第59話 白き道
百年以上前に蒼月泉へ向かった薬師が残した記録には、こう書かれていた。
《大顎の眠る広間では、青き流れを右手に見て、白き岩壁に沿いて進め》。
さらに、《大顎は青き石を好む。白き道には近づかぬ》とも記されている。
青晶洞の深部大空洞で俺たちが遭遇した《岩喰い大顎獣グラン・ガルドLv.18》は、まさに記録に残されていた《石を喰らう大顎》だった。
俺たち四人はLv12。戦えないと決めつけるつもりはないけれど、幼竜を救うことが目的である以上、必要のない戦闘をする理由もない。
そこで次の探索では、グラン・ガルドを倒すのではなく、古い記録に残された《白き道》を探すことにした。
◇◇◇
翌日。
現実世界で銀行の仕事を終えた俺――上塚賢吾は、帰宅してからいつも通り夕食と風呂を済ませ、翌日の準備まで終えてからVR機器を装着した。
深部探索だからといって、現実の生活を崩すつもりはない。
むしろ危険な場所へ行く日ほど、現実側の身体状態は整えておいた方がいい。
《リアルコンディションチェックを開始します》
《睡眠状態:良好》
《栄養状態:問題なし》
《水分状態:問題なし》
《体温:正常範囲》
《身体活動:良好》
《フルダイブ可能》
ジョウゴ「ログイン」
視界が光に包まれ、銀麦亭の客室へ切り替わる。
俺はベッドから立ち上がると、腰の《星月》を確認した。
《星月》
《状態:良好》
《耐久値:96%》
《魔力経路安定度:99.2%》
《魔力調整核蓄積量:82%》
《外部魔力制限弁・試作型:正常》
《外部魔力流入:手動遮断中》
続いて《蒼月の道標》を確認する。
《蒼月の道標》
《耐久値:100%》
《月光同調:完了》
《蒼月泉波長固定:正常》
昨日、月光へ晒したことで耐久値も完全に回復している。
準備に問題はない。
一階へ下りると、ミナ、カイト、レントもすでに装備を整えて待っていた。
ミナ「ジョウゴ、おかえり!」
ジョウゴ「ただいま。今日は全員早いな」
カイト「白い道を見つければ、蒼月泉まで一気に近づくかもしれないからな」
レント「一気に進もうとするなよ」
カイト「分かってるって」
ミナ「危なくなったら帰る、だよね?」
ジョウゴ「ああ。それは変わらない」
白き道を発見したとしても、その先が安全とは限らない。
グラン・ガルドを避けられたとして、さらに強い魔物がいる可能性だってある。
今日の目的は、あくまで安全な経路の確認だ。
◇◇◇
シズナ冒険者ギルドへ立ち寄ると、副支部長のグレイスから最新の観測情報を受け取った。
青晶洞入口から第一分岐までの魔力濃度は、昨日とほぼ変わっていない。
蒼晶竜と幼竜の反応も安定している。
さらに昨日提出した深部大空洞の地図には、エドガーさんが古い記録から推測した《白き道》の候補地点が書き加えられていた。
グレイス「確証はないが、大空洞の西側外周に存在した可能性が高い」
ジョウゴ「理由は?」
エドガー「《青き流れを右手に見て》という記述だ」
エドガーさんが地図を指差す。
エドガー「君たちの報告では、大空洞の青晶鉄鉱主鉱脈は東側の壁に集中していたそうだな」
レント「はい」
エドガー「ならば、その鉱脈を右手に見ながら進むには、反対側――西側外周を歩くことになる」
ジョウゴ「なるほど」
百年以上前の文章だから、現在の地形と完全に一致する保証はない。
それでも探す範囲を絞れるだけで十分だ。
グレイス「グラン・ガルドへ近づく必要はない。西側外周を確認し、白い岩壁が見つからなければ戻れ」
ジョウゴ「分かりました」
エドガー「それともう一つ」
エドガーさんが小さな紙を差し出した。
古い記録から見つけた追加の一文らしい。
エドガー「《白き岩に青き筋なし。大顎これを食まず》」
カイト「青晶鉄鉱が含まれていない岩ってこと?」
エドガー「おそらくな」
レント「それなら見分けやすいかもしれない」
青晶洞の深部では、青晶鉄鉱があちこちに露出している。
逆に、それがまったく含まれていない白い岩壁なら目立つはずだ。
◇◇◇
青晶洞へ入り、俺たちは前回作成した地図に沿って進んだ。
第一分岐までの道は、もうかなり慣れている。
それでも警戒は緩めない。
途中でブルーケイブバットを数体見かけたものの、こちらから刺激しなかったため戦闘にはならなかった。
