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幻籠街の言伝屋  作者: 天野地人
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第31話 写真館の人々④ 

 澪はますます面食らった。言うまでもなく、澪のそれまでの人生で、写真を撮りたいなどと言われたことはただの一度もない。

 『素敵な女性』といわれて嬉しくないわけがないが、それを手放しで単純に喜べるほど澪も子どもではない。


「澪は生者です。無理に写真を撮る必要はありませんよ」


 恥ずかしくて頬を染める澪の代わりと言わんばかりに、幽幻が返事を返すが、その言葉はあくまで素っ気なく、まるで蒼次郎を突き放すかのようだった。

 すると写真館の主人は、まるでそれに挑みかかるかのような、挑戦的な視線を向ける。


「言伝屋さん、残念ですが、それを決めるのは、あなたではありませんよ。そうでしょう?」

 そして、苦虫を噛み潰したような顔をする幽幻を尻目に、楽しげな様子で澪に話しかけてきたのだった。


「どうですか、澪さん? 考えてもらえませんか? お題はいりません。服装もそのままで結構。あなたはそこの椅子に、ただ座っているだけでいいのです」

「え……? えっと……」

 澪はどう答えようか、困り果ててしまった。


 写真を撮ってもらえるなら、ぜひ撮ってもらいたい。そんな誘惑に駆られるほど、金本杏子の写真は素晴らしい出来だった。でも、かといって「はい、お願いします」と蒼次郎に答えようものなら、幽幻にこってり怒られそうな気もする。現に今も、幽幻は平静を装っているが、その全身から何か沸々と怒りのオーラのようなものが立ち昇っている――ような気がする。


 すると、給仕をしていた少年が、腰に両手を当て、呆れたような声で蒼次郎を諫めた。

「……先生。女性と見るや、すぐそういう風に声をかけるのはやめてくださいって、いつも言ってるじゃありませんか。そういうの、世間で何て言うか知ってます? ……エロジジイっていうんですよ!」


「え……ええ!?」

 つまりさっきの写真を撮らせて欲しいという一連の勧誘は、ナンパ目的だったというのだろうか。ぎょっとして思わず身を仰け反らすと、蒼次郎はとても悲しそうな表情になり、昴流に文句を言った。


「もう、酷いなあ、昴流くん。澪さん、すっかりドン引きしちゃったじゃない」

 そして再び澪へと、にこやかな表情で説明する、

「そういうんじゃないんですよ。僕は昔から写真が好きで、人の姿を写真に撮るのが好きなんです。そしてその中でも、特に女性を撮るのが好きだというだけなんですよ」


 蒼次郎はそう弁明したが、一度ついてしまったイメージは簡単に覆せるはずも無かった。見た目にすっかり騙されていたが、どうやら蒼次郎にはしっかり下心があるらしい。

 勿論、金本杏子を撮影している時は、少々強引だったり危なっかしいところもあったけれど、下心は一切感じなかった。だから、写真の腕は確かなのだろう。

 でもだからといって、ただの温厚で優しそうな老人というわけでもない。澪の写真を撮りたいと言っているが、どこまでが本気でどこからが冗談なのかも分からない。


 覇王丸や幽幻が、写真館の主をクセのある人物だと言い現わしていたが、それも彼のそういった性分に原因があるのだろう。

(幽さんと覇王丸……取り敢えず、疑ってごめんなさい)

 澪は心の中で二人にひっそりと謝ったのだった。


 ともかく、本気なのか、からかわれているのかも分からないのに、とても写真を撮られる気にはなれない。

「……すみません。今日は遠慮しておきます」

 澪がそう断ると、蒼次郎はこれ以上ないくらいしょげ返ってしまった。


「そうですか……ああ、本当に残念です。せっかく生者のお嬢さんとお知り合いになれたと思ったのに……」

 残念なのは澪も同じだった。折角、温厚で善良そうな良い人だと思っていたのに、なかなかに一筋縄ではいかない人物だったとは。

(でも……それも、この人が生者だっていう証拠なのかも)


 この街を訪れる死者は、みな強い思い――《未練》を抱いている。だから彼らのほとんどは目的が明快だ。それはとても純粋ではあるけれど、それ故か、《未練》を晴らした暁には、みなあっさりとこの街を出て行ってしまう。

 何が建前で何が本音なのか、本心では何を考えているのか分からないというのは、ある意味、生者ならではなのかもしれない。


 一方、二人のやり取りを聞いていた幽幻は軽く息をついた。それが何となくほっとしたように見えたのは、澪の思い過ごしだろうか。

(なんか意外……幽さんが、こういう風に干渉してくるなんて……)


 普段の言伝屋で接している幽幻であれば、いい意味でも悪い意味でも、もう少し澪に対して距離を取るのではないかという気がする。だから、蒼次郎が澪の写真を撮りたいといった時も、てっきり好きにしなさいと言われるのだと思っていた。


(心配……してくれてるのかな?)

