第4話 シズナの夜と銀麦亭
《シズナ南部草原》で初めての戦闘を終えた俺――ジョウゴは、夕暮れに染まり始めた街へ戻ってきた。
「……本当に夜になるんだな」
西の空が赤く染まっている。
街を囲む城壁の影が伸び、通りではNPCたちがランプへ火を灯し始めていた。
昼間は露店やプレイヤーで賑わっていた中央通りも、少しずつ雰囲気を変えている。
店じまいを始める露店。
仕事を終えて酒場へ向かう職人。
家へ帰る親子。
逆に、これから営業を始める酒場や料理店。
「昼と夜で生活が変わるのか」
ゲームなら昼夜が切り替わっても、NPCが同じ場所に立ち続けているものも珍しくない。
だがAWOでは違うらしい。
「おっ、兄ちゃん!」
「ん?」
聞き覚えのある声。
見ると、昼間リンゴを買った露店のおばちゃんが店じまいをしていた。
「ああ、昼間の」
「どうだったい? 街の外まで行ってきたのかい?」
「分かります?」
「腰に角ウサギの毛が付いてるよ」
「え?」
見る。
革鎧の端に白い毛が一本。
「本当だ」
「ハハハ! 冒険者らしくなってきたじゃないか!」
「まだ冒険者登録すらしてないですけどね」
「なんだい、まだだったのかい?」
「混んでたので後回しにしました」
「まあ、今日は異邦人が多いからねぇ」
異邦人。
プレイヤーを指す、この世界での呼び方らしい。
「ところで」
俺は昼間聞いた話を思い出す。
「《銀麦亭》って、どっちでしたっけ?」
「おや、行くのかい?」
「せっかくだから食事してみようかと」
「だったら中央通りを真っ直ぐ行って、噴水の次の角を右だよ。麦の看板があるからすぐ分かる!」
「ありがとうございます」
「シチュー食べな! あれは美味いよ!」
「覚えておきます」
軽く手を振って別れる。
NPCなのに、昼間会った俺のことを覚えている。
改めて不思議な感覚だった。
◇◇◇
「ここか」
教えてもらった道を進むこと数分。
木造三階建ての大きな建物。
入口には、銀色の麦を描いた看板。
《宿屋兼食堂 銀麦亭》
「いかにもファンタジーだな」
扉を開ける。
カランカラン。
「いらっしゃい!」
暖かい空気と一緒に、料理の香りが押し寄せてきた。
「……これは反則だろ」
腹が減る。
現実では夕飯を食べてからログインしている。
だから実際の身体が空腹というわけではない。
なのに。
肉。
焼いたパン。
香草。
スープ。
様々な匂いが混ざり合い、食欲を刺激してくる。
「一人かい?」
声をかけてきたのは、三十代くらいの女性だった。
茶色い髪を後ろでまとめ、エプロンを着けている。
頭上に名前が表示される。
《銀麦亭女将 マリア》
「一人です」
「食事? それとも泊まり?」
「まず食事で」
「空いてる席へどうぞ!」
「ありがとうございます」
店内を見回す。
NPCらしき人たち。
プレイヤー。
両方いる。
壁際の席へ座った。
すぐにマリアさんがやってくる。
「初めて見る顔だね」
「今日この街に来ました」
「ああ、異邦人さんかい」
「ジョウゴです」
「私はマリア。この銀麦亭を夫とやってるんだ」
メニューを渡される。
《銀麦亭 本日の料理》
銀麦パン 3G
野菜スープ 5G
焼き鳥肉 8G
鹿肉の串焼き 10G
銀麦亭特製シチュー 12G
果実水 3G
麦酒 5G
「安い……のか?」
ゲーム内相場が分からない。
初期資金を考えると、毎食豪華なものを食べていたらすぐ金欠になりそうだ。
「おすすめあります?」
「初めてならシチューだね!」
「やっぱり」
「誰かに聞いたのかい?」
「中央広場近くでリンゴを売ってる人に」
「ああ、ベル婆さんね!」
名前まであるのか。
「だったら間違いないよ。うちのシチューは昔から人気なんだから!」
「じゃあ、それとパンを」
「飲み物は?」
「果実水で」
「はいよ!」
マリアさんが厨房へ向かう。
俺は店内を眺める。
近くの席ではNPCの冒険者たちが話していた。
「北の森でゴブリンが増えてるらしいぞ」
「またか?」
「商人が一人襲われたって話だ」
「討伐依頼が出るかもな」
別の席では。
「今年は麦がよく育った」
「南の農場は豊作らしいな」
「だったらパンの値段も上がらずに済みそうだ」
さらに。
「父ちゃん、明日も仕事?」
「ああ。城壁の補修があるからな」
「早く帰ってきてね!」
「分かってるよ」
「…………」
俺は思わず聞き入っていた。
クエストを配るためだけの会話ではない。
生活している。
そんな印象を受ける。
「お待たせ!」
ドン。
目の前へ料理が置かれた。
木製の器いっぱいに入ったシチュー。
焼きたてらしいパン。
果実水。
「……うまそう」
「熱いから気をつけな!」
「いただきます」
スプーンを取る。
まずシチュー。
ふーっ。
一口。
「…………」
「どうだい?」
「美味い」
「だろう!」
本当に美味い。
濃厚だが重すぎない。
肉も柔らかい。
野菜にはしっかり味が染みている。
パンをちぎってシチューへ浸す。
食べる。
「これゲームなんだよな……」
「ゲーム?」
「あ、いや。独り言です」
「変わった人だねぇ」
本日三回目くらいだろうか。
俺、そんなに変だろうか?
