66話 上位神の戯れ
「設定………。つまり貴様は、我等がハヤテの持っていた記憶通り、ゲームという物語の登場人物に過ぎんと言っているのか」
ハヤテさんが人生に疲れたかのような表情で床に座り込んだ後、私の隣から怒気を含んだ低い声が聞こえてきました。
隣といえば、先程ハヤテさんのバッサリと斬り落とすかのような物言いによって、少々凹んでいた私の頭をポンポンと軽く叩いて慰めてくれたシキさんしかいません。
さっきまでの行動とのあまりの温度差に恐る恐る隣を見て見ると、そこには、いつもの無表情とはちょっと違い、少しだけ眉間に皺を寄せた彼がいました。
し、シキさん! 相手は上位神様ですよ!? もう少し、もう少し丁寧に対応してください!
この世界に住む生き物より遥かに強い存在らしいので、あっという間に消されてしまったらどうするんですか!!
けれど、私の心配を余所に伊耶那岐神様は眉尻を下げ、困ったかのように首を傾けます。
「おや君は…、生粋の妖精族か。弁解をしたいのだが、吾等世界を創造する立場からすれば、全ての世界は設定でできているのだ。何もこの世界だけではない。この世界は吾の子である創造主が行った設定によって成り立っているし、太陽の勇者に転写した記憶の持ち主がいた世界は、吾の設定によって成り立っている」
「……失礼した。我はシキ・ネフェルテム。妖精系魔族にして一国の主である魔王だ。とこ――」
「は~い。ちょーっといいかしらぁ? わたしは~、陸津神系神族の祭唱ユーリ。陸津神に氏は無いので、聞かないでくださいね~。…この世界にハヤテくんが知る世界の物語は無いのに~、ハヤテくんが知る世界にはこの世界の物語が存在する理由を知りたいのだけどー」
伊耶那岐神様の言葉で、一応は怒りを収めたシキさんが自己紹介をして何か言いかけた瞬間、上からユーリさんの言葉が被さってきました。ユーリさん、ユーリさん、人の言葉は途中で切っちゃダメですよ?
けれどユーリさんの疑問は、シキさんと勇者三人の疑問でもあったようです。
途中で言葉を遮られたシキさんは一瞬固まりましたが聞く体勢になりましたし、座り込んでいたハヤテさんの視線が僅かに伊耶那岐神様の方へと動きました。シラヌイさんもハッとした表情になりましたし、人狼の宰相さんに説明が終わったウブスナさんも、興味深そうにこちらを見ています。
流石に多くの人の視線を集めては、答えるしかなかったのでしょう。
伊耶那岐神様が、どことなく言い辛そうな、申し訳なさそうな、そんな表情で口を開きました。
「実は、だな。この世界からすると数年先の未来で、吾が子がこの世界を多くの世界に知らせる為と口にして、今起きている事件を少々脚色したゲーム…物語を作り、吾が創造した世界へ持ち込んだのだ」
…この世界の創造神様、とっても行動的ですね。
「あくまで勇者達が知っている事は、吾が子によって脚色された未来であって、この世界の出来事そのものではない。まあ、種族の弱点であったり魔術の仕組みであったりと、世界の仕組みに関しては可能な限り表現してあったが」
「つまりぃ、伊耶那岐|神様がこちらの世界に情報を持ち込めばー、ハヤテくんの知っている世界をわたし達も知る事ができるのね~?」
「え」
ユーリさんの言葉に、固まる上位神様。
でも、言われてみればそうですよね。確かに、地上世界は天上世界よりも印刷技術が劣っているようですが、それでも知らない世界の話となると、高収入層での娯楽商品として良い本になりそうです。
私達もハヤテさんが知る世界の事を知れば、彼の話もより理解できるようになれそうですし。
けれど伊耶那岐神様は、しどろもどろになって垂れていた眉が一層下がりました。
「いや、だがそんな事をしたら世界観が…。しかもせっかくの綺麗な空気が汚れていくのは、見たくないというのが正直な…」
「そうよ、姫巫女様、それだわ! 伊耶那岐神様、この世界に、ハヤテが知ってる世界の物語を広めて欲しいんだけど」
「…人間のお嬢ちゃん? 吾は一応、お嬢ちゃんの願いを叶えなければならない義務は無いのだが?」
