第四十六話 秋の始まりは始業式、じゃなくて、お月見バーガーから
第四十六話です。長かった夏休みが終わり、いよいよ二学期が始まりました。海、夏祭り、お盆、そして家族との時間。いろいろあった夏を終えて、湊たちもいつもの学校生活へ戻っていきます。夏とはまた違った季節の物語を、ゆっくり描いていきたいと思います。まずはその第一歩。始業式の日に三人が食べる、月見バーガーから。二学期編スタートの第一話、それでは、どうぞ。
朝の空気が、少しだけ違っていた。窓から差し込む日差しに、ほんのわずかに秋の気配が混じっていた。
「ご主人。 朝でございます」
聞き慣れた声。
「……ん」
「起きてください」
「……あと五分」
「夏休みは終わりましたよ」
「……知ってます」
布団の中から返事をする。そして数秒後。
「では、五分後にまた来ますよ」
「お願いします……」
ぱたぱたと足音が遠ざかっていく。――夏休みなら、ここで二度寝しても許された。しかし今日は違う。湊は重たい身体を起こし、ベッドの脇に置いてあった制服へ手を伸ばした。今日から二学期。長かった夏休みが、終わった。
「……夏、終わったな」
誰に言うでもなく呟いて、湊は制服に着替えた。階段を降りると、いつもの朝食が用意されていた。
「おはようございます、しろさん」
「おはようございます、ご主人」
しろはいつものように、湊の席へ朝食を並べている。それを見て、湊はほんの少しだけ立ち止まった。夏休みの間も、何度も見た光景だ。けれど、学校が始まった今日。こうして制服姿で食卓につくと、なんだか気が引き締まった。
「どうかなさいましたか?」
「いえ」
湊は椅子を引く。
「……なんか、久しぶりだなと思って」
「何がでしょう?」
「こうして朝ご飯を食べて、学校に行くのが」
「そうですね」
しろが微笑む。
「夏休みは長かったですから」
「長かったですね」
海へ行った。夏祭りにも行った(作った)。お盆には両親が帰ってきた。しろが休みを取って、ひまりと出かけた日もあった。思い返せば、随分いろいろなことがあった。湊は味噌汁を一口飲んだ。
「……楽しかったな」
「はい?」
「夏休みです」
しろは少しだけ目を細めた。
「そうですね。 私も楽しかったです」
「しろさんも?」
「もちろんです」
そう答えたあと、しろは少し考えるようにして、
「ご主人が楽しそうでしたから」
と言った。
「……」
湊は箸を止めた。
「それなら、よかったです」
なんとなく照れくさくなって、湊は味噌汁へ視線を落とした。やがて朝食を終え、鞄を持ち、玄関へ向かう。
「それでは、行ってきます」
「はい。 お気をつけて」
いつもの言葉。いつもの朝。なのに、今日は少しだけ新鮮だった。靴を履き、玄関の扉を開ける。外から、まだ夏の名残を含んだ風が吹き込んできた。
「……行ってきます」
もう一度、湊は言った。
「いってらっしゃいませ、ご主人」
その声を背中に聞きながら、湊は学校へ向かった。長かった夏が終わり、そして今日から新しい季節が始まる。二学期も夏休みに負けないくらい、いろいろな出来事が待っているのだろうか。
◇
久しぶりに見る校舎は、夏休み前と何も変わっていなかった。青嶺高校。二学期初日の朝。校門をくぐる生徒たちの顔には、夏休みが終わったことへの諦めと、久しぶりに友達と会えることへの楽しさが入り混じっている。
「眠い……」
「二学期初日からそれかよ」
昇降口へ向かう湊の隣で、優斗が大きくあくびをした。
「だって夏休みだぞ? 昨日まで昼まで寝てたんだぞ?」
「お前、最後まで生活リズム直さなかったのか」
「直す必要ある?」
「今日から学校なんだから必要だろ」
「今日だけ乗り切ればいい」
「その考え方がもう駄目だわ」
二人で靴を履き替えていると、後ろから明るい声が飛んできた。
「湊ー!」
「ん?」
振り返る。ひまりがこちらへ駆けてくるところだった。
「おはよ!」
「おはよう、ひまり」
「久しぶり!」
「夏休みの間に何回も会ってただろ」
「学校で会うのは久しぶりじゃん」
「それはそうだけど」
ひまりは楽しそうに笑った。
「なんか変な感じしない?」
「何が?」
「昨日まで夏休みだったのに、今日から普通に授業があるってこと」
「分かる」
優斗が横から頷く。
「俺なんてまだ気持ちは八月だぞ」
「カレンダー見ろ」
「現実を突きつけてくんな」
三人で教室へ向かう。廊下には久しぶりに見る顔が並んでいた。
「おー、久しぶり!」
「海行った?」
「宿題終わった?」
「ギリギリ!」
「俺も!」
あちこちから声が飛び交う。夏休みの間に日焼けした生徒。髪型が少し変わった生徒。旅行のお土産を配っている生徒。それぞれが、それぞれの夏を過ごしてきたことが分かる。教室に入ると、黒板には担任からの簡単なメッセージが書かれていた。
『二学期も頑張りましょう』
湊は自分の席に座り、鞄を机の横へ掛ける。
「……始まったな」
「始まったね」
ひまりが隣の席から呟いた。やがてチャイムが鳴る。担任が入ってきて、久しぶりのホームルームが始まった。夏休みの課題が提出され、忘れ物をした生徒が慌て、担任が二学期の予定を説明する。
「それから、今月は体育祭がある」
教室の空気が少し変わった。
「おお!」
「体育祭か!」
「もうそんな時期かよ!」
夏休み明けの気だるさが、ほんの少しだけ吹き飛ぶ。
