第八話 文化祭、始動――
第八話です。文化祭実行委員として初のホームルームに挑む湊だが、企画決めは難航。しかし、湊の熱い言葉にクラスメイト達は納得し……。
5月も半ばを過ぎ、新緑がまぶしい季節になった。5限目を終えた2年C組はどこかそわそわした空気に包まれ、ホームルームの開始を今か今かと待っていた。
六限目。ホームルームが始まると、担任は教卓に一枚のプリントを置いた。
「さて」
教室中の視線が集まる。
「今日から本格的に文化祭の準備を始める」
「『文化祭月間』ということで今日から6限はホームルームもとい、文化祭の準備時間だ。」
その一言で、教室が一気にざわついた。
「キターーー!」
「何やるんだろ!」
「今年こそ模擬店!」
「お化け屋敷やりたい!」
楽しそうな声があちこちから上がる。担任は苦笑しながら黒板へ大きく書いた。
『文化祭企画』
「まずは企画を決める」
「飲食でも展示でもアトラクションでも構わない」
「ただし、学校の許可が下りる内容であること、これが絶対条件だ。」
「あと、今年は朝比奈が実行委員だから進行を頼む」
「え」
突然名前を呼ばれ、湊は目をぱちぱちと瞬かせた。
「先生……」
「いきなりですか?」
「実行委員だからな」
担任はあっさりと言う。
「みんなも異論ないだろ?」
「なーい!」
教室中から返事が返ってきた。湊は苦笑しながら立ち上がる。
「分かりました」
教壇へ立つと、教室が自然と静かになった。
「じゃあ」
「やりたい企画を出してってください」
その一言をきっかけに、一斉に手が挙がる。
「メイド喫茶!」
「お化け屋敷!」
「縁日!」
「脱出ゲーム!」
「映画館!」
「執事喫茶!」
湊は黒板へ一つひとつ丁寧に書いていく。教室はすっかりお祭り騒ぎだった。
「まだありますか?」
「カフェ!」
「スポーツ大会!」
「ダンス発表!」
「……それは体育祭のときにやってくださーい」
湊がツッコむと、教室に笑いが広がる。そんな中、一人の男子生徒がおずおずと手を挙げた。
「あのさ」
「遊園地のコーヒーカップってできないかな?」
「コーヒーカップ?」
ひまりが首を傾げる。
「回るやつ?」
「そう」
「人力だけど」
「昔、兄貴の高校がやっててさ」
「めちゃくちゃ楽しそうだったんだ」
一瞬、教室が静まり返る。そして、
「何それ面白そう!」
「やってみたい!」
「遊園地じゃん!」
興味を示す声が次々と上がった。しかし、それと同じくらい反対意見も出る。
「危なくない?」
「そんなもん作れんの?」
「予算足りるかな」
「失敗したらどうするの?」
教室は次第に意見がぶつかり始める。
「いや、無理だって!」
「だからできるって!」
「危ないだろどう考えても!」
少しずつ声が大きくなっていく。しかし誰にも悪気はないのだろう。それだけ本気で文化祭を楽しみたいのだ。湊はその様子をしばらく見つめていた。そして、教壇の前へ出る。
「みんな」
決して大きな声ではない。それでも、その一言で教室は少しずつ静かになっていく。
「いったん整理しよう」
湊は黒板へ近付き、チョークを持った。大きく一本、縦線を引く。
右側に、
『良いところ』
左側に、
『心配なところ』
と書く。
「まず」
「コーヒーカップの良いところは?」
すぐに手が挙がった。
「珍しい!」
「体験型!」
「写真映え!」
「楽しそう!」
湊は頷きながら書き込んでいく。続いて左側。
「じゃあ心配なところは?」
「安全性」
「予算」
「作るのに時間が足りるかどうか」
「ちゃんと回るか」
「材料」
こちらもあっという間に埋まった。湊はチョークを置く。
「みんなが心配してることって、まあだいたいこの辺だよね」
誰もが頷く。
「危ないなら、もちろんやめた方がいい」
「別のことをやればいいわけだし、無理をする必要はない」
教室は静かだった。
「でも」
湊はゆっくりと続ける。
「安全に作れる方法があって」
「みんなで協力できるなら」
「挑戦してみる価値はあると思う」