第一分岐を越え、蒼晶竜のいる場所へ向かう。
巨大な古竜は、俺たちが近づくと静かに目を開いた。
蒼晶竜「……また……来たか……」
ジョウゴ「はい。今日は大空洞にある《白き道》を探します」
蒼晶竜「……白き……道……」
その言葉に、蒼晶竜が僅かに頭を動かした。
ジョウゴ「覚えていますか?」
蒼晶竜「……遥か昔……泉へ向かう者たちは……白き壁の傍らを……歩いていた……」
レント「やはり存在したんですね」
蒼晶竜「……だが……地は……大きく変わった……」
ジョウゴ「分かっています。見つからなければ戻ります」
蒼晶竜「……それがよい……」
幼竜は今日も蒼晶竜の傍らで身体を丸めていた。
俺たちに気づいたのか、小さく頭を上げる。
幼竜「キュゥ……」
ミナ「行ってくるね」
ミナが手を振ると、幼竜が弱々しく尻尾を動かした。
その姿を見ると、助けたいという気持ちは強くなる。
でも、それと無茶をすることは別だ。
◇◇◇
裂け目を下り、旧採掘坑道へ入る。
前回遭遇したロックモールの姿はなく、崩落地点まで問題なく到達できた。
左側の狭い通路へ入り、《月隠れの闇路》の前で《蒼月の道標》を取り出す。
《《蒼月の道標》を起動します》
通常のランタンが徐々に役に立たなくなる中、道標から伸びる青い光が安全な足場だけを浮かび上がらせた。
前回発見した深い穴も避け、慎重に闇路を抜ける。
《《月隠れの闇路》を突破しました》
《蒼月の道標:耐久値99%》
その先。
青晶鉄鉱の淡い光に照らされた深部大空洞が再び姿を現した。
《青晶洞・深部大空洞》
《周辺魔力濃度:通常値比231%》
前回より僅かに低い。
俺はすぐに星月を確認した。
《外部魔力反応:強》
《外部魔力流入:手動遮断中》
《魔力調整核蓄積量:82%》
《外部魔力制限弁・試作型:待機》
こちらも問題ない。
レント「グラン・ガルド確認」
大空洞の中央より少し東側。
巨大な黒い身体が見える。
《岩喰い大顎獣グラン・ガルドLv.18》
《状態:通常》
《敵対状態:なし》
《縄張り性:高》
今日も岩壁に噛みついている。
ガリッ、ゴリッという硬い音が空洞内に響いていた。
カイト「本当にずっと食ってるな」
ミナ「お腹いっぱいにならないのかな?」
ジョウゴ「ミナがそれ言う?」
ミナ「どういう意味?」
カイト「いや、なんでもない」
余計なことを言わない判断は正しい。
◇◇◇
俺たちはグラン・ガルドから距離を取りながら、西側の外周へ向かった。
昨日は入口付近から大空洞全体を見渡しただけだったため、こちら側を詳しく調べていない。
レントが先行しすぎない範囲で周囲を確認し、俺とカイトが前方を警戒する。
ミナは中央に入ってもらった。
西側の岩壁にも青晶鉄鉱は存在している。
ただ、東側と比べるとかなり少ない。
レント「グラン・ガルドとの距離、約七十メートル」
ジョウゴ「反応は?」
レント「なし。こっちを見てもいない」
古い記録通りなら、このまま西側外周を進めばいい。
しばらく歩いたところで、岩壁の色が少しずつ変わり始めた。
カイト「なあ、あれじゃないか?」
カイトが指差す。
青黒い岩壁の中に、白っぽい部分がある。
最初は小さな斑点程度だった。
でも進むにつれて範囲が広がり、やがて人の背丈を超える白い岩壁が現れた。
《未知地質を確認しました》
《鑑定可能》
俺は壁へ手を当てる。
《白月岩》
《品質:普通》
《魔力伝導性:極低》
《魔力蓄積性:極低》
《青晶鉄成分:ほぼなし》
《特殊性質:周辺魔力の影響を受けにくい》
ジョウゴ「これだ」
レント「青晶鉄成分がほとんどない」
カイト「グラン・ガルドが食わない岩」
ミナ「じゃあ、この壁沿いが《白き道》?」
システムも反応した。
《古代記録との照合を開始します》
《条件一致》
《《白き岩壁》を発見しました》
《特殊クエスト《蒼晶竜の願い》が進行しました》
《追加目標《白き道を発見する》進行中》
まだ《白き道》そのものではない。
でも、手掛かりは見つかった。
◇◇◇
白月岩の壁に沿って、さらに進む。
面白いことに、こちらへ来るほど青晶鉄鉱の露出が少なくなっていた。
それに伴って、グラン・ガルドとの距離も自然に広がっていく。
あの魔物は青晶鉄鉱が豊富な東側からほとんど動いていない。
レント「記録は正しかったようだな」
