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幻籠街の言伝屋  作者: 天野地人
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第35話 生者の理、死者の理③

(蒼次郎さんは、受け入れているんだ。この幻朧街に迷い込んだこと……)


 蒼次郎はあくまで何食わぬ様子だが、そう思えるようになるまでに、どれほどの葛藤と苦悩があったことだろう。その胸中は、察するに余りある。


(でも……あたしは違う)


 澪はまだ、捨てきれていない。現世への未練を、手にする筈だった未来を。だから、彼が達観しているのを知っていて、それでも敢えて尋ねてみた。


「気づいたらここにいて、帰れなくて……苦しくはなかったんですか?」 

 すると蒼次郎は、じっと澪を見つめ返す。


「澪さんは、苦しいんですか?」

「納得は……できてないです」澪は膝の上で、両手をぐっと握りしめた。


「幽さんも覇王丸も優しいし、あたしを受け入れようとしてくれている……でも、あたしは現世が忘れられないし、この街で、どういう風にしてやっていけばいいのかも分からないんです。今は居候という事もあって、言伝屋を手伝っているけれど、それをずっと続けていいのか自信が無くて……あたしこのままでいいのかなって」


「澪さん……」

 昴流が表情を曇らせるのが分かったが、一度口をついて出た思いは、もはや止めることが出来なかった。


「言伝屋の仕事が嫌なんじゃないんです! ただどうしても、モヤモヤするっていうか……手紙を受け取って渡すだけの日々って、あたしが本来、望んでいた生活じゃないんじゃないかって……そう思うんです。そしたら、時々すごく苦しくなって、いてもたってもいられなくなって……こんなところじゃ夢も叶えられない、ここでグズグズしている場合じゃないって思ってしまうんです」


 言い終わってから、澪は少しだけ後悔した。十代の少女の悩みをぶつけられても、六十を過ぎた蒼次郎は困り果てるだけなのではないか――と、そう思ったのだ。

 だが、その懸念に反し、蒼次郎は困ったように目を逸らすことも無ければ、笑って誤魔化すことも無かった。むしろ澪の言葉に、深く頷いてくれたのだ。


「分かりますよ、澪さん。……その気持ち、よく分かります」

「蒼次郎さん……」


「僕たちの元いた世界では、夢や目標を持って、ただそのために生きるのが最上の生き方みたいなところがありましたからね。ある意味で、『夢』の奴隷だ。でもそれって、本当に良い事なのでしょうか?」


「……どういう事ですか?」 

 夢を持って生きるのは、素晴らしい事ではないのだろうか。だって、大人はみな口を揃えて言うではないか。若者よ、夢を持って生きろ、と。


 しかし、蒼次郎はその限りではないらしく、少し困ったような表情を浮かべる。

「夢を持って生き生きと。確かに、素晴らしい生き方です。けれど、これと言って夢は無いという人の人生や、夢破れたり、諦めてしまったという人の人生も、また同じくらい素晴らしくて価値のあるものでしょう? どちらかが良いというものではなく、生き方の一つに過ぎないんじゃないかという気がするんです。むしろ夢に囚われ過ぎて、自分の首を絞めるということだって、あるのではないかと僕は思うんですよ」


「そう……かも、しれません」

 確かに言われてみると、その通りであるような気もする。どんな分野でも、夢を叶えられるのはほんの一握り――殆どの人は『敗者』に分類されるからだ。でも、そういう『敗者』の人たちによって、世の中は形作られ、支えられている。


「まあ、かく言う僕も、写真家になって身を立てる夢を叶えようと、それはもう無我夢中で写真を撮ったものですがね」 

 蒼次郎は肩の力を抜いて、ふふふ、と悪戯っぽい笑みを漏らした後、再び真顔になる。


「そう、いずれにせよ僕たちには夢があり、大切な人がいた。……それが或る日突然、全て失われた挙句に、こんな奇妙な街に放り込まれたのですからね。何もかもが現世と違い過ぎて、混乱し、苦しくなるのも無理からぬことです」


 澪は、やはり、と思った。蒼次郎は今でこそ割り切っているようだが、最初からそうだったというわけではないのだろう。夢を叶えるため、現世に残した婚約者に会うため、ありとあらゆる手を尽くして幻朧街から脱出しようと試みたに違いない。それでも、出られなかったのだ。この幻朧街からは、決して逃れることができなかったのだ。

 澪はその事実を厳然と突き付けられたようだった。


 この街から、生者は出られない。そうであるなら、その事実と向き合わねばならない。澪にとって、それはそう容易い事ではなかったが。


「いつか……楽になる日が来るんでしょうか……?」

「さあ……それは何とも。僕はこの街に来て六十年ですが、未だに怖いと思うこともありますしね」

「そうなんですか?」

 澪が驚くと、蒼次郎はおどけた身振りと共に答える。


「……この街は何もかも不確かで、ぼんやりとしていて、さっきまで在ったものが当たり前のようになくなっていたりする。自分が一体どこにいるのかと、僕は無性に不安になることがあるんです。もしかしたら、明日には僕自身も消えてしまうんじゃないか……ってね」


