最終話 幸せで在ること
朝、目が覚めて、カーテンを開けた。
空には、雲の合間から何本もの光の帯が地上に照らされ、まるで私たちを祝福してくれているようだ。
佐助と私が光の里から戻ってきてから、もう1年以上の月日が流れた。
今日は、私たちの結婚式だ。
退院後、私と佐助は一緒に暮らしだした。佐助は父の秘書を辞め、なんとカフェを始めた。
私たちは退院して、佐助がすっかりよくなってから、ビードロが今、どうなっているのかを2人で見に行った。ビードロは残っていて、洋食屋になっていた。だが、そこのオーナーがその店を手放したがっているという情報を得て、それで佐助が店を買い取り、また喫茶店をすることにしたのだ。
喫茶店といっても、もうちょっと今ふうのカフェにした。あまりにも古い店だったので、改装をして、オープンカフェにしてしまった。ほんのちょっと古臭さもあり、でも、ヨーロッパのカフェを思わせるようなたたずまいは、いつの間にか口コミで知れ渡るようになり、今ではすっかりお客さんが定着してくれるようになった。
私も今は、そのカフェを手伝っている。店にはジャズを流し、コーヒーの香りが立ち込め、今にもあのマスターがパイプをくわえながら現れそうな雰囲気だ。
すっかり改装したのにもかかわらず、どこか懐かしい。
そして、時々天使がやってくる。
「ああ、なんだか、光の里のビードロにいるような気になってくるね」
そんなことを言う天使もいた。
結婚式は、佐助のお父さんが亡くなって1年以内にあげるのはよそうと、そう佐助と話して、1年以上期間を開けた。
「おはよう、楓」
佐助がまぶしそうな顔をして、ベッドから下りてきた。
「おはよう。いい天気よ」
佐助も窓から外を見つめ、
「あの光から天使が降りてきそうだね」
と言って笑った。
「本当ね」
そう言いながら、2人で空を見ていると、本当に光の合間に天使がいるのが見えた。そしてそのまま、すうっと私たちのほうにやってきた。
窓を開け、ベランダに出た。春とはいえ、まだ肌寒い。
「おはようございます」
天使が私の前で、丁寧にお辞儀をした。
「羽…」
「はい。こんな姿の天使を想像していましたよね?」
「…本当に光から現れるなんて」
「はい。それをお二人で想像しましたよね」
「…まあね」
佐助が苦笑いをした。
「でも他の人に見つかったら、みんなびっくりしちゃうわよ」
「大丈夫。あなたがたの世界でしか私は見せませんから」
「そ、そうなのね…」
そのシステムがまだ、よく掴めていないんだけど。でも、何が起きてもあまり驚かなくなったけどね。
「今日は、結婚式ですね。おめでとうございます」
「ありがとう」
「私のことも呼んでいただき、ありがとうございます」
「あら、っていうことは、あなたSPの天使さん?いつもと違う格好をしているから、わからなかったわ」
「…今日もまた、警護のほうもさせていただきます」
「警護なんて、本当はいらないのに」
私がそう言って、眉をしかめると、天使は優しく笑い、
「楓さんのことをお守りするのは、私の本来の役目ですから」
とそう言った。
「…あのさ。一つ聞いてもいい?」
佐助が難しそうな顔をして天使に聞いた。
「はい?いいですよ」
「宇宙って、時間がないだろ?つまり、過去生の僕も同時に、いまここに存在するんだよな」
「はい、そのとおりです」
「僕は以前、楓を守っていた天使だったこともあるんだろ?その天使の僕も、いまここにいるっていうことだよな?」
「…。勘がいいですね。さすがです」
「何?どういうこと?」
私は2人の会話がわからず、間に割り込んで聞いた。
「僕が、天使だった時の天使だよ」
「は?」
2人を交互に見た。
「あ!そういえば…。佐助とは目の色が違うけど、でも、おんなじだ」
私はもう一度、天使の目をじっくりと見た。
「なんだか、こんがらがってきたわ。あなたは、佐助の前世なの?えっと…」
「頭で理解するのは、難しいよね、楓」
佐助も天使のように優しく微笑み、そう私に言った。
剛君の所にも、天使は現れるらしい。それに、光の里にいた犬も、剛君のもとにやってきたと喜んでいた。
「ねえ天使さん。光の里ってどこにあるの?空の上?」
「え?」
「空の上にあるから、あなたは今、空から降りてきたの?」