ジョウゴ「ああ。こっちには興味がないらしい」
その時、グラン・ガルドが一度だけ顔を上げた。
巨大な頭がこちらへ向く。
「……」
全員が止まった。
武器には触れない。
走らない。
グラン・ガルドは数秒ほどこちらを見ていた。
《岩喰い大顎獣グラン・ガルド》
《警戒度:低》
《敵対状態:なし》
やがて興味を失ったように頭を戻し、再び青晶鉄鉱を噛み砕き始める。
カイト「心臓に悪い……」
ジョウゴ「でも、追ってこない」
レント「白月岩側は縄張りの外なのかもしれない」
十分あり得る。
グラン・ガルドにとって重要なのは大空洞そのものではなく、餌となる青晶鉄鉱が大量に存在する場所なのかもしれない。
◇◇◇
さらに白月岩に沿って進むと、地面にも変化が現れた。
自然に割れた岩ではない。
平らに削られている。
レント「人工的な道だ」
土や砂を払うと、白い石を並べた古い舗装が姿を現した。
《古代通路を発見しました》
《推定経過年数:100年以上》
《通称情報との照合中……》
《照合完了》
《《白き道》》
「見つけた」
思わず声が出た。
《特殊クエスト《蒼晶竜の願い》》
《追加目標《白き道を発見する》を達成しました》
《深部大空洞・安全経路候補を発見》
《岩喰い大顎獣グラン・ガルドとの戦闘を回避しました》
《内部調査率:39%→46%》
ミナ「やった!」
カイト「本当に戦わなくてよかったな」
レント「昔の記録が残っていて助かった」
ジョウゴ「ああ」
百年以上前の人たちも、強い魔物を片っ端から倒して進んでいたわけじゃない。
危険な生物の習性を知り、刺激せず、安全な場所を道として使っていた。
冒険というより、生活の知恵に近い。
AWOらしいと思う。
◇◇◇
《白き道》を進む。
道幅は二メートルほどあり、四人で一列にならなくても歩ける。
右側には遠く青晶鉄鉱の光が見え、左側には白月岩の壁が続いている。
古い記録にあった《青き流れを右手に見て、白き岩壁に沿いて進め》という文章そのままだ。
そして数分進むと、グラン・ガルドの姿が岩陰に隠れた。
《岩喰い大顎獣グラン・ガルド》
《距離:測定範囲外》
《敵対状態:なし》
完全に回避できたらしい。
カイト「突破した?」
レント「まだ大空洞を出たとは限らない」
ジョウゴ「油断せず行こう」
さらに進むと、白き道は徐々に下り坂になった。
周囲の青晶鉄鉱も再び増えてくる。
《魔力方位計》を確認すると、主鉱脈の反応は前方。
《蒼月の道標》も同じ方向を示している。
二つの反応が一致していた。
そして、しばらく進んだところで空気が変わった。
ミナ「……何か涼しくない?」
ジョウゴ「俺も感じた」
カイト「風?」
微かな風が前方から流れてくる。
湿っている。
洞窟の奥なのに、水辺のような匂いがした。
レント「水の音がする」
全員が黙る。
耳を澄ませる。
確かに聞こえる。
さらさらと流れる、小さな水音。
ミナ「泉?」
ジョウゴ「まだ分からない。でも近いかもしれない」
《蒼月の道標》を見る。
青い光が先ほどまでより強くなっていた。
《蒼月泉方向感応:強》
《対象波長との距離が縮小しています》
確実に近づいている。
◇◇◇
白き道をさらに下ると、やがて狭い岩の門のような場所へ到着した。
左右を白月岩に挟まれた天然の通路だ。
その向こうから、青白い光が漏れている。
前回、大空洞の奥から僅かに見えていた光。
たぶん、これだ。
カイト「行く?」
俺は時間を確認した。
探索開始からはまだ余裕がある。
現実時間も問題ない。
装備の消耗も少なく、回復薬も十分。
ここで戻る必要はない。
ジョウゴ「入口だけ確認しよう。ただし、何かいたらすぐ戻る」
カイト「了解」
ミナ「うん」
レント「先を確認する」
レントが慎重に進み、俺たちも後に続いた。
白月岩の狭い通路を抜ける。
その先に広がっていたのは、小さな円形の空間だった。
中央には水が流れている。
ただし泉ではない。
岩壁の下から湧き出した水が、細い地下水路となってさらに奥へ続いている。
《未登録区域を発見しました》
《青晶洞・蒼月水路》
《周辺魔力濃度:通常値比268%》
《水中魔力濃度:極高》
大空洞より高い。
星月を確認する。
《外部魔力反応:強》
《外部魔力流入:手動遮断中》
《外部魔力制限弁・試作型:待機》
