第十六話 覇王丸②
何がどう、特別なのだろうか。
澪は首を傾げるが、覇王丸は笑うばかりで教えてくれない。こちらからそれを問い質そうと、澪が口を開きかけた時だった。
それまで黙って二人の会話を聞いていた幽幻が突然、口を開いた。
「……覇王丸。彼女について何か分かりましたか?」
すると、それまで晴れやかだった覇王丸の表情が、俄かに曇った。
「……いいや。相変わらずさっぱりだ。空穂の奴、何処に行っちまったんだか……」
「そうですか……」
幽幻は目を伏せると、そのまま黙り込み、茶を啜り始めた。立ち振る舞いのきれいな幽幻は、茶を飲む姿も優美だ。それ故だろうか。今は、どこか物悲しさが漂っているように見える。
(『彼女』って、誰だろう……師匠って人の事かな)
幽幻には師匠に当たる人がいて、その人はもう、だいぶ前に行方不明になって戻って来ないのだと言っていた。覇王丸が長い間、外出していたのは、もしかしたらその師匠という人を探しに行っていたからかもしれない。
そういう風には思ったが、実際に尋ねるのは何となく憚られ、澪も湯呑に口をつけたのだった。
「……先ほどの話ですが」
幽幻は唐突に切り出した。覇王丸が返事をしなかったので、それが澪に向けられたものだと暫くして気づいた。
「……え、あたし?」
思わず声が裏返る。幽幻は澪の方にまっすぐ視線を向けて言った。
「その気があるなら、店の事を少しやってみますか? ……あまり楽しい作業ではないかもしれませんが」
「本当? ……いいの?」
すっかり駄目だと思って諦めていた澪は、喜びと驚きで身を乗り出した。
ただ飯食らいの居候を続けるのは、いくら何でも肩身が狭いし、何より仕事を与えてもらえるのは、信用を得たかのようで嬉しい。
それを聞いていた覇王丸も「へえ、いいんじゃねえか?」と破顔した。しかしすぐに、軽く眉根を寄せる。
「でもその格好だと、汚れちまうぞ」
澪はずっと城南高校の制服のままだ。確かにこの格好で店先に立つのはそぐわないかもしれない。幽幻もそう思ったのか、頷いて言った。
「そうですね……母屋を探してみましょうか。確か、《言伝屋》の制服が残っていたはずです」
「制服があったんだ」
チェーン店のユニフォームみたいなものだろうか。意外に思って尋ねると、幽幻は「……ええ」と答える。
「師匠は形式にはこだわらない人でしたし、制服と言ってもそれで無ければならないというわけではないのですが、取り敢えず今はそれで我慢してもらえますか?」
そう言われ、澪は慌てて両手を振った。
「ううん、それで全然いいよ。着替えがあるだけでもすごく助かるし」
確かに高校の制服は着慣れているし、寝間着は別にある。それでも、ずっとこの格好を続けていくわけにもいかないだろうと思っていから、幽幻の提案は丁度よかった。
服が必要だからと軽々しく外に買いに出るわけにもいかないし、服を売っているような店があるのかどうかも怪しい。どうしようかと密かに悩んでいたのだ。
結局、日が暮れても、その日の来客は無かった。
幽幻も今日は構わないだろうと判断したのだろう。いつもより早めに店じまいをしてしまった。
ただ、店じまいと言っても、暖簾を下ろして戸を閉めるだけだ。鍵は開いたままで、誰か人が来たら簡単に戸は開けてしまえるようになっているし、電燈も点いている。
最初はなんて不用心なんだと思ったが、幻朧街に泥棒がいるとも思えないし、万が一いたとしても、言伝屋の中に盗まれるようなものはない。おまけにお札の力で《獏》やモノノケたちも入ってこれないので、厳重に施錠するだけ無駄なのだと気づいた。
言伝屋の引き戸は経年劣化によってガタピシ言うようになっていて、その音は母屋に居てもはっきりと聞こえる。だから夜間に客が来ても、大抵はそれで分かる。
実際、澪が言伝屋に居つくようになってから、三度ほど店じまいをした後の深夜にお客が来た。どれも幽幻が対応していたが、さほど珍しいことではないと言う。
普通のお店とは違って、こちらで営業時間を設定するわけにもいかないし、お客さんはいつ来るとも知れない。
