第30話 写真館の人々③
「あなたは昔、体型のせいで揶揄われ、いじめにまで遭ったのでしょう? だからいつの間にか自分の体型が悪であるかのように、思い込んでしまったのではありませんか?」
「それは……。そう……かもしれません、けど……」
「ここにはあなたを馬鹿にする人も、見え透いた同情を寄せる人もいませんよ。むしろ、一緒にそういった人たちを見返してやりましょう。最高の写真を残して、見せつけてやるんです。『私の人生、可哀想なんかじゃなかった。最高に幸せだった!』って」
「……!」
その発想は全くなかったのだろう。金本杏子の瞳は、大きく見開かれた。しかもそれはただの驚きではない。ほんの僅かだが、探し求めていた何かをようやく発見した時のような、一種の喜びに似た感情が含まれているように感じられた。
澪は息を呑んでそれを見つめた。写真館の主が提案した何かが、間違いなく彼女の心を揺さぶったのだ。
澪と同じくその感情を感じ取ったのか、それともただ純粋に自分が発案をするのが楽しいのか。写真館の主も嬉しそうに声を弾ませる。
「……どうです? それがあなたを見下してきた人たちに対する、最高の仕返しだと思いませんか?」
「仕返し……」
「ええ! 考えただけでもワクワクしてきませんか?」
「私は別に、仕返しなんてしたいわけじゃないんです。でも……」
戸惑った様子で考え込んだ金本杏子は、やがてぽつりぽつりと、己の中に渦巻く感情を分解し、探り出すようにして話し続ける。
「私の人生……最高だったんでしょうか……? こんな体型で、こんな年齢で死んでしまって……特別な才能も無いし、頭がいいわけでもスポーツができるわけでもない、美人でもない。それでも幸せだったって言えるんでしょうか? そう言っても……本当にいいんでしょうか?」
「……勿論じゃありませんか」
それを聞いた写真館の主人は、自信たっぷりに力強く頷いた。
「あなたの人生は、他にはない唯一無二の、最高の人生ですよ」
その瞬間。
金本杏子の瞳は再び大きく見開かれた。けれど、それはもはやただの驚きではない。感極まって言葉に詰まったのか、口元を両手で覆い、その目尻には涙が浮かんでいる。全身も微かに震えているようだ。
そこには先ほど顔を覗かせた喜びが、もっとはっきりとした形となって表れていた。
つい先ほどまで彼女の顔を覆っていた重々しい翳は、嵐の後、西の空へと去っていく雨雲のように少しずつ消え去り、その表情は徐々に晴れ渡っていく。
「そう……そう思っても、良いんですね……私、幸せだったって、思っても良いんですね……」
そして、金本杏子は、今度ははっきりと表情を緩める。
「ありがとう。私、ずっとその言葉が聞きたかったような気がします」
それは、彼女がこの写真館で初めて見せた笑顔だった。
控えめで、それでいて温かく、見ている者の心もほっこりしてくるような笑顔。
澪はその姿を見て、まるで長い冬を耐え抜き、雪解けを経て、温かな日差しの下で一斉に咲きほころぶタンポポのようだと思った。
そこには、それまで彼女を雁字搦めに縛っていた自己嫌悪と劣等感は既にない。まるで、憑き物がきれいさっぱりと落ちたかのようだった。
(ああ、そうか……!)
