43話 遠い記憶
「ただいま」
パタン、と少し離れた場所から、扉が閉まる音がします。
その音と同時にパタパタと響く、小さな音。
音源は………私の、足元…?
「おにいちゃん、おかぇ…うわあ!はね、どうしたの!?ふえてる!」
私の目線が低い体は勝手に動き、玄関で靴を脱いでいる途中と思われる、四枚羽の背中に飛び付きました。
白金に輝く翼なのに、金属の固さはありません。
「そう!実は試験に受かって、産祇になれたんだ。史上最年少なんだって!」
私よりとても大きく、けれど私よりは小さい、金の髪の誰かが、くるりとこちらを振り向き、私を抱き上げてきます。
少年は笑顔であろう事が予想できますが、生憎逆光なのか、顔が見えません。
これは一体…?
「■■■■、おかえりなさい。あら、その翼、やっぱり合格したのね!流石、サンハ家で一・二を争う天才なだけあるわぁ!」
後ろから、妙齢の女性の声が響きます。私が振り向くと、雪のような白さの髪を持つ女性が、濡れた手を布で拭きながら廊下を歩いて来ていました。
少年が私を胸に抱き、彼女へと視線を合わせます。
「ただいま、母さん。僕もびっくりだよ。まさか学校を卒業して、いきなり産祇として仕事が始まるなんて」
「うふふ。期待しているわよ。夕食はもう少し時間がかかるから、先にお風呂に入りなさい」
「ええー!?」
少年が母だという人相手に、私の口から不満の声が上がります。
「きょう、しんじゅつみてくれるって、いったのに!」
「ってさ。母さん、夕食ができるまで、僕は庭でゼーレの訓練見てるよ」
「あら、しょうがないわね。本当、■■■■に似ちゃって。どっちが親だか分からないわ」
そういえば、先程から上手く聞き取れない言葉があります。前後の言葉から考えて、おそらく私が兄と呼んだ、この少年の名前です。
ですが、私に兄などいたのでしょうか?私の記憶は、周りが真っ赤に燃えているところからしかありません。家族の事はどこにも……。
いえ、もしかしてこの光景は、私の記憶―――…?
私が内心戸惑っている間にも、少年は私に靴を履かせ、玄関とは正反対の位置にある庭へと、家を文字通り飛び越して移動しました。
「ゼーレ、羽を動かして。そう。ここは足場が無いから、絶対に降りちゃ駄目だよ」
「だいじょうぶ!きのうもできたでしょ?」
「……今日は、神術を使った後も飛べる体力を残しておこうか」
「たいりょくー?」
「そう。体力」
少年に空中へ下ろされ、必死に小さな羽を動かして飛ぶ私の視界が、斜めに傾きます。
幼い私は、きっと理解できていませんでしたが、金の髪の少年は軽く笑うだけで詳しい説明はしませんでした。
「それじゃ、今日の訓練は何しようか」
「おにいちゃんみたいに、キラキラーってけがなおしたい!」
「ゼーレは闇属性が使えないから無理だよ。他の属性はあんなに使えるから、もしかすると大人になるまで頑張ったら、できるかもしれないけど…」
「ぜーれ、やみぞくせいできないの?」
「ほら、この間僕が見せた黒いキラキラ、ゼーレは出せなかっただろ?」
「う~~、まけない!」
結局そのまま、その日は闇属性への挑戦が夕食の時間まで続きました。
「ところで母さん、明日は何時に出るの?」
「そうねぇ、■■■■■の有休は三日間だし、お昼が終わったらもう出ないと、かしら」
庭から屋内に戻ると、夕食の席には新たな人物が座っていました。どこかキラキラした雰囲気な壮年の男性です。
蜂蜜色の髪で、翼の色は私と同じ白銀。数は大きなものが一対、現在の私と同じ大きさのものが一対の四枚で、技司だという事がわかります。ちなみに母と呼ばれた女性は専業主婦なのか、天士よりも小さな翼が一対あるだけで、兄と呼ばれた少年と壮年の男性の頭の後ろに浮いている光輪もありません。
「おかあさん、あしたおでかけ?」
「うふふ。新婚旅行に行って来るわね。夕方には■■■■も帰ってくるし、夜にはお義父さ…お祖父さまとお祖母さまもいらっしゃるから、少しの間だけお留守番お願いね?」
「おい■■■、本当にゼーレ一人で大丈夫なのか?」
「父さん大丈夫だよ、ゼーレは賢いからね。誰か来ても扉を開けたりしないって。な、ゼーレ」
「ひとりのときは、げんかんとまどにちかづかないよっ!」