《魔力調整核蓄積量:82%》
遮断は問題なく機能している。
俺は水辺へ近づき、《洞察》と鑑定を使った。
《蒼月水》
《品質:高》
《高濃度魔力含有》
《魔力波長:青晶鉄鉱との高い類似性を確認》
《特殊安定波長:微弱》
「特殊安定波長……」
ミナ「それって?」
ジョウゴ「もしかすると、蒼月晶の影響かもしれない」
まだ断定はできない。
でも、ここまで流れてきた水に《安定》に関係する波長が含まれている。
蒼晶竜が言っていた。
蒼月晶は、魔力を蓄え、巡らせ、安定させる石。
その性質と一致する。
レント「水は奥から流れてきている」
つまり、この水路を上流へ辿れば――。
その時、《蒼月の道標》が強く輝いた。
《蒼月泉由来波長を確認》
《方向感応:極強》
《蒼月泉との経路接続を確認》
《特殊クエスト《蒼晶竜の願い》が進行しました》
《《白き道》突破:完了》
《《蒼月水路》発見:完了》
《蒼月泉への経路を確認しました》
《第二段階《蒼月泉への道》達成率:87%》
カイト「八十七%か」
ミナ「もう少し?」
ジョウゴ「ああ。でも今日はここまでにしよう」
ミナが少し驚いた顔をした。
ミナ「行かないの?」
ジョウゴ「水路の先の情報が何もない」
ここまで来た。
だからこそ、焦らない。
グラン・ガルドを避ける安全経路も見つけた。
蒼月泉につながっている水路も発見した。
次回は最初からここを目的地にできる。
レント「賛成だ。地図もここまでで一度整理したい」
カイト「俺も。泉が近いからって突っ込んで、帰れなくなったら意味ないしな」
ミナ「……分かった」
ミナもすぐに頷いた。
ミナ「早く助けたいけど、失敗したらもっと遅くなるもんね」
ジョウゴ「ああ」
その通りだ。
◇◇◇
帰り道では、《白き道》が本当に安全経路として使えるかを改めて確認した。
グラン・ガルドは相変わらず青晶鉄鉱が豊富な場所に留まり、こちらへ近づいてくる様子はない。
《月隠れの闇路》も《蒼月の道標》を使って問題なく通過できた。
そして蒼晶竜のところまで戻る。
蒼晶竜「……戻ったか……」
ジョウゴ「蒼月泉につながっていると思われる水路を見つけました」
蒼晶竜がゆっくり頭を上げる。
蒼晶竜「……水……流れていたか……」
ジョウゴ「はい。《蒼月水》と表示されました」
その言葉を聞いた瞬間、蒼晶竜の瞳が僅かに大きくなった。
蒼晶竜「……ならば……泉は……まだ生きている……」
ミナ「まだ生きている?」
蒼晶竜「……泉が……力を失えば……水は……ただの水となる……」
重要な情報だった。
つまり、《蒼月水》が存在していること自体が、蒼月泉と蒼月晶の機能が完全には失われていない証拠になる。
ジョウゴ「水の中に、特殊安定波長という反応もありました」
蒼晶竜「……蒼月晶の……力だ……」
今度ははっきり答えた。
これで一つ確定した。
蒼月晶の力は泉の中だけに留まっているわけではない。
少なくとも微弱ながら、水を通じて外へ流れている。
その瞬間、俺の視界に新しいシステムメッセージが表示された。
《重要情報を取得しました》
《《蒼月晶》の特殊性質に関する情報を更新》
《魔力蓄積》
《魔力循環》
《魔力安定化》
《水を介した安定波長伝播:確認》
《青晶鉄鉱脈との関連:未確認》
俺は最後の一文を見つめた。
水を通じて力が伝わる。
そして青晶鉄鉱もまた、洞窟全体へ魔力を伝えている。
もし、この二つに何らかのつながりがあるなら――。
以前、バルガが言っていた仮説。
青晶鉄鉱の鉱脈を利用して、蒼月晶の安定化する力を幼竜まで届ける。
それが本当に可能になるかもしれない。
でも、まだ情報が足りない。
まずは実際の蒼月泉を確認する必要がある。
ジョウゴ「次は水路を上流へ進みます」
蒼晶竜「……頼む……」
幼竜がこちらを見て、小さく鳴いた。
幼竜「キュゥ……」
ミナ「もう少しだからね」
俺たちは幼竜に別れを告げ、青晶洞を後にした。
グラン・ガルドを倒すことなく《白き道》を発見し、その先で《蒼月水路》へ到達した。
さらに、水に蒼月晶由来の安定化する力が流れていることも確認できた。
目的地は近い。
そして今度こそ、その先にあるものを自分たちの目で確かめる。
幼竜の命を救うために必要な《蒼月晶》が眠る場所――《蒼月泉》は、もう遠くないところまで来ていた。




