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幻籠街の言伝屋  作者: 天野地人
33/53

第33話 生者の理と、死者の理①

 澪は返答に詰まった。軽々しく答えるべきではないような気がしたからだ。


 どうしよう。どう答えるのが正解なのだろう。幽さんならこういう時、どう答えるのだろう。様々なことを考えたが、結局どれも相応しくないような気がした。

 澪でなくても構わない、誰でもいい言葉など、相手には伝わらない。だから、自分のありのままの本心を言う事にした。


「いいんじゃないかって、私も思います。娘さんも、きっといつまでも子どもじゃないですよ。……信じてあげてください」


 親と子、夫婦、或いは兄弟姉妹。切っても切れない関係というのは存在する。仲が良ければ、それにこしたことは無いが、時には険悪な状態に陥ることもあるかもしれない。裏切ったり、裏切られたりすることもあるかもしれない。

 でも、人間関係は変化するものだ。永遠に愛し続けることがそう容易い事ではないように、喧嘩し反駁し合う事があっても、それもまた永遠ではない。

 上手くは言えないけれど、永遠ではないからこそ、救われるという事もあるのではないかという気がするのだ。


 大橋遥香は澪をじっと見つめていたが、やがてふと目元を緩めた。

「そう……そうよね。あの子の事、自分の事……もう少し信じるべきよね。……ありがとう。ようやく決心がついたわ。言伝……書いてもいいかしら?」

「はい、もちろんです。今すぐ、準備しますね」


(良かった……!)

 澪は心の底からほっとしていた。


 言伝を残すも残さないも、その人次第だ。お客さんはそれぞれ、みな事情を抱えている。個人の下した決断に、部外者である澪たちがあれこれ口を出すべきではない。


 そう分かってはいたが、大橋遥香が言伝を残す決意を固めたことが、澪は自分の事のように嬉しく感じるのだった。





 澪はさっそくいつものように、硯や墨、筆など一式を大橋遥香のもとへ運ぶ。すると大橋遥香は目の前に広げられた道具に驚いて目を見開いた。

「書道? 変わった趣向なのね。何て言うか……今時、珍しい」

「よく言われます。でも、不思議と結構、喜ばれるんです。書く方のお客さんにも、読む方のお客さんにも。多分、心が伝わりやすいんだと思います」


「……そうなの。私も先生にみっちり仕込まれたわ。いくら花をきれいに活けられても、本人の底が浅ければそれはすぐにばれるものよ、何があっても恥ずかしくないよう、最低限の教養は身につけておきなさいって。

 あの時は殆ど言われるままに義務感だけでやっていたけれど、あれも先生の愛情だったのね……」


 大橋遥香は慣れた様子で墨をすると、半紙に文言を書き始める。そこで澪も、彼女の傍を離れた。何を書いているのか内容を読み取るような真似はしたくなかったからだ。けれど、遠目に見てもまっさらな半紙の上に流れるような美しい字が綴られていくのが分かった。


 もう大丈夫だろう。そう判断した澪はカウンターへと向かい、そこで先ほどからグラスを磨いている幽幻を手伝う。


 やがて三十分ほど経っただろうか。大橋遥香はそれまで滑らせていた筆を止め、硯の脇に置いた。言伝を全て書き終わったのだろう。半紙を折り畳み、用意してあった臙脂色の封筒へ入れている。

 そして、封筒の表に宛名を書き入れると、それを幽幻と澪に差し出した。


「この言伝、どうかよろしくお願いします」

「はい。間違いなく、承りました」

 幽幻がすっと両手を差し出し、大橋遥香から言伝を受け取る。


「いろいろ……お世話になりました。これで、思い残すことはありません。……ありがとうございました」


 大橋遥香は幽幻に向かって一礼すると、今度は澪を視線へ移す。そして、柔らかく穏やかな微笑みを浮かべた。


「……ありがとう。あなたのおかげで、最期に娘と……自分自身と、向き合えた」

「いえそんな、私……そんなに大したこと……!」


 澪は驚き、咄嗟にそう返したが、大橋遥香のどこかやり遂げたような満足そうな瞳に見つめられていると、澪までほっこりとした温もりに包まれるような気がして、そんな言葉は相応しくないように思えてくるのだった。