椅子の上で行儀悪く跳ねた私の頭を、兄と呼ばれた少年が優しく撫でます。
ただし、私が跳ねたところで料理をこぼすといった事はありません。神族系天津神は、人間と同じような飲み食いを通常は行わないからです。
それでは「夕食」は何を指すのかと言いますと、口からの神力補給を指します。
そうなんです。天上世界は、補給用の神力が販売されているんです。
しかもその神力は、属性変換された後のもので、店先に並ぶのは、全六色の六属性。
幼い頃から全種類の属性変換された神力を摂取する事で、より多くの属性を扱えるようになると言われています。…迷信ですが。
そして夕食ができるまでに何故時間がかかるのかといいますと、その六色の神力を、いかに芸術的に器の上へ飾るかが、主婦の腕の見せ所だからです。
神力には味が無いので、いかに目で楽しめるものを作れるか、という事ですね。
口へと入れるごとに消えて行く事も考え、最後まで楽しめる構成で飾れたものが、最も優れていると言われています。
まあ、幼児は構成なんて気にせず、あちこち崩して口にしていきますが。
「それじゃあゼーレちゃん、■■■■が帰ってくるまで、絶対に窓や扉を開けちゃ駄目よ?」
「はーい。だいじょうぶ!」
顔のよく見えない白髪の女性が、小さな私を覗き込んできます。少年に母と呼ばれた人です。
先程までは外も薄暗く、夕食中だったはずですが、いつの間にか場面は外か明るい昼間へと変わっていました。
私の元気な返事を聞いて笑みを深くした気配がし、女性は立ち上がって玄関の扉の方へ移動します。
手には大きな鞄。玄関の扉は既に開いていて、外では父と呼ばれた男性が翼を動かし、宙へ浮いていました。
「行って来るわね」
「いってらっしゃぁい」
母と呼ばれた女性が外へ出て、父と呼ばれた男性に腰を抱かれたところで扉は閉まりました。
ガチャリ、と鍵が閉まる音も響きます。
それを見届けた私は、くるりと踵を返して、家の中を飛行し始めました。
「ふふふー!ふかふかしんだい!」
二階へ上がり、小さな私が入ったのは誰かの寝室。大人が三人は寝れる広さの寝台が、部屋の端に置かれています。
もしかしたら両親の寝室なのかもしれません。
そこへ乗り込んだ私は、寝台の上で飛行しながら回転してみたり、ひたすら上下へ飛んでみたりと、さながら飛行訓練のような事をし始めました。
途中、天井に付くほど飛んだ後、飛行せずに落下して寝台の柔らかさを堪能する事も忘れません。
そうしている内に、体力を消耗して疲れた私は、ぽてり、と寝入って―――…。
ゴオオッ、という音で、目を覚ましました。
視界に入ったのは、寝室の入口に広がる、真っ赤な火。
目を覚ましたばかりの私には、何が起きたのか、全くわかりません。ただ、自分がどこにも移動できなくなった事だけは解っていました。
寝室には大きな窓が付いていますが、兄と呼ばれた少年が帰ってくるまでは近付かないと約束しているのです。
部屋の天井の方に充満してくる、茶色い煙。そして、苦しくなる呼吸。
この時の私には、これが異常な事態だとは理解できませんでした。天津神系神族は、ある程度の高温に耐えられ、呼吸に必要なのは神力であるという事を、まだ知らなかったのです。
今ならわかります。この火事は、神術によって発生したものだという事が。
けれど小さな私の体は、赤が迫り来れば来るほど呼吸ができなくなる事実に、怯えるしかできませんでした。
寝台の上を恐怖で震える体で後退し、助けを求めて周囲を見回すも誰もおらず、視界が段々狭まっていきます。
……この光景からです。今まで私の記憶に、はっきりと残っていたのは。
けれど、上体を起こす体力も奪われ、意識が遠のいていっている中、家のどこかからバタバタと音が聞こえ、それに安堵したところで私の意識は闇に沈みました。
◇ ◇ ◆ ◇ ◇
ゆらゆらと、緩やかに揺れる感覚。
瞼を通して感じる、柔らかい明かるさ。
私は、あの火事の中、助かったのです。記憶が正しければ、目を開けると月の御方が傍にいたはずです。
その光景を確かめる為にも、私はそっと瞼を開き…。
「ゼーレ?」
「え?」
瞼を開いた先にあったのは、シキさんの顔でした。
え?…え?な、何が…!?
