第12話「……寝てない」
「掃除機、どこだっけ……!」
土曜日の朝九時。
俺は、自分の部屋の前で途方に暮れていた。
床に積まれた漫画。
机の上のエナドリの空き缶。
ベッドの上で丸まったままのパーカー。
陰キャの部屋は、だいたいこうなっている。
そして今日、この部屋に、ギャルが来る。
スマホが震えた。
拓海からだった。
『健闘を祈る』
なんで知ってる。
『宵宮さんが茅野に言って、茅野が俺に言った』
情報の流れが早すぎる。
『あと茅野から伝言。「部屋、絶対片付けとけ」だってさ』
分かってる。
今、それをやっている。
◇
十二時ちょうど。
インターホンが鳴った。
モニターに映っていたのは、黒いパーカーのフードだった。
ドアを開ける。
「……ん」
宵宮しずくが、立っていた。
黒のオーバーサイズのパーカー。
デニムのショートパンツに、黒いスニーカー。
金髪は下ろしていて、内側の淡い紫が、日の光で少し透けていた。
手には、コンビニの袋。
制服じゃない宵宮を見るのは、二回目だ。
一回目は、深夜のコンビニでのスウェット姿。
今日は、ちゃんと「出かける服」だった。
「……何」
「いや、私服、初めてちゃんと見たなと思って」
「……変?」
「変じゃない」
「……そ」
宵宮は、袖で口元を隠した。
それから、コンビニの袋を俺の胸に押しつけてきた。
「……おみやげ」
中には、カフェオレが二本。
「……今回は、本当に二個」
「知ってる」
◇
「……普通」
部屋に入るなり、宵宮が言った。
「普通?」
「……もっと散らかってると思ってた」
「朝からずっと掃除してたからな」
「……知ってる。まひるから聞いた」
情報が、全部筒抜けだった。
宵宮は、部屋の中をぐるりと見回した。
本棚。
ゲーミングチェア。
モニターと、ゲーム機。
それから、机の端に置いてあったノートに目を止めた。
『一人称「あたし」の女子リスト』
しまった。
片付け忘れた。
「……これ」
「見るな」
「……例のノート」
「見るなって」
宵宮は、俺より先にノートを手に取った。
ぱらぱらとめくる。
そして、最後のページで止まった。
・雷が嫌い
・夜、家にいたくない
・昨日の試合を「二十秒」と言った
・ネイルをしている(色は教えてくれない)
「……」
「……」
宵宮は、無言でノートを閉じた。
それから、俺の顔を見ずに、ぼそりと言った。
「……キモ」
「知ってる」
「……でも」
「でも?」
「……ちゃんと、見てたんだ」
それだけ言って、宵宮はノートを本棚の一番奥に押し込んだ。
二度と出てこないように、漫画で蓋をしていた。
◇
画面を左右に分けて、コントローラーを二個つなぐ。
床にクッションを二つ並べて、並んで座った。
狭い。
踊り場の階段より、もっと狭い。
肩と肩の間は、こぶし半分くらいしかなかった。
「……始める」
「おう」
降下。
着地。
物資を漁る。
いつもと同じ流れ。
でも、いつもと全然違った。
「……右」
声が、ヘッドセットからじゃなく、すぐ隣から聞こえる。
「了解」
返事をすると、宵宮が「……ん」と小さく頷くのが、視界の端に見える。
声だけだった一年間。
その声に、顔がついた。
半目のまま画面を見つめる横顔。
コントローラーを握る、黒と紫のネイルの指先。
集中すると、少しだけ唇を尖らせる癖。
全部、初めて見た。
「……カナ、ダウンしてる」
「あ」
見とれていた。
俺のキャラは、いつの間にか地面に這いつくばっていた。
「……何してんの」
「いや、ちょっと」
「……来る」
宵宮のキャラが、スモークを焚いて走ってくる。
いつもどおり。
絶対に来る。
蘇生ゲージが伸びていく。
俺は、画面じゃなく、隣を見た。
蘇生しながら、宵宮は、ほんの少しだけ笑っていた。
口元だけ。
半目のまま。
――ああ、こいつ、いつもこういう顔で蘇生しに来てたのか。
「……ん、ナイス」
すぐ隣で、そう言われた。
ヘッドセット越しより、ずっと近い声だった。
◇
「奏汰ー? お友達来てるのー?」
三試合目の途中で、部屋のドアが開いた。
母さんだった。
パジャマ姿。
寝癖。
夜勤明けで、さっきまで寝ていたはずの顔。
「……あ」
母さんの視線が、宵宮の上で止まった。
金髪。
ピアス。
黒いネイル。
そして、俺との距離、こぶし半分。
「……え、女の子!?」
「母さん、声でかい」
「奏汰が!? 女の子を!? 家に!?」
「だから声でかいって」
宵宮は、コントローラーを握ったまま固まっていた。
それから、ゆっくりと立ち上がって、深く頭を下げた。
