第13話「……これ、置いてく」
「……これ、置いてく」
月曜日の夕方。
宵宮しずくは、俺の机の上にヘアゴムをひとつ置いた。
黒い、シンプルなやつ。
「なんで」
「……ゲームするとき、髪邪魔だから」
「持って帰ればいいだろ」
「……忘れるから、ここに置いとく」
理屈が分かるような、分からないような。
そう言って、宵宮は手首にもう一本はめていたヘアゴムで髪をまとめた。
置いていく分とは、別に持っているらしい。
つまり、忘れる心配はない。
……言わないでおいた。
◇
土曜日に初めて来てから、宵宮は当たり前のように俺の部屋にいるようになった。
放課後。
校門を出て、駅まで別々に歩いて、駅の改札の前で合流する。
学校では、真壁と宵宮。
駅から先は、カナとYOI――とまでは言わないけど、たぶん、その中間くらい。
一緒に帰ってるところを見られたら面倒だから、と言い出したのは宵宮の方だ。
なのに、教室で「夜は埋まってる」と言ったのも宵宮だ。
この人の隠したい基準は、いまだによく分からない。
◇
火曜日。
「……これも、置いてく」
宵宮が、コンビニの袋からマグカップを取り出した。
白地に、小さな黒猫の絵がついている。
「……どこで買ったんだ、それ」
「……駅ビルの百均」
「わざわざ?」
「……真壁んちのコップ、全部でかい」
確かに、うちのコップはでかい。
母さんが「洗い物が減るから」という理由で、全部ジョッキみたいなサイズで揃えている。
「……カフェオレ、でかいコップで飲むと、ぬるくなる」
「そんな理由かよ」
「……大事」
宵宮は、黒猫のマグカップを、俺のジョッキみたいなコップの隣に並べた。
並べると、黒猫がやけに小さく見えた。
◇
水曜日。
宵宮は、来なかった。
「……今日は、まひるん家」
昼休みの踊り場で、そう言われた。
「茅野さんの家?」
「……水曜は、まひると約束してる。前から」
「そっか」
「……」
「何?」
「……さみしい?」
宵宮が、半目で俺を見上げてきた。
隣の段。
こぶし一個分の距離。
「……別に」
「……ふーん」
宵宮は、紙パックのストローをくわえた。
ずず、と音がした。
なんだか、少しだけ満足そうな音だった。
その日の夜、俺は一人で夕飯を食べた。
カップ麺だった。
部屋が、やけに静かだった。
机の上のヘアゴムと、黒猫のマグカップが、なんだか目に入った。
◇
木曜日。
「……これも、置いてく」
宵宮は、大きな袋を抱えて駅の改札に現れた。
中から出てきたのは、まるいクッションだった。
灰色の、もこもこしたやつ。
「……真壁んちのクッション、固い」
「普通のクッションだぞ」
「……固い。あと、ちょっと薄い」
「三年使ってるからな」
「……だから、これ」
宵宮は、俺のクッションの隣に、自分のクッションを置いた。
それから、すとんと座った。
「……ん、いい」
満足そうだった。
俺のクッションの、倍くらいの厚みがあった。
並んで座ると、宵宮の方が、ちょっとだけ目線が高くなった。
◇
その日、母さんは夜勤の準備をしながら、台所から顔を出した。
「しずくちゃん、今日も来てるのね」
「……お邪魔、してます」
「いいのいいの。それより、この前の約束覚えてる?」
約束。
宵宮が、少しだけ目を見開いた。
「……ネイル、ですか」
「そうそう。透明のやつ」
母さんは、手を差し出した。
看護師の手だ。
爪は短く切りそろえられていて、少し荒れている。
宵宮は、カバンから小さなポーチを取り出した。
中には、小さな瓶が何本も入っていた。
「……爪、短いので。透明のトップコートだけ、塗ります」
「お願いします、先生」
「……先生じゃないです」
宵宮は、母さんの手を取った。
慎重に。
すごく丁寧に。
一本ずつ、刷毛を滑らせていく。
いつもの半目が、このときだけは真剣だった。
ゲームで、俺を蘇生しに来るときと同じ顔。
「……できました」
「わあ、つやつや! すごいね、しずくちゃん」
母さんは、自分の手を光にかざして眺めた。
「これ、プロになれるんじゃない?」
「……」
宵宮は、何も言わなかった。
ただ、ポーチをしまう手が、少しだけゆっくりになった。
「じゃ、いってきます。奏汰、ちゃんとしずくちゃんにご飯食べさせなさいよ」
「分かってる」
ドアが閉まる。
宵宮は、閉まったドアを見ながら、ぽつりと言った。
「……プロ、か」
「なれると思うけどな」
「……」
「母さん、ああ見えて人の手を見る仕事だから。お世辞は言わないぞ」
宵宮は、カーディガンの袖で口元を隠した。
「……そ」
◇
「……真壁、料理できるの」
夕飯の時間。
台所に立った俺を、宵宮が後ろから覗き込んできた。
「母さんが家にいないこと多いからな。適当なものなら」
「……何作るの」
「オムライス」
「……」
「嫌いか?」
「……好き」
即答だった。
卵を割って、チキンライスを炒めて、上に乗せる。
ちょっと形が崩れたけど、まあ、食べられる見た目にはなった。
ケチャップで、何か書こうとした。
「……書いて」
「何を」
「……なんでもいい」
なんでもいい、が一番困る。
少し考えて、俺はケチャップで「YOI」と書いた。
宵宮は、それを見て、しばらく固まった。
「……ばか」
それから、スプーンを手に取った。
一口。
二口。
三口目で、宵宮の手が止まった。
「……宵宮?」
「……」
「まずかったか?」
「……違う」
宵宮は、スプーンを持ったまま、少しだけうつむいた。
「……人が作ったの、家以外で食べるの、久しぶり」
「……家では?」
「……あの人、弟に合わせて早めに作るから。あたし、帰るの遅いし」
「……」
「……だいたい、ラップかかってる。冷めてる」
それ以上、宵宮は何も言わなかった。
ただ、もう一度スプーンを動かした。
最後の一口まで、ちゃんと全部食べた。
ケチャップの「YOI」も、全部。
「……おいしかった」
「……また作る」
「……ん」
◇
金曜日。
帰り際、玄関でスニーカーを履きながら、宵宮が言った。
「……来週」
「ん?」
「……あたし用のコントローラー、持ってくる」
「うちのでいいだろ」
「……真壁んちの二個目、スティックちょっとずれてる」
「よく気づいたな」
「……一週間、使ったから」
一週間。
そうか。
初めてこの部屋に来てから、まだ一週間しか経っていない。
なのに。
机の上には、黒いヘアゴム。
コップの隣には、黒猫のマグカップ。
俺のクッションの隣には、灰色のもこもこのクッション。
そして、来週には。
「……じゃ」
「おう。気をつけてな」
「……零時」
「零時」
宵宮が帰ったあと、俺は部屋を見回した。
一週間前まで、この部屋には、俺のものしかなかった。
今は、宵宮のものが三つある。
来週、四つ目が増える予定だ。
……たぶん、四つ目で終わらない。
なんとなく、そんな気がした。
お読みいただきありがとうございます!
第2章「入り浸り」、スタートです。
奏汰くんの部屋に、宵宮さんのものがじわじわ増えていきます。
そして宵宮さんの「得意なこと」にも、少しだけ光が当たりました。
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