「こちらこそ……ご利用、ありがとうございました」


 澪もまた両手を体の前で重ね、大橋遥香に一礼を返す。大橋遥香は最後にふわりとした笑顔を浮かべ、そのまま店を後にしていった。

 澪は幽幻と共に店先まで出て、それを見送った。大橋遥香の歩き去る後ろ姿は、最初にこの店に来た時より、ずいぶん颯爽としていて力強く感じられた。まるで、雁字搦めにしていた重たい鎖の数々から解き放たれ、大空へと飛び立つ若鳥のように。


 澪はその姿を、どこか眩しく思った。


「……ずいぶん、慣れてきましたね」

 隣に立つ幽幻が不意に口を開いたので、澪は若干驚きつつ、我に返る。幽幻は暖簾をくぐって店に戻りつつ、先ほどの言葉を再び繰り返した。


「ずいぶん、この店やお客さんに慣れてきましたね」

「私の事? ……そうかな?」

「ええ。最初は、あなたには言伝屋の仕事は絶対に向かないだろうと思っていました。でも、それはどうやら、私の早合点だったようですね」


 澪は唇を尖らせて拗ねたふりをする。

「あ、ひっどーい! そういう風に思ってたんだ?」

「だってあなた、最初の頃は相当にぶすくれていましたよ。覚えていないのですか?」

「うっ……そりゃあ、あれはあたしも悪かったって思うけど……」


 自覚が全く無いではないから反論はできないが、さりとて、そういう風に『向いていないと思っていた』と断言されると、それはそれで何となく面白くない。


 しかし、澪自身も確かに言伝屋や幻朧街そのものに、少しずつ慣れてきたように思う。現世に――元いた世界に戻りたいという欲求はまだ胸の内で燻っているが、いても立っても居られないほどの衝動はすっかり鳴りを潜めるようになった。

 諦めてしまったというよりは、心身ともに今ある環境に適応しつつあるのだろう。戻りたいという願望が全くなくなってしまったというわけではない。ただ、取り敢えずは箱の中に入れてしまってある――そういう状態だ。


 それ以上考えると、その箱のふたが開いてしまうような気がして、澪は慌ててそこから意識を引き剥がした。


「そういえば、さっきのお客さん……大橋遥香っていう女の人。幽さんはどう思った?」

「どう、とは?」

「あの人、言ってたじゃん。死んでからこんな手紙貰っても……って」


 無表情に問い返す幽幻の瞳を直視するのが何となく憚られ、澪は目を伏せた。

『私、生きている間にそのことを知っていれば良かった。先生の口から、直にその言葉を聞きたかった。今になって、こんな手紙貰っても……もう、私の人生はやり直せないのに……‼』


 女性が臓腑の奥底から捻り出すかのようにして吐き出したその言葉が、澪はどうしても引っかかっていた。最終的には言伝を残して言ってくれたから良かったけれど、その言葉もまた、彼女の偽らざる本音の一部であることに、変わりはないだろうと思ったからだ。


「……死後に言伝を受け取っても、喜ぶ人ばかりじゃないんだね。大橋さんも、最後は思い残しがないって言ってて、ほっとしたけど……でも、ああいう風に言われちゃったら、この言伝屋は何のために存在してるんだろうって思っちゃう。もしこの言伝が生きてる人のところに直接、届けられたら……それが一番いいのにね」


 もし児島多佳子の言伝を大橋遥香が生きているうちに届けられたら。彼女の言う通り、もっと前向きな生き方を選ぶことができたかもしれない。一度は離れた華道の道に戻ったかもしれないし、そうでなかったとしても、娘に対するわだかまりを抱かずに済んだかもしれない。人生そのものが劇的に変わったかもしれないのだ。


 言伝屋が存在するのは幻朧街のため、幻朧街を訪れる死者の未練を晴らすためだ。理屈ではそうと分かっている。

 でも、それだけでは何か殺伐としていて空しいと感じるのは、澪が生者だからだろうか。


 幽幻は考え込む澪をじっと見つめていたが、やがて静かに口を開いた。


「……そうでしょうか。本当にそれが一番いいことでしょうか?」

「どういう事、幽さん?」


「死者が生者に対して多大な影響を及ぼすことが、それほど良いことだとは、私には思えませんが。言伝の中身も、いいことばかりではありません。死者の綴った言伝によって、生者の人生が破壊されてしまう……そういう可能性もあるのですよ」 


 澪は、あっ、と思った。

「そっか……そうだよね。大橋さんは何だかんだ言って娘思いの良い人みたいだったけど、そうでない人もいるかもだもんね……」


 澪は子供の頃に流行った、『不幸の手紙』という悪戯を思い出していた。ある日、突然、一通の手紙が送りつけられてくる。差出人不明の手紙には、こう書いてあるのだ。「これは不幸の手紙です。一週間以内にこの手紙の文面を書き写して複数の人に手紙を出して下さい。そうしなければ、あなたの身に不幸が降りかかるでしょう」と。