「ああ、今のはあなたと佐助さんが、空から天使が降りてきそうだとイメージしたので、それを忠実に創造しただけのことですが」
「…じゃあ、空の上にあるわけではないの?」
「はい。光の里もいまここにあります。あなたがたが願えばすぐに、そこで出会った人にも、つながりますよ」
「剛君の犬もそうなの?」
「はい。剛君が願ったので…」
「じゃあ、ビードロのマスターは?」
「願えば、きっと姿を見ることも可能です。でも、もうすでに、存在にはふれていらっしゃいますよね?」
「え?」
佐助は目を細め、うなづいた。
「ビードロにいると、時々マスターのことを思いだす。店の奥からひょいと顔を出してきそうだなって、そんな気もするんだ」
「あ、私もよ」
そうか。その時、マスターの存在はそこに在るのね。ああ、なんだか、そう思うと嬉しい。
「では、のちほど、会場で」
そう言って天使は、大きな真っ白い羽を広げ、また空に向かって飛び立って行った。
「また、あの光の先に飛んで行ったよ。すごい演出だね」
佐助はそう言ってから私を見て、
「あ、感動してる?」
と私に聞いてきた。
「ええ。だって、光の中に真っ白な羽を広げた天使が溶けていったのよ?素晴らしい光景だわ」
「はは。そうか。天使の僕は、楓が喜ぶためにあんな演出をしたんだな」
「え?」
「楓が喜ぶことが、大好きだからさ」
佐助はそう言うと、ベランダから私を連れて部屋に戻り、抱きしめてきた。
「楓。もうすぐだね、僕たちの結婚式」
「…ええ。そうね」
「今日は、母が来られないけど、でも、楓のことをちゃんと僕の妻として認めているから」
「…うん。わかってるわ」
佐助の腕の中で私はうなづいた。
佐助のお母さんは、私の父に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいで、式にも顔を出せないと、式に出るのを断ってきた。だが、私の父は、佐助のお父さんのことも、お母さんのことも恨んだりはしていない。
確かに、あの事件で父は選挙も辞退した。だが父は、佐助のお父さんを恨んだり、憎むようなことはしなかった。今でも、自殺に追いやってしまったのは自分の責任ではないかと悩み、残された佐助の家族にできるだけのことはしてあげたいと、そう言っているほどだ。
佐助も、父を恨んでいない。逆に店のオープンに、父から援助もしてもらったので、本当に父には感謝をしているようだった。
何もかもが怖いほど、うまくいっていた。こんなにもいろんなことが、なんの抵抗もなく、壁にぶち当たることもなく、進んでいくんだなと私たちは驚いていた。
過去生では、いつも何かが私たちの邪魔をした。だが、それは私たちが勝手に作り上げた、壁だったのかもしれない。
ただ、幸せになる。それを選択して、あとは宇宙の流れにすべて任せるだけで、こんなにもスムーズにいろんなことが進んでいくんだと、今回、本当にそれを実感している。
私たちは、すべてを任せ、いったい何をしてきたかと言うと、常に今を楽しんでいた。
光の里も素晴らしかった。だが、この3次元の世界も、それを超えるくらい素晴らしい世界なんだと、私たちは光の里からこの世界に帰ってきてから、感動のし通しだった。
「こんなに空は美しかった?」
「こんなに夕焼けは綺麗だった?」
「風はこんなにも気持ちよかった?」
「緑はこんなにも美しかった?」
そんなことの連続で、いつも私たちは今目の前のことを感じ、味わい、楽しんでいた。
街から聞こえてくる音も、自然の中で聞く音も、すべてが音楽だった。
太陽の光は踊っていた。
草も、木の葉っぱも踊っていた。
蟻や、小さな昆虫すら、なんだか踊っているように見えた。
空を流れる雲は、いろんな形に姿を変え、大パノラマの映像を見ているようで楽しかった。
季節の咲く、花々の色や香り。夏のセミ、秋の虫、その鳴き声も音楽だった。
私たちは海にも、山にもくりだした。
へとへとになるまで歩き、足の疲れやだるさを感じた。そしてそのあとに、温泉に入る。その気持ちの良さがまた、幸せだった。
「こんなにも、この世界には、楽しいこと、嬉しいことがあるのね」
「うん。素晴らしいね」
そんな話をよく2人でしていた。
本当に不思議だった。未来に心配や不安もなくなり、過去をあれこれ後悔したり、思い出すこともなくなった私たちは、つねに今にいた。