◇◇◇
食事を終える頃。
「ジョウゴさん」
「はい?」
マリアさんが空いた器を回収しながら尋ねてきた。
「今夜はどうするんだい?」
「どうする?」
「泊まる場所さ」
「ああ」
そういえば。
ゲームだからログアウトすればいい。
だが――。
「宿に泊まると何かあるんですか?」
「何かって?」
「……疲れが取れるとか」
「そりゃ寝れば疲れは取れるだろう?」
「ですよね」
聞き方が悪かった。
メニューからヘルプを確認する。
《宿泊施設》
《宿泊施設を利用することでセーフログアウトが可能です》
《宿泊時、一部ステータスに休息ボーナスが付与される場合があります》
《宿泊施設によってサービス内容が異なります》
「なるほど」
宿を使う意味はあるらしい。
「一泊いくらです?」
「普通部屋なら20G。朝食付きで25Gだよ」
「じゃあ朝食付きで」
「毎度あり!」
料金を支払う。
《銀麦亭の客室を利用可能になりました》
「二階の七号室だよ」
マリアさんから鍵を受け取る。
ちゃんと金属製の鍵だ。
「鍵まであるのか」
「なくしたら弁償だからね!」
「気をつけます」
◇◇◇
二階へ上がる。
七号室。
鍵を差し込む。
カチャ。
扉を開ける。
「おお」
小さな部屋だ。
ベッド。
机。
椅子。
棚。
窓。
豪華ではない。
だが清潔感がある。
窓を開ける。
「……いい景色だな」
夜の《シズナ》。
通りに並ぶランプ。
酒場から漏れる光。
遠くに見える城壁。
その向こうには暗い草原。
さらに空。
「星まであるのか」
満天の星。
現実の都会では、なかなか見られない景色だった。
しばらく眺める。
「もう一つの世界、か」
あのキャッチコピー。
ログインする前は、単なる宣伝文句だと思っていた。
でも。
街を歩いた。
NPCと話した。
リンゴを食べた。
戦った。
フレンドができた。
そして宿屋で食事をした。
たった数時間。
それだけなのに。
「……確かに、生活してる感じはするな」
悪くない。
いや。
かなり好きかもしれない。
◇◇◇
「さて」
ベッドへ腰掛ける。
そろそろ現実へ戻ろう。
明日も仕事だ。
「メニュー」
ログアウトを選択。
《現在地はセーフログアウト対応施設です》
《ログアウトしますか?》
《YES/NO》
「YES」
視界が少しずつ白くなる。
《おやすみなさい》
《またAnother World Onlineでお会いしましょう》
◇◇◇
「……ん」
目を開ける。
見慣れた天井。
VR機器を外す。
時刻を確認。
「十時前か」
まだ十分余裕がある。
軽く身体を動かす。
問題なし。
「明日も仕事だし、今日は早めに寝るか」
そう思いながらスマートフォンを手に取る。
何となくAWO関連の掲示板を開いた。
サービス開始初日。
当然、ものすごい勢いで書き込みが増えている。
『魔法楽しすぎ』
『シズナのパン普通に美味くて草』
『ゴブリン強くない?』
『NPCの会話すごいな』
『鍛冶やってる奴いる?』
『南草原初心者多すぎ』
「みんな楽しんでるな」
スクロールする。
すると。
「ん?」
妙な書き込みが目に入った。
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【目撃情報】
シズナ南草原に変な剣士いた。
ホーンラビットの突進をギリギリで避けて一撃。
しかもアーツ使ってないっぽい。
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『嘘乙』
『サービス初日だぞ』
『ベータ勢じゃね?』
『名前分かる?』
『ジョウゴとかいう奴だったと思う』
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「…………」
俺は画面を見つめる。
「同じ名前の奴……」
そこまで言って。
今日会った三人を思い出した。
カイト。
ミナ。
レント。
そして。
俺の戦闘を見ていたプレイヤー。
「…………俺か?」
さらに読む。
『リアル剣術経験者じゃね?』
『フルダイブ系はリアルスキル持ち強いぞ』
『でもパリィを手動でやるのは普通に難しい』
『動画は?』
『動画ないなら解散』
『明日探してみるわ』
「探すなよ」
思わずスマホへ突っ込む。
別に隠れるつもりはない。
だが。
「ただウサギ倒しただけだぞ……?」
俺には、どうして騒がれているのかよく分からない。
掲示板を閉じる。
「まあいいか」
スマートフォンを充電器へ置く。
明日も仕事。
AWOは逃げない。
急いで攻略するつもりもない。
「次は冒険者ギルドかな」
それから武器も見たい。
街もまだ全部歩いていない。
NPCとも話してみたい。
「……楽しみだな」
電気を消す。
こうして。
上塚賢吾としての一日が終わった。
銀行員として働き。
家へ帰り。
食事をして。
そして夜になれば――。
剣士ジョウゴとして、もう一つの世界へ行く。
まだ始まったばかり。
だが少しずつ。
俺の日常には《Another World Online》という第二の生活が入り始めていた。
そして翌日。
俺は《シズナ》の冒険者ギルドで――。
また一つ、この世界の自由さを知ることになる。