 それとも、危なっかしくて頼りないと思われているのだろうか。どちらもあり得そうなだけに、幽幻の本心は分からなかった。気を懸けてくれるのは素直に嬉しいが、単に子ども扱いされているのなら、とても悲しい。そう思ってしまうのは、我が儘だろうか。


 そんなことを考えていると、幽幻が再び口を開いた。

「すみませんが、店を開けておりますので。これでお暇させていただきます。……澪、帰りますよ」

「あ、うん」

 幽幻が立ち上がったので、澪も慌ててそれに続く。すると、ショックから瞬く間に立ち直った蒼次郎が、幽幻に声をかけてきた。


「言伝屋さん、いつもすみませんね。助かります」

「いえ、困ったときはお互い様ですから」


「それから……澪さん。写真はともかく、何か困ったことがあったら、いつでもいらっしゃい。僕たちにできる事なら協力しますよ」


 先ほどと違い、蒼次郎は真摯な笑みを浮かべた。どう答えようかと迷い、幽幻の方をちらりと見ると、微かに目配せを返してくる。どうやら、これはOKらしい。澪も写真の件はともかく、蒼次郎や昴流とは仲良くしたいと思っていたので、ぺこりと頭を下げた。

「あの、ありがとうございます。これからよろしくお願いします」

 そして、幽幻と共に写真館を後にする。


「また、いつでもいらしてください!」

 路地へ一歩、歩み出すと、昴流の快活な声が後ろから追いかけてきた。振り返ると、律儀で礼儀正しい少年は、丁寧に会釈を返してくる。

 そこで、澪もまた少年に向かって、手を振って応じたのだった。






 路地に出ると、薄曇りだった空は、どんよりと雨雲が垂れ込め始めていた。雨が降り出す気配はまだないものの、空気はたっぷりと湿気を吸っている。

 写真館にお邪魔したのは、ほんの小一時間ほどだったが、それくらいでちょうど良かったのかもしれない。帰るのがもう少し遅かったなら、間違いなく雨に降られていただろうから。


 澪は幽幻と並んで歩きながら、興奮気味に話しかけた。

「何だか悪い人たちじゃなかったみたいだけど……確かに、ちょっとクセのある人だったかも! 特に主の飯室さんの方……!」

「写真の腕は確かなのですが……あの人は少々、女性に節操のないところがあるのが玉に瑕なのです」


「お年寄りだけど、格好良かったもんね。若い頃はモテモテだったんじゃないかなあ?」

 ふふふ、と笑うが、幽幻は相変わらずの仏頂面だった。


「……。彼にあなたを紹介するのは、まだ時期尚早だったかもしれませんね」

「もう、幽さんてば大袈裟だよ。あたしも子どもじゃないんだし、写真くらいどうってことないよ」

「そうは言っても……」


「っていうか、結構、心配性なんだね、幽さんって。ひょっとしてあたしの事、気がかりなの?」

 おどけた口調で言うと、幽幻は怒ったようなつっけんどんな口調で返事をした。

「当然 でしょう」


 思いがけない反応に、澪はどきりとする。

(……そっか。当然なんだ)

 思えば、幽幻は蒼次郎が澪の写真を撮りたいといった時も、やんわりとだが、はっきりと釘を刺していた。――おまけに。

(そういえば幽さん、あたしの事、『うちの澪』って言ってた……)


 今までそんな風に言われたことはないし、はっきりと名前を呼ばれた記憶すら定かではない。幽幻の澪に対する呼び名は、いつだって『あなた』だった。

 でも、今日はそうではなかった。『うちの澪』――そう呼ばれたとき、何だか幽幻に自分の存在を受け入れてもらえたみたいで、とても嬉しかったのだ。


(何だろ……くすぐったいような、ふわふわするような……頬がにやけちゃうような、変な感じ)


 お互いに、それ以上の会話はなかった。けれど、幽幻の隣を並んで歩く澪は、これまで感じたことのない温かな幸福感に包まれていた。

 幽幻にとって澪は、おそらくただの居候であってそれ以上の存在ではない。そして、それは澪にとっても同じだ。けれどそれでも、互いに訳の分からない意地を張り合ってぎすぎすしているよりは、受け入れ合い、認め合った方がずっといいに決まっている。


