79話 魂の仲介者
キイィィ――――ッ!
「きゃっ!?」
突然響く、金属による摩擦音を爆音程度の大きさにまで引き上げたかのような音。
けれど初めて聞くそれに、私は跳び起きました。
そして音の発生している方向…、後ろを確認してみると、暗闇の中で円形にぽかりと浮かんだ見知らぬ景色の中で、円いっぱいに大きな“何か”が迫ってきています。
“何か”が円を埋める直前に視えた人らしき生き物の大きさと比較すると、その“何か”の高さは人間の背の二倍より少し大きい程度。
上には屋根が平たく奥に細長い家のような物が載っていて、下には錆びかけた鉄のような金属製の車輪が二列になって、いくつも設置されているような形です。
車輪と言うと馬車を思い浮かべますが、どう見ても馬車ではありません。
何故なら馬の姿は無いですし、その二列に並ぶ金属製の車輪は、地に設置してある平行に置かれた二本の金属の塊、それもとても細長いものの上に乗っかって動いているのです。
その“何か”が、私が跳ね起きる原因となった音を立てつつ、暗闇に浮かんだ円の中でいっぱいいっぱいに迫ってきていました。
視点はちょうどその“何か”を正面の斜め下から見上げる高さ。
けれどその光景も、私が音に気付いて僅か五秒で暗闇に沈み、辺りは真っ暗になります。
「ここは……?」
体を起こしてみましたが、周囲には闇が広がるばかり。
…いえ、自分の体ははっきりと見えているので、闇のように見えていても、実際には全く違う別の現象かもしれません。
どことなく体が重い気がするのも気になります。
…と、立ち上がろうとしていると、今度は右の方から妙齢の女性の声が聞こえてきました。
『初代様! きっと…、きっと、わたし達が太陽を存続させていきます!』
『天照神様が御心を癒して再降臨なさるまで、あの方の代わりを繋いでいきます!
続いて、男性の声もします。…もちろん、初めて聞く声です。
首を巡らせてみると、そこには、また闇の中にぽかりと円系に浮かぶ景色があります。
今度はご高齢の方の右手らしきものを、壮年期程度の方々が握って涙ぐんでいる場面でした。
その後頭部には見覚えのある光輪があり、翼もある事から、きっと天津神系神族です。
そこで、あれ? と思いました。
この光景、まるで誰かの目から見ているようです。
だってご高齢の方の手の見える位置、まるで自分の手を見ているかのような配置なんです。
けれど涙ぐむ人達を見上げるかのような位置から見ているのは何故なのか、と暗闇に浮かぶ光景に走り寄ろうとしたところで、また見えていた光景は闇に沈みました。
って、闇に浮かぶ光景の分析とかやってる場合じゃありません!
ここからどうにかさっきまでいた“天照の間”に戻らないと、って話ですよ!
「確かあの時、術式陣の声が響いてきて、それから神力が一気に無くなって………」
そこで、はた、と気が付いてしまいました。
だってほら、私達神族は、体の構成から神力らしいんですよ?
呼吸すら、神力を吸う作業なんですよ…?
「も、もしかして私、神力が抜け過ぎたせいで死んでる……!?」
「―――そこは一応、否定してやるとしようかの。まあ、今のところ、という注釈付きになるわけじゃが」
突如響く、聞き覚えのある声。
自分の死亡の可能性に気付いて焦りかけた私を止めたのは、聞き覚えのある女性の声でした。
振り返ると、少し離れた場所に佇む、目尻と口に真紅の化粧を施した女帝様……、いえ、伊耶那美神様が目に入ります。
「いっ、伊耶那美神様、お久しぶりです! …えっと、ここは一体……」
「む? わらわを知っておるのか? 少々待っておれ」
けれど上位神様とはいえ、知った人がいた安堵から駆け寄るも、待ったを掛けられてしまいます。
…この間会ってから、一ヶ月すら経過していないのですが、彼女はそんなに沢山の人達と会って会話していたという事なのでしょうか?
待つように言われた為、待つ事約三十二秒。
伊耶那美神様がパッと顔を上げました。
「―――おお! 青年になったシキの隣にいた、金色の勇敢なる空の一族となった者達の末裔か! ふむ、サンハの血族だったのじゃな」
「え? ……あ。…私、天津神系神族の天士、ゼーレ・サンハと申します」
そういえば、伊耶那岐神様には自己紹介しましたが、彼女にはしてませんでしたね。
微妙な反応が返ってくるわけです。
でも、何で自己紹介前に、サンハの名前を出して納得顔をしていたのでしょうか?