その言葉に、何人かが顔を上げる。
「僕が思うのは」
「文化祭って」
「完成したものも大切だけど」
「完成させるまでの時間も同じくらい大切だと思う」
「放課後に残って」
「みんなで悩んで」
「失敗して」
「笑って」
「完成したときに、『これ、俺たちが作ったんだな』って胸を張って言える。」
少し照れくさそうに笑う。
「そんな文化祭になったら、きっと忘れられないと思うんだ」
教室に静寂が流れる。誰も話さない。その静けさを破ったのは——。
「私はやりたい!」
ひまりだった。勢いよく立ち上がり、満面の笑みを浮かべる。
「絶対楽しそう!」
「頑張って作りたい!」
その隣で、優斗も立ち上がる。
「俺も」
「こういうのワクワクするじゃん」
「失敗したら、そのとき考えればいい」
「まずはやってみようぜ」
その言葉に、教室の空気が変わる。
「……俺もやりたい」
「私も」
「やっぱり面白そう。」
「頑張ればできそうじゃない?」
一人、また一人と賛同の声が増えていく。担任は腕を組みながら、その様子を静かに見守っていた。やがて教室中の空気が一つになったところで、湊は笑顔で言う。
「じゃあ」
「投票しよう」
「コーヒーカップをやってみたい人」
ゆっくりと手が挙がる。
1人。
2人。
5人。
10人。
そして気付けば、教室のほとんどの手が空へ伸びていた。その光景を見て、担任は満足そうに頷く。
「決まりだな」
「2年C組の文化祭企画は——人力コーヒーカップに決定!」
教室中に拍手が響く。笑顔があふれる中、湊は少しだけ安堵したように息を吐いた。
文化祭まで、あと三週間。2年C組の、新しい挑戦が始まった。
◇
放課後。先ほどのホームルームで文化祭の企画が決まった教室は、いつも以上に活気に満ちていた。
「なあ、ホームセンターってどこが近い?」
「設計図って誰が描くんだ?」
「まず大きさ決めないと!」
「回す人も必要じゃない?」
クラス中でそんな会話が飛び交う。湊は実行委員として、先生から渡された資料を鞄へしまっていた。
「湊」
優斗が近づいてくる。
「今日は解散でいいのか?」
「うん」
「今日はまだ準備することもないし」
「役割決めは明日からかなぁ」
「そっか」
優斗は腕を組みながら笑う。
「いやー、楽しみだな」
「俺、絶対制作班」
「向いてそう」
「だろ?」
そんな他愛もない会話を交わしていると、ひまりも駆け寄ってきた。
「湊!」
「今日帰ったら何するの?」
「え?」
「設計図とか描くの?」
「とりあえず資料を読もうかなって」
「真面目だなぁ」
ひまりは苦笑する。
「私は帰ったらネットでコーヒーカップ調べよっと!」
「いいね」
「参考になるかも」
三人で笑い合ったあと、それぞれ帰路についた。
◇
夕焼けに染まる住宅街。湊はゆっくりと家までの道を歩いていた。頭の中は文化祭のことでいっぱいだった。
(人力で回す仕組みって、どうなってるんだろう)
(安全のことも考えないと)
(予算も限られてるしな……)
考えれば考えるほど、やることが増えていく。それでも不思議と足取りは軽かった。クラスのみんなの楽しそうな顔が、何度も頭に浮かぶ。
「……頑張ろう」
そう小さく呟き、家の前へたどり着いた。玄関のドアを開ける。
「ただいま」
湊の声が響いた数秒後。廊下の奥から、聞き慣れた足音が近づいてきた。
「……お帰りなさいませ、ご主人」
しろがいつものように一礼する。黒と白のメイド服。落ち着いた表情。変わらない「お帰りなさい」に、湊は自然と笑みがこぼれた。
「ただいまです、しろさん」
「今日は少し遅かったですね」
「文化祭の企画決めでホームルームが長引いてしまって」
「……そうでしたか」
しろはスリッパを揃えながら静かに尋ねる。
「何をやるんですか」
「コーヒーカップです」
「……」
一拍置いて、
「あっ、飲み物ではなく」
「遊園地のですよ」
「はい」
「人力で回すコーヒーカップ」
しろは少しだけ目を瞬かせた。
「……回るんですか」
「いえ、回す回すんです」