 いつまでもその温かな気持ちに浸っていたいような気がしたけれど、すぐに言伝屋が見えてきてしまい、自分でも意外なことに、そのことに少しだけがっかりしたのだった。


(言伝屋が見えてきたのに、それが残念だなんて……すごく不思議)


 写真館から言伝屋までは、やはり店を出た時と同じく、ちょうど十分ほどの道程だった。あともう少しで言伝屋の暖簾を潜ろうかというところで、頬に冷たい滴が垂れる。そうして降り始めた雨粒は、あっという間に石畳を濡らしていったのだった。






 翌日、言伝屋には一人の来客があった。


 それは四十代と思しき女性だった。クリーム色の七分袖のカーディガンに、紺色の小花柄のロングスカート。肩甲骨のあたりまである長い髪には緩いパーマが当てられていて、女性らしい雰囲気を醸し出している。


(お母さんって感じの人だな)

 澪はその女性に対してそんな感想を抱いた。実際、薬指には結婚指輪が嵌められているし、年齢的にも子どもがいておかしくない。学校から家に帰ったら、こんなお母さんが待っていて、一緒にお茶をしながらお喋り出来たら楽しいだろうなあ、などと澪は勝手に想像を膨らませる。


 しかしよく見ると、その女性はどことなく目元に陰気な空気を漂わせていた。服装にも清潔感があるし、小柄で上品なのだが、何故だか翳を感じるのだ。


 澪の母である亜希は明朗快活を絵にかいたような人物で、非常にアグレッシブだったので、澪も母親というもの全般に対してそういう印象を抱きがちだ。ところが、目の前の女性はそれとは正反対の印象だった。どちらかというと大人しく、風に吹かれて散っていく桜の花びらのような、儚い感じがする。

 亜希が太陽なら彼女はまるで月のようだ。


 女性は覇気のない視線で、何とはなしに店の中を一瞥する。しかし、何か強い感情が揺れ動いた様子はなく、翳の差す表情はピクリとも動かない。


 やがてすぐに幽幻が彼女に気づき、近づいて行っていつものように応対した。

「いらっしゃいませ。休んでいかれますか?」


「ええ……そうですね。そうします」

 そう答える口調も、どことなく頼りない。幽幻に促され、力尽きたようにぺたりと椅子に座った。


「何か召し上がられますか?」

「ええと……それじゃ烏龍茶を……」

「分かりました、すぐにお持ちしましょう。失礼ですが、お名前を窺ってもよろしいですか?」

「はい、私、大橋遥香といいます」


「大橋遥香さんですね。少々お待ちください」

 幽幻はそう答えると、澪に目配せする。澪は小さく頷くと、カウンターへ行って冷蔵庫から烏龍茶を取り出し、氷の入ったグラスへ注いだ。そしてそれを盆にのせ、女性のもとへと運ぶ。


「……どうぞ」

「ありがとう」

 

 大橋遥香はそう礼を述べたが、やはり心そこにあらずといった様子だ。ぼんやりとしているというよりは、何かにうんざりし、全てを諦め、投げやりになっているという印象を受けた。身なりがきちんとしている分、余計に彼女の纏っている翳が気になって仕方なかった。


(この人、大丈夫かな?)


 相手は行きずりの死者なのだから、いくら澪が案じても仕方がないのだが、そうは言っても心配になってくる。

 死者の中には時おり、強烈な感情やこだわりを抱いている者がいる。もしかしたら、彼女にもそういった並外れた執着心があるのではないか。はっきりとした根拠があるわけではないが、澪にはそう思われてならなかった。


 やがてほどなくして、《奥の間》に入っていた幽幻が店先に姿を現した。その手には、臙脂色の封筒を携えている。そしてそれを、女性に向かって差し出した。

「大橋遥香さん。児島多佳子さまから言伝を預かっています」


 すると、案の定と言うべきか、大橋遥香の表情が一変した。最初に現れたのは怒りだ。そんな名前、聞きたくもない――そういう、激しい憎悪と憤怒。しかしすぐにそれに、戸惑いと苦悶が追加された。


「先生が私に……手紙を……!?」 


 ――『先生』。どうやら、児島多佳子は大橋遥香と師弟関係にある人物らしい。

 