「良かった~、ゼーレちゃん、起きたのね?ずーと気を失っているから心配したのよ~」
ユーリさんが、私の足側から姿を現します。
「もうすぐ街に着くし、今日はしっかり休みましょ」
「オレも、かなり体力持ってかれた気がするから寝たい」
それどころか、水の封印施設に行かなかったアイさんとハヤテさんまでも現れました。
天井があったはずの場所に広がるのは、曇天の空。
周囲を飾るのは、“命の泉”がある森とは違う種類の木々。
…ここ、どこですか?
いえ、それよりも。
「シキさんが人を担いでないですよ!?」
これです。
今まで見ていた光景は夢だとわかるので、そこは良いのですが、シキさんが女の子を担いでいないなんて、え、これも夢の続きですか?
しかも、横抱き、いわゆるお姫様抱っこですよ!?
あの、女の子を女の子だと思っていないような対応をしていた、シキさんが!
「…ゼーレ、我も流石に体調が悪そうな相手を担いだりしないのだが」
「う、嘘です!メイさんを昏倒させた時は担いでたじゃないですか!」
「あれは体調不良ではない」
確かに、私達の合意によって、故意にシキさんが昏倒させたので、違うかもしれないですけど!
「良かった。ゼーレちゃん元気みたいね。急に倒れたって聞いたけど、どうしたの?」
「どうって……。どうしたんでしょう?」
倒れる前に、パキンと何かが割れる音がしていたので、それが原因だとは思うのですが。
私は首を傾げてもう少し確かな原因を探ろうとし、はた、と気が付きました。
じっとしているはずなのに、流れて行く景色。簡単に眺める事ができる、空。
私、歩いてません。
「し、シキさん、私、そろそろ自分で歩きます」
「…歩けるのか?」
え?それはどういう……。
「まだ神力が馴染んだのか判らないからー、今日は寝台までシキくんに運んでもらった方が良いと思うわよ~」
私が不思議そうな顔をしたせいでしょう。シキさんの隣を歩いていたユーリさんが、説明してくれました。
…私にとっては説明になっていませんが。
神力が馴染むって何ですか?神族の体は、元々神力の塊なんですよね?
「ゼーレの神力の質が変化したのを、この目で見ている。急に今までと違う状態になった体で、いきなり普段通りにできるとは思えないのだが」
「それって……」
「このままあたし達の街、麓街ハービスまで続行ってこと!」
アイさんが、びしり、と指を突き付けてきます。
そんなっ!この体勢で意識があるなんて、羞恥で私を殺す気ですか!?
あまりの衝撃に私は固まってしまいましたが、非情にも街の入口が近付いてきます。
…森の街道ですらこれなのに、人の目に晒されるなんて…!天士姿に戻っても良いですか?
「うふふ~。それにしても転移魔術って凄いのねー。馬で五日はかかる道をぉ僅か数秒で移動できるなんて~」
「だが、あんな高度な魔術をたった一晩の徹夜で身に付けるとは…、流石勇者と言うべきか」
「あ、あの、人化の神術解いて良いですか?」
「「「「………」」」」
ちょっと、何でみんなで無視するんですか!?
みんなの視線は外れたのに、街を歩く人の視線が突き刺さり、羞恥で泣きたいです。
「でも、ヒガンに自分の趣味披露とかシキ様自慢されなかったら、もうちょっと微調整の練習できたハズなんだけどな」
おかげで到着先は森の外だぜ、とハヤテさんは小さく呟きました。
…は、運んでもらわなくて良いですよね?こう、パッと天士姿に戻って、えいっとシキさんから離れたら問題無いですよね?街を歩く普通の人の視線からも、逃れられますよね?
もし歩き辛くても、長年続けている飛行ならできるかもですし、きっと問題無し!
「お、降りますっ、と!?」
「ゼー……」
人化の神術を解きながらシキさんの腕から逃れた私は、よろけた事により、再びシキさんの腕に捕まりました。
いえ、今回は抱き上げられたのではなく、腕を掴まれただけですが。
けれど、アイさん以外の三人が、何故か目を見開いて固まります。
え?と思って私が三人の顔を見れば、呆然としたままのハヤテさんの口から、思ってもみなかった言葉が発されました。
「ゼーレ、お前の羽………銀色じゃなかったか?」
白銀なはずですよ?




