第11話「……真壁、夜は埋まってるから」
「……おはよ」
朝の教室で、宵宮しずくにそう言われた。
俺の机の横を、通り過ぎる瞬間に。
半目のまま。
いつもの長い袖のまま。
声は小さかった。
でも、教室の空気が止まるには、十分だった。
「……お、おはよう」
俺が返すと、宵宮さんはそのまま自分の席に座った。
イヤホンを片耳に入れる。
頬杖をつく。
いつもどおり。
――いつもどおりじゃないのは、教室の方だった。
「……今、宵宮さんが挨拶した?」
「真壁に?」
「あの宵宮さんが?」
ひそひそ声が、四方八方から聞こえる。
前の席の拓海が、ゆっくりと振り返った。
口が半開きだった。
「……真壁」
「何も言うな」
「お前、昨日何した」
「何も言うな」
◇
一時間目の休み時間。
茅野さんが、俺の机に両手をついた。
「ねえ真壁」
「……はい」
「しずく、今朝めっちゃ機嫌いいんだけど」
「そう、なのか?」
宵宮さんの方を見る。
窓の外を見ている。
いつもどおりの半目。
……機嫌がいいかどうかは、正直分からない。
「分かんないでしょ。あたしには分かるの」
茅野さんは、にやっと笑った。
「あの子さ、昨日の夜中、あたしにLINEしてきたんだよね」
「……夜中に?」
「二時くらい。一言だけ」
茅野さんは、自分のスマホの画面を俺に見せた。
『バレた』
それだけ。
句読点もスタンプもない、三文字だけのメッセージ。
「何がバレたのか、あたしにはさっぱり分かんないんだけどさ」
嘘だ。
この顔は、絶対に何か分かっている顔だ。
「でも、あの子が誰かに自分から何か言うの、初めてなんだよね」
茅野さんは、スマホをしまった。
それから、少しだけ声を落とした。
「――泣かせたら、ぶっ飛ばすから」
笑顔のまま、そう言った。
ギャルの「ぶっ飛ばす」は、陰キャにとって死刑宣告と同じ重さがある。
「……泣かせない」
「よろしい」
茅野さんは、ひらひらと手を振って宵宮さんの席に戻っていった。
宵宮さんの脇腹をつついて、袖でぺしっと叩かれていた。
◇
昼休み。
階段を上る足が、少しだけ速くなった。
いちばん上の段に、長い袖が見えた。
「……来た」
「来た」
いつものやりとり。
でも、昨日までとは、何かが違った。
俺は、いつもどおりひとつ下の段に座ろうとした。
「……そこ、じゃない」
「え?」
宵宮さんは、自分の隣を袖の先でとんとんと叩いた。
同じ段。
隣。
「……昨日、コンビニで隣だった」
「……まあ、そうだけど」
「……じゃあ、ここも隣でいい」
理屈が分かるような、分からないような。
俺は、宵宮さんの隣に座った。
階段の幅は、思ったより狭かった。
肩と肩の間が、こぶし一個分くらいしかない。
甘い香水の匂いが、昨日までよりずっと近かった。
◇
「……決めたいこと、ある」
しばらくして、宵宮さんが言った。
「決めたいこと?」
「……学校では、YOIって呼ばないで」
それは、そうだ。
教室で「YOI」なんて呼んだら、またノートの件みたいに騒がれる。
「じゃあ、なんて呼べばいい」
「……宵宮でいい」
「宵宮さん、じゃなくて?」
「……『さん』、いらない」
呼び捨て。
ギャルを呼び捨て。
陰キャにとっては、ほぼ不可能に近い難易度だ。
「……宵宮」
言ってみた。
声が、少し裏返った。
宵宮さん――宵宮は、袖で口元を隠した。
「……ん」
「じゃあ、俺は?」
「……学校では、真壁」
「ゲームでは?」
「……カナ」
学校では、真壁と宵宮。
ゲームでは、カナとYOI。
ひとりの相手に、名前がふたつずつ。
なんだか、秘密の暗号みたいだった。
「……あと、もうひとつ」
「まだあるのか」
「……ゲームの話、学校でしすぎないで」
「なんで」
「……声で、バレる」
宵宮は、ちらりと俺を見た。
「……あたしが一発で分かったんだから。他にも分かるやつ、いるかもしれない」
