4-15 「蚊かぁ……そっかぁ……」
「ユーフェミア、こっちの本もお勧めだよ」
「本当に蔵書量が多いんですね……、どの方の御趣味なんですか?」
「うーん大体歴代公爵の趣味だよ。その辺は先代の僕で、そっちは先々代の僕」
「趣味が全然違うんですね。こちらの棚は物語が多いのに、こちらは芸術方面ばかり……」
「魂の土台が一緒なだけで別人だからね。……次はアーケファロン全集持ってきてくれない?」
「き、君達ね! さっきから僕遣い荒すぎなんだよ!!」
カインは、ひぃひぃと鳴きながらそう叫んだ。
別にこの体は、疲れたりするわけではないのだが、あまりにも都合よく使われ過ぎて腹が立つ。
カインは、20年前からこの蔵書室を住処としている。
彼の目的のために一番適当だったということと、ちょうどリブレット家で長く勤めていた司書が辞めることもあって、この特殊な蔵書室の管理を任された。
任されたと言っても、基本は自由である。
膨大な書物を知識として読みながら記憶し、頼まれた本を持ってくる、ただそれだけだ。
この本棚は「書物を維持する修繕魔法」を帯びているので、本棚に入っている限りどの本も大げさに朽ちることがないため、修繕する必要もない。
新品でありながら100年物という本もあるので、カインは「情緒が足らない」と思っていたりもするが、記録の維持管理はこの世界の高貴な者の務めなので、文句を言うつもりはない。
さて、カインの事情はここまでにして問題は目の前の男女である。
カインが当初聞いた話では、ユーフェミアがエミールに絶賛口説かれてる最中で、ユーフェミアが断固として拒否してるという構図だったはずである。
だがしかし、この2人、さっきから非常に仲良さそうに一緒に本を選んでいる。
この蔵書室は、基本的になんとなく本を選んで読めるような仕様になっていない。
リブレット家は、知識の価値を正しく認識しているため、管理者の許可が無ければ容易く知識を得られない仕様となっている。その為の、この芸術的でオタク受けの良い、だがしかし管理のしにくい蔵書室である。
カインの先代の司書は風魔法の亜種の浮遊魔法の使い手で、本や物、ひいては人を浮かせてこの蔵書室を管理していたらしいと聞く。
逆にそう言った能力が無ければこの蔵書室の管理は無理だろう。
今現在、このリブレット家の蔵書室の本を全て網羅して、なおかつ記憶しているのはカインと、一度読んだ本は全て記憶しているエミールのみである。
そのエミールは、ユーフェミアに対して彼女が興味を持ちそうな本を紹介しては、カインに持って来いと繰り返している。
その本は芸術書から歴史書、文学書に至るまで様々だ。
だが、本の特色に一定の法則があるところからして、エミールは彼女の好みを理解しているのだろう。
ユーフェミアはといえば、紹介された本の障りを軽く読んで、ふむと瞳を瞬かせると「この作家と同じ時代の本は?」とか、「これとは別解釈の歴史の本はあります?」とエミールに尋ねる。
ようするにエミールがしていることはレファレンスだ。
しかも内容がある程度高度で、本の解説を軽くすれば打てば響くと言ったように、質問が返ってくる。
共通に読んだ本に当たれば、作家の提言はこうで、こういう風に解釈ができるやら、これとは別に解釈ができるなどと何とも楽しそうに会話し始める始末だ。
前々世あたりでオタクをしていたカインには分かる。
同じ熱量をもって論じられる、オタク特有の議論の楽しさを。
とても残念なことに、ディシャールにおいて知識の深い女性は未だに少数派だ。
カインが生きた時代より、だいぶ男尊女卑の差別はなくなったが、それでも残念なことにこの国は男社会の色が未だに強い国である。
今でこそ才女として有名だが、ユーフェミアですら女と言うだけで軽んじられる世界だ。が、ユーフェミアレベルではないにしろ、知識に重きを置こうと考える女性が少ないのも、男社会を助長させている一端なのだろうが、今はそれは置いておこう。
問題は、頭が良すぎて気持ち悪いエミールに、ついていける令嬢がこれっぽっちもいない事である。
はっきり言って、エミールは中味こそ人外のサイコパスだが、顔はいいし公爵家の跡取りだしで、めちゃくちゃ令嬢うけがいい。
今でこそ暖簾に腕おしとか、糠に釘とかの慣用句を使いたくなるほど、女性に興味がないと有名になってしまったので、たまに出る夜会では鑑賞用として視線を集めるだけの存在だが、一昔前は本当にモテた。
美しい花に群がる蝶の群れと言えば聞こえがいいが、エミールがニコニコと笑いながら「蝶? 蛾……いや、蚊じゃない?」と言い出したところで、カインは「蚊かぁ……そっかぁ……」と会話を諦めた。
多分、相当興味がなくて、同時に面倒くさかったのだろう。
あとからエミリアに聞いたら、ものすごく遠い目でため息をつかれたので、多分蚊だと思った令嬢になんかやらかしたのだろう。
令嬢のメンタルがボコボコになってないといいなと思いながらもカインは、その群がる蚊の中に一人でもエミールの話が分かる娘がいればよかったのになぁと、残念に思った事を思い出す。
幸運なことにエミールの家族やカインは、エミールに理解はあるし、ある程度話についていけるからいいが、頭が良すぎる者は理解者を得られなければ孤独だ。
そう言った意味での孤独は、世界のつまらなさを加速させる。
エミールに必要なのは、ニコニコ笑って凄いですねと言うだけの存在ではなく、議論を交し合える同志だ。
もしかしたら、一生そんな同志を得られないのでは? などと思っていたカインだったが、ユーフェミアはさも当然であると言うように収まってしまった。
しかも自覚はしていないが、彼女自身それを許容してしまっているように見えた。
更に言えば、これまた無自覚なのだろうが、ユーフェミアはエミールとの会話を楽しんでいる。
端から見れば、今の2人は蔵書室でデートしてる理知的なカップルだった。
(なんだ、もう落ちてるじゃん)
カインはそう思って、盛大に砂糖を吐きたくなった。
おそらく、ユーフェミアが素直になればすべては丸く収まるのだろうと、カインは嘆息する。
この時まだ、カインはユーフェミアの男性恐怖症と言う事情は知らない。
知らないが、ユーフェミアがエミールに、ある種の信頼を寄せていることには気が付いていた。
それはユーフェミアが、無自覚にも抱いていた「エミールは自分に酷いことをしない」という、ある種の無垢な信頼だったのだが、その信頼がどういう意味を持っていたのか、ユーフェミアが知るのはもう少し先の事だ。
それまでの間、カインはこの2人がうまく行くように立ち回ることになり、フォロー以上に常識という名のツッコミをして、エミールを恋愛方面に再教育しなくてはならなくなるなど、この時はまだ露ほども思っていなかったのだった。




