第8話「……二十秒」
「……はい」
踊り場に着くなり、紙袋を差し出された。
昼休み。
昨日の土砂降りが嘘みたいに、窓の外は晴れていた。
「……タオル」
「ああ、わざわざ悪いな」
受け取ろうとして、宵宮さんが袋を引っ込めた。
「……中、見ないで」
「なんで」
「……いいから。家で開けて」
そう言って、紙袋をもう一度押しつけてくる。
袋の口は、テープで三重に止めてあった。
厳重すぎる。
◇
いつもどおり、ひとつ下の段に座る。
……いつもどおり、のはずなのに。
なんだか、落ち着かなかった。
昨日の夜、ノートの線を半分消してから。
宵宮さんの「ん」が、いちいち耳に引っかかる。
「……真壁」
「ん、何?」
「……今日、なんか変」
「変?」
「……こっち、見すぎ」
見ていたらしい。
自分では気づいていなかった。
「……悪い」
「……別に」
宵宮さんは、ふいと顔をそらした。
カーディガンの袖が、口元まで上がっている。
今日は、袖が乾いていた。
ちゃんと、いつもの長さに戻っている。
◇
確かめたい。
でも、直接は聞けない。
「お前、YOIか?」なんて聞いて、違ったら。
俺は、ネットの相棒を探してクラスのギャルに詰め寄る、ただのやばいやつになる。
しかも、あたし調査ノートの前科つきだ。
だから、遠回しにいく。
「昨日さ、夜ゲームしてて」
「……」
「最後の試合、すごかったんだよ。残り一部隊で、こっちは二人とも体力ギリギリでさ」
「……」
「最後の三十秒で、なんとか勝った」
宵宮さんが、紙パックのストローをくわえたまま、ぼそりと言った。
「……二十秒」
「え?」
「……最後、二十秒くらい。三十秒もなかった」
沈黙。
宵宮さんの動きが、止まった。
ストローをくわえたまま。
半目が、ゆっくり、ゆっくり見開かれていく。
「……宵宮さん」
「……」
「なんで知ってんの」
「……って」
「って?」
「……って、森が言ってた」
「森は昨日、九時に寝てる」
「……」
「あいつ、夜更かしすると次の日死ぬタイプだから」
宵宮さんは、ゆっくりとストローを口から離した。
それから、紙パックを握りつぶした。
べこっ、と音がした。
「……知らない」
「いや、今――」
「……ラスアリとか、知らない」
「俺、ゲームの名前言ってないけど」
宵宮さんが、固まった。
完全に、固まった。
次の瞬間、カーディガンの袖が、顔全体を覆った。
両腕で。
頭のてっぺんまで。
「……予鈴、鳴る」
「まだ十分あるけど」
「……鳴る」
宵宮さんは、顔を袖で隠したまま立ち上がった。
そのまま、壁にぶつかりそうになりながら階段を下りていった。
途中で一回、踏み外しかけていた。
◇
「お前、宵宮さん見すぎ」
五限の途中。
前の席の拓海が、プリントを回すふりをして振り返った。
「……見てない」
「十秒に一回は見てる」
「数えるな」
見ていた。
宵宮さんは、窓の外を向いたまま、こっちを一度も見なかった。
ただ、耳だけがずっと赤かった。
その隣の席で、茅野さんがにやにやしながら宵宮さんの脇腹をつついている。
「しずく、なんか顔赤くない?」
「……赤くない」
「熱ある?」
「……ない」
「真壁と何かあった?」
宵宮さんの袖が、茅野さんの肩をぺしっと叩いた。
けっこう、いい音がした。
◇
家に帰って、紙袋を開けた。
三重のテープを剥がす。
中には、昨日貸したハンドタオル。
ちゃんと洗って、きっちり四つ折りにしてあった。
それと、小さな付箋が一枚。
『ありがと』
丸っこい字だった。
タオルを手に取ると、ふわりと甘い匂いがした。
うちの洗剤の匂いじゃない。
昨日、踊り場で背中のすぐ後ろにあった匂い。
――中、見ないで。
付箋を見られたくなかったのか。
それとも、この匂いの方だったのか。
俺はしばらく、四つ折りのタオルを持ったまま動けなかった。
◇
午前零時。
『……ん』
YOIがログインしてきた。
心臓の音が、少しだけうるさかった。
「おつかれ」
『……おつかれ』
降下して、物資を漁る。
今日のYOIは、なんだか口数が多かった。
多い、といっても、いつもの倍くらいだけど。
『……カナ』
「ん?」
『……最近、どう』
「どうって」
『……その、クラスの。ギャルの』
宵宮さんのことだ。
『……仲いいの』
「仲いいっていうか……」
踊り場のこと。
カフェオレのこと。
雷のこと。
四つ折りのタオルのこと。
全部、思い浮かんだ。
「最近、ちょっと気になる」
『……』
「……いや、変な意味じゃなくて」
画面の中で、YOIのキャラが、急に走り出した。
安全地帯の外に向かって。
全力で。
「おいYOI! そっちリング外!」
『……』
「死ぬって! 戻れ!」
YOIのキャラは、リングの外で体力を削られて、そのままダウンした。
『……操作、ミスった』
「どんなミスだよ」
俺は、慌ててリングの外まで走った。
スモークを焚いて、YOIの横にしゃがみ込む。
蘇生ゲージが、じりじりと伸びていく。
一年組んで、初めてだった。
俺がYOIを蘇生しに行くのは。
『……来なくてよかったのに』
「来るだろ。相棒なんだから」
『……』
ゲージが満タンになる。
YOIのキャラが立ち上がる。
『……ん、ナイス』
いつもの言葉なのに、いつもより少しだけ小さかった。
◇
リングの中に戻って、物資を漁り直しているとき。
俺は、ずっと聞きたかったことを口にした。
「なあ、YOI」
『……何』
「お前、ネイルとかしてる?」
沈黙。
『……してる』
「何色?」
『……』
長い沈黙だった。
敵の足音すら聞こえない、静かな沈黙。
『……教えない』
◇
ログアウトしたあと。
俺は、ノートを開いた。
『一人称「あたし」の女子リスト』
その下に、昨日までなかった項目を書き足す。
・雷が嫌い
・夜、家にいたくない
・昨日の試合を「二十秒」と言った
・ネイルをしている(色は教えてくれない)
宵宮しずくの名前の上の線は。
もう、ほとんど残っていなかった。
お読みいただきありがとうございます!
宵宮さん、自分から盛大に墓穴を掘りました。
そして一年目にして、初めての「逆蘇生」です。
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