おまけに客は死者で、同じ人間でも生者とはどこか違う。生者の理屈が通じない、手強い相手だ。それを考えると言伝屋の仕事も決して楽なことばかりではない。
辺りがすっかり暗くなったころ、澪は幽幻や覇王丸と共に、母屋の一番奥にある部屋へと向かった。
母屋の部屋も、言伝屋の二階と同じでどれも和室だが、その部屋もやはり畳敷きの和室だった。
まず幽幻が障子を開け、壁際にある照明のスイッチを入れた。電燈が数度、気怠げに瞬き、ようやく本腰を入れて部屋を照らし始める。
そして、突如として明かりの下に晒された光景に、澪は仰天した。
部屋の第一印象は、まさに『物置き』だ。
部屋の広さは八畳ほどあるだろうか。言伝屋の部屋はどれもだだっ広いが、この部屋もそこそこの広さはある。にも関わらず、床の間や壁際にはずらりと怪しげな骨董品がうず高く積まれているのだ。
その量たるや、まさに足の踏み場もないほどで、澪や覇王丸、幽幻が三人一緒に部屋の中に並び立つことができそうにないほどだった。
とにかく、何かの箱、何かの包み、何かの葛籠や長持ちが所狭しとひしめいている。それだけならまだいいのだが、中には見るからに怪しげな毒々しい色をした壺や、奇妙な模様の札が張られた気味の悪い葛籠など、一体何に使うのかと首を傾げたくなるような物も数多くある。
「この部屋……何……?」
澪はその物量に圧倒された。入り口に突っ立ったまま室内を見回し、ついポカンと口を開いてしまう。一方の幽幻は慣れた様子で部屋の中へと入っていった。
「私には師匠がいたと言ったでしょう。彼女の部屋です」
「『彼女』って……もしかして、さっき言ってた空穂って人のこと?」
尋ねると、幽幻は僅かに目を見開いた。
「よく分かりましたね」
「うん、何となくだけど……でも、女の人だったんだ」
師匠という響きから、何となく男性を想像していた。幽幻の性格と互角に付き合える女性は、なかなかいないのではないかと思ったというのもある。
すると幽幻は、澪の言葉に頷きを返した。
「ええ。中身はあまり女性らしくありませんでしたけどね。口が悪く、素行も酒癖も悪い……けれど、何故か周りには好かれる人でしたよ」
「師匠さんも生者だったの?」
そう尋ねると、ええそうです、と再び幽幻は再び頷く。
「師匠は二十歳の時にこの幻朧街へと迷い込んだと言っていました。そしてやはり当時、言伝屋の主をしていた人に拾われ、助けられたのだそうです」
「師匠さんのお師匠だね」
「そうですね。……私は会ったことがないのですが」
その時、ふと山積したガラクタの中に、小さな額縁に入った女性の写真があるのが目に入った。元は飾り棚だったと思しき場所だが、今やすっかり周囲のガラクタにすっかり埋没してしまっている。
写真の中で微笑んでいるのは、ぱっと目を惹く女性だった。年齢は四十代ほどだろうか。容姿が整っていて美人だが、それだけではない。大輪の牡丹のような、艶やかな存在感がある。
ぱっちりとした眼、勝気そうな眉。化粧っ気はあまり無いのが、何だか好感が持てた。緩やかに波打った、癖のある豊かな髪の毛が、彼女の存在感を際立たせている。着物を若干着崩しているが、蓮っ葉な感じはせず、むしろ雑誌のモデルか何かのようで、格好いい。同じ格好をしたからと言って、誰もしもがこのようにはいくまい。これほど様になっているのは、おそらく彼女だからこそ、だ。
気付くと、幽幻も同じ写真に見入っていた。
「……もしかして、この人が?」
「ええ。これは五年ほど前の写真ですけれど……」
漆黒の瞳が眼鏡の奥で僅かに笑ったように見えた。澪は思わず幽幻を見つめる。心なしか、口調もいつもより柔らかい。
そういう表情も出来るんだ、と澪は意外に思った。幽幻にとってその師匠だという女性はとても大切な存在だったのだろう。
思えば、ひょんなことから居候をする事になったが、澪はまだ幽幻の事はおろか、この店の事もよく知らない。おまけに、この幽幻の師匠だという女性にも、別の師匠がいたのだと言う。
澪には澪の生活があった様に、《言伝屋》には《言伝屋》の歴史があるのだろうか――そう考えると、何だか途方もない高さの塔を見上げるような気分になってくる。