「……酔いそうですね」
真顔の一言に、湊は思わず吹き出した。
「あははは」
「……回るものは苦手なんです」
「そうなんですか?」
「……昔一度だけ」
「遊園地で乗ったのですが」
「降りてから五分くらい動けませんでした」
淡々と語るしろだったが、その内容に湊はまた笑ってしまう。意外とかわいいところがあるな、と湊は思った。
「そんなにですか」
「……はい」
「もう乗りません」
二人でリビングへ向かう。キッチンからは、香ばしい匂いが漂ってきていた。
「今日は何ですか?」
「……鶏の照り焼きです」
「それに、味噌汁とほうれん草のおひたしです」
「やった」
「先に着替えてきますね」
「……はい」
◇
夕食の時間。食卓には二人分の料理が並んでいた。湊が決めた、「食事は必ず二人で一緒に食べる」という約束は、今日も変わらず守られている。
「それじゃあ……」
「「いただきます」」
しばらく静かに食事を進めたあと、湊は学校でもらった資料をテーブルの端に置いた。
「これ、文化祭の資料です」
「……」
しろは照り焼きを一口食べてから、資料へ視線を向ける。
「いろいろ決まりがあるんですね」
「そうなんですよね」
「安全確認とか、予算とか」
「思った以上に大変で」
「まだ設計図も描かなきゃいけないし」
湊は少し困ったように笑う。
「正直、どこから手をつければいいか分からなくて。」
しろは資料を手に取り、数ページめくる。細かい文字を丁寧に、しかし素早く追っていく。
「……ご主人」
「はい?」
「これ」
資料の一か所を指差した。
「回転部分より」
「支える土台を先に考えた方がよろしいかと。」
「え?」
「土台が不安定だと」
「上をどれだけ頑張っても危ないのですよ。」
湊は驚いた表情でしろを見る。
「しろさん、こういうの分かるんですか?」
しろは少しだけ考えてから答えた。
「……昔、工事現場で働いていた人の手伝いをしたことがありまして」
「少しだけですが」
さらりと言うが、湊は思わず目を丸くした。
「そんな仕事もしてたんですか」
「……生活するためですので」
短い返事だった。それ以上は語らない。けれど、湊には十分だった。
(しろさん……本当にいろんな経験をしてきたんだな)
そんなことを思いながら、もう一度資料へ目を落とす。しろの助言のおかげで、少しだけ進むべき道が見えた気がした。
「ありがとうございます」
素直に頭を下げる。しろは小さく首を横に振った。
「……ご主人の役に立てたなら」
夕食を終えた二人の前には、文化祭の資料が静かに広げられていた。
◇
食器を洗い終えた頃には、時計の針は午後8時を回っていた。リビングのテーブルには、文化祭の資料と大学ノート、定規にシャープペンシルが広げられている。
湊は椅子に座り、資料とにらめっこを続けていた。
「うーん……」
ノートには簡単な円がいくつも描かれている。しかし、どれも途中で線が止まっていた。
「どうしたら安全に回せるんだろう……」
そう、ただ回ればいいわけではない。乗る人が安心して楽しめることが一番大切だ。だからこそ、湊には適当に考えることはできなかった。向かいでは、しろが洗濯物を畳んでいる。湊はペンを止め、ノートを見つめたまま小さく息をついた。
「やっぱり難しいな……」
その声に、しろが顔を上げる。
「……見てもよろしいですか」
「ええ」
湊はノートをしろの方へ向けた。しろはしばらく設計図を眺める。そして、机の上にあったシャープペンシルを手に取った。
「……ここ」
円の中心を、コツン、と軽く叩く。
「回転軸ですね」
「はい」
「少々細いかと。」
「え?」
「ここに力が集まります」
「なので」
さらさら、と一本線を書き足す。
「補強があった方が安心です」
「……なるほど。」
湊は思わず声を漏らした。言われてみれば、その通りだ。回転するたびに負荷が掛かる部分なのだから、一番丈夫にしなければならない。
「それと」
しろは続ける。
「人が押して回すのでしたら」
「持つ場所も決めた方がいいですよ」
