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幻籠街の言伝屋  作者: 天野地人
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第29話 写真館の人々②

 少年は背後の撮影スペースを気にかけつつ、申し訳なさそうに口を開く。


「こんにちは、幽幻さん。すみませんが、今、撮影中でして……お待ち戴いてもいいですか?」 


 外見と同じく、随分と大人びた、しっかりとした口調だった。もしかしたら、年上の澪よりしっかりしてるんじゃないだろうか。

 澪はかなり面食らったが、幽幻は少年の対応に慣れているのだろう。 


「分かりました。こちらこそすみません。お仕事中にお邪魔して」

 と、淀みなく答える。


 次いで少年は一瞬、澪の方へ視線を向け、驚いたように目を見開いた。まるで、今まで存在を信じられていなかった未確認動物を初めて目にした、みたいな表情だ。

 衝撃と興奮、喜びと戸惑い――それらがポップコーンのように軽快に弾け合っている。 


 澪が慌ててぺこりと頭を下げると、少年は柔らかな笑みを浮かべ、感慨深そうに会釈を返した。そしてそれ以上澪に対して何か言うことなく、「どうぞこちらへ」と言って、入口の脇に置いてあるアンティークのソファへと二人を促した。


 澪と幽幻は言われた通り、そこに腰掛けて待つことにした。一方の少年は、一度澪の方を振り返ったものの、すぐに再び撮影機材の方へ戻り、機材の調整に戻る。


「……ねえ、あの子が写真館の主人さん?」

 小声で幽幻に尋ねると、「いいえ」と返事が返ってくる。

「彼は助手ですよ」


 だとすると、少年の他に主人がいるという事か。

 確かに、写真館の主人は六十過ぎということだったから、あの少年は条件に合わないし、覇王丸が言っていたように、クセがある人物のようにも見えない。どちらかと言うと、とても真面目でしっかりしていて、常識的な人物のように思える。


(写真館の主人って、どんな人かなあ……あんまり変な人じゃないといいけど)


 壁に飾ってある写真はカラーで、どれも美しい写真ばかりだ。いかにもスタジオ写真といったものばかりだが、どの被写体も表情が生き生きとしている。きっと、そういった表情を引き出すのが上手い人なのだろう。

 昔の写真らしく、画像が僅かにぼやけていて、デジタル写真ほど鮮明ではないが、それがまた郷愁を誘い、いい雰囲気を醸し出している。


(いいなあ……きれいな写真ばかり。こんなにきれいに撮れるんだったら、あたしも撮って貰いたいな)


 壁に掛けてあるのは、思わずそう思ってしまうほど魅力的な写真ばかりだった。このような写真が撮ることのできる人が、そう悪い人であるとは思えないけれど。


 そんなことを考えていると、スタジオの中に設えられている部屋扉が開き、中から一人の老人が颯爽と姿を現した。


 老人といっても、背は曲がっておらず、しゃきっとしている。かなりの長身で、百八十センチ近くはあるだろうか。頭髪は真っ白だが、少年と同じく、白いシャツにギンガムチェックの帽子とベスト、そしてダークブラウンのスラックスと黒い革靴を履いている。

 多少、皺が刻まれてはいるものの、生き生きとした両目は老いなど感じさせず、強い意欲と好奇心に満ちていた。


「先生、用意ができました」

 少年は頭を上げ、老人にそう声をかけた。間違いない、彼がこの写真館の主だ。

「そうですか。お疲れさま、昴流くん」

 老人は穏やかな口調でそう答える。張りがあってよく響き、それでいて安心感のある、優しい声だ。


(何だ……めちゃくちゃ普通の人じゃん)

 澪は拍子抜けした。老人はとても温厚そうで、物腰も柔らかだし、粗暴だったり威張ったりする様子も見られない。とても幽幻や覇王丸が言っていたような、クセのある人物だとは思えない。


 一方、老人も澪と幽幻の存在に気づいたようだった。こちらに向かって軽く会釈すると、椅子に不安げな様子で座っている女性へと向き直った。


「金本杏子さん……でしたね?」

 二十歳ほどの女性は、名を呼ばれて何故かびくりと肩を震わせる。そして、ますます縮こまって下を向いてしまった。


「そろそろ写真を撮りましょうか」

 写真館の主人は、優しい口調で語りかける。しかし、女性は縮こまったままだ。そのまま黙り込んでしまうのではないかと心配したが、ややあって、女性は蚊の鳴くようなか細い声で話し始めた。