けれど少々疑問に思って首を傾げた私の耳には、更に上を行く謎の反応が返って来たのです。
「天士…? 其方が…? 確かに羽はそうじゃが…、ならば何故此処に辿り着けたのじゃ? 天士でならばマナが不足しておるはずじゃ。……む? これは…外から足されておるのか」
「まな、ですか?」
「ああ、其方の世界では魔力やら神力やらと言われておる、術を発生させる為のエネルギーのことじゃ」
「…えねるぎい……」
「………。く、まさかわらわがナギのような立場になろうとは…! ええい、力の源! エネルギーとは、何かをする為の力の源の事じゃ!!」
えっと、要約すると、この空間に来る為には普通の天士では持っていない量の神力が必要だという事ですね?
まあ、どうやって来たかは不明なままでも問題無いです。
今、私に必要なのは帰還方法なんです。少々疑問が残りますが、さっさと戻らないとみんなが心配してくれそうなので、ここに来た方法は無視する事にしましょう。
「えっと、どうやって来たのかは判らないのですが、少々お聞きしたい事が…」
と、私が伊耶那美神様に質問しようとした時です。
パッと、すぐ近く…、ちょうど伊耶那美神様のすぐ後ろに、また新たな光景が円形となって浮かび上がったのです。
そして響いたのは、悲痛な声で怒鳴る、幼い声でした。
『なぜだ! なぜよばなかった!?』
ここでようやく私は気が付きました。
今まで見えていた光景は、この光景を見ていた人の死に際なのだと。
だって私、今そこに映り込んでいる人の事を、知っています。
星空を背景にこちらを覗き込んでいる幼子は、薄桃色であるはずの髪と服、そして白い肌を大きく血で濡らし、金色の目からぼたぼたと涙をこぼしていました。
彼の血ではありません。色が赤いので、全て他人、もしくは獣や魔物からの血です。
『なにを言う、とくいな方がにがてな方をてつだうのはとうぜんだと言ったのは、イブキだろう! おまえばかりかっこうつけてずるい! まもの相手こそ、われの出番だろう!?』
『っ、とうぜんだ、ひとが来るまでおまえの子も守る! だからイブキも朝までがんばれ! そしたらきっと、だれかが気づく!!』
声が全く違いますが、その幼子は建国時の彼よりも少しだけ幼い、シキさんでした。
あの図書室でアイさん達と見た画集の子とそっくりです。
けれど、この光景を見ている本人の言葉は聞こえません。
「ふむ、わらわの所に来た時と違って、もうこの頃には言葉遣いを改めておったようじゃの」
「え? それって…」
「―――ああ、終わりじゃ」
そして初めて見る男女の幼子が映り、シキさんの『にんげんにしても死ぬには早い、子が気になるならば生き―――』という言葉を最後に、ふつり、と暗闇の中へと沈みました。
「「………」」
嫌な沈黙が広がります。
さっきの伊耶那美神様の反応からして、きっと彼女はこういった光景を見慣れているのでしょう。
そうでなければ、円状に切り取られた光景がいつ闇に沈むかなんて、判らないはずです。
「さて、今ので気付いたやもしれぬが、ここはとある魂の記憶の洞じゃ。自分が知らぬ過去は見れるのじゃが、自分が知らぬ未来は見れぬようになっておる」
けれど、その沈黙を破った伊耶那美神様は、何だか謎かけみたいな事を言い出しました。
知っている場合は未来も見れるという事でしょうか? …いえ、予知能力でもない限り、知る事はできないですね。
彼女が、嘘は許さぬとでも言いそうな真剣な顔で、私の目を覗き込んできます。
「ゼーレ・サンハ。魂の仲介者よ、その名を持つ其方が此処におるという事は、この魂を持つ者の何かを知りたいと願ったのじゃろう?」
「知りたいと願った…?」
「此処に来る直前、己が何と口にしたか、しかと振り返ってみよ」
ここにくる直前…。ハヤテさんとアイさんとの約束の話をして、それから旧日の御方について話していましたが…。
私、何か願ったでしょうか?
旧日の御方ご本人に聞ければ状況とか色々判ったはず、とは口にしましたが、特に願ってるような事は一切無いですよね?
