第四十三話 たまにはゆっくりしましょうリターンズ
第四十三話です。家族四人で食べる朝食はなんだか少し不思議なもので、いつもと違う雰囲気に少しみんな落ち着かない様子。それを見かねた湊の母・美咲がしろに「休日」を提案するお話。遊びに行く相手はもちろん「あの子」で……?
朝比奈家の朝は、いつもより少しだけ騒がしかった。
「ご主人、起きてください。 朝ですよ」
「……あと五分」
「昨日も同じことを言っていましたね」
「昨日は昨日、今日は今日です」
「起きてください」
布団が剥がされた。
「ぎゃーーー!」
いつもの朝だった。湊が渋々ベッドから起き上がり、しろがカーテンを開ける。差し込んできた夏の朝日に、湊は目を細めた。
「……まぶしい」
「朝ですから」
「朝って、こんなにまぶしかったっけ」
そんな、いつものやり取り。ただ一つだけ、いつもと違うことがあった。階下から、声が聞こえていた。
「おーい、湊! 起きたかー!」
父親の声だった。
「……」
湊の動きが止まる。しろも一瞬だけ湊を見る。
「……父さん、起きてるんですね」
「昨日帰ってきたばっかりなのに、朝から元気だな……」
「お母さまも、もう起きていらっしゃいますよ」
「二人とも時差ボケとかないんですかね」
「おそらく気合いでどうにかしています」
「雑だなぁ……」
階段を下りる。いつもなら、この時間のリビングは静かだ。湊が朝食を待ち、しろが台所に立つ。それだけだった。けれど今日は違う。
「お、来たな」
リビングでは父・恒一が新聞を広げていた。
「おはよう、湊」
キッチンから母・美咲も顔を出す。
「よく眠れた?」
「……うん」
湊は少しだけ戸惑いながら答えた。両親がいる。それだけなのに、家の中が妙に狭く感じる。いや。正確には、広かった家が本来の大きさに戻ったような気がした。
「私も手伝います」
しろが言う。
「ありがとう、しろちゃん」
「いえ。 これくらいはいつも通りですので」
「そうかそうか」
恒一が笑う。そして湊の方を見る。
「しかし、こうして四人で朝飯食うのも久しぶりだな」
「……そうだね」
しろが小さく笑った。母も笑っている。その光景を見て、湊は少しだけ目を細めた。
昨夜もそうだった。父が帰ってきて、母がいて、しろがいて。いつもの家なのに、どこか違う。五年前。しろがこの家に来たときも、きっとこんなふうに少しずつ日常が変わっていったのだろう。
「湊?」
「ん?」
「どうしたの?」
「……いや」
湊は少し考えてから、笑った。
「なんか、変な感じだなって」
「何が?」
「家に人が多い」
「四人だけどな」
恒一が即座に突っ込んだ。
「普段が少なすぎるんだよ」
「それもそうか」
美咲が答える。
「じゃあ、今日は賑やかにしましょうか」
その言葉に、しろが振り返った。
「では、朝食を運びますね」
「あ、しろさん」
「はい?」
「今日は――」
湊は一度、しろを見る。
「……休んではどうですか?」
「え?」
しろが固まった。恒一と美咲も、同時に顔を上げる。
「今日は父さんも母さんもいるし、たまにはゆっくりしてもいいんじゃない?」
「いえ、私は別に――」
「そうよ、しろちゃん」
美咲が穏やかに笑う。
「今日は私がやるから」
「ですが……」
「しろさん、たまには休んでください」
湊がもう一度言った。しろはしばらく黙っていた。そして、小さく息を吐く。
「……では、お言葉に甘えて」
「よし」
湊が頷く。しかし。
「じゃあ、今日はしろさんも一緒にどこか行けば?」
恒一が何気なく言った。
「どこか?」
「せっかくの休みなんだ。 友達と遊ぶなり、買い物するなり」
「……」
しろは少し考える。その隣で、湊も何となく考える。そして――。
「そういえば」
湊が口を開いた。
「ひまり、今日暇だって言ってましたよ」
しろが振り返る。
「ひまりさまと?」
「ええ」
その瞬間。しろの休日が、静かに動き始めた。
◇
朝食を終えると、しろは自分の部屋へ戻った。
休日。
言葉にすれば、たった二文字。けれど、しろにとっては少し珍しいものだった。朝比奈家に来てから五年。家事をすることも、湊を起こすことも、買い物へ行くことも、すっかり日常になっている。だから「今日は何もしなくていい」と言われると、逆に何をすればいいのか分からなくなる。
「……暇だな」
ベッドに腰掛け、しろはぼそりと呟いた。一人のときは、敬語なんて使わない。誰に聞かせるでもない言葉なら、昔の自分に戻ったような気がした。
「休日って、こんな感じだったっけ」
天井を見る。しばらく眺める。何も起きない。
「……やっぱり暇だ」
そのとき、スマートフォンが震えた。画面を見る。
『しろさん、今日ひまって聞きましたよ』
ひまりからだった。しろは少し驚いた。まるでこちらの事情を見透かしたようなタイミングだった。……いや、湊が連絡したのだろう。
『はい。 今日はお休みをいただきました』
送信。すぐに既読がつく。
『じゃあ遊びましょう!』
返信が早い。
『今から行っていいですか?』
しろは画面を見つめた。
「……行動が早いなぁ」