「あたしに対してはないけれど、ハヤテに対してはあるはずよ」
そして少々意味不明な言葉をつぶやく上位神様に、ハヤテさんを支えてしゃがみ込んでいたアイさんが要求を始めます。
もしかして彼が上位神様っていうのを疑ってるんでしょうか。発言がとっても強気です。
その強気なアイさんの言葉に気圧されたのか、伊耶那岐神様が黙り込みました。
アイさんが、最後のひと押しとばかりに口を開きます。
「―――ハヤテの時だけ、失敗したんでしょ?」
シンとした廃墟寸前な謁見の間に、その言葉は響き渡りました。
伊耶那岐神様の目が僅かに見開かれる仲、私達の間を縫うかのように硝子の無くなった天井から風が吹き込んで来ます。
そして。
「くっくっくっ。ふ、ははははは! ナギよ其方の負けじゃ。儀式の褒美の失敗なのじゃから、後始末までするがよい」
「っ! 伊耶那美神様!!」
「ナミ!?」
笑い声がしたかと思えば、玉座の隣に伊耶那岐神様と同年代に見える美女が現れました。
…現れたんです。闇の中からスッと出てくるかのように。
服飾こそ古代人の巫女のような感じでしたが、切れ長の釣り目の端と小さな口元には赤い化粧が彩られ、泰然とした雰囲気はまるで女帝様です。
突然の登場に、伊耶那岐神様とユーリさんを除くみんなが呆然としていたのですが、私の隣…シキさんだけがピリリとした空気を纏い始めました。
それに気付いた私が内心首をかしげる間にも、ユーリさんに伊耶那美神様と呼ばれた彼女は、床に広がる自分の服の裾を気にする事無く、ゆったりと階段を下りて来ます。
「なんじゃナギよ。わらわがいる事が、そんなに不満かの?」
「い、いや、その、まさかこのタイミングで来るとは思っていなくて、だな…」
美女からの軽い睨みの入った言葉に、ユーリさんの言葉を聞いた時よりもしどろもどろになる伊耶那岐神様。一応、裏表の対の上位神様だったはずですが、何だか、妻が夫を尻の下に敷く夫婦みたいですね。
…ところで、聞き慣れない言葉が出て来ましたよ?
彼はハヤテさんが知っている世界の創造神だと言っていたはずなので、同じ世界の言葉を使うヒガンさんの養い子であるシキさんなら、知っているかもしれません。
私は隣にいる彼の、薄桃色の袖をそっと引きました。
「シキさん、シキさん、たいみんぐって何ですか?」
「……今、聞くのか?」
けれど、シキさんは教えてくれませんでした。それどころか、周囲を見るように目と顎で促してきます。
え? と思った時には手遅れでした。
―――上位神様のお二人を含め、みんなが微妙な顔をして私の方を見ていたのです。
「いや、その、吾がこの世界に無い言葉を使った事が発端だと判ってはいるのだが、な?」
「勇敢なる空の一族となった者達の末裔よ、わらわ達の事は気にするでない。その…、知識を求める事はよい事じゃからな。それにしても何じゃシキよ。其方の魂が来るのを待っておったというに、その顔では当分先になりそうではないか」
「えっ、シキさんとお知り合いなんですか!?」
「え!? な、ナミ、どういう事だ!?」
しかも、生暖かい眼差しと共に向けられた言葉には、衝撃の内容が含まれていました。
伊耶那岐神様まで動揺したかのように叫んでいますが、まあ、そこは気にしない事にします。
伊耶那美神様もチラリ、と彼の事を見ただけで、楽しそうな表情を目尻に乗せて私とシキさんの方へ顔を向けたので、判断は間違っていないと思います。
「二百年近く前の事だったじゃろうか。昔、――」
「我が幼い頃死にかけ、その際会った事があった。それだけだ」
「何じゃ、其方の可愛らしかった容姿について程度、わらわに話させてもよいものを」
「…神とはいえ、他人の収集物の一つになる趣味など我には無いがな」
「収集、物…?」
「「「「「………」」」」」
え、何だか、聞いたらいけなかった感じの内容に聞こえますが、気のせいでしょうか? シキさんが早口で人の話を切る辺り、そんな予感がビシバシしてきます。
それに、二百年前っていったら、シキさんのお城で見た、あの画集にあった頃みたいな、可愛らしい年代の話ですよね?
