いておいてさ。僕ね、この体になってからカレーがどうしても食べたかったんだよね。
それで、公爵に頼んでスパイスを輸入してもらって、試行錯誤してもらった結果、カレーライスはお米問題で難しかったんだけど、スープカレーでパンと合う料理って普及させたの。でもスパイスが輸入だから高くてね、この春祭りに合わせてどかどかって入荷するのが一番安いせいで、春祭りの市場の一角にカレーコーナーが……」
「行く……」
「え? なぁにユーフェミア。今なんて?」
「行きますわ、花祭り。その代わり、行くのはユーフェミア・リンスフォードでなくただのユーフェミア……いえ、町娘のユフィとしてです。そのつもりでエスコートしてください」
ユーフェミアは、顔を真っ赤にさせながらカレーに屈した。
その何とも言えない悔しそうな顔を見て、エミールはしょうがないなとでも言うように微笑むと、ユーフェミアの手をとって指先へと口づけた。
ちゅっというリップ音と共に、柔らかな唇の感触が指先をかすめて、ユーフェミアの顔がさっきとは別の理由で赤くなる。
「もちろん、誠心誠意をこめてエスコートさせてもらうよ。デートしよう、ユフィ」
わざとらしくそう言って、エミールはユーフェミアの指先に頬をすり寄せた。
金の瞳に射抜かれて、ユーフェミアははくはくと動揺したまま、呼吸すらままならない。
完全に固まったユーフェミアを抱き寄せたかったのか、エミールがそっと手を伸ばしたところで、コンコンとノックの音が響いた。
見れば、このリブレット公爵家の老執事セフィリオが、何とも申し訳なさそうな顔をしている。
「……残念、お仕事の時間だ」
「そう、みたいですねっ!」
あぶなかった。
なんだかよく分からないけど危なかったと、彼女はほっと胸をなでおろす。
「仕事がまともにできない人は、伴侶として言語道断です」とこの3日、ユーフェミアに構いたいあまり仕事をしたがらないエミールに言い続けて良かったと思った。
「それじゃあ、また夕食の時間……までには終わるから、ゆっくりしていて。迎えに来るよ」
「結構ですわ。……それよりちゃんとお仕事なさってくださいね。自分の責を全うしない方には、私を口説く権利も与えませんよ」
そこまで言ってやれば、どうしてだかエミールはにこりと笑った。
そうして、とても機嫌よさそうに蔵書室を後にする。
老執事セフィリオがユーフェミアにゆっくり頭を下げたの見送ってから、ユーフェミアはドッと息を吐いた。
羞恥のあまり死にたくなってくるユーフェミアに、カインはにこにこしながら首へとするりとまとわりつく。
「ユーフェミアすごいね、エミールの手綱の握り方をよく分かってるよ」
「揶揄わないでください、……それよりもカイン様。謀りましたわね」
ユーフェミアを花祭りに行かせるそのために、わざわざカレーと言う魔法の言葉を使ったという事実が腹立たしくて、ユーフェミアはカインに唇を尖らせた。
屈したのは間違いなく自分だが、カインのせいだと思うとどうにも悔しくて、ユーフェミアは唇をかみたくなる。
「人聞きが悪いなぁ、僕は真実しか言ってないよ」
「よく言いますわ、最初は味方だと思ったのに……」
「残念だけどね、ユーフェミア。僕は誰の味方でもなくて、僕の味方なんだよ」
にこりと笑うカインに、ユーフェミアは諦めたように息を吐く。
これ以上この話題をつついても藪蛇にしかならないので、「それにしても……」と、ユーフェミアは話題を変えた。
「カイン様のせいだったのですね。アレクシオの食事が美味しいのは」
言われてみれば納得である。
カインは要するに異世界の知識の塊だ。
しかも前々世は自称パティシエだと言ってるので、食文化に力を入れないわけがない。
「いやぁ、元々アレクシオは海産と輸入の港町だから美味しいよ。
たださ、材料があればやりたくなるじゃない?
前世の僕は、環境が良くなくてカレーとか醤油とかは諦めたけど、この街なら何とかなってしまうんだもの。
だってね、ユーフェミア。前々世の僕はパティシエだったんだよ!
舌が肥えていて当然だと思わない?
まぁ、こんな形じゃ僕は料理できないんだけど……ってちょっとまって。
ユーフェミアがいればもっといろいろできるかも」
カインは閃いた顔でそう言った。
どういうことかと首をかしげるユーフェミアに、カインは少しだけ悩んでから「ユーフェミアは辞書ってどういうものだと思ってる?」と尋ねる。
「どうって……辞書は辞書でしょう?」
「うん、そうだね、でも僕が言いたいのは辞書を、辞書として認識するか、本として認識するかって話だよ」
そう言われて、ユーフェミアはふむと考える。
言われてみれば、そう言った側面で辞書と言うものを考えたことがないかもしれない。
辞書とは、とてもざっくりして言えば言葉の意味や、使い方を記した書物である。
人は大抵、辞書を開いて言葉を調べ、理解を深くするのだが、それは辞書としての認識だ。
本として認識している場合、辞書はあらゆる言葉を詰め込んだ、とても長い淡々とした実用書になる。
そういう観点で話すなら、ユーフェミアにとって辞書は書物だ。
未亜であった頃もそうしたように、ユーフェミアは与えられた辞書を最初のページから最後のあとがきに至るまで、書物と認識して読んだ経験がある。
「やっぱりね、ユーフェミアはそういうタイプだと思った」
「でも、それがどうかしまして?」
「紙の辞書って言うのは、その側に必ず似た言葉とか、類似語とか、別の興味を引く言葉があったりするでしょう?」
「えぇ、それでついつい調べ物をループして読んでしまう事は多いですね。あれはとても楽しい時間ですが、如何せん時間泥棒です」
「共感しかない言葉だね。あ、でね、話を元に戻すけど創造主の端末には、それぞれスキルが宿るんだ。僕のスキルはね“生きる辞書”なの。でも紙の辞書じゃない、言うなれば電子辞書なんだ」
「電子辞書?」
ユーフェミアは、カインの話の論点が分からずますます首を傾げた。