「ま、空穂は悪ガキみたいなトコがあったからなあ。いたずらだのまじないだの……おかげでよく巻き込まれたぜ」
覇王丸はその時のことを思い出したのか、うししし、と笑った。
「え、おまじない……? お師匠さんは占い師だったの?」
澪がきょとんとして尋ねると、幽幻は僅かに考え込む。
「ええ……まあ、似たようなものだと思います。この間あなたに特別な数珠を貸したでしょう。あれも師匠の手作りですなのですよ」
幽幻によると、彼女のまじないは、言伝屋に伝わるものを自己流に改造し、強化したものなのだという。
「でも、そのお師匠さんがいなくなったら、このお店、守れないんじゃない?」
「全てではありませんが、いくつかは私も知っています。あなたにも今度、教えてあげますよ」
まるで、料理を教えてあげますよ、みたいな調子でそう言う幽幻に、澪は仰天して仰け反った。
「む……無理、無理! あたし、そんなこと絶対にできない!」
「先ほど、この店の仕事を手伝うと言っていたではありませんか」
「それはそうだけど……あたしにそんな凄い力なんて無いもん……」
澪はあくまで普通の女子高生だ。幽幻の師匠と違って、まじないの才能などない。だから、いくらやれと言われても、不思議な力でこの店を守るなんて出来っこないのだ。そう唇を尖らせると、今度は覇王丸が可笑しそうに破顔する。
「はは、まじないって言っても、澪が想像してるようないかがわしい代物じゃねえ。生者だったら誰でもできる」
「そう……なの?」
「ああ。《獏》とかモノノケの奴らには、生きてる人間の生命力が何より効くんだ。だからぶっちゃけ、生者だったら誰でもできる。そういう、まじないなのさ。まあ、やるだけやってみな」
澪はなおも納得がいかなかったが、一方で覇王丸にそう言われると、少しだけ興味も湧いてきた。上手くいかなかった時のことを考えると、幽幻たちをがっかりさせそうでちょっと怖いが、うまくいけば逆に役に立つことができる。
そうしたら、安心してここに居てもいいんだと、そう思える気がする。
「取り敢えず今は、制服を探しましょう」
幽幻は物で溢れかえった空穂の部屋に入ると、その一番奥で膝をついた。
よく見ると、そこには雑多な品々の中に埋もれる様にして、小さな和箪笥が置いてあった。幽幻はガラクタ同然の品々を退かせながら、和箪笥の引き出しを上から順に開けていく。そばに近寄って引き出しの中を覗き込むと、この店にしては珍しく、中には洋服が仕舞い込んであった。
幽幻はひとつひとつ、丁寧にそれらを取り出していく。
しかし、幽幻から洋服を受け取った澪は、そのうちの何着かを広げてぎょっとした。派手なメイド服やチャイナ服など、明らかにパーティーなどで使うコスプレ用にしか見えない服ばかりだったのだ。
「何、コレ……?」
原色のどぎつい色使い。スカートの丈も随分短いようだ。さすがにこれを着て人前に立つのは抵抗がある。
「空穂の趣味だな、こりゃ」
覇王丸は肩を竦めた。幽幻も溜め息をつく。
「師匠には収集癖があるのですよ。まじないの道具だけではなく、こういったものや家電製品など、現世から流れ着いて来るモノを片端から集めてきて……片づけるのにいつも苦労しました」
「え、現世から物が流れてくることがあるの?」
澪は驚いて尋ねる。
「そうですね。我々にとって、貴重な物資でもありますが、師匠はどうも、見るからに動かない物や役に立たない物も、こうやって後生大事に仕舞い込んでしまって……」
確かによく見ると、部屋にあるのは怪しげな骨董品や、まじないの品々ばかりではない。
古いテレビに扇風機、今ではまず見かける事のない、古くて大きなビデオデッキ。旅館の部屋にあるような小さな冷蔵庫まである。中には澪でさえ初めて見る、弁当箱の様な電話もあった。
「わあ、何これ。電話?」
澪はそれを慎重に取り上げた。幽幻は首を傾げる。
「私はあまり詳しくないのですが。師匠はそうだと言っていたような気がします。確か、携帯用だとかなんとか……」
「うそっ、携帯電話? 携帯電話って、今こんなだよ」
