第9話「……マジ、ウケる」
「マジ? ウケる」
踊り場のいちばん上で、宵宮しずくがそう言った。
棒読みだった。
昼休み。
いつもの階段。
いつものコンビニの袋。
いつもと違うのは、宵宮さんだけだった。
「……宵宮さん?」
「なに? てか真壁、今日の髪型いい感じじゃね?」
「寝癖そのままだけど」
「マジ? ウケる」
二回目だった。
しかも、一回目とまったく同じ抑揚だった。
◇
朝からずっと、こうだった。
教室で目が合えば、「おはよ〜」と手を振ってくる。
語尾が伸びている。
声のトーンが、半音くらい高い。
でも、目が死んでいる。
半目のまま「おはよ〜」は、ちょっと怖い。
「しずく、どしたの。テンションバグってない?」
朝、茅野さんが本気で心配していた。
「……バグってない。普通」
「いや普通じゃないって。あんた『〜』とか言うキャラじゃないじゃん」
「……今日から、言うキャラ」
今日から言うキャラ。
つまり、昨日の「二十秒」を、なかったことにしようとしている。
ダウナーじゃなくなれば、YOIっぽくなくなる。
そういう作戦らしい。
……作戦が、雑すぎる。
◇
「で、真壁さ〜」
踊り場で、宵宮さんが三回目の語尾を伸ばした。
「昨日の夜とか、何してたん?」
「ゲーム」
「へ〜、ゲームとかやるんだ〜。あたし全然知らないけど〜」
「宵宮さん」
「なに〜?」
「無理してない?」
「……」
宵宮さんの顔から、すっと表情が抜けた。
いつもの半目に戻る。
「……してない」
「声、半音上がってる」
「……上がってない」
「あと、目が笑ってない」
「……」
宵宮さんは、カーディガンの袖で口元を隠した。
「……真壁、細かい」
「一年、声だけ聞いてきたからな」
言ってから、しまったと思った。
誰の声を、とは言っていない。
でも、宵宮さんの肩がびくっと跳ねたのは、見えた。
◇
確かめよう、と思った。
昨日の夜からずっと考えていた方法がある。
ラスアリには、フレンド同士で送れるチャット機能がある。
スマホのアプリからでも送れて、届くと通知が鳴る。
YOIとは、ほとんど使ったことがない。
ボイスチャットで足りるからだ。
でも、今なら。
俺はポケットの中でスマホを操作した。
画面は見ずに、指の感覚だけで。
宛先:YOI。
本文:『今、どこ?』
送信。
――ブブッ。
すぐ後ろで、スマホが震えた。
宵宮さんのカーディガンのポケットだった。
沈黙。
宵宮さんは、ポケットを押さえたまま固まっていた。
「……鳴ったな」
「……鳴ってない」
「今、震えたよな」
「……通知。まひるから」
「茅野さんから?」
「……そう。まひる。まひるから」
三回言った。
そのとき、階段の下から声がした。
「しずく〜? いる〜?」
茅野さんだった。
手すりから身を乗り出して、こっちを見上げている。
「あたしスマホ教室に置いてきちゃってさ〜、しずくの借りていい? ちょっと調べたいことあって」
沈黙。
宵宮さんが、ゆっくりと俺を見た。
俺も、ゆっくりと宵宮さんを見た。
茅野さんのスマホは、教室にある。
つまり、今の通知は、茅野さんからじゃない。
「……あ」
宵宮さんが、小さく声を漏らした。
「え、何? あたし、なんかまずいこと言った?」
茅野さんが、首をかしげている。
宵宮さんは、無言で立ち上がった。
コンビニの袋を掴む。
俺の横を通り過ぎる。
階段を下りる。
茅野さんの横を通り過ぎる。
「ちょ、しずく? スマホは?」
「……自分の使って」
「だから教室って言ったじゃん!」
宵宮さんは、振り返らずに廊下の角を曲がっていった。
カーディガンの袖で、耳を隠していた。
茅野さんが、階段の下から俺を見上げる。
「……ねえ真壁。あんた、しずくに何したの?」
「……何もしてない」
「嘘つけ。耳真っ赤だったよ」
嘘はついていない。
チャットを一通、送っただけだ。
『今、どこ?』と。
――既読は、まだつかなかった。
◇
放課後になっても、宵宮さんとは一言も話せなかった。
五限も、六限も、宵宮さんは窓の外を見ていた。
チャイムが鳴った瞬間に、誰よりも早く教室を出ていった。
チャットの既読は、まだつかない。
◇
午前零時。
YOIは、ログインしてこなかった。
零時十分。
零時半。
フレンド欄は、灰色のまま。
やりすぎた。
昼のことを、何度も思い返した。
遠回しにいくつもりだったのに、結局追い詰めた。
隠したがっているものを、無理やりこじ開けようとした。
YOIにも。
宵宮さんにも。
――顔も知らない相棒の事情に、どこまで踏み込んでいいのか分からない。
分からないなら、踏み込まなければよかったんだ。
零時五十二分。
「YOI」の名前が、緑色に変わった。
ほぼ同時に、ボイスチャットの招待が届く。
慌てて参加する。
「……YOI」
『……』
「昼のことなら、ごめん。俺――」
『……違う』
YOIの声だった。
いつものだるそうな声より、少しだけ掠れていた。
ヘッドセットの向こうから、風の音がする。
また、外だ。
『……家、出てきた』
「出てきたって……こんな時間に?」
『……ちょっと、いろいろあって』
いろいろ。
それ以上は、言わなかった。
俺も、聞けなかった。
そのとき。
ヘッドセットの向こうで、聞き覚えのある音が鳴った。
コンビニの自動ドアが開く、入店チャイム。
何千回と聞いた、あの音。
……でも、今の音には、聞き覚えがありすぎた。
チャイムの直後に、少し間延びした店員の声。
『いらっしゃいませー……』
あの、語尾がやたら伸びる声。
駅前のコンビニで、深夜のシフトに入っている大学生の店員だ。
俺が夜中にエナドリを買いに行くたび、あの声で迎えられる。
「YOI」
『……ん』
「お前、今、駅前のコンビニにいる?」
沈黙。
風の音も、止まっていた。
店の中に入ったからだ。
『……なんで』
「今の『いらっしゃいませ』、知ってる声だった」
『……』
「俺の家から、歩いて五分のとこ」
『……』
長い沈黙だった。
そして。
『……覚えとく、って言ったじゃん』
六日前の夜。
『……カナの家って、コンビニ近い?』
『……そ。……覚えとく』
あれは、このためだったのか。
俺は、椅子から立ち上がっていた。
ヘッドセットを外す。
スマホを掴む。
椅子の背にかけてあったパーカーを羽織る。
玄関のドアを開けると、夜の空気が冷たかった。
スマホの画面に、ラスアリのチャットの通知が一件。
昼に送った、『今、どこ?』。
その下に、今、返信が届いていた。
『……駅前』
俺は、走り出した。
お読みいただきありがとうございます!
宵宮さんの「マジ、ウケる」作戦は、一日で崩壊しました。
そして奏汰くん、ついに走り出しました。
次回、深夜のコンビニにて。
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