「あの、心当たりが無いです」
「……何じゃと?」
「一応、旧日の御方が殺害された事件の話になったので、ご本人に聞ければ状況とか色々判ったはずだと口にして、その後すぐに神力が抜かれたのですが、特に願っていません」
「…つまり、術式陣の認識範囲が異様に広かったが為の弊害、という事じゃな?」
「私に聞かれましても答えられないです…」
ふう――っ、と伊耶那美神様が重い溜息を吐きました。
何だか、大した暇つぶしにもならなかった、的な事を呟いているように聞こえましたが、気のせいですよね?
ひとしきり残念そうな顔をした彼女は、一つ咳払いをして姿勢を正すと、懐から鶏の卵より少し小さな大きさの水晶玉を取り出しました。
「まあ、命を懸けてここまで来た割に何の収穫も無いのもアレじゃろう? これを持って帰るが良い」
「…あの?」
「暇つぶし用に録音した、エフォール・アルヒェという名だった男の失恋話じゃ。事件の真相なんぞ、こんなもんじゃの」
「!?」
エフォールって、月の御方が何回か口にした、旧日の御方の名前らしき単語です!
録音、と言っていましたが、改めて見ると、小さな水晶玉の中には、術式陣らしきものが浮かんでいます。
ここに神力を込めれば再生される、という事ですね?
「あの、最後に教えて頂けませんか?」
「なんじゃ? 暇を潰せる事ならば、諸手を上げて協力しようぞ」
「…いえ、どうやったら帰れるのか、わからないんです」
「………」
何と言う事でしょう!
私は正直に聞いただけだというのに、伊耶那美神様はまるで可哀そうな子を見るような目で私の事を見てきたのです!
ちょっと何なんですか! 今まで私、生きている人が魂の世界に来たなんて話、聞いた事……ありましたね。
シキさんがチラッとだけ伊耶那美神様の前で口にした内容、確かそんな感じでした。
で、でも、どうやって現実世界に帰ったかなんて聞いてませんよ!?
「本来は帰りたいと思った時点で、自動的にこの場から出る事になるのじゃが…、マナ…神力が足りておらぬ今の其方では無理じゃの。まあ、外から誰かが足しているようであるし、しばらくすると帰れるじゃろう」
「し、しばらくって…」
「そこまでは、わらわとて判らぬ。そうじゃな…何もせずとも宙に体が浮きそうな程、全身が軽く感じる程度になれば、帰れる状態になっておる」
「……今は普通の重さな感じですね」
そして、私達が帰還についての会話をしている間にも、新たな光景が浮かび上がりました。
ここは、見た事があります。
「天照の、間……」
視界が僅かにぶれた後、執務机の足元を除き込むような景色になり、あの悪夢の中で見たのと同じ、闇の粒子で描かれた術式陣が映りました。
きっと、これは旧日の御方の記憶。だって執務机が、突入したときのものと同じなんです。
彼は、あの術式陣に気付いていたのです。
では、何故………。
「其方は中々の運を持っておるようじゃ。まさかこの空間にいる間に、彼の記憶が現れるとは、わらわも予想しておらんかった」
彼の視界は、執務机の上に戻ります。
そして、書類を取り分けると、ぶれる視界の中、仕事を続行したのです。
真面目過ぎるにも程がありますよ!? あの怪しい術式陣を発見しておいて、尚も仕事を続けるなんて、どんな神経をしてるんですか!
けれど、憤る私の隣で、伊耶那美神様は穏やかな声で話を続けました。
「あの男は犯人が判っておったのじゃ。そして、彼女に振り向いてもらえぬ事も。ならば彼女に殺される事で、彼女を喜ばせようとしたのじゃな」
「っ! それって、旧日の御方は、月の御方の事が……」
私の言葉に伊耶那美神様は寂し気に微笑むだけで、何も口にしません。
仕事を続行する光景は、視界のぶれが酷くなり、スッと闇へと消えました。
同時に、体の内側から暖かな力が溢れてきます。
「ああ、ちょうど溜まったようじゃな。僅かな時間とはいえ、良い会合であったぞ」
「…あの、伊耶那美神様は……、いえ、色々とお心遣いをありがとうございます」
「うむ。自力で帰る事ができるようになれば、存分に訪れると良い」
本気なのか冗談なのか判らないその言葉に、やっぱり、と笑みが零れました。
それなら私が去る今、掛ける言葉は一つ。
「伊耶那美神様こそ、時間がありましたらいつでも天上世界へお越しください! 他の者はわかりませんが、私は歓迎させて頂きます!」
「!!」
暗闇の中に伊耶那美神様が浮かぶだけだった視界が真っ白に染まりゆく中、確かに彼女の目は、驚きに見開かれていました。