 手紙を受け取った当人は、その内容に訝しみつつも、気味が悪くてつい書かれている通りにしてしまう。そして、不幸の手紙はねずみ講的に広がっていくのだ。その手紙を送りつけた主の、悪意に操られていると分かっていても、容易には抜け出せない。そしてツールが手書きの紙からメールやSNSに移っても、似たような悪戯は後を絶たないのだ。


 一口に言伝と言っても、好意で書かれたものばかりではないだろう。実際、幽幻も決して言伝の内容には口出しをしない。死者が何を書き残すかは、全て彼らの自由意思に任せている。

 澪はまだ、そういった死者に出会ったことは無いが、中には感謝やではなく、恨みや憎しみを書き連ねる者もいるかもしれない。自分のしたためた言伝に現世への影響力があるとしたら――もしそれを知ったとしたら、尚更、故意に生者へ危害を加えようと画策する死者も現れるだろう。


 書き手も死後の身の上であり、受け手も死者であるという事は、ある意味で両者が対等であるという事でもある。そうであるからこそ、余計な利害関係から外れた、純粋な言伝のやり取りが成立するのかもしれなかった。


「あまり感情に振り回されてはいけませんよ。言伝屋には様々な人が来ます。この店に対するお客さんの反応もまた、十人十色です。万人に好かれ、納得してもらうことなど、到底、不可能なのです。……そうするよう、努力をすべきだとは思いますが」


 その辺の事情には慣れているのか、幽幻の判断は慎重でありつつも明確だった。以前も似た趣旨のことを口にしていたから、それが彼の信条ではあるのだろう。

 最初は何て冷淡な人なんだろうと戸惑い、首を捻ったこともあったが、今では幽幻なりに言伝屋との向き合い方を教えてくれているのだと分かる。


 確かにそれも一理あると思う。でも、それでも澪は、どうしてもそこに一抹の虚しさを感じずにはいられないのだった。


「ここを訪れる人、みんなに満足してもらいたいっていうのは欲張りなのかな……?」


 思わず呟いてしまってから、澪はしまった、と思った。この言伝屋を昔から切り盛りしてきた幽幻にしてみれば、新参者の澪があれこれと主張するのは、決して面白くないだろう。

 しかし、幽幻は腹を立てることもなく、至って静かに応じたのだった。


「……私には、あなたの考え方は危なっかしくて仕方ありません。ここはあなたのいた世界とは違う。お客さんに過度に肩入れすることが、常に報われるとは限らないからです。それどころか、時には己の身を危険に晒す可能性すらある。

 けれど、あなたがそういう風に考えること自体は、それほど悪い事ではないと思っています。何故なら、それはあなたが真剣に言伝屋のことを考えている事の裏返しだろうと思うからです」


「幽さん……」


「あなたの疑問は、あなたが答えを出すべきことです。それがどのようなものであろうと、私はそれを否定したり覆したりするつもりはありません。

 ただ……忘れないでください。私たちは神ではない。出来る事には限度がある。もし何かあったら……あなたの身に危険が及ぶようなことが起こったとしたら、その時はお客さんのことではなく、真っ先に自分の身の安全を確保することに全力を注いでください。

 ……それだけは約束してもらえますか?」


「……うん、分かった」

 澪は素直にこくりと頷いて返事をしながら、胸の内で大きな驚きを覚えていた。


(幽さん、変わったな……)


 この店に来たばかりの頃は、澪も母親を亡くしたばかりだったから、相当に荒れていた。だから一方的に幽幻のことをどうこう言える立場でないのは分かっている。

 それでも、あの頃の幽幻は完全に澪とは距離を置き、決して必要以上に言葉を交わしたりしなかった。それどころか、はっきり言ってどう扱っていいのかと持て余し、避けられていたように思う。言葉を発しても必要最低限の二言三言で、嫌味や皮肉が容赦なく混じっているし、おまけに肝心なところで説明が抜け落ちていたりする。

 そんな風だったから、澪もこの人はあたしのことを嫌いに違いないと、心のどこかで斜に構えていた。


 でも今は、ずいぶんとそれが変わってきた。幽幻の方から話しかけてくれることも増えたし、澪が疑問に思うことがあっても、それをぴしゃりと撥ねつけたりもしない。不器用ながらも、澪が理解できるようにと心を砕いていてくれるのが分かる。