澪はようやく合点がいった。
金本杏子がびくびくして見えたのは、何も容姿コンプレックスだけが原因ではない。彼女は自信が無かったのだ。容姿も含め、自分の人生の全てを心から肯定することができなかった。誰かに自慢できるような特別なことがあったわけでもなく、特殊な能力や才能に溢れていたわけでもない。おまけに、二十年という短さなのだ。
写真館を訪れ、おそらく自分の写真を見るであろう名も知らぬ誰かに、私の人生はこんなに素敵だったのよと、胸を張ることができなかったのだろう。そして、ただそれが、容姿コンプレックスとなって表れていただけなのだ。
そして、彼女自身、その事実に気づいていなかった。写真館の主人の言葉は、期せずして、その彼女の隠れた本音を言い当てたのだろう。
いや、それとも。
(最初からそうだと分かっていたのかな……)
写真館の主人は温厚ながらもどこか飄然としていて、彼の真意がどこにあるのかはどうにも掴めない。金本杏子に、彼女自身の本音を気付かせるよう、誘導したようでもあるし、一方で単純に会話を楽しんでいた節もある。
だがどちらであろうと、金本杏子が写真を撮るつもりになったことが、彼には満足であるようだった。
写真館の主人は再び真っ黒の冠布の中に頭を突っ込むと、再び金本杏子に声をかける。
「それでは、もう一度、撮りますよ」
「……はい」
「ああ、いい表情だ。そのまま……もう少し笑って」
金本杏子は精一杯、笑おうと努めた。本人が気にするほどメイクは崩れていないし、そもそも薄化粧で、マスカラも全く滲んでいない。ただ、先ほどまで泣いていたせいか、どこか表情がぎこちないようだ。しかし、写真館の主人は構わずシャッターを切り続ける。
「無理はしなくていいですよ。自然に、力を抜いて……そう、いい感じだ」
五回ほど、ボシュッというシャッターの切る音とフラッシュが連続して続いた後、写真館の主人はようやく冠布から顔を出した。
「はい、終了です。お疲れさま。きっといい写真が撮れていますよ。……見てみますか?」
「え、見られるんですか? こういう古い写真館は、現像にかなり時間がかかるんじゃ……」
「うちは特別ですよ。なんせ、死後の街にある写真館ですからね」
写真館の主人は悪戯っぽくそう微笑むと、カメラからネガフィルムを取り出し、隣の部屋へと続く引き戸を開いて中へと入っていた。そして数分ほどすると、本当にノートほどの大きさの写真を手に持ち、顔を出した。
「どうですか? 良い写真でしょう」
写真館の主人は、できたばかりの写真を胸元に掲げて見せた。それが澪の座っているところからもよく見えた。写真の中に映る金本杏子は、静かな微笑を浮かべている。とても自信に満ちた、飾り気のない良い写真だと、澪も思った。
金本杏子も、感動した面持ちで、ほう、と溜息をつく。
「これが私……何だか信じられない」
「とても堂々としていて、格好いいですよ」
いい写真が撮れたからだろうか。写真館の主人もそう言って満足そうに微笑む。
「あの、とても素敵だと、私も思います!」
澪は思わず感嘆の声を上げてしまった。その場にいる全員の視線が集中するのを感じ、真っ赤になって慌てて付け加える。
「あ、えっと……すみません、つい……」
「……ありがとう。それから、こちらこそごめんなさい。不快な話を聞かせてしまって」
金本杏子はくすくすと笑いながら、それに応じる。すると、「そ、そんなこと……!」と、わたわたと両手を振る澪に代わって、幽幻が会釈を返した。
「お気になさらず。お邪魔したのはこちらの方ですから」
澪たちの方を向いた際、金本杏子はその近く――写真館の入口にかかっているたくさんの写真に気づいたのだろう。彼女はその一つ一つに丁寧に目をやりながら、感嘆交じりの声で言った。
「このお店には、たくさん写真が飾ってあるんですね。私の写真も飾ってもらえますか?」
「勿論ですよ」
写真館の主はむしろそれを歓迎するかのように、身を乗り出した。「あなたの笑顔は素敵だ。それだけでなく、不思議と見る者を温かい気持ちにさせてしまう。あなたさえよければ、是非、写真館の店頭に飾らせてください」
金本杏子は恥ずかしそうに顔を赤らめたが、写真館の主の申し出を断ったりはしなかった。むしろ、どこかとても嬉しそうな色さえ見える。
やがて彼女は、しみじみと噛み締めるように言葉を口にした。
「……あなたに最後にこの写真を撮ってもらえて、良かった。この写真館に来て、本当に良かった。本当に……感謝しています」
すると、写真館の主人はギンガムチェックのハンチング帽を脱ぎ、胸元でそれを抱くと、金本杏子に対して深々と頭を下げた。
