第58話 戦わずに越える道
青晶洞の深部で発見した大空洞。
その奥には、九十年以上前の採掘記録に《石を喰らう大顎》と記されていた魔物――《岩喰い大顎獣グラン・ガルドLv.18》がいた。
俺たちのレベルは十二。
単純なレベル差だけで勝敗が決まるゲームではないとはいえ、相手の能力も攻撃方法も分からない状態で戦う理由はない。
しかも今回の目的は魔物の討伐ではなく、《蒼月泉》へ続く経路を確認することだ。
俺たちはグラン・ガルドを刺激しないよう、ゆっくりと来た道を戻り始めた。
大空洞の壁には青晶鉄鉱の太い鉱脈が走り、淡い青色の光を放っている。そのおかげで周囲を確認することはできるが、足元には崩れた岩が多く、急いで移動すれば音を立てる可能性があった。
だから走らない。
武器も抜かない。
必要以上にグラン・ガルドを見続けることもしない。
ただ静かに距離を取る。
その間にも、背後から硬い岩を砕く音が響いていた。
ゴリッ。
ガリガリッ。
どうやらグラン・ガルドは、こちらより青晶鉄鉱を食べることに夢中らしい。
レント「まだ気づかれていない」
最後尾から相手を確認していたレントが、小声でそう告げる。
ジョウゴ「そのまま下がろう。月隠れの闇路まで戻る」
カイト「了解」
ミナ「うん」
俺たちは慎重に後退を続けた。
やがて《月隠れの闇路》の入口まで戻り、《蒼月の道標》を起動する。
周囲の光が急激に弱くなる中、道標から伸びる青い光だけが足元の安全な経路を示した。
今度は一度通った道だ。
それでも油断はしない。
途中には深い穴もある。
俺たちは一列になって進み、全員が無事に闇路を抜けた。
《《月隠れの闇路》を通過しました》
《蒼月の道標:正常》
《耐久値:98%》
耐久値が少し減っている。
無制限に使える道具ではないらしい。
ジョウゴ「道標の耐久が二%減った」
レント「往復で消耗するなら、今後も確認が必要だな」
カイト「壊れたら真っ暗な場所に取り残されるってこと?」
ミナ「それは嫌だなぁ……」
ジョウゴ「予備を作ることも考えた方がいいかもな」
月導石はまだ残っている。
加工には時間がかかるけれど、命綱になる道具なら予備を用意する価値はある。
それも帰ってから相談だ。
◇◇◇
旧採掘坑道まで戻ったところで、俺たちは一度休憩を取った。
周囲に魔物の反応がないことをレントが確認し、カイトが通路の前後を警戒する。
ミナはアイテム欄から水と保存用の焼き菓子を取り出した。
ミナ「休憩も大事です」
カイト「それ、昨日から楽しみにしてただろ」
ミナ「探索中の適切な栄養補給です」
ジョウゴ「満腹度は?」
ミナ「五十一%です」
ジョウゴ「なら食べても大丈夫か」
ミナ「もちろん!」
嬉しそうに焼き菓子を食べ始めるミナを見ながら、俺も水を飲んだ。
ゲーム内の飲食とはいえ、長時間の探索ではこういう時間が気分の切り替えになる。
レントは休憩しながら、今回作成した地図を確認していた。
レント「ここまでの経路は記録できた」
簡易地図が共有される。
第一分岐から蒼晶竜のいる場所を通過し、裂け目を下りる。そこから旧採掘坑道を進み、崩落地点の左側にある狭い通路へ入る。
《月隠れの闇路》を抜ければ、グラン・ガルドがいる深部大空洞。
そこまでは一本につながった。
ジョウゴ「問題は大空洞の先だな」
カイト「道標はグラン・ガルドの向こうを指してた」
レント「ああ。それに奥の岩壁から青白い光も確認できた」
ミナ「蒼月泉かな?」
ジョウゴ「可能性はある。でも、まだ分からない」
システム表示でも《蒼月泉由来と推定される魔力波長》としか出ていない。
確定ではない。
そして、その場所へ行くにはグラン・ガルドがいる大空洞を通過しなければならない。
カイト「倒す?」
ジョウゴ「それを決めるためにも、まず情報を持ち帰ろう」
グラン・ガルドは縄張り性が高いと表示されていた。
逆に言えば、縄張りへ踏み込まなければ戦わずに済む可能性がある。
大空洞の端を通れるのか。
別の通路があるのか。
何かに誘導されて一時的に場所を移す習性があるのか。
そもそも戦う必要がある相手なのか。
確認すべきことはいくらでもある。
レント「賛成だ」
カイト「俺も。レベル十八はさすがに情報なしで突っ込む相手じゃない」
ミナ「私も戦わなくて済むなら、その方がいいな」
全員の意見は一致した。
◇◇◇
休憩を終えた俺たちは第一分岐まで戻った。