 その変化を感じるたび、澪は指先がじんわりする。現世に対する強い思いも、帰れないことに対する苦しみも、その間はふわりとどこかへ行ってしまうような気がする。


「幽さんってば、最近、何かやさしくない?」

「そうですか?」

「そうだよ」

「私はいつもと同じですが」

「ううん、変わった。すっごく変わったよ」


 すると幽幻は僅かに逡巡し、静かに目を閉じた。


「……それは、あなたが変わったからですよ、きっと」


 今度は澪が「そうかな?」と答える番だった。二人揃って、互いに自分のことには無自覚だなんて。何だか可笑しくなって、くすくすと笑ってしまう。すると、幽幻の目元もふっと緩んだ。


(あ、笑った)


 滅多に表情の変わらない彼ではあるが、澪も最近はだんだん、その変化が見分けられるようになってきた。


 澪と幽幻は顔を見合わせ、互いに笑顔を浮かべる。


 仄かに朱に染まり始めた陽の光が、そんな二人を温かく包んでいた。






 翌日は、しとしとと朝から小雨が降りしきっていた。


 午後になって雨は止んだものの、空には黒々とした分厚い雨雲が居座ったままで、何とはなしに薄暗く、路上にはいくつも水溜りができている。


 そのせいだろうか。朝から来客もなく、言伝屋の中は閑散としたものだった。幽幻や覇王丸もさすがに外出することもなく、澪と共に店の仕事や母屋の掃除をして過ごしている。天気が天気だから湿気も凄まじく、じっとしていても着物が肌に張り付くようだった。


 昼食をとってから二時間ほど経った頃だろうか。ようやく店に人がやって来た。澪はお客さんかと思って背筋を正すが、暖簾の向こうから現れたのは、写真館の助手を務める少年、神薙昴流だった。


「ごめんください」

「あれ……昴流くん? どうしたの?」

 澪が驚いて店先に出ると、続いて幽幻も顔を出す。


 昴流は写真館で初めて会った時と同じ、ギンガムチェックのハンチング帽にベストの組み合わせという格好だった。それが写真館のユニフォームなのだろう。昴流は手に提げていた菓子折りを取り出して、両手でそれを差し出した。


「先日はありがとうございました。これ、つまらないものですが、どうぞ皆さんで召し上がってください」

「これはどうも……わざわざお気遣い、ありがとうございます」

 幽幻もまた、両手でそれを受け取る。そして、「どうぞ、お茶でも」と勧めるが、昴流はいえ、とそれを断った。


「僕が遅くなったら、先生が拗ねてしまいますので」


 悪戯っぽく笑う昴流からは、とろけるような甘い香りがふわりと立ち上ってくる。バターと卵の匂いだ。あたしの大好きな匂い――そう思った次の瞬間、澪はその中に清涼感のある爽やかな香りが混じっていることに気が付いた。甘みの香りと爽やかな香りは互いに打ち消し合うことなく、濃厚に絡み合って、食欲をこれでもかと刺激してくる。


「これ……もしかして、レモンの匂い?」

 尋ねると、昴流はぱっと笑顔を見せた。


「分かります? 今日はレモンケーキを焼いたんですよ」

「すっごく、いい匂い! いいなあ、昴流くんが焼いたお菓子なら、きっとおいしいんだろうなぁ……」

 澪は昨日食べたマドレーヌを思い出し、ほう、と溜息をついた。


 世の女の子の多くがそうであるように、澪もまた甘いものは大好きだ。現世にいた頃はドーナツやクッキー、アイスクリームなど好んでよく食べていた。そういった洋菓子は、幻朧街に来て滅多に口にできなくなったものの一つだ。


 和菓子の控えめで慎ましやかな甘みも確かに良い。でも時には、ケーキやシュークリームの艶やかで甘美な甘みが懐かしくなる。


「レモンケーキ、おいしそう……!」

「……澪」

 つい、顔をでれっとさせると、幽幻はコホンと咳をしながら、抑え気味に注意を寄越す。それで澪もはっと我に返ったのだった。


「ご……ごめんなさい!」


「いえ、いいですよ。むしろ、そう言ってもらえるとすごく嬉しいです。何せ、今まで僕の作った菓子をおいしいと言ってくれる人がいなかったもので……」


 どこか寂しそうにそう微笑んだ昴流は、次の瞬間、何かを思いついたように、ぱっと表情を弾けさせる。


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