 すると、それを聞いていた昴流は身震いし、声を尖らせた。

「先生、怖いこと言わないでくださいよ!」

「おや、昴流くんはそういう風に思ったことは人ですか?」

「ありますよ! あるから、やめてくださいと言っているんです」


 二人のやり取りを見つめつつ、澪は少しだけ胸の辺りが軽くなったような気がしていた。

 こうやって昴流や蒼次郎と話をしていても、事態が解決するわけではない。幻朧街から出られるわけでもないし、この街を去った母が戻って来るわけでもない。

 けれど、誰にも打ち開けられなかった、燻った思いを写真館の二人と共有出来て、その沈殿してどろどろになった胸の澱がほんの少しだけ流れ去ったような気がしたのだった。


「……。みんな、同じなんですね……」

「ええ、そうですね。みな同じなんです」

 みな、何かに不安を感じ、脅えながら生きている。せめて明日だけでも平穏であって欲しいと願いながら。


「何だか、悲しい……あたしたちは何でこの街に存在するのかな? どうして言伝屋や写真館があるんだろう? 誰の人生も――自分たちの事ですら、変えられるわけではないのに……」


 蒼次郎の言うように、ただ純粋になってまっしぐらに夢を追う生き方だけが、正しいのではないのかもしれない。でも、自らに何の価値も見いだせずに、ただ漫然と日々を過ごすことにも耐えられない。澪はどうしても、幽幻のように、全てのものはただそこにあるだけ、と、突き放して考えることが出来ないのだ。

 すると、蒼次郎は僅かばかり考えこみ、ううむ、と呻った。


「確かに。死後にある街の、死者しか訪れない写真館や言伝屋……僕も正直、最初は空しくなることもありました。ただ……今は、こう思うようにしているんです。この街は、小説の外伝みたいなものじゃないか、と」

「外伝……?」

 目を瞬く澪に、蒼次郎は内緒話を打ち明ける少年のように瞳を輝かせて、身を乗り出してくる。


「よく、本編が終了した後、続編や短編集が出ることがあるでしょう。本編の前日譚だったり、脇役にスポットライトが当たった話だったり……ね」

「あ、はい。映画とかでもありますよね。スピンオフとか、そういうの」


「そう、それです。無くても死者の人生は何ら変わらないし、成立する……けれど、あった方が断然、楽しい。写真館や言伝屋はそういう存在じゃないかと思うんです。だから、僕たち生者もそれを存分に楽しんだらいいんじゃないかな。この街での日々を、思い切り楽しんだらいい。無理をする必要はないと思いますが……できる範囲で、ね」


 その発想は、澪には無かったので、びっくりした。というか、まだとてもではないが、そういうレベルまで達することなど、できそうにない。

 でも、そういう考え方は、何だか悪くないような気もする。


「楽しむ、か。……何だか、蒼次郎さんらしいですね」

「ふふふ。こう見えても、根は楽天家なんです」

「先生はどこからどう見ても、楽天家にしか見えませんよ」

「まあ、それだけが僕の取り柄ですからねえ」

「そういうところが、まさにですね」


 澪は、昴流と蒼次郎の軽快なやり取りに耳を傾けながら、ふと思った。


 この街は冷たくて残酷で、現世とは異なる世界だけど、優しい展開や甘ったるい出会いなんて一つも用意されていない。この街に生きる人々はみな、悩み、苦しみ、得体の知れない物事に恐怖し、己の未練すら晴らすこともできず、それと共に生きていく。現世で生きる多くの人々と同じように。


(でも……今は一人じゃない)


 幻朧街に迷い込んだばかりの時は、一人ぼっちで不安で、あまりの孤独にこの街に押し潰されてしまいそうだった。でも今は違う。昴流や蒼次郎と出会えたし、それに幽幻や覇王丸とも、少しずつ打ち解けてきているような気がする。

 まだ先は見えないけれど、確かに少しずつ前進している。そう思えただけでも、きっとこの写真館を訪れた意味がある。


「ごめんなさい。こんな話、幽さん達の前ではできなくて」

 澪は話に付き合ってくれた昴流と蒼次郎に、心の底から感謝した。すると、蒼次郎は意外なことを口にする。


「そうでしょう。言伝屋さんはまた、僕たちとは少し違いますからね」


(え……?)