澪は制服のポケットから携帯電話を取り出して見せた。相変わらず電源さえ入らないのだが、つい、いつもの癖で持ち歩いている。
「……そうなんですか」
「えらく小っちゃいなあ。表面ツルッツルだし、ボタンも無え……」
「どちらかと言うと、鏡みたいですね」
「こんなんで本当に動くのか?」
覇王丸と幽幻は、しきりと珍しそうにスマートフォンを見ている。
「ここでは無理みたいだけど……向こうではちゃんと使えたよ。すんごい便利」
二人は澪の持っている小型の携帯端末を見たことが無いようだった。自分がいた世界とは違う世界の人達なのだと、妙なところで実感する。
この携帯端末が実際に動いているところを見せたら、もっとびっくりするだろう。それを考えると、残念で仕方なかった。是非、見せてあげたかったのに。
「でも、なんでコスプレ用の服なんて集めてたんだろ?」
電化製品を収集するのは何となく分かる。幻朧街には無い、現世を強く思い出させる品々。きっと幽幻の師匠という人も、集めてきた家電を見て、現世を懐かしんでいたのだろう。
でも、コスプレグッズは、いまいち収集の理由が判然としない。あまりにも特殊というか、少なくとも、澪はそれを見ても懐かしいとは思わないのだが。
すると、幽幻はやや憤慨した口調で答えた。
「決まってるではありませんか。周りの人間に着せて、師匠が楽しむためですよ」
「え、周りの人間にって……幽さんも何か着せられたの?」
「『お前は今日から執事になれ!』……などと言われて、タキシードを着せられそうになったことはあります」
「え、いいよそれ! ぜったい似合う‼」
背筋が常にぴしっとしていて、所作も優美な幽幻は、執事の格好もさぞよく似合うだろうと、澪も思う。しかし幽幻は、それがいたくお気に召さない模様だ。
「全然、良くはありませんよ。私はこの格好が一番しっくりくるのです。洋装はどうも、背筋がむずむずする」
「そうなの? 普通、逆だと思うんだけど……」
澪などは、着物で過ごすことの方が耐えられない。暑そうだし、肩が凝りそうだし、正座も苦手だ。そういえば、幽幻も覇王丸も当たり前のように着物だが、辛くはないのだろうか。
そう思って覇王丸の方を見ると、何故だか幽幻以上に不服そうな顔をしている。
「幽はまだいい。俺なんかなあ、ライオンの着ぐるみを着せられそうになったんだぞ。せめて、服にしてくれってんだよ。なあ!?」
「それも、すごく似合いそう……!」
想像して、思わず吹き出してしまった。太陽みたいに溌剌としていて、体格の良い覇王丸には、ライオンのイメージがぴったりだ。覇王丸みたいに人懐こい性格であれば、小さなお子様にも大人気だろう。
ところが、当の覇王丸は、どうもそれがぴんと来ないらしい。
「そんなもんかあ?」
と、しきりに不思議そうに首を傾げ、幽幻も妙に悟りを開いたような眼をしている。
「……我々には理解できない何かがあるのでしょう」
その様子が可笑しくて、澪はさらにくすくすと笑ってしまう。
やがて、幽幻は気を取り直すと、箪笥の引き出しへと視線を戻した。
「……けれど、中にはまともな着物もあります」
そして、奥から一組の着物を引っ張り出す。
「ありました。これです」
「お、いいんじゃねえか?」
覇王丸もうんうん、と頷く。しかし澪はそれを見て面食らった。
「き……着物……?」
幽幻が取り出した着物は桜の花の小紋がちりばめられている、可愛らしい着物だった。成人式で着るような豪華な振袖とは違い、シンプルでそれほど高価な感じもしない。生地も木綿で、確かに普段着としては最適だろう。
幽幻は次いで帯や帯留め、足袋なども取り出しながら、説明を始めた。
「これはもともと、《言伝屋》の制服として使用していたものです。ただ、師匠はあまりそういう形式ばった服装は好まなかったので……殆ど袖は通していないのです」
「ホントだ。ほぼ新品だね」
しかし、着物など、着たことが無い。七五三の時に、記念で着せてもらっただけだ。それもあまりにも小さい時の事なので、澪自身の記憶には無い。写真で見せてもらって、知っているだけだ。




