第5話「……ずっと、わたし」
「あたし調査?」
「声がでかい」
月曜の朝。
俺は拓海の口を手でふさいだ。
机の上には、一冊のノート。
一ページ目には、こう書いてある。
『一人称「あたし」の女子リスト』
「……真壁」
「なんだよ」
「お前、それ普通にキモいぞ」
「分かってる」
「分かっててやるのか」
「やる」
土曜の夜。
YOIは確かに言った。『あたしとやるのと、どっち』と。
本人は回線のせいにしていたけど、俺の耳はごまかせない。
一年間、あいつの声だけを聞いてきたんだ。
YOIは、このクラスにいる。
YOIの一人称は、「あたし」。
なら、クラスで「あたし」と言う女子を探せばいい。
「完璧な推理だろ」
「推理っていうか、ただの盗み聞きだろ」
うるさい。
◇
調査は、思ったより順調だった。
休み時間のたびに、俺はノートに正の字を書き込んでいく。
「あたし、今日ネイル変えたんだけど!」
一人目。
「えー、あたしそれ見てない!」
二人目。
「あたしもあたしも!」
三人目。
……多い。
昼休みが来る前に、リストは九人になっていた。
「これ、絞れなくない?」
拓海が、ノートを覗き込んで言う。
「絞る。条件がある」
「条件?」
「ゲームをやってる。声が低い。無口。夜中にログインできる」
「最後の何」
「YOIは毎晩、零時ぴったりにログインしてくる」
俺はペンで、リストを一人ずつ消していく。
「この子は声が高い」
消す。
「この子は休み時間ずっと喋ってる。無口じゃない」
消す。
「この子は部活の朝練で、毎朝六時に来てる。零時まで起きてたら死ぬ」
消す。
九人が、あっという間に三人になった。
「残りは?」
「……」
「真壁?」
残った三人のうち、一人の名前を見て、俺はペンを止めた。
宵宮しずく。
確かに、言っていた。
『ここ、あたしの場所なんだけど』
踊り場で、初めて話したとき。
無口。
声は低い。
一人称は「あたし」。
……でも。
「宵宮さんは除外」
「なんで」
「ギャルだから」
「偏見がすごい」
「ギャルは夜、カラオケとかクラブとかにいるんだよ。零時ぴったりに家でゲームしてるわけないだろ」
「お前、ギャルに対する解像度が昭和で止まってないか」
拓海に言われたくない。
俺は宵宮さんの名前に、線を一本引いた。
◇
「ねえ、真壁ってあんた?」
昼休みの直前。
俺の机に、影が落ちた。
見上げると、明るい茶髪のギャルが立っていた。
茅野まひる。
クラスで一番派手なグループの中心にいる子だ。
そして、宵宮さんの数少ない友達――らしい。
「女子の一人称メモってるって、マジ?」
教室が、しんと静まった。
なんで知ってる。
拓海を見る。
拓海は全力で首を横に振った。
「さっき後ろからノート見えたんだよね。『あたし調査』って書いてあんじゃん」
茅野さんが、ノートを指さす。
確かに書いてある。
でかでかと。
「……キモくない?」
教室の空気が、完全に凍った。
終わった。
陰キャ人生、ここで完全に終わった。
「い、いや、これは、その……」
「何のために調べてんの?」
「……ひ、人探し」
「人探し?」
茅野さんが、首をかしげる。
そのとき、教室の前のドアが開いて、担任が入ってきた。
「ほら、席つけー。五限の前に一個だけ連絡な」
助かった。
茅野さんは「あとで詳しく聞かせてね」と笑って、自分の席に戻っていった。
詳しく聞かれたら、たぶん死ぬ。
◇
「じゃあ、このプリント。宵宮、前に取りに来てくれ」
担任の声に、教室の後ろで椅子が鳴った。
宵宮さんが立ち上がる。
いつもの半目。
いつもの長い袖。
……なんだか、顔が少し赤い気がする。
「宵宮、来週の三者面談の日程、まだ出てないぞ。親御さんに聞いてくれたか?」
「……あ」
宵宮さんが、一瞬止まった。
「……あ、あた」
言いかけて、止まる。
教室の真ん中で、なぜかこっちを見た。
目が合う。
宵宮さんは、ものすごい勢いで目をそらした。
「……わ、わたし、まだ聞いてない、です」
しん、と教室が静まった。
「しずく、今『わたし』って言った?」
茅野さんが、目を丸くしている。
「え、初めて聞いたんだけど。いつも『あたし』じゃん」
「……言ってない」
「言ったって!」
「……言ってない」
宵宮さんは、プリントをひったくるように受け取って、早足で席に戻っていった。
カーディガンの袖で、顔の下半分を隠している。
耳まで、真っ赤だった。
……ギャルも、先生の前では緊張するんだな。
俺は少しだけ、宵宮さんへの解像度を上げた。
◇
昼休み。
俺は、いつもの踊り場へ向かった。
茅野さんに詳しく聞かれる前に、逃げたかった。
階段を上る。
いちばん上の段は――空いていた。
コンビニの袋も、長い袖も、甘い匂いもない。
宵宮さんは、来ていなかった。
「……」
別に、約束していたわけじゃない。
ここは宵宮さんの場所で、俺はいてもいいと言われただけだ。
それなのに。
一人で弁当を開くと、踊り場は、昨日までよりずっと広く感じた。
◇
午前零時。
『……ん』
YOIがログインしてきた。
「おつかれ」
『……おつかれ』
なんだか、声が硬い。
降下地点を選んで、飛行機から飛び降りる。
空中で、YOIがぽつりと言った。
『……わたし、今日、眠い』
「……ん?」
『……だから、今日は早めに寝る』
「いや、それはいいんだけど」
俺は、ヘッドセットのマイクに少しだけ口を近づけた。
「お前、一人称『わたし』だったっけ?」
『……』
「土曜、『あたし』って言ってたよな」
『……ずっと、わたし』
「いや、言ってた」
『……ずっと、わたし』
二回言われた。
『……前から、ずっと、わたし』
三回目だった。
俺は、その日の教室を思い出した。
先生の前で、「あたし」を「わたし」に言い直した女子が、ひとりいた。
……いや、関係ない。
あれは、先生に当てられて緊張していただけだ。
ただ――
宵宮さんが緊張しているところなんて、俺は、今日初めて見た。
お読みいただきありがとうございます!
奏汰くん、推理の方向は合っているのに、結論だけ全力で間違えていきます。
そして宵宮さん、今日はがんばりました。
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