 しかし、その関係はあまりうまくいっていなかったようだ。少なくとも、大橋遥香は児島多佳子に良い感情を抱いていない。現に今も、顔を顰めて児島多佳子が残した言伝を睨んでいる。その姿は、言伝を嫌悪しているというより、その中を見ることに恐怖し、脅えているようにも見えた。


「……大丈夫ですか?」

 さすがに幽幻も女性の様子をおかしいと思ったのだろう。遠慮がちに声をかけた。すると大橋遥香は、はっと我に返って言伝から視線を引き剥がす。


「あ……ああ、すみません。先生が私に手紙を残していただなんて、思ってもみなかったから、つい、取り乱してしまって……」


 そして、両手で言伝を受け取ると、封を開けて中に収められていた半紙を取り出す。しかしその間も大橋遥香の顔色は青ざめ、その細くてしなやかな指は心なしか震えている。澪には、彼女が必死で冷静さを装っているように思えてならなかった。


 児島多佳子の手紙は、三枚の半紙に綴られていた。やがて大橋遥香はそれを全て読み終わると、言伝を持った両手をそのまま机の上につく。瞳は呆けたようになり、ただ、どことも知れぬ空を見つめていた。


「大橋さん、何か言伝を残されますか?」


 幽幻は努めて穏やかに尋ねる。できるだけ、彼女を刺激しないようにしているのだろう。


 それでも大橋遥香は何ら反応を見せず、ぽかんと放心していた。澪が運んだ烏龍茶も全く手を付ける気配がなく、透明なグラスは大粒の雫がいくつも滴っている。


やはり様子がおかしい。澪が、取り敢えずお茶でも飲んで気分を落ち着けたらどうかと口を開きかけた時、大橋遥香は突如として話し始めた。


「先生は私の、華道の師だったんです」


 澪は驚いたが、幽幻の方はそれを奇異に思った様子もなく、ごく当たり前にそれに応じる。


「華道というのは生け花のことですね。いくつもの流派があると聞いていますが」

 すると、大橋遥香は、つと目を伏せた。


「……ええ。先生の流派は数多ある流派の中でも比較的新しい流派でした。大きな流派ではありませんでしたが、新しいだけあってさほど堅苦しくなく、フラワーアレンジメントの要素なども積極的に取り入れて親しみやすかったので、生徒は年々増加していました。先生はテレビの番組で独自のコーナーを持っておられて、それも生徒増加の一端を担っていたかもしれません」


 そこまで話し終わる頃には、大橋遥香の心もだいぶ落ち着いてきたのか、口調も随分しっかりしていた。


「私は、先生の作品が好きでした。先生の作品は、決して派手だったり技巧が凝らしてあるわけではなかったけれど、とても女性らしくて優しくて……生活を豊かにしてくれるような、そんな温かみのある作品が多かった。そんな先生の作品に出合ったのは、私が高校生の頃です」


 その頃のことを思い出したのか、大橋遥香の瞳は別人かと思うほど生き生きと輝き始めた。彼女にとってその出会い自体は、悪いものではなかったのだろう。むしろ、今、思い出してもその感動やときめきを思い出せるくらい、劇的で素晴らしいものだったのではないか。彼女の表情はそれをありありと物語っていた。


「その頃は先生の作品もまだメディアでもそれほど取り上げられていなくて、たまたま行った地元の小さな美術館で個展をしていたのを見たんです。……一瞬で心を奪われました。当時の私は家庭環に悩んでいて、毎日喧嘩が絶えなかった両親に絶望し、うんざりしていました。先生の生けたアヤメの、儚い佇まいの中に秘められた芯の強さに、どれほど勇気づけられ、励まされたかしれません。その時に決めたんです。私も、こんな花を生けられる人間になりたい……と。


 だから、高校を卒業すると同時に先生のもとへ弟子入りしました。先生も私のことを気に入ってくださって、花の知識から生け方、行儀作法に至るまで、あれこれと親身になって指導してくれました。だから、先生の作品が少しずつ世間に知られていくのは本当にうれしかった。私もそのお手伝いをしているのだと思うだけで、毎日が充実していました。私は輝いている先生について行こうと、歯を食いしばって自分の技術を磨いたんです。そしていつの間にか、私は先生の一番弟子になっていた。でも……」


 それまでどこか誇らしげですらあった大橋遥香の表情が、不意に曇った。

 そして眩いばかりの輝きは瞬く間に失われ、言伝屋に来たばかりの時にあったような、暗い翳が再びその瞳をすっぽりと包んでしまう。


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