途中でロックモールを一体見かけたものの、離れた横穴へ入っていったため戦闘にはならなかった。
そして蒼晶竜のいる場所まで戻る。
巨大な蒼晶竜は、俺たちが戻ってきたことに気づくとゆっくり頭を上げた。
その傍らでは、幼竜が身体を丸めている。
蒼晶竜「……戻ったか……」
ジョウゴ「はい。蒼月泉へ続いていると思われる道を見つけました」
蒼晶竜の瞳が僅かに動いた。
蒼晶竜「……そうか……」
ジョウゴ「ただ、途中の大空洞に大型の魔物がいました」
蒼晶竜「……魔物……」
ジョウゴ「《岩喰い大顎獣グラン・ガルド》という名前でした。レベル十八です」
蒼晶竜はすぐには答えなかった。
何かを思い出しているようにも見える。
しばらくして、低い声が洞窟へ響いた。
蒼晶竜「……岩を……喰らうもの……」
ジョウゴ「知っているんですか?」
蒼晶竜「……名は……知らぬ……だが……遥か昔……似たものを……見た……」
やっぱり昔から存在する種類らしい。
レント「敵対的な魔物ですか?」
蒼晶竜「……自ら……遠くまで追うことは……少ない……」
俺たちは顔を見合わせた。
重要な情報だ。
ジョウゴ「縄張りを守るタイプ?」
蒼晶竜「……おそらく……」
システムの《縄張り性:高》とも一致する。
蒼晶竜「……岩と……鉱石を喰らい……長く……一つの場所に留まる……」
カイト「やっぱり戦わずに抜けられる可能性があるな」
ジョウゴ「ああ」
俺はもう一つ確認する。
ジョウゴ「蒼月泉へ行くには、あの大空洞を通るしかありませんか?」
蒼晶竜は少し考えた。
蒼晶竜「……かつての道は……大空洞の……端を通っていた……」
ジョウゴ「端?」
蒼晶竜「……泉へ向かう者が……大顎の近くを……歩くことはなかった……」
つまり、昔は安全な経路が存在した可能性が高い。
今は崩落や地形変化で分からなくなっているだけかもしれない。
レント「大空洞の外周を調べる価値がある」
ジョウゴ「ああ」
倒す必要はない。
少なくとも、その可能性がかなり高くなった。
◇◇◇
ミナは幼竜の近くまで移動すると、蒼晶竜へ確認を取った。
ミナ「今日も少しだけ回復魔法を使っていいですか?」
蒼晶竜「……頼む……」
ミナ「《ヒール》」
柔らかな光が幼竜を包む。
《HP回復》
《生命力低下を一時緩和》
《重度魔力欠乏:変化なし》
やはり根本的な問題は変わらない。
それでも幼竜は少し楽になったのか、ゆっくり顔を上げた。
幼竜「キュ……」
ミナ「もう少し待っててね」
幼竜がミナの手へ鼻先を近づける。
ミナは驚いた後、嬉しそうに笑った。
その様子を見ていた蒼晶竜の目も、以前より僅かに柔らかくなった気がした。
すると、俺の視界にシステムメッセージが表示された。
《蒼晶竜との友好関係が深まりました》
《幼竜との友好度が上昇しました》
《特殊クエスト《蒼晶竜の願い》に関連情報が追加されました》
続いて新しい情報が開く。
《岩喰い大顎獣グラン・ガルド》
《生態情報が更新されました》
《縄張り性:高》
《追跡性:低》
《主食:岩石・鉱石》
《特定鉱石への嗜好:不明》
《戦闘回避の可能性:あり》
ジョウゴ「特定鉱石への嗜好……」
カイト「餌で動かせる?」
レント「可能性はあるが、まだ情報不足だ」
そこは慎重に考えた方がいい。
下手に餌を使って興奮させたら逆効果になるかもしれない。
◇◇◇
青晶洞を出た俺たちは、そのままシズナの冒険者ギルドへ戻った。
グレイス副支部長とエドガーさんへ、今回の探索結果を報告する。
第一分岐以降の新規経路。
旧採掘坑道。
崩落地点。
《月隠れの闇路》。
《蒼月の道標》が正常に機能したこと。
深部大空洞。
そして《岩喰い大顎獣グラン・ガルドLv.18》。
レントが作成した地図も提出する。
グレイス「よく戻った」
報告を聞き終えたグレイス副支部長が、最初に言ったのはそれだった。
ジョウゴ「戦う理由がありませんでしたから」
グレイス「それでいい」
エドガーさんは、グラン・ガルドの情報を古い資料と照合している。
エドガー「やはり、これが《石を喰らう大顎》だろうな」
レント「蒼晶竜から、大空洞の端に昔の道があったと聞きました」
エドガー「端……?」
エドガーさんが古い地図を広げる。
しかし、そこに大空洞そのものは描かれていない。
しばらく資料を見比べていたエドガーさんが、一枚の紙を取り出した。
エドガー「待て。この記述……」
ジョウゴ「何かありました?」
エドガー「採掘記録ではない。蒼月泉へ向かった薬師の記録だ」