「ナミ、お前まさか、魂収集をまだ続けていたのか? そもそも、時々魂の数が合わなかったのは、お前のせいだったのか!?」
「おお怖い。ナギよ、昔から相変わらず心の狭い男じゃ。わらわは其方と違って、こちらの世界でなければ息抜きができぬというに…。可愛らしい子の四人や五人程度、目を瞑っておってもよかろう?」
「お前の場合、四・五人どころじゃないだろう!? って、は! もしやここに来たのは、そこの子羊の…!?」
伊耶那岐神様が、バッと体をシグレさんとミズキさん達の方へ向けました。
未だ目に赤い光を灯したまま起き上がろうと緩慢にもがく様は、正気ではない事が窺えます。
話の流れからして、伊耶那美神様は可愛い容姿の子の魂を大量に収集する趣味があって、ここへもその趣味の一環で来ているのでは、という感じなのですが…。
流石に伊耶那岐神様の予測は突飛過ぎたのか、伊耶那美神様は呆れた目をしました。
「馬鹿者。いくらわらわでも、術さえ解けば死にそうにない者の魂まで狩らぬわ。ここへ来たのは、暇つぶしで聞いていたとある男の失恋話で、どうやら面白そうな事になっていそうだと踏んだからなのじゃ」
「…他人の失恋話で面白そうとは…、日本の女神様も女性だったのですのう…」
面白そう、という言葉に胸を張った伊耶那美神様に対し、ぼそりとつぶやくウブスナさん。
うん。私、意味が解りませんでした。
彼女が話していたという事は、既にお亡くなりになった魂相手である可能性が高いって事で。失恋して魂状態って事は、失恋を期に自殺した可能性が高いって事で。
…どう考えても、全く面白くないですよね?
「ところで勇敢なる空の一族となった者達の末裔よ、其方はいつまでも地上にいてよいのかの? ここでの事件で、犯人は地下世界の者ではなく地下世界を利用しようとした天上世界の者だと判ったであろ?」
「え? 何故私が太陽の御方を殺害した犯人を捜していると、知っているんですか?」
「くっくっく。企業秘密、いや神の秘密というヤツじゃ。神は何でもお見通しだと思われるくらいが、最も居心地が良いからの」
彼女の居心地はともかく、確かにその通りです。
吸血鬼ガイムが私の羽にとっても反応していた辺り、鳥系魔族が犯人である可能性は低いと思われるからです。
何せ彼は、シキさんが人型な状態で魔族だと見破る事ができた相手。それなら、神族と魔族の見分けだってつくはずなのです。
そんな彼が羽を生やした神族である私に反応するなんて、吸血鬼達を地上へ解き放った人は一人しか思い付きません。
けれどその一人は、完全に挌上。上手く雷の御方と会う事ができればどうにかできるかもしれませんが、そう簡単に事が運ぶなんて事は考えない方が良いでしょう。
「あの、私……」
本当は、みんなと行けたら、とても心強いと思うのです。
けれど天上世界は、飛べない者にとって危険な場所が数多くある場所で。
とてもみんなに着いて来て欲しいとは、言えませんでした。
それでも、口にする事だけなら、許されますよね?
ネム王国でアイさんが提案した、あの約束がまだ有効だったなら。
私は、小さく深呼吸をして、隣にいるシキさんを見上げました。
「シキさん、“お願い”があります」
彼が、いつもの無表情のまま、話の続きを促してきました。
「私と一緒に、天上世界へ来てくれませんか?」
私の言葉に、ボロボロになった謁見の間で、何故か返事ではなく沈黙が広がりました。




