第10話「……バレたなら、まあいいや」
「いらっしゃいませー……」
自動ドアが開くと、聞き慣れた語尾の伸びた声がした。
午前一時すぎ。
駅前のコンビニ。
走ってきたせいで、息が上がっていた。
片耳に差したイヤホンからも、同じ声がした。
『……いらっしゃいませー……』
一秒遅れて。
ボイスチャットは、まだつながっている。
家を飛び出す前に、スマホのアプリに切り替えておいた。
つまり、今、この店のどこかに。
俺と同じ音を聞いているやつがいる。
◇
店の奥。
窓際のイートインスペースに、一人だけ座っていた。
グレーのスウェットの上下。
金髪は、頭の後ろで雑にひとつにまとめている。
耳には、ワイヤレスのイヤホン。
机の上には、スマホが一台。
画面には、見慣れたラスアリのロビー画面。
指先の爪が、黒とくすんだ紫だった。
俺が近づくと、その人は顔を上げた。
半目だった。
教室で見るよりも、少しだけ眠そうで。
少しだけ、疲れた顔をしていた。
「……来た」
踊り場で、何度も聞いた言葉だった。
イヤホンの中からも、同じ声が聞こえた。
『……来た』
一秒遅れて。
◇
「……YOI」
「……カナ」
名前を呼ぶと、名前を呼ばれた。
教室の名前じゃない方で。
俺たちは、しばらく黙って見つめ合っていた。
店員が、レジの奥で欠伸をしている。
冷蔵ケースの低い音だけが、店の中に響いていた。
宵宮さんが、先に目をそらした。
片耳からイヤホンを外して、机の上に置く。
それから、小さく息を吐いた。
「……バレたなら、まあいいや」
あまりにも、いつもどおりの声だった。
だるそうで。
投げやりで。
なのに、膝の上で握った手が、少しだけ震えていた。
◇
俺は、宵宮さんの隣の席に座った。
スマホを取り出して、ボイスチャットを切る。
もう、イヤホン越しじゃなくていい。
「……いつから」
「……何が」
「俺がカナだって、いつから知ってた?」
宵宮さんは、机の上のスマホを指でつついた。
「……二年になって、すぐ」
「すぐ?」
「……同じクラスになって。森とゲームの話してる声、聞いて」
ゲームしてるときと、声違うよね。
踊り場で言われたのを思い出した。
「……一年、声だけ聞いてたから。一発で分かった」
それは、俺も同じことを言った。
一年、声だけ聞いてきたからな、と。
俺は気づかなかった。
宵宮さんは、気づいていた。
「……じゃあ、なんで言わなかったんだよ」
「……」
「俺、ずっと探してたのに。ノートまで作って」
「……知ってる。キモかった」
「茅野さんと同じこと言うな」
宵宮さんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
でも、すぐに戻った。
「……言ったら、終わると思った」
「終わる?」
「……カナは、YOIのこと信頼してる」
「してる」
「……顔も知らない、無口な相棒だから」
「……」
「……その中身が、教室で浮いてるギャルだって分かったら」
宵宮さんの声が、少しだけ小さくなった。
「……がっかりするかなって」
がっかり。
そんなこと、考えてもいなかった。
「……だから、言わなかった」
宵宮さんは、膝を抱えた。
スウェットの袖が、長い。
カーディガンじゃなくても、この人の袖は長いらしい。
◇
「がっかりなんて、してない」
気づいたら、言っていた。
「……」
「むしろ、納得してる」
「……納得?」
「絶対に蘇生に来るところ」
「……」
「カフェオレ、一個しか買ってないのに『間違えて二個買った』って言うところ」
「……っ」
「雷が苦手なのに、袖つかんだまま平気なふりするところ」
「……真壁」
「全部、YOIだった」
宵宮さんは、膝に顔をうずめた。
金髪の隙間から、耳が真っ赤なのが見えた。
「……ばか」
四日前の夜にも、聞いた言葉だった。
今日の『ばか』も、少しも怒っていなかった。
◇
俺はレジに行って、カフェオレを二本買った。
一本を、宵宮さんの頭の上に、ぽんと乗せる。
「……何」
「間違えて二個買った」
宵宮さんが、頭の上のカフェオレを手に取った。
俺の手には、ちゃんともう一本ある。
「……二個、買ってるじゃん」
「今回は本当に二個だからな」
「……」
宵宮さんは、カフェオレのストローを刺して、ずず、とすすった。
「……ずる」
「お前に言われたくない」
◇
「……家、出てきたって言ってたけど」
カフェオレが半分くらいになったころ、聞いた。
踏み込んでいいのか、まだ分からない。