それは、ない気がする。
一年、毎晩声だけを聞いてきたのは、お前だけだ。
――とは、さすがに恥ずかしくて言えなかった。
◇
五限が終わったあとの休み時間。
「真壁くん、今日の夜って空いてる?」
早坂ひなたが、携帯ゲーム機を抱えてやってきた。
「この前の続きやりたいなーって。森くんも誘って三人で!」
「あー、夜はちょっと――」
固定の相手がいるから。
いつもの断り文句を、言いかけたときだった。
「……真壁、夜は埋まってるから」
後ろから、声がした。
振り返ると、宵宮がイヤホンを片耳だけ外して、こっちを見ていた。
半目のまま。
教室中に聞こえる声で。
しん、と教室が静まった。
「……え?」
早坂さんが、目をぱちぱちさせる。
「宵宮さん、なんで知ってるの?」
「……」
宵宮は、ゆっくりとイヤホンを耳に戻した。
そして、窓の外を向いた。
「……なんとなく」
なんとなく、で通すつもりらしい。
通るわけがない。
教室のあちこちから、ひそひそ声が聞こえ始めた。
茅野さんが、机に突っ伏して肩を震わせている。
笑いをこらえているのが、丸わかりだった。
拓海は、天井を見上げていた。
悟りを開いたような顔をしていた。
「え、えっと……じゃあ、また今度ね、真壁くん!」
早坂さんは、なぜか顔を赤くして自分の席に戻っていった。
何かを、ものすごく勘違いした顔だった。
……いや、勘違いじゃないのか?
俺にも、もう分からない。
ゲームの話、学校でしすぎないで。
声で、バレる。
昼休みにそう言った本人が、一番派手にバラしていた。
◇
午前零時。
『……ん』
YOIがログインしてきた。
いつもと同じ声。
でも、もう、顔が浮かぶ。
半目と、長い袖と、金髪のインナーカラー。
「……おつかれ」
『……おつかれ』
「今日の、あれ」
『……何』
「『夜は埋まってるから』」
『……』
「学校でバレるなって言ったの、お前だよな」
『……回線』
「回線のせいにするな。教室だっただろ」
『……』
ヘッドセットの向こうで、小さく息を吐く音がした。
『……だって』
「だって?」
『……早坂、またカナ誘ってたから』
「……」
『……カナの夜は、あたしの』
ぼそりと。
ほとんど聞き取れないくらいの声で。
俺は、聞こえなかったふりをした。
聞こえたと言ったら、たぶん、YOIはまたリングの外に走っていく。
「……降下、どこにする」
『……どこでもいい』
「じゃあ、いつものとこ」
『……ん』
試合が始まる。
いつもどおりの立ち回り。
でも、YOIの口数は、昨日までの倍くらいあった。
『……右、二人』
『……カナ、そっち物資ある』
『……今の、ナイス』
『……さっきの撃ち合い、ちょっとかっこよかった』
「え?」
『……言ってない』
「言った」
『……回線』
回線は、今日だけで五回目だった。
◇
三時を回ったころ。
『……カナ』
「ん」
『……明日、土曜』
「そうだな」
『……昼、空いてる?』
「空いてるけど」
『……カナの家、行っていい?』
手が止まった。
「……は?」
『……オフラインで、隣でやってみたい』
「隣で」
『……画面、分けて。コントローラー二個で』
「いや、それは、別にいいけど……」
いいのか。
俺の部屋に、宵宮が来る。
あの、甘い香水の匂いがする宵宮が。
俺の部屋に。
『……だめ?』
「……だめじゃない」
『……ん』
YOIの声が、少しだけ弾んだ気がした。
その夜、YOIは一度も「……だる」と言わなかった。
一年組んで、初めてのことだった。
お読みいただきありがとうございます!
「ゲームの話、学校でしすぎないで」と言った本人が、教室で一番派手にやらかしました。
そして次回、ついに宵宮さんが奏汰くんの部屋へ。
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