「私……本当は、写真を撮られるの、すごく嫌なんです」

 絞り出すような告白に、しかし写真館の主人は何でもない事のように微笑み、肩を竦めておどけて見せる。

「写真が嫌……ですか。まあ、うちのカメラは確かに少々古いですが……なに、心配することはありませんよ。何も魂まで持っていかれるなんてことはありませんから」


「あの……そうじゃなくて……」

 女性――金本杏子は慌てて否定すると、悲しげな表情になってまたもや俯いてしまう。

「私、この体型、子供の頃からなんです。何か、体がむくみやすい家系みたいで、兄も似たような体型だし、母も……。

 ダイエットも何度も挑戦したけど、うまくいかなくて……本を読んで頑張って食事制限したし、運動もしました。食事は一日に二食まで減らして、毎日五キロ歩いて……でも、駄目なんです。どうしても、『ぽっちゃり』から逃れられないんです!」


(ぽっちゃり……かなあ?)

 澪は金本杏子の言葉に首を傾げた。確かにやせ型ではない。でも、ぽっちゃりというほど太ってもいないのではないか。

(まあ、こういうのは個人の感覚にもよるんだろうけど……)


 金本杏子が全体的にふんわりしたファッションに身を包んでいるのも、自らの体型を気にしての事なのだろうか。それはそれで充分、似合っているが、少々気にし過ぎではないか、と思ってしまう。


 ところが当の金本杏子は、ぽつりぽつりと話し続けているうちに、止まらなくなってしまったのだろう。それまで胸の中に溜まったモヤモヤした感情を爆発させるように、少しずつ声を荒げ始めた。


「子供の頃から、それで揶揄われ続け、中学生の時はいじめにまで遭いました。何もかも、この体のせいなんです! こんな体に生まれなければ、私の人生、絶対にもっと輝いてた!」

 そして次の瞬間、苦悶の表情を浮かべる。


「もう、うんざり……こんな格好で、写真なんて残したくないんです!」


 悲鳴にも似た叫び。写真館にふつりと沈黙が下りた。


 澪は息を呑んだ。どうやら、彼女の容姿コンプレックスは、澪の想像するものよりかなり深刻であるようだ。こういった問題は千差万別で、人それぞれ基準が違う。だからこそ、解決するのが難しい。簡単に『良い』、『悪い』が決められないからだ。

 太っていても平気な人もいれば、痩せていることが恥ずかしいと思う人もいる。金本杏子は自分で自分の体型が受け入れられないのだろう。


 しかし同時に、強い疑問も湧き上がってきた。

「そんなに写真を撮るのが嫌なら、あの人、わざわざ写真館に来なくても良かったのにね」

 幽幻につい、そう小さく呟く。すると幽幻はやはり小さな声で静かに答えた。

「……言葉が常に真実を表しているとは限りませんよ。人は嘘をつくものです。……時には己自身にすら、ね」


 それはつまり、写真を残したくないというのは彼女の本心ではないということだろうか。あれほど嫌がっている彼女の姿が、嘘だとは到底、思えないのだが。


 いずれにしろ、この街は幻朧街だ。死者が《未練》を持ったままこの街に留り続けると、《獏》となって、永遠に彷徨い続けることになってしまう。金本杏子もこのまま未練を晴らせずにいると、もれなく《獏》となってしまうだろう。それを避けるためには、彼女の本当の願いを探り当てなければならない。


 これから一体、どうなってしまうのだろうか。澪は不安を覚えたが、部外者である自分があまりしゃしゃり出るわけにもいかない。そこで、静かに成り行きを見守ることにする。


 一方、写真館の主はというと、しばらく金本杏子を静かに見つめていたが、やがて穏やかな微笑を浮かべた。

「……でも、あなたは本心では写真を残したいと思っているんでしょう? だからここに来た」

「それは……この写真館だったら、自分の望む姿で写真を撮ってくれるって聞いたから!」


「つまりあなたは、自分の美しくなった姿を写真に残したいがために、ここに来た、と?」

「そのための写真館でしょう? ……違うんですか?」

 金本杏子は訝しげに問いかける。すると、写真館の主はゆるりと首を横に振った。


「残念ですが、この写真館にも出来る事と出来ない事があります。一つは、ここでは被写体とは別人を撮ることはできないということです」

「どういうこと……ですか?」


「映せるのはあくまであなた自身……或いは過去のあなただということです。失礼ですが、あなたの体型は生まれつきのもので、いわゆる雑誌のモデルのように痩せ細った経験はあまりないのでしょう?」