安心して今を、十分楽しんでいられた。
そしてそれは、飽きることなく、尽きることのない喜びだった。
これが生きるってことなのか。そんなことを2人で感じた。
いったい、今まで何をしていたのだろうか。
つねに考えていたことは、過去の後悔や、未来への不安。それから、いろんなことに対してのこだわりや、執着。
だけど、そんなものもいらないし、ただ、今を感じていることが、これほどまでに幸せで感動的なことだとは思わなかった。
今日の結婚式には、剛君も呼んでいる。そして、兄夫婦、それから、私の父。あとは、私の大学時代の友人が3人と、佐助の友人が2人。信頼できる、父の秘書が一人。
たったそれだけの、本当に身内だけの結婚式だ。
いろんな噂が好きな、親戚たちは呼ぶのをやめた。
友人は、佐助のお父さんが、あんなことになって、絶対に婚約を破棄するだろうと思っていたらしい。だから、招待状が届いた時には、相当驚いたようだ。
その後、すぐにみんなで、カフェに来てくれた。そして、にこやかにみんなをもてなした佐助に、びっくりしていた。
前に、婚約が決まった時、私はその友人たちに会って、悩みを聞いてもらったこともある。好きでもない人と結婚なんて、一生後悔するからやめなよと、みんながそう言ってくれた。
でも、父には逆らえなかった。
そんなこともあり、みんなの佐助に対する印象は、会ったこともないのに最悪だった。だから、実際に会って、相当びっくりしてしまったようだ。
それに、私たちがあまりにも仲がよくて、いったい何が起きたの?とみんなは驚いていた。
「さあ、そろそろ行こうか」
佐助が用意のできた私に声をかけた。
「ええ」
佐助と家を出た。そして車に乗り込み、式場に向かった。
「楓のウエディングドレス、見れるんだな、やっと」
「え?」
「ずうっと見れなかった」
「本当だ。私たちは何度も転生して来たのに、一回も結婚式を挙げたことがないのね」
「そうだね」
そうだった。これが最初で最後の結婚式かもしれない。
ウエデイングドレスを着て、ベールで顔を隠し、そして私は父と腕を組んだ。
「おめでとう、楓。佐助君と幸せに暮らすんだよ」
「…ありがとう、お父さん」
父の目にはうっすらと、涙が浮かんでいた。
式場にあるチャペルに、私は父と腕を組んで入って行った。バージンロードの先には、真っ白なタキシードを着た佐助が待っている。
「おめでとう」
「おめでとう、楓。綺麗よ」
そんな友人の声がした。
「おめでとう、楓ちゃん」
義理姉の声もした。その横にはにこやかに拍手をしている兄の姿。
それから、佐助のもとへとゆっくりと歩いていると、佐助の前の開いている席に、いつの間にか佐助のお父さんが現れた。
「あ…」
私は驚いて声をあげた。佐助を見ると、佐助もお父さんに気が付いたようで、驚いた顔をしている。
佐助のお父さんは私と、それから佐助を見て、すごく嬉しそうに微笑み、みんなと同じように拍手をした。そしてその横には、天使のSPが腰を下ろした。
もしかすると、天使がお父さんを連れて来てくれたのかもしれない。
父には、佐助のお父さんの姿は見えていないようだった。
父は佐助の前に来ると、私の手を佐助の手に預けた。
「幸せに、佐助君。お父さんの分まで、幸せになってくれ」
「はい」
佐助も目に涙を浮かべていた。
牧師さんの話が始まり、それから指輪の交換、そして佐助がベールをあげて、私にキスをした。
佐助と永遠の愛を誓い合い、結婚式は無事に終わった。
佐助と腕を組んで、父と歩いてきたバージンロードを歩き出した。私たちを佐助のお父さんは嬉しそうに眺めながら、だんだんとその姿は消えて行った。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、おめでとう」
チャペルの出口付近に、剛君がいた。
「ありがとう、剛君」
剛君の隣には、どうやら剛君のお母さんらしき人が立っていた。とても優しそうなお母さんだ。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが、すごく幸せそうで、俺も嬉しいよ」
「…剛君も幸せそうで、私も嬉しいよ?」
私が涙を流しながらそう言うと、剛君は照れくさそうに笑った。
