第3話「……あたしの場所」
「ここ、あたしの場所なんだけど」
階段の踊り場で、ギャルに見下ろされていた。
昼休み。
屋上へ続く階段の、いちばん上。
鍵のかかった扉の前は、誰も来ない。
――はずだった。
◇
話は十分前にさかのぼる。
「真壁くん、昨日フレンド申請送ったよ!」
「……ああ、うん。見た」
「今日の夜、一緒にやろ?」
早坂ひなたは、今日も朝から元気だった。
悪い子じゃない。
むしろ、すごくいい子だと思う。
ただ、俺はまだYOIの『……は?』を引きずっていた。
あの冷たい声。
あのあと一言も喋らなかった試合。
早坂さんと組んでいるところを、YOIに見られたらどうなるのか。
……いや、見られるも何も、YOIが誰なのか分からないんだけど。
「ごめん、夜は固定の相手がいるから」
「えー、そっか。じゃあ今度ね」
早坂さんはあっさり引き下がって、友達の輪に戻っていった。
後ろの席から、ガタッと椅子の音がした。
またか。
振り返ると、宵宮しずくがイヤホンを耳に戻すところだった。
最近、あの席の椅子はよく鳴る。
「真壁、モテ期?」
「違う」
拓海がにやにやしている。
「固定の相手がいるから、だってさ。彼女かよ」
「相棒だ」
「顔も知らない相棒な」
うるさい。
俺は弁当を抱えて、教室を出た。
静かに寝られる場所が欲しかった。
◇
そして今。
「……聞いてる?」
宵宮さんが、半目で俺を見下ろしていた。
踊り場の段差に座って、片膝を立てている。
膝の上には、コンビニの袋。
中身は、パンがひとつと紙パックのジュース。
カーディガンの袖が長すぎて、パンを持つ手が半分隠れていた。
「……あ、悪い。誰もいないと思って」
「……ん」
ん。
一瞬、心臓が跳ねた。
……いや、落ち着け。
「ん」なんて、日本中の人間が言う。
拓海だって言う。俺だって言う。
ここでいちいち反応していたら、身がもたない。
「じゃあ、俺は別の場所に――」
「……別に」
「え?」
「……いてもいいけど」
宵宮さんは、それだけ言ってパンをかじった。
いてもいいのか。
ギャルの許可が下りた。
陰キャにとって、これはかなりの事件だ。
俺は彼女から三段下に座って、弁当を開いた。
◇
沈黙。
階段の下から、昼休みの喧騒が遠く聞こえる。
宵宮さんは、何も喋らない。
俺も、何を喋ればいいのか分からない。
気まずい。
でも、不思議と居心地は悪くなかった。
風が吹くたびに、上の段から甘い匂いがする。
教室で、俺の横を通り過ぎたときと同じ香水。
「……早坂と」
ふいに、宵宮さんが口を開いた。
「え?」
「……やるの。ゲーム」
聞こえてたのか。
「いや、断った。夜は固定の相手がいるから」
「……ふーん」
宵宮さんは、紙パックのストローをくわえた。
ずず、と音がする。
「……固定の相手って」
「ネットの相棒。一年くらい組んでる」
「……どんなやつ」
どんなやつ。
改めて聞かれると、困る質問だった。
「無口。ほとんど『ん』しか言わない」
「……」
「あと、絶対に蘇生に来る」
「……」
「無茶だから来るなって言っても、来る」
「……」
「最近ちょっと機嫌悪いけど」
ずず、とストローの音が止まった。
「……なんで」
「分からん。俺が何かしたらしい」
宵宮さんは、しばらく黙っていた。
それから、小さく息を吐いた。
「……鈍」
「どん?」
「……なんでもない」
なんか、ものすごく失礼なことを言われた気がする。
◇
予鈴が鳴った。
宵宮さんは、パンの袋を丸めて立ち上がる。
俺の横を通り過ぎるとき、ふと足を止めた。
「……真壁」
名前を呼ばれた。
初めてだった。
「な、何?」
「……寝癖」
宵宮さんは、自分の頭の右側を、長い袖の先でちょんと指した。
慌てて、自分の髪に手をやる。
確かに、はねている。
「……昼休み、寝すぎ」
それだけ言って、宵宮さんは階段を下りていった。
袖の先から、黒とくすんだ紫のネイルが、ちらりとのぞいていた。
◇
午前零時。
『……ん』
YOIは、今日もぴったりの時間にログインしてきた。
声の温度が、昨日より少し戻っている。
よかった。機嫌は直ったらしい。
「おつかれ。今日は普通だな」
『……別に。いつも普通』
嘘つけ。
降下地点を決めて、試合が始まる。
しばらくは、いつもどおりだった。
『……右』
「了解」
『……ん、ナイス』
物資を漁っている途中で、YOIがぽつりと言った。
『……カナ』
「ん?」
『……今日、昼休み。どこで寝てた』
なんでそれを聞く。
いや、この教室のどこかにいるなら、俺がいなかったことに気づいたのかもしれない。
「階段の上。屋上の手前」
『……ふーん』
「先客いたけどな」
『……誰』
「宵宮さん。クラスのギャルの」
沈黙。
物資を漁る音だけが、ヘッドセットから聞こえる。
『……どうだった』
「どうって」
『……その、ギャル』
どうだったか。
俺は、昼休みのことを思い出した。
長い袖。
コンビニのパン。
「……鈍」。
寝癖を指した、袖の先。
「最初は怖かった」
『……』
「でも、別にいていいって言ってくれた。たぶん、いいやつだと思う」
『……』
「あと、いい匂いした」
画面の端で、YOIのマイクのアイコンが――ミュートになった。
「YOI?」
返事はない。
アイコンは、ミュートのまま。
五秒。
十秒。
キャラは、物資の前で棒立ちになっている。
十五秒後、ようやくミュートが解除された。
『……っ、……ん』
「どうした? 回線落ちた?」
『……そう。回線』
「そっか」
『……そう』
なぜか、「そう」を二回言われた。
その十五秒間、ヘッドセットの向こうで、あいつが何をしていたのか。
俺は知らない。
お読みいただきありがとうございます!
ついに教室の外で二人が出会いました。
……十五秒間のミュート、何があったんでしょうね。
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