「こちらこそ、あなたと出会えてよかった。……どうか、良い旅を」
「……ええ、きっと」
二人の間に流れている空気は、ただのカメラマンとその客のものではなかった。共に戦い抜いた戦友、というとやや大げさだろうか。だが、そう評しても過言ではいほどの、強い繋がりが横たわっているように感じられる。
澪たちが写真館に入って来た時と同じように、金本杏子はカラカラと音を立てる引き戸を開け、外の空気を吸って深呼吸を一つした。そして店内へ視線を戻すと、澪たちと、それから写真館の主人とその助手の少年に対し、順に会釈をする。
そして、金本杏子は写真館を後にした。その顔はとても満ち足りた表情で、言伝屋で言伝を残して去っていくお客さんと同じ、穏やかな空気を纏っていた。
彼女の未練は晴れたのだろう。人生の最後を飾る、素敵な写真が撮りたい。その願いは果たされたのだ。そしておそらく、これからあの《宵闇の門》を潜るのだろう。
彼女が幻朧街に二度と戻らぬことを写真館の主人も承知している筈だ。死者があの門の向こうでどうなるのか。生者である澪たちには知ることの出来ない事でもある。だがそれでも死出へと出発する彼女に対し、『良い旅を』と、そう声をかけた写真館の主人の言葉には、彼の気遣いと人柄がよく表れていると、澪はそう思った。
写真館の主人も金本杏子が出て行った後の店の戸を、暫く感慨深そうに見つめていたが、やがて幽幻と澪の訪問を思い出したのか、すぐにこちらへ視線を向けた。
「さて、と。お待たせしてすみませんね。……おや、そちらのお嬢さんは?」
「初めまして、舞阪澪と言います」
澪が自己紹介すると、幽幻が「彼女はうちの新しい従業員なのです」と、付け加える。
すると写真館の主は、顎をしきりと撫でながら、「ほうほう、それはそれは……」と、澪に同情を寄せるようにして眉をひそめた。
「それはお気の毒に。いろいろと大変でしょう、ここはちょっと変わった街だから」
「あ……はい」
「僕は飯室蒼次郎。この写真館の主を務めています。彼は神薙昴流くん。僕の助手をやってくれている少年です」
すると、最初に撮影機材の調整をしていた少年が笑顔でこちらに近づいてきて帽子を脱ぎ、ぺこりと頭を下げた。ふいに覗いたマッシュルームヘアが、大人びた表情に程よい知的さとあどけなさを加味していて、良く似合っていた。
「初めまして。よろしく、澪さん」
「あ、うん。よろしくね」
親しげに接してくれる、飯室蒼次郎と神薙昴流に笑顔で答えながら、澪はつい胸中で突っ込んでいた。
(もう……幽さんも覇王丸も、いい加減なこと言うんだから! ごく普通の、いい人達じゃない)
幽幻や覇王丸がやたらと脅してくるものだから、てっきり変人や偏屈の類を想像していたが、二人には全くそれらしい部分は見当たらない。それどころか、どこからどう見ても上品な老紳士とその助手といった雰囲気だ。澪はむしろ彼らに対して好感を抱いていた。
その胸中を知ってか知らずか、幽幻は風呂敷包みの封を淡々と開け、中にしまってあった封筒を写真館の主人に差し出した。
「頼まれていたものをお持ちしました」
「ああ、これはどうも」
飯室蒼次郎は封筒を受け取ると、さっそく中身を取り出す。そこには数枚の、奇妙な模様の描かれた紙切れが入っていた。どこかで見たことがある――首を傾げた澪は、すぐにそれを言伝屋の中で見たことを思い出した。
「これ、お札だよね? 言伝屋の中にも貼ってあった」
「ええ、あれと全く同じものですよ」
幽幻が首肯すると、蒼次郎蒼次郎も付け加える。
「生者はこの札がなければ幻朧街で生きていけませんからね。……と言っても、僕たちにはこの札を作りだす術がない。だからこうやって、言伝屋さんにお願いしているのですよ」
よくよく写真館の中を見回すと、確かに柱や壁の目立たないところに、札のようなものが貼ってある。それも言伝屋と全く同じだ。だからきっと、効能もほとんど同じものなのだろう。この札があれば、この写真館に《夢幻通り》のモノノケたちや、《獏》が大挙して侵入してくるなどという事は、起きずに済むのだ。
「幽さんがこれを作ってるの?」
澪は幽幻が実際に札を作っているところを目にしたことがなかったので、何となく気になって尋ねた。すると、幽幻は「いいえ」と答える。
「私というより、覇王丸ですね。元は師匠の仕事だったのですが……」
「そうだったんだ……でも、この街には他にも生者は暮らしているんでしょう? どうしてよりによって言伝屋がお札を作ってるの?」