でも、こんな時間に一人でコンビニにいる相棒を、このまま放っておくのは違う気がした。
「……別に、たいしたことない」
宵宮さんは、窓の外を見たまま言った。
「……あの人と、あの人の旦那さんと、弟が、リビングで弟の誕生日の話してて」
「……」
「……楽しそうだったから。あたしがいると、たぶん邪魔だなって」
「邪魔って、言われたのか?」
「……言われてない。誰も、言ってない」
宵宮さんは、カフェオレのパックを両手で包んだ。
「……誰も悪くない。だから、余計にだるい」
誰も悪くない。
それが、いちばんどうしようもない理由なんだと、なんとなく分かった。
俺は、何も言えなかった。
代わりに、隣に座っていた。
ただ、それだけ。
◇
宵宮さんのスマホが、震えた。
画面に『母』と出ている。
今日は、着信じゃなかった。
メッセージだった。
『どこにいるの。心配してる』
宵宮さんは、しばらく画面を見つめていた。
それから、ゆっくりと指を動かした。
『コンビニ。すぐ帰る』
送信。
「……帰る」
「送ってく」
「……いい。近いし」
「一時半だぞ。送ってく」
「……」
宵宮さんは、少しだけ俺を見た。
「……相棒だから?」
「相棒だから」
「……そ」
宵宮さんは立ち上がって、スウェットの袖で口元を隠した。
◇
宵宮さんの家は、コンビニから歩いて十分くらいの住宅街にあった。
俺の家とは、駅を挟んで反対側。
雷が同時に鳴ったのも、納得の距離だった。
玄関の前で、宵宮さんが振り返った。
窓から、リビングの明かりが漏れている。
誰かが、起きて待っている。
「……カナ」
「ん」
「……明日も、ゲームする?」
「する」
「……零時?」
「零時」
「……ん」
宵宮さんは、ドアノブに手をかけた。
それから、もう一度だけ振り返った。
「……あと」
「ん?」
「……踊り場も。明日も、来る?」
「行く」
「……そ」
宵宮さんは、半目のまま、ほんの少しだけ笑った。
教室では、一度も見たことのない顔だった。
「……相棒が、カナでよかった」
ドアが閉まる。
俺は、しばらく玄関の前で動けなかった。
一年組んで、九割が三つの言葉でできていた相棒。
その相棒が、今夜最後に言った言葉は。
俺の知っている、どの「……ん」よりも長かった。
「いらっしゃいませー……」
自動ドアが開くと、聞き慣れた語尾の伸びた声がした。
午前一時すぎ。
駅前のコンビニ。
走ってきたせいで、息が上がっていた。
片耳に差したイヤホンからも、同じ声がした。
『……いらっしゃいませー……』
一秒遅れて。
ボイスチャットは、まだつながっている。
家を飛び出す前に、スマホのアプリに切り替えておいた。
つまり、今、この店のどこかに。
俺と同じ音を聞いているやつがいる。
◇
店の奥。
窓際のイートインスペースに、一人だけ座っていた。
グレーのスウェットの上下。
金髪は、頭の後ろで雑にひとつにまとめている。
耳には、ワイヤレスのイヤホン。
机の上には、スマホが一台。
画面には、見慣れたラスアリのロビー画面。
指先の爪が、黒とくすんだ紫だった。
俺が近づくと、その人は顔を上げた。
半目だった。
教室で見るよりも、少しだけ眠そうで。
少しだけ、疲れた顔をしていた。
「……来た」
踊り場で、何度も聞いた言葉だった。
イヤホンの中からも、同じ声が聞こえた。
『……来た』
一秒遅れて。
◇
「……YOI」
「……カナ」
名前を呼ぶと、名前を呼ばれた。
教室の名前じゃない方で。
俺たちは、しばらく黙って見つめ合っていた。
店員が、レジの奥で欠伸をしている。
冷蔵ケースの低い音だけが、店の中に響いていた。
宵宮さんが、先に目をそらした。
片耳からイヤホンを外して、机の上に置く。
それから、小さく息を吐いた。
「……バレたなら、まあいいや」
あまりにも、いつもどおりの声だった。
だるそうで。
投げやりで。
なのに、膝の上で握った手が、少しだけ震えていた。
◇
俺は、宵宮さんの隣の席に座った。
スマホを取り出して、ボイスチャットを切る。
もう、イヤホン越しじゃなくていい。
「……いつから」
「……何が」
「俺がカナだって、いつから知ってた?」
宵宮さんは、机の上のスマホを指でつついた。
「……二年になって、すぐ」
「すぐ?」
「……同じクラスになって。森とゲームの話してる声、聞いて」
ゲームしてるときと、声違うよね。
踊り場で言われたのを思い出した。
「……一年、声だけ聞いてたから。一発で分かった」
それは、俺も同じことを言った。