「……宵宮しずく、です。お邪魔、してます」
敬語だった。
しかも、すごくちゃんとした敬語だった。
母さんは、しばらく宵宮を見つめていた。
それから、ふっと笑った。
「しずくちゃん、お昼食べた?」
「……まだ、です」
「焼きそばでいい? すぐ作るから」
「……いえ、そんな」
「いいのいいの。奏汰が友達連れてくるなんて、中学以来なんだから」
余計なことを言うな。
◇
母さんの焼きそばを、三人で食べた。
母さんは、宵宮に質問攻めをしていた。
どこに住んでるの。
奏汰とはどうやって仲良くなったの。
そのネイル、自分でやってるの。
宵宮は、一個一個、小さな声で答えていた。
ネイルの話のときだけ、少しだけ声が大きくなった。
「……自分で、やってます。これだけは、得意なので」
「へえ、すごい! 今度私のもやってよ。看護師だから派手なのは無理だけど」
「……透明のなら、できます」
「本当? じゃあお願いしちゃおうかな」
宵宮は、少しだけ目を丸くしていた。
それから、袖で口元を隠して、小さく頷いた。
食べ終わると、母さんは夜勤の準備を始めた。
玄関で靴を履きながら、振り返る。
「しずくちゃん」
「……はい」
「うち、夜は私いないこと多いけどさ。昼でも夕方でも、いつでも来ていいからね」
宵宮が、固まった。
「奏汰、一人だと絶対ろくなもの食べないから。たまに見張っててくれると助かる」
「……」
「じゃ、いってきます」
ドアが閉まる。
宵宮は、しばらく玄関の方を見たまま動かなかった。
「……宵宮?」
「……いつでも」
「ん?」
「……いつでも来ていいって、言われた」
ぽつりと。
まるで、初めて聞いた言葉みたいに。
◇
夕方。
窓の外が、オレンジ色になってきた。
五試合目のロード画面の途中で、肩に重みがかかった。
見ると、宵宮の頭が、俺の肩に乗っていた。
目が、閉じている。
寝ている。
コントローラーを握ったまま。
……昨日、コンビニにいたのは、午前一時すぎ。
家に帰ったのは、二時近く。
それから、三時までゲームをしていた。
ほとんど、寝ていないはずだ。
家で、ちゃんと眠れていないのかもしれない。
俺は、動かなかった。
肩の上の金髪から、甘い匂いがした。
画面のロードが終わって、降下が始まる。
俺のキャラも、宵宮のキャラも、飛行機に乗ったまま、どこにも降りなかった。
◇
三十分くらいして、宵宮が目を開けた。
「……」
「おはよう」
「……」
宵宮は、自分の頭が俺の肩に乗っていることに気づいた。
ゆっくりと、離れる。
画面を見る。
飛行機から降りずに、試合が終わっていた。
「……寝てない」
「寝てた」
「……寝てない」
「三十分寝てた」
「……寝てない」
三回言われた。
顔は、夕焼けと同じ色になっていた。
◇
玄関で、宵宮がスニーカーを履いた。
外は、もう暗くなりかけている。
「送ってく」
「……いい。まだ明るい」
「もう暗いだろ」
「……じゃあ、駅まで」
「家まで」
「……」
宵宮は、靴ひもを結びながら、ぼそりと言った。
「……また、来ていい?」
「母さんが、いつでもって言っただろ」
「……」
宵宮は、靴ひもを結ぶ手を止めた。
顔を上げて、半目のまま俺を見た。
「……カナに、聞いてる」
カナに。
学校では、真壁。
ゲームでは、カナ。
ここは、どっちでもない場所だった。
「……いつでも来い」
「……ん」
宵宮は、立ち上がって、パーカーのフードをかぶった。
フードの奥で、口元がほんの少しだけ緩んでいた。
◇
午前零時。
『……ん』
YOIがログインしてきた。
「おつかれ」
『……おつかれ』
少しだけ、間があった。
『……今日』
「ん」
『……楽しかった』
一年組んで、初めて聞いた言葉だった。
YOIは、自分の気持ちを言葉にしない。
だから、行動で示す。
絶対に蘇生に来ることで。
カフェオレを、間違えて二個買ったふりをすることで。
そのYOIが、言葉にした。
「……俺も」
『……ん』
顔も知らなかった相棒は、もう、顔を知っている相棒になった。
そして、この日から。
俺の部屋には、ときどき、甘い匂いが残るようになった。
お読みいただきありがとうございます!
これにて第1章「相棒」完結です。
顔も知らなかった相棒が、隣で眠る相棒になりました。
次回から第2章「入り浸り」がスタートします。
宵宮さんが奏汰くんの部屋に通う日々を、どうぞお楽しみに。
続きが気になったら、ブックマーク・★評価をいただけると更新の励みになります!