「体育祭まであまり時間がない。 もう準備も始めるらしいから、各自しっかり――」
「青春だ!」
突然、優斗が叫んだ。
「うるさいぞ白峰」
「すみません」
即座に謝る。教室からどっと笑い声が起きた。ひまりも笑いながら、
「優斗、大丈夫かなあれ」
と、コメント。湊も苦笑した。そんなやり取りをしているうちに、始業式の時間になる。全校生徒が体育館へ集まり、校長の話を聞く。夏休み中の大会や活動で表彰された生徒が紹介され、校長が二学期について話す。暑さの残る体育館。窓から入る風はまだ夏の匂いがする。けれど、校庭の木々を見れば、葉の色は少しずつ変わり始めていた。湊はぼんやりとそれを眺める。夏は終わった。そして、二学期が始まった。体育祭、秋の行事、そしてその先には冬が待っている。
「……二学期、か」
小さく呟く。その隣で、優斗がこっそり耳打ちしてきた。
「湊」
「何?」
「終わったら、どっか昼飯食いに寄って帰ろうぜ」
「いいけど」
「よっしゃ」
優斗の反応に湊は笑った。長い夏休みが終わっても。いつもの友達がいて。いつもの学校があって。そして家に帰れば――いつもの人が待っている。そんな日常が、また始まった。
◇
始業式が終わると、三人はそのまま昇降口を出た。
「よし、行こうぜ」
優斗が言った。ひまりも笑いながら二人の横を歩いている。
「じゃあ、ハンバーガー食べにいこうよ」
「賛成!」
「お前は決断が早いな、優斗」
「こういうときこそ、な」
結局、三人は駅前の大手ハンバーガーチェーンへ向かった。店内に入った途端、優斗がメニューを見上げた。
「おっ」
「どうした?」
「月見だ」
湊もメニューを見る。大きく宣伝されている期間限定商品。秋になると毎年登場する、卵を使った定番のハンバーガーだった。
「もう月見バーガーの季節か」
ひまりが呟く。
「早くない?」
「でももう九月だよ」
「夏休みが終わったばっかりだから、まだ八月の気分なんだけど」
「分かる」
優斗が頷く。
「でも月見が始まると、秋って感じするよな」
「確かに」
湊もメニューを見ながら頷いた。
「じゃあ俺、月見バーガーにする」
「私も!」
「俺も!」
三人とも同じものを注文した。窓際の席に陣取り、紙袋からハンバーガーを取り出す。
「いただきます」
三人の声が重なった。
「……うん」
湊が一口食べる。
「美味しい」
「だろ?」
優斗が得意げに言った。
「お前が作ったわけじゃないだろ」
「俺が見つけた」
「メニューに書いてあっただけだろ」
「細かいこと言うなよ」
ひまりが笑う。
「でも、こういうの食べると秋って感じするね」
「まだ暑いけどな」
「そこは言わない約束でしょ」
三人で笑った。窓の外では、まだ夏の名残を残した陽射しが道路を照らしている。けれど、店内にはもう秋の気配があった。月見バーガー。その名前の通り、秋になれば月を眺める。そんな季節が、少しずつ近づいていた。店を出たあと、三人は駅前で別れた。
「じゃあな、湊!」
「また明日」
「うん。 また明日」
二人と別れ、湊は一人で家へ向かった。玄関を開ける。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさいませ、ご主人」
すぐに返ってくる声。それだけで、なんとなく肩の力が抜けた。
「今日は早かったですね」
「始業式だけだったので」
「そうでしたね」
しろは湊の鞄を受け取る。
「学校はいかがでしたか?」
「普通でした」
「普通、ですか」
「はい」
湊は靴を脱ぎながら笑う。
「友達と会って、始業式やって、それからハンバーガー食べて帰ってきました」
「まあ」
「月見バーガーっていうのがあって」
「月見、ですか?」
「はい。 期間限定らしいです」
しろは少しだけ考える。
「もう、そんな季節なのですね」
「俺も今日、そう思いました」
湊はリビングへ向かいながら振り返る。
「しろさん、月見バーガー食べたことあります?」
「ありませんね」
「じゃあ、今度食べてみます?」
何気ない一言だった。しろは少し目を丸くして、それから微笑む。
「はい。 ぜひ」
「じゃあ、今度一緒に行きましょう」
「楽しみにしております」
湊は頷いて、自分の部屋へ向かっていく。しろはその背中を見送った。――月見。そういえば、もうすぐ十五夜だっただろうか。そんなことを、ふと思った。まだ少し先の話だけれど、今年の秋は例年より少しだけ楽しみなことが増えそうだった。
四十六話でした。というわけで、二学期スタートです。そして今回は月見バーガー。実は作者もつい最近、月見バーガーを食べました。毎年この時期になると店頭に月見が並ぶので、「もうそんな季節か……」と思うんですよね。夏が終わった実感はあまりないのに、月見バーガーを見ると急に秋を感じる。もはや季節の風物詩です。そして今回、湊たちにも食べてもらいました。ただの期間限定バーガーを食べるだけの話……と思いきや、ちゃっかり後のお月見回への伏線にもなっています(ほかの読者には内緒だよ)。こういう何気ない一言や出来事が、あとから別の話につながっていくのが連載の楽しいところですね。なお、作者が月見バーガーを食べた日は普通にまだ暑かったです。秋とは。それでは次回から、二学期の日常をもう少し進めていきます。感想、ブックマーク等いただけると幸いです。次回、第四十七話も、お楽しみに。