一年、声だけ聞いてきたからな、と。
俺は気づかなかった。
宵宮さんは、気づいていた。
「……じゃあ、なんで言わなかったんだよ」
「……」
「俺、ずっと探してたのに。ノートまで作って」
「……知ってる。キモかった」
「茅野さんと同じこと言うな」
宵宮さんの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
でも、すぐに戻った。
「……言ったら、終わると思った」
「終わる?」
「……カナは、YOIのこと信頼してる」
「してる」
「……顔も知らない、無口な相棒だから」
「……」
「……その中身が、教室で浮いてるギャルだって分かったら」
宵宮さんの声が、少しだけ小さくなった。
「……がっかりするかなって」
がっかり。
そんなこと、考えてもいなかった。
「……だから、言わなかった」
宵宮さんは、膝を抱えた。
スウェットの袖が、長い。
カーディガンじゃなくても、この人の袖は長いらしい。
◇
「がっかりなんて、してない」
気づいたら、言っていた。
「……」
「むしろ、納得してる」
「……納得?」
「絶対に蘇生に来るところ」
「……」
「カフェオレ、一個しか買ってないのに『間違えて二個買った』って言うところ」
「……っ」
「雷が苦手なのに、袖つかんだまま平気なふりするところ」
「……真壁」
「全部、YOIだった」
宵宮さんは、膝に顔をうずめた。
金髪の隙間から、耳が真っ赤なのが見えた。
「……ばか」
四日前の夜にも、聞いた言葉だった。
今日の『ばか』も、少しも怒っていなかった。
◇
俺はレジに行って、カフェオレを二本買った。
一本を、宵宮さんの頭の上に、ぽんと乗せる。
「……何」
「間違えて二個買った」
宵宮さんが、頭の上のカフェオレを手に取った。
俺の手には、ちゃんともう一本ある。
「……二個、買ってるじゃん」
「今回は本当に二個だからな」
「……」
宵宮さんは、カフェオレのストローを刺して、ずず、とすすった。
「……ずる」
「お前に言われたくない」
◇
「……家、出てきたって言ってたけど」
カフェオレが半分くらいになったころ、聞いた。
踏み込んでいいのか、まだ分からない。
でも、こんな時間に一人でコンビニにいる相棒を、このまま放っておくのは違う気がした。
「……別に、たいしたことない」
宵宮さんは、窓の外を見たまま言った。
「……あの人と、あの人の旦那さんと、弟が、リビングで弟の誕生日の話してて」
「……」
「……楽しそうだったから。あたしがいると、たぶん邪魔だなって」
「邪魔って、言われたのか?」
「……言われてない。誰も、言ってない」
宵宮さんは、カフェオレのパックを両手で包んだ。
「……誰も悪くない。だから、余計にだるい」
誰も悪くない。
それが、いちばんどうしようもない理由なんだと、なんとなく分かった。
俺は、何も言えなかった。
代わりに、隣に座っていた。
ただ、それだけ。
◇
宵宮さんのスマホが、震えた。
画面に『母』と出ている。
今日は、着信じゃなかった。
メッセージだった。
『どこにいるの。心配してる』
宵宮さんは、しばらく画面を見つめていた。
それから、ゆっくりと指を動かした。
『コンビニ。すぐ帰る』
送信。
「……帰る」
「送ってく」
「……いい。近いし」
「一時半だぞ。送ってく」
「……」
宵宮さんは、少しだけ俺を見た。
「……相棒だから?」
「相棒だから」
「……そ」
宵宮さんは立ち上がって、スウェットの袖で口元を隠した。
◇
宵宮さんの家は、コンビニから歩いて十分くらいの住宅街にあった。
俺の家とは、駅を挟んで反対側。
雷が同時に鳴ったのも、納得の距離だった。
玄関の前で、宵宮さんが振り返った。
窓から、リビングの明かりが漏れている。
誰かが、起きて待っている。
「……カナ」
「ん」
「……明日も、ゲームする?」
「する」
「……零時?」
「零時」
「……ん」
宵宮さんは、ドアノブに手をかけた。
それから、もう一度だけ振り返った。
「……あと」
「ん?」
「……踊り場も。明日も、来る?」
「行く」
「……そ」
宵宮さんは、半目のまま、ほんの少しだけ笑った。
教室では、一度も見たことのない顔だった。
「……相棒が、カナでよかった」
ドアが閉まる。
俺は、しばらく玄関の前で動けなかった。
一年組んで、九割が三つの言葉でできていた相棒。
その相棒が、今夜最後に言った言葉は。
俺の知っている、どの「……ん」よりも長かった。