「母さんなんだ。2人のことを一緒に祝福したいって言うから、一緒に来たよ」
「ありがとうございます」
「いいえ。どうぞ、末永くお幸せに」
剛君のお母さんは私たちにそう言ってくれた。
式場を出ると、天使のSPが近づいてきた。
「父を、光の里から呼んでくれた?」
佐助がそう聞くと、天使は静かに首を横に振った。
「私は佐助さんと楓さんが、式を挙げると報告しただけです。姿を現し、祝福することを望んだのは、あなたのお父様ですよ」
「だから、それを叶えてくれたのか?」
「はい」
天使はにっこりと笑い、それからすっとその場を去って行った。
「佐助、良かったわね。お父様が来てくれて」
「…うん」
佐助は嬉しそうに微笑みながら、うなづいた。
いつでも、会いたい時に会えるのかもしれない。天使が言ったように。
この世界は本当に優しくて、愛にあふれていて、どこでも、いつでも、そこは天国のように至福な世界なのかもしれない。
「佐助。タキシードすごく似合ってる」
「楓のウエディングドレスも似合ってるよ」
私たちはそのまま、腕を組んで控室に向かって歩き出した。
「ねえ、佐助」
「ん?」
「天使の里だろうが、どこだろうが、私たちはいつでも幸せになろうとしたら、なれるのね」
「うん、そうだね」
「そしてね?私、なんとなくわかったの」
「ん?」
「この幸せのエネルギーが、私たちそのものなんだって」
「…」
佐助は優しく私を見つめた。
「そうだね。僕たちはこのエネルギーそのものだね」
「ええ。幸せで、愛が溢れている、至福のエネルギーね…」
いつでも、このエネルギーに身をゆだね、生きて行こう。
そうしたら、幸せは永遠に続くのだ。
時間も、空間も、すべてを超えたいまここに、このエネルギーは在る。
そこで、生きて行こう…。
幸せは永遠に続いて行く。もう、転生する必要もない。
私たちの輪廻は、これが最後だね。
輪廻すら超えた世界、それはきっと、永遠のいまここなんだ。
式のあと、私たちは披露宴はしなかった。タキシードとドレス姿のまま、ホテルのレストランに移動して、身内だけの小さなパーティをした。
おめでとうと言ってくれる人たちはみな、優しく微笑み、心から私たちを祝福してくれた。
私も佐助も、同時に同じことを思っていた。この人たちにも、祝福を。みんなが笑顔で幸せでいられますように…と。
数年後、私たちのカフェに、大人になった剛君が現れた。もう何年も会っていなかった。
「久しぶり」
剛君の背はぐんと伸び、髪も伸び、声も低くなっていた。
「久しぶりね、元気にしてた?」
「うん。それでね、今日はチケットを持ってきたんだ」
「チケット?」
「俺のコンサートのだよ。デビューしたんだ。絶対に2人には来てもらいたくって」
「…デビュー?え?」
私が戸惑っていると、佐助がその場にやってきて、
「知ってるよ。この前偶然、テレビで見たよ。ロック歌手になったんだって?すごいね」
と剛君に言った。
「ろ、ロック?」
「うん。っていっても、ヘビメタとかとは違うよ。そんで、歌いたいこと歌ってるんだ」
「歌いたいこと?」
「そう。みんなが笑顔になって、幸せになってもらいたくって。そんな歌ばっかり」
「そ、そうなの?素晴らしいわ!」
「もちろん、来てくれるよね?コンサートに」
「もちろんよ!」
剛君は、奥の席に座って、コーヒーを飲んだ。あの、高い声で「お姉ちゃん、お兄ちゃん」と言っていた剛君とは思えないほどに、落ち着いて、それになかなかのイケメンになった。
「楓さん」
ほら。お姉ちゃんじゃなくて、楓さんなんて呼び方をするし。
「なあに?」
「今、カウンターの向こうにね、ビードロのマスターがいたよ」
「え?」
私が振り返ると、そこには誰もいなかった。だけど、ほんの少し、マスターの吸っていたパイプの煙と匂いが残っていた。
「そう…。きっと、剛君に会いたくって姿を現していたのかもしれないね」
「…そうだね」
剛君はそう言って、くすっと笑った。
剛君のコンサートには、きっと天使も来るだろう。私に今もまだ、つかず離れずいてくれるSPの天使も一緒に行くかもしれない。
きっと、剛君のコンサートは、愛と感動で溢れかえるんだろう。
ビードロは今日も、ジャズの音楽が流れている。そして、時おり、白檀の香りがどこからかしていた。
~おわり~