「押す人が転ぶと危ないですし」
湊は急いでメモを取る。
「すごい……」
「全然気付かなかった」
「……私は」
しろはシャープペンシルを置く。
「差し出がましいことを……」
「そんなこと言わないでください」
湊は笑顔で言った。
「すごく助かりました」
「ありがとうございます、しろさん。」
その一言に、しろは少しだけ視線を逸らした。
「……どういたしまして」
◇
それから一時間ほど。湊はノートに何度も設計図を書き直していた。しろはアイロンがけを終え、洗濯物をしまい、リビングへ戻ってくる。時計を見ると午後9時30分。
「……」
湊はまだ机に向かったままだ。消しカスが机いっぱいに散らばっている。
「もう少し強く……」
「ここをこうして……」
夢中になっているらしく、しろが戻ってきたことにも気付いていない。しろはその横顔をしばらく見つめていた。
(昔から、何か始めると、周りが見えなくなる)
真剣な表情。何度も書き直されたノート。少し猫背になった姿勢。どれも、どこか危なっかしい。しろは静かにキッチンへ向かった。
◇
数分後。
コト、と机にマグカップが置かれる。
「……あ」
湊が顔を上げる。湯気の立つココアだった。甘い香りがふわりと広がる。
「しろさん」
「……どうぞ。」
「少し休憩してください」
「ありがとうございます」
マグカップを両手で包み込む。温かさが指先から伝わってきた。一口飲む。
「おいしい……」
思わず力が抜ける。しろは向かいの席へ座り、自分のココアにも口をつけた。しばらく、静かな時間が流れる。窓の外では蛙の鳴き声が聞こえ始めていた。
湊がぽつりと呟く。
「クラスのみんな、本当に楽しそうだったんです」
「だから、失敗したくなくて。」
「みんな期待してくれてるし」
しろはマグカップを見つめながら静かに聞いている。
「実行委員になって」
「今日、改めて思いました」
「僕一人じゃ何もできないなって」
「みんなが協力してくれるから進められる」
「だから、その期待に応えたいんです。」
しろは少しだけ目を細めた。
「……ご主人」
「はい」
「期待に応えようとするのは、いいことです」
「でも」
「無理をするのは少し違うと思いますよ」
静かな声だった。けれど、その一言は真っ直ぐ湊の胸に届く。
「もしご主人が倒れたら」
「文化祭はできません」
「クラスのみなさまも困ってしまいます」
「……私も」
最後の一言だけ、少しだけ小さかった。湊は思わず目を瞬かせる。
「……しろさん」
「今日は」
しろは時計へ視線を向ける。
「ここまでにしてください」
「続きは、明日でも描けます」
「でも、眠れる時間は戻ってきません」
しろらしい言葉に湊は納得したらしく、ココアを飲み干し、時計を見た。
午後10時。思っていた以上に時間が過ぎていた。
「……そうですね」
小さく笑う。
「今日は終わりにしましょうか」
資料を閉じると、しろはほっとしたように息を吐いた。
「……はい」
「お風呂、沸いてます」
「あ、本当ですか」
「ありがとうございます」
湊が立ち上がる。部屋を出ていく背中を見送りながら、しろは静かにココアを口へ運んだ。
困っている人を見ると放っておけない。頼られれば、断れない。自分のことはいつも後回し。だからこそ――。
(今度は私が支える番ですね)
そう決意したあの日から、その気持ちは一度も変わっていない。リビングの明かりを消すと、静かな夜が朝比奈家を包み込んだ。
文化祭まで、あと三週間。忙しい毎日が始まる。それでも湊には、一日の終わりに「お帰りなさい」と迎えてくれる人がいた。
それだけで、また明日も頑張れる気がするのだった。
第八話でした。お楽しみいただけましたでしょうか。湊は本当に出来た青年ですね。自分で書いといてなんですが、こんな素晴らしいこと僕には言えません。人を動かせる人ってのはなかなかいないものです。そんなとこをしろも尊敬してるんでしょうかね。感想、ブックマーク等ぜひお願いいたします。次回第九話もお楽しみに