「え……ええ」

 金本杏子は頷くと、悲しげに問いかけた。


「つまり、最大限譲歩しても、写せるのは高校時代や中学時代、或いはもっと幼いころの私……いずれも太めだった私ばかりということですね?」

「まあ……そうなりますね」


「ひどい……! 私には、死して尚、美しくなる資格もないということですか!? せめて……せめて最期くらい、きれいな姿を残したいって思うのは、贅沢なんですか!?」

 そう言うと、金本杏子はとうとう、わっと泣き出してしまった。


(だ……大丈夫かなあ……?)

 澪は、その一連のやり取りを見ていて、ハラハラし通しだった。


 十代や二十代の女の子にとって、外見的なコンプレックスに関する話は禁句(タブー)だ。理想の自分より太っている、或いは痩せ過ぎている、背が低い、逆に高い、芸能人みたいに美人じゃない――悩みはそれこそ、星の数ほどもある。

 おまけにそれが事実がどうかは、実際にはあまり関係ないのだ。他人から見てどうというより、自分がそれをどう捉えているかが問題なのだから。


 誰だって、容姿に悩んだことはあるだろう。その手の話題は同世代や同姓でも気を使うのだ。それなのに、カメラマンの老人に、二十代女性の繊細な悩みが解決できるとは、どうしても思えない。


 実際、澪の目から見て、金本杏子は太っているというほど太いわけではない。おそらく、十分、標準体型の範囲内だろう。でも、若い女性はとかく痩せ細った体型を良しとしがちで、それも痩せていれば痩せているほど良いという幻想を抱く傾向がある。決して肥満などではないが、それでも金本杏子には自分自身の姿が受け入れられないのだ。彼女にとって、それほど繊細な問題なのだろう。


(このおじいさん、金本杏子さんを説得するどころか、誤って地雷を踏んじゃうんじゃ……?)


 澪の懸念は募るばかりだったが、写真館の主人に動じた様子はない。それどころか、けろりとした顔で金本杏子にこう言った。


「金本さん……いいえ、杏子さん。取り敢えず、まずは一枚、写真を撮ってみませんか?」

 すると、金本杏子は真っ青になり、案の定、悲痛な声音でそれに大反対した。


「や、やめてください! 私の言ったこと、聞いてなかったんですか!? 私はこの姿で、写真を撮られたくなんか……」


 ところが、写真館の主人は、金本杏子の言葉を完全に無視し、アンティークの写真機に取り付けられている黒い冠布の中に頭を潜らせ、撮影態勢に入ってしまった。そして、その中から、のんびりとした声を上げる。

「いいですか、撮りますよー」

「あっ……!」


 真っ白いフラッシュがたかれ、金本杏子は思わず両手を上げてそれを遮ろうとした。よほど撮られたくないのだろう、完全に手と腕で上半身を覆ってしまっている。写真は素人である澪の目から見ても、失敗であるように思われた。しかし、写真館の主人は何故だか上機嫌だった。


「いいですね、もう一枚!」

「いえ、もういいです! もう……諦めますから!」

「ああ、動かないで! せっかくいいところなのに」

「いい……ところ……? どこがですか! メイクぐちゃぐちゃだし、こんな太った体、誰にも見せられない……‼」


「気にすることはありませんよ。女性は少々太っていた方が魅力的なものです」

 その言葉に、金本杏子は顔をこれでもかと強張らせた。

「同情はやめてください!」


「同情……?」

 写真館の主人は、冠布の中からひょっこりと顔を出す。何を言っているか分からない――そういう、不思議そうな表情をしている。

 金本杏子はその反応が癇に障ったらしく、余計にヒステリックな声になって叫んだ。


「だって、そうじゃないですか。本当はあなただって私の事、デブな女だって思っているくせに! みんな言うんです、『そんなに太ってないよ』、『気にすることないよ』って。でもそういう人たちに限って、陰じゃ『痩せられないんだって、カワイソ~!』って言ってるんです! そんな、見え透いた同情やおだては、やめてください! 本当に……余計に傷つくだけですよ……‼」