 澪は思わず言葉を呑んだ。蒼次郎が幽幻の事を指して言っているのはすぐに分かった。でも、『僕たちとは少し違う』とは、一体どういう意味なのだろうか。澪はその部分が、どうにも嫌な具合に引っかかって、そのまま聞き流すことが出来なかった。


「それ……どういう事ですか……? 幽さんが、あたしたちとは、違う……?」

 眉根を寄せる澪を目にした昴流が、さっと表情を強張らせ、声を荒げる。


「……先生!」

「ああ……そうか。まだ澪さんは知らないのか。これは僕の失言でした。忘れてください」


 蒼次郎はすぐに笑顔を浮かべるが、いつもは飄々として魅力的な笑みが、今は作り笑いに見えて仕方なかった。


「そんな……待ってください! あたしが知らないって、何がですか? 幽さんの何を知っているんですか? 蒼次郎さん、教えてください!」


 気が急くあまり、澪は立ち上がった。その弾みで椅子がガタンと大きな音を立て、テーブルも激しく揺れる。突然の事に昴流はぎょっとした顔をするが、蒼次郎はあくまで笑みを絶やさない。


「まあまあ澪さん、落ち着いて。着物が濡れてしまいますよ」


 宥められ、手元に視線を落とすと、確かにティーカップが傾き、紅茶が溢れている。先ほど勢いよく立ち上がった時に、テーブルを揺らしたからだろう。


「あっ、ご……ごめんなさい……!」

 反射的に両手を上げると、昴流がすぐにキッチンへと向かい、布巾を取って来てくれた。そして、紅茶の溢れたテーブルを手早く拭いてくれる。――やってしまった。澪もすっかり意気消沈して、それを手伝う。


 テーブルを片付けながら、昴流は申し訳なさそうに口を開いた。

「澪さん、僕たちは何も意地悪をしているわけじゃないんです」

「昴流くん……」

「ただ……言伝屋さんのことをあれこれ僕たちがばらしてしまうのは、ルール違反というか……良くないことだと思うんです」


 確かに本人のいないところで秘密を暴露するなど、お世辞にも品行方正な行いだとは言えない。昴流が躊躇するのも、もっともだ。蒼次郎も、穏やかに言い含めるかのように、付け加える。


「本当は僕が今ここで話してもいいのですがね。言伝屋さんがあなたに『真実』を告げていないのなら、それは何か理由があってのことだと思うんです。だから、真相は……言伝屋さんのことは本人から聞くのが一番いい。彼にとっても……あなたにとっても」 


「……はい」


 昴流や蒼次郎が、悪意があって口を閉ざしているわけではないのだと、澪も十分、分かっているつもりだ。分かってはいるが、ただ、だからと言って納得しているかと言うと、それとこれとは別問題なのだった。


(幽さんは時々、あたしを拒絶する。気のせいなんかじゃない……! 蒼次郎さん達の隠していることは、それと何か関係があるのかな……?)


 思い出せば、先日、この写真館に向かっていた時も、幽幻には様子がおかしいと感じる瞬間があった。その時は確か、澪がうっかり尋ねたのだ。幽幻が幻朧街に来た時、どの様だったか、と。ほんの瞬きするような間だったが、あの時の、思わず両手を握りしめるほどの冷やりと凍りついた空気は、決して思い違いではない。

 

 むっつりと黙り込んだ澪を、昴流と蒼次郎は心配そうに見つめている。

「……すみません、澪さん」

「あ……ううん、気にしないで。昴流くんや蒼次郎さんの言うことも、もっともだと思うし……ちょっとびっくりしただけだから」


 昴流や蒼次郎は間違ったことを言っていないと、澪も思う。それを知りたいと思うのは、単なる澪の我が儘だ。それに、せっかく知り合うことのできた二人を、これ以上困らせたくなかった。わざわざ、こうやってティータイムに誘ってくれたのだ。楽しい会合は、笑顔で終わらせたい。

 疑問や不安は全て一まとめに括り付け、心の隅にぎゅうぎゅう押しやる。そしてどうにかこうにか無理矢理笑うと、昴流と蒼次郎の二人もどことなくほっとしたような、その一方で澪に気兼ねしているような、微妙な笑顔になった。


 でも、ともかくもそれで、強張った部屋の空気が少し和らいだような気がした。


 この際だから、空いた食器を片付けてしまおうと、昴流は盆を取り出すが、不意にその幼さの残る大きな瞳を窓の外にやり、僅かに見開いた。

「……あ、雨が降ってきたみたいですね」 


 澪と蒼次郎も、つられて窓の外に視線をやる。確かに、窓ガラスには雨粒が幾筋も、まっすぐな奇跡を描いて滴り落ちている。


「これは大変だ! 澪さん、そろそろ戻った方がいい」

「あ、はい! ……ご馳走さまでした。とても美味しかったです。お話もいろいろさせてもらって……ちょっとだけ気持ちが軽くなりました。また来てもいいですか?」

「勿論ですよ。ぜひ!」


 澪が立ち上がってぺこりと頭を下げると、蒼次郎もまたにっこりと笑う。そして、幾分声のトーンを下げ、落ち着いた口調で続けた。


「……不安にさせてしまって、申し訳なかった。でも、これだけは信じてください。僕たちはあなたの味方です。もしまた何か困ったことがあったら、いつでもいらっしゃい」 


「……はい、ありがとうございます」


 そう言ってもらえると、澪としてもありがたかった。この街にいる生者は全部で何人いるのか、澪はまだ知らないが、おそらく総数はそれほど多くない。

 だから、これからの為にも、ぜひ良好な関係を築きたかった。


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