第6話「……覚えとく」
「で、人探しって何?」
逃げ切れなかった。
翌日の昼休み。
弁当を持って教室を出ようとしたところで、茅野まひるに腕をつかまれた。
明るい茶髪。
カラフルなネイル。
満面の笑み。
宵宮さんと同じギャルなのに、温度がまるで違う。
「い、いや、その……」
「あたし調査。ノートに正の字。キモいって言ったのは謝るから、理由だけ教えて?」
謝ってもらえるのか。
ギャル、意外と礼儀正しい。
俺は観念して、拓海にも話したことをそのまま説明した。
一年組んでいるネットの相棒がいること。
その相棒が、どうやらこのクラスにいるらしいこと。
一人称が「あたし」かもしれないこと。
茅野さんは、最後まで黙って聞いていた。
それから、ぷっと吹き出した。
「なにそれ、ロマンじゃん」
「ロマン?」
「顔も知らない相棒が、実はクラスメイト。少女漫画か!」
茅野さんは、俺の肩をばしばし叩いて笑った。
「で、候補は?」
「三人までは絞った。けど、一人は除外した」
「誰を?」
「……宵宮さん」
茅野さんの笑い声が、止まった。
「しずく? なんで」
「ギャルは夜、家にいないだろ。YOIは毎晩零時ぴったりにログインしてくるから」
茅野さんは、少しだけ黙った。
さっきまでの笑顔が、ほんの少しだけ薄くなる。
「……まあ、家にはいないかもね」
「だろ」
「しずくさ、夜はあんまり家にいたくないみたいなんだよね」
「え?」
「たまにうちに泊まりに来るし。……あ、これ、あたしが言ったって内緒ね」
茅野さんは、人差し指を口に当てた。
家にいたくない。
どこかで、似たような言葉を聞いた気がした。
『……帰っても、別にやることないし』
ヘッドセットの向こうの、風の音。
――いや。
関係ない。
夜に家にいたくない高校生なんて、たぶん日本中にいる。
「それよりさ」
茅野さんが、急に俺の顔を覗き込んできた。
「昨日、しずく、あたしとお昼食べてたんだよね。珍しく」
「……そうなのか」
「いつもは一人でどっか消えるのに。なんかあった?」
なんかあったか。
あったと言えば、ある。
先生の前で、「わたし」と言い直していた。
耳まで真っ赤だった。
でも、それを茅野さんに言うのは、なんだか違う気がした。
「……分からん」
「ふーん」
茅野さんは、じっと俺を見た。
それから、にやっと笑った。
「今日は、行ってあげて」
「どこに」
「いつものとこ。あんた、知ってるんでしょ」
知ってるのか。
俺が踊り場に行っていることを。
「しずく、待ってると思うよ。……たぶんね」
茅野さんは、ひらひらと手を振って友達の輪に戻っていった。
◇
階段を上る。
いちばん上の段に、長い袖が見えた。
いた。
宵宮さんは、膝を抱えて座っていた。
コンビニの袋が、足元に置いてある。
俺に気づくと、ほんの少しだけ肩が跳ねた。
「……来た」
「来た」
「……」
「……」
沈黙。
昨日より、ずっと気まずい。
俺は、昨日言われたとおり、彼女のひとつ下の段に座った。
「……昨日」
宵宮さんが、先に口を開いた。
「……ごめん」
「なんで謝るんだよ」
「……別に」
別に、で終わった。
でも、謝られた理由は、なんとなく分かった気がした。
昨日、ここに来なかったこと。
約束なんて、していないのに。
「いや、俺の方こそ」
「……何が」
「あの、ノートの件。茅野さんから聞いたかもしれないけど、あれは人探しで」
「……知ってる」
知ってるのか。
茅野さん、早い。
「……見つかった?」
「まだ。候補はいたけど、除外した」
「……誰」
「言えない」
「……ふーん」
宵宮さんは、紙パックのストローをくわえた。
ずず、と音がする。
なんだか、少し機嫌が悪そうに見えた。
……いや、機嫌が悪いんじゃない。
拗ねている?
ギャルの感情の見分け方は、まだ全然分からない。
「あのさ」
「……ん」
「昨日、ここ一人だったんだけど」
「……」
「なんか、広かった」
ストローの音が、止まった。
振り返ると、宵宮さんがカーディガンの袖で、顔の下半分を隠していた。
半目が、少しだけ見開かれている。
「……そ」
それだけ言って、宵宮さんは足元のコンビニの袋を探った。
中から、カフェオレの紙パックを一本取り出す。
それを、俺の頭の上に、ぽんと乗せた。
「……あげる」
「え?」
「……間違えて、二個買った」
袋の中を見ると、宵宮さんの分のジュースが、ちゃんと別に入っていた。
カフェオレは、二個じゃなかった。
一個だけだった。
「……ありがと」
「……ん」
頭の上のカフェオレを手に取る。
冷たかった。
ついさっき、買ってきたばかりみたいに。
◇
予鈴が鳴る少し前。
宵宮さんのスマホが、震えた。
画面に表示された名前が、ちらりと見えた。
『母』。
宵宮さんは、画面を見て、そのまま指で着信を切った。
「……出なくていいのか」
「……いい」
宵宮さんは、スマホをポケットに押し込んだ。
それきり、何も言わなかった。
さっきまで袖で隠れていた顔が、今は、何も隠していなかった。
ただ、いつもの半目で、階段の下を見ていた。
◇
午前零時。
YOIは、ログインしてこなかった。
一年組んで、初めてのことだった。
零時五分。
零時十五分。
零時半。
フレンド欄の「YOI」は、ずっと灰色のままだ。
別に、約束しているわけじゃない。
向こうにも、都合がある日くらいあるだろう。
分かっている。
分かっているのに、俺はロビー画面のまま、一試合もできなかった。
零時四十七分。
「YOI」の名前が、緑色に変わった。
『……ごめん。遅れた』
「いや、いいけど」
ヘッドセットの向こうから、風の音がした。
また、外だ。
「……お前、今どこにいるんだよ」
『……コンビニ』
「こんな時間に?」
『……ん』
「危ないだろ」
思ったより、強い声が出た。
ヘッドセットの向こうが、静かになる。
『……心配してんの』
「当たり前だろ。相棒なんだから」
『……』
風の音だけが聞こえる。
『……相棒、か』
ぽつりと、YOIが言った。
その声は、いつものだるそうな声より、少しだけ小さかった。
『……カナの家って、コンビニ近い?』
「駅前のファミマなら、歩いて五分くらい」
『……そ』
少しだけ間があった。
『……覚えとく』
何を覚えておくのか。
聞く前に、YOIはマッチを開始していた。
お読みいただきありがとうございます!
カフェオレは一個だけでした。
そしてYOIは、何かを「覚えた」ようです。
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