百年以上前の旅行記に近いものらしい。
エドガーさんが古い文字を読み上げる。
エドガー「《大顎の眠る広間では、青き流れを右手に見て、白き岩壁に沿いて進め》」
レント「白い岩壁」
カイト「そんなのあった?」
ジョウゴ「俺は見てない」
俺たちが大空洞へ入った時、意識はグラン・ガルドと青晶鉄鉱の鉱脈へ向いていた。
空洞全体を調査したわけではない。
エドガー「続きがある。《大顎は青き石を好む。白き道には近づかぬ》」
「……」
かなり重要な情報だ。
グレイス「つまり、大空洞にはグラン・ガルドの縄張りを避けて通れる経路があった可能性がある」
レント「白い岩壁に沿う経路」
ジョウゴ「次はそれを探す」
戦う必要はないかもしれない。
むしろ、古い記録を見る限り、昔の人たちもグラン・ガルドを倒さずに通過していた可能性が高い。
それなら俺たちも同じことをすればいい。
◇◇◇
報告を終えた後、俺たちはバルガの工房へ向かった。
理由は二つ。
一つは《蒼月の道標》の耐久値が九十八%まで減ったこと。
もう一つは、グラン・ガルドが鉱石を食べる魔物だということだ。
バルガ「グラン・ガルド?」
ジョウゴ「レベル十八。青晶鉄鉱を岩ごと食べてた」
バルガの表情が固まった。
バルガ「……食った?」
ジョウゴ「ああ」
バルガ「青晶鉄鉱を?」
ジョウゴ「食ってた」
バルガ「もったいねぇ!」
カイト「そこ?」
バルガ「そこだろ!」
予想通りの反応だった。
ジョウゴ「それで、何か特定の鉱石を好む可能性があるらしい」
バルガ「鉱石を餌にして誘導する気か?」
ジョウゴ「まだ決めてない。昔は白い岩壁沿いを通って避けてたらしいから、まずそっちを調べる」
バルガ「それがいい。餌にするにしても、何を好むか分からねぇうちはやめとけ」
素材への執着は強いけれど、こういう時の判断はまともだ。
そして《蒼月の道標》を見せる。
バルガ「耐久九十八か」
ジョウゴ「闇路を往復した」
バルガ「なるほどな。月光同調で回復する可能性もある」
ジョウゴ「本当?」
バルガ「可能性だ。まだ試してねぇ」
工房の外へ出て月光に晒してみる。
数分待つと、道標が淡く光った。
《月光同調を確認》
《蒼月の道標》
《耐久値:98%→99%》
ミナ「回復した!」
バルガ「やっぱりな」
さらに待つ。
《耐久値:99%→100%》
《月光同調完了》
《蒼月泉波長固定:正常》
ジョウゴ「これなら毎回戻った後に月光へ晒せば使い続けられる?」
バルガ「今のところはな。ただし、欠けたり割れたりした時まで直るとは思うな」
ジョウゴ「了解」
これで道標についての心配も一つ減った。
◇◇◇
その夜。
銀麦亭へ戻った俺たちは、マリアさんの料理を食べながら次の探索について話していた。
次の目的ははっきりしている。
深部大空洞へ戻り、《白い岩壁》を探す。
グラン・ガルドとは戦わない。
見つからない場合は無理に進まず、もう一度撤退する。
カイト「レベル十八と戦わなくていいなら助かる」
レント「戦えるかどうかと、戦う必要があるかどうかは別だからな」
ジョウゴ「ああ」
ミナ「幼竜を助けるのが目的だもんね」
ジョウゴ「そういうこと」
俺たちは攻略のために青晶洞へ入っているわけではない。
強い魔物がいるから倒す。
珍しい素材があるから全部採る。
そんな必要はない。
必要なのは、蒼月泉へ続く安全な道だ。
その時、俺の前にシステムメッセージが表示された。
《特殊クエスト《蒼晶竜の願い》》
《第二段階《蒼月泉への道》》
《深部大空洞を発見しました》
《高危険度生物《岩喰い大顎獣グラン・ガルド》を確認しました》
《古代記録との照合が完了しました》
《追加目標が設定されました》
《深部大空洞に残る《白き道》を発見してください》
《戦闘は必須ではありません》
最後の一文を見て、俺は少し笑った。
ジョウゴ「やっぱり戦わなくていいらしい」
カイト「助かる」
ミナ「じゃあ次は道探しだね」
レント「白い岩壁を見落とさないようにしよう」
俺は頷き、表示されたクエスト情報を閉じた。
レベル十八の魔物がいるからといって、倒さなければ先へ進めないとは限らない。
百年以上前、この道を使っていた人たちは、すでにそのことを知っていた。
《大顎の眠る広間では、青き流れを右手に見て、白き岩壁に沿いて進め》。
次に探すものは、敵の弱点ではない。
戦わずにその横を通り抜けるための、百年以上前に失われた《白き道》だった。