 そして、再び両手で顔を覆い、泣き出してしまった。


(ああもう、やっぱり……)

 自分が案じていた通りの展開になり、澪は頭を抱えたい心境になった。


 やはり、六十を過ぎたお年寄りに、若い女性の容姿に関する悩みなんか、理解出来っこないのだ。写真館の主人にしてみれば、さっさと仕事を終わらせてしまいたいというのが本音であって、写真さえ撮れればあとはどうでもいいとすら思っているのかもしれない。

 澪でさえそう感じたのだから、金本杏子は余計に感情を傷つけられてしまったことだろう。


 そもそも生きる環境が違えば、抱く悩みも違ってくる。彼が金本杏子の気持ちを理解できないのも無理からぬことだろう。けれど、悩んでいる人に『そんなの、大した悩みじゃないよ』といった類の反応を返すのは、その内容が何であれ、最もやってはいけない行為の一つだ。 


(これ、完璧にこじれちゃったんじゃないかな……?)


 それが証拠に、金本杏子は居間にも椅子を立ち上がらんと、腰を浮かせている。このまま写真館から立ち去るつもりなのだ。

 澪は、一体これからどうなってしまうのかと、気が気ではなかった。彼女と年齢の近い自分が仲裁に入るべきかとも思い、幽幻の方を窺うが、幽幻は小さく首を振ってそれを押しとどめる。


(確かにあたしたちは部外者だし、余計なことはするべきじゃないかもしれないけど……このままじゃ絶対にマズいよ)


 おまけに初老の写真館の主は、それに焦りや困惑を見せるふうでもなく、のんびりと構えている。まるで、自分の言動が金本杏子を激昂させてしまったのだという事を、全く理解していないような素振りだ。

 そして相変わらず柔和な微笑を浮かべ、金本杏子金本杏子を呼び止めた。

「杏子さん、あなた、何か勘違いしてませんか?」

「え……?」


「これは戦いですよ。僕とあなたの戦いだ」

「戦い……?」


 写真館の主が発した単語に、ひどく驚いた様子で、金本杏子は顔を上げた。その弾みで、再びカメラの前に置かれた椅子に腰かける。

 すると、写真館の主人は「ええ、そうです」と鷹揚に頷いて見せる。


「僕はあなたの写真を撮らなければならない。それがこの写真館の使命であり、存在意義なのですから。でも、どうせ撮るなら、普通の写真ではつまらないでしょう。あなたも言った通り、ここで撮る写真は正真正銘、最後に残る写真なのです。だったら、最高の一枚を撮りたいじゃありませんか?」


「それはあなたの勝手な都合でしょう? 私には関係ありません」


 金本杏子はどこか不貞腐れたようにそう吐き捨てた。確かに彼女は写真を撮られるのが嫌なのだ。それが本心かどうかはともかく、本人はそうだと主張している。そもそも写真が嫌なのに、最高の一枚も何も、あったものではない――そう思ったのだろう。

 しかし、写真館の主人は、彼女の反応に気を害した様子もなく、穏やかに会話を続ける。


「あなた……先ほど言いましたね? この姿で写真を撮られたくない、と。あれは本当に本心なのですか?」

「……どういう意味ですか?」


「あなた本当は、こう思っているんじゃないですか? 『太っていて何が悪い、何を言われようと、これが私だ!』……ってね」

 すると、金本杏子は途端に表情を険しくし、激しく横に首を振った。


「そんなことありません! 私……私、本当に自分が嫌で……せめて写真の中だけでも美しくなりたいんです!」

「そうですか? 僕にはとてもそうは見えない。だってあなた、椅子を一度も立っていないじゃありませんか。嫌だったら、いつだって立ち上がってこの店を出ていける。でも、あなたは口では嫌だ嫌だと言いながら、一度もそうしなかった」


「……! そ、それは……」

 金本杏子はバツが悪そうに俯くと、小さく口籠った。「それは……あなたが妙なことを言って呼び止めるから……」

 しかし、写真館の主はそれをきれいさっぱり無視し、優しげな微笑を浮かべる。


「この写真館には、自分の姿を写真に撮って欲しい人が訪れます。そういう店なのです。例外はありません。あなたも間違いなく自分の写真を……今の自分を写真に収めたくてここに来たのですよ」


「でも、私……」



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