「それは、話せば長くなるのですが……幻籠街で最初にできた生者の店が言伝屋だからなのですよ。ですから、この札を用いたおまじないも、言伝屋が始まりなのです」
「そうなんだ、知らなかった!」
「ここでも普通の生活を送ろうと思えば、あらかたの事はこなせます。けれど、魔除けのノウハウだけは言伝屋のみが知り得る知識なので、こうやって広めたり、お手伝いしたりすることにしているのですよ」
幽幻が澪に説明する傍らで、写真館の主人は助手の少年に指示を出した。
「昴流くん、お二人にお茶をお出しして」
「はい」
少年は大人しくそう返事すると、部屋扉を開き、中へ入っていく。先ほど蒼次郎が入っていった暗室と思われる部屋扉の隣にある、はがきほどの四角形をした摺ガラスの入った、家庭的な感じのする扉だ。
その間に、写真館の主人は、部屋の隅に片付けてあった折り畳みの机といすを部屋の中央まで移動させた。そしてそれを比較的、機材が閑散としている、撮影スペースと入口の間に設置する。
やがて、少年が四人分のティーセットと菓子皿をもって姿を現した。檸檬の描かれた上品なティーカップの中には、鮮やかな色の紅茶が注いである。菓子皿に盛られているのは帆立貝のような形をしたマドレーヌだ。よく見ると、一つずつ微妙に焼き色が違う。
「もしかして……手作りですか?」
尋ねると、少年は嬉しそうに頬を紅潮させた。
「分かりますか? どうぞ召し上がってください」
甘いものに目がない澪としては、その申し出はとても有難かった。品よく並んだマドレーヌのうちの一つを遠慮なく手に取ると、そのまま一口かじってみる。するとその瞬間、濃厚な卵とバターの香りと、強い甘みがこれでもかと舌を刺激した。久方ぶりに感じるダイレクトな甘みに、眩暈を覚えるほどだ。
「おいしい……!」
気づけば、そう声を上げていた。お世辞などではない。黄金色の生地は外側がサクサクで内側はふんわり、雑味もなく、甘さの具合もちょうどいい。
すると、澪の反応を目にした昴流は、とても嬉しそうに表情を綻ばせた。
「本当ですか? 良かった。全く……うちの先生ったらひどいんですよ? 感想を聞いても『あ、うん』で、美味しいも無ければ不味いすらも無いんですから! 作り甲斐が無くて、困ってたんです」
「ははは、僕はどちらかというと辛党だからねえ。でも、このケーキは甘さ控えめで食べやすいよ」
そう言って朗らかに笑う蒼次郎に、昴流も笑顔を作ったが、その顔は、はっきりと引き攣っていた。
「……先生。言っておきますけど、『食べやすい』は誉め言葉じゃありませんからね?」
(何だか、仲が良さそう……いいな)
澪は写真館の主人とその助手を交互に見やり、心の中でそう思った。まだ、どこかしら壁がある澪と幽幻に比べ、蒼次郎と昴流はすっかり打ち解けているように見える。軽口の中にも、互いに対する親しみが滲み出ているようだ。
幽幻も覇王丸にはかなり心を許しているようだし、やはり男同士というのが気易くて良いのだろうか。
(どうせ、あたしは邪魔者ですよーだ)
一人でそんな風に考えてしまい、何となく面白くなくてふて腐れていると、ふと強い視線を感じた。テーブルの向かい側を見ると、写真館の主人がじっとこちらを見つめている。
「ところで……澪さんでしたね? 失礼ですか、おいくつですか?」
「えっと、十六です」
「十六歳! いやはや、ずいぶん大人びていらっしゃる。僕はてっきり、二十歳くらいかと思いましたよ」
「そ、そうですか……?」
澪はなんだか顔が赤くなるのを感じた。
(何だろう、大人びてるなんて言われたの、初めて……)
写真館の主人は、とても温厚で真面目そうだし、適当な世辞を言うタイプの人間には見えない。そんな蒼次郎が二十歳に見えるというのだから、本当にそうなのだろう、と澪は思う。
常に年相応か、それより幼く見られてきた澪は、蒼次郎の言葉にまんざらでもない心地だった。つい、ニヤニヤと頬が緩んでしまう。
ところが、隣に座っていた幽幻が突然、強引に割り込んできてそれを遮ったのだった。
「飯室さん。うちの澪はまだ見習い中ですので、その様にあまり揶揄われては困ります」
丁寧ではあったが、幽幻にしては珍しく、きっぱりとした強い口調だった。おまけにその言葉の中には、これ以上、澪に近づくなという警告のようなものまで感じられたのだが、それはさすがに気のせいだろうか。
「幽さん……?」
どうしたのだろうと訝しんでいると、写真館の主人はにやりと笑った。
「おや、心外だなあ。僕は常に本気なのに。……澪さんはとても素敵な女性ですよ。僕は是非、あなたの写真を撮りたいと思っているんです」
「写真って……あたしのですか!?」