思わず笑う。そこへ、部屋のドアが軽く叩かれた。
「しろさん、いいですか?」
「どうぞ」
入ってきたのは湊だった。
「ひまりから連絡来ました?」
「はい。 今から遊びに行くことになりました」
「そうですか」
湊は安心したように笑う。
「じゃあ、今日は楽しんできてください」
「はい」
「……」
「……?」
「いや」
湊が少し考える。
「しろさんって、友達と遊びに行くの、久しぶりじゃないですか?」
「そうですね」
「なんかうれしいな」
「私もです」
しろは苦笑した。少し前にひまりと遊んでいたことは黙っておこうと思った。
「では、行ってきます」
「いってらっしゃい」
しろが部屋を出ていく。階段を下りると、玄関には美咲がいた。
「しろちゃん、楽しんできてね」
「ありがとうございます」
靴を履く。ドアを開ける。夏の陽射しが降り注ぐ。
「……暑い」
思わず顔をしかめた。けれど、不思議と嫌ではなかった。少し歩いたところで、元気な声が響く。
「しろさーん!」
「ひまりさま」
手を大きく振りながら、ひまりが駆けてくる。
「お待たせしました!」
「いえ。 私も今来たところです」
「今日は何しましょう!」
「決めてないんですか?」
「決めてません!」
「……なるほど」
ひまりらしい。
「とりあえず、駅のほう行きましょう!」
「はい」
二人並んで歩き出す。学校でも、夏祭りでも、これまで何度も話してきた。けれど、こうして二人だけで出かけるのは久しぶりな気がした。
「こういうのもいいですね!」
「そうですね」
蝉の声が響いている。道路の向こうでは、風に揺れた街路樹の葉が陽射しを細かく遮っていた。
夏休みも、もう後半。
海に行った。
夏祭りにも行った。
花火も見た。
そして今日は、思いがけず休日までできた。
忙しい夏だった。けれど――。
「しろさん」
「はい?」
「今日はいっぱい遊びましょうね!」
「……はい」
しろは少しだけ笑った。
「よろしくお願いします、ひまりさま」
二人はそのまま、夏の街へ歩いていった。
◇
最初に入ったのは、駅前の雑貨店だった。
「しろさん、これ可愛くないですか?」
「可愛いですね」
「ですよね!」
ひまりが手に取ったのは、小さな猫の置物だった。
「朝比奈家に置いたらどうです?」
「ご主人の部屋にですか?」
「そうそう。 湊の机の上とか」
「……ご主人、こういうの好きでしょうか」
「しろさんにもらったものなら何でもいいと思いますよ」
「即答ですね」
二人で笑う。その後も、服を見たり、本屋に寄ったり、喫茶店で休憩したり。特別なことをしているわけではない。けれど、しろにとっては不思議なくらい楽しかった。
「しろさんって、普段休みの日は何してるんですか?」
アイスティーを飲みながら、ひまりが尋ねた。
「……何をしているんでしょう」
「え?」
「朝起きて、掃除して、洗濯して、買い物して……」
「それ、休みじゃないですよ!」
「そうなんですか?」
「そうですよ!」
ひまりが机を叩く。
「休日っていうのは、もっとこう……だらだらするものです!」
「なるほど」
「お昼まで寝たり!」
「ご主人みたいですね」
「そうです!」
なぜか誇らしげだった。
「それから友達と遊んだり、買い物したり、映画を見たり!」
「……」
「しろさん?」
「私、あまりそういうことをしてこなかったので」
しろは窓の外を見る。夏の街を歩く人たち。学生、家族連れ、買い物袋を持った人。それぞれが、それぞれの日常を過ごしている。
「朝比奈家に来てからは、毎日が忙しかったですから」
「五年間、でしたっけ」
「はい」
しろは少し笑った。
「でも、今日は楽しいです」
「……!」
ひまりの目が輝く。
「じゃあ、今日は大成功ですね!」
「何の成功なんですか?」
「しろさん休日満喫作戦です!」
「そんな作戦だったんですか」
「湊に言われまして……」
「そうなんですね……」
また二人で笑った。店を出ると、夕方が近づいていた。昼間より陽射しが柔らかい。
「そろそろ帰ります?」
「はい」
しろがスマートフォンを見る。湊からメッセージが来ていた。
『楽しんでますか?』
短い一文。しろは少し考えてから返信する。
『はい。 ひまりさまと一緒に、楽しく過ごしています』
すぐに返信が来る。
『それならよかったです。 気をつけて帰ってきてください』
「……」
しろは画面を見つめる。
「どうしました?」
「いえ」
スマートフォンをしまう。
「ご主人からでした」
「湊から?」
「はい」
ひまりが少しだけ笑う。
「心配してるんですね」
「そうでしょうか」
「そうですよ」
ひまりは前を向いた。
「湊って、しろさんのこと結構気にしてますから」
「……そうですね」
しろも小さく頷く。それ以上は、何も言わなかった。二人は夕暮れの道を歩いていく。朝、家を出るときには、ただの「休み」だった。でも今は――しろにとって、少しだけ大切な一日になっていた。
朝比奈家へ戻り、玄関を開ける。
「ただいま帰りました」
「おかえりなさい、しろさん」
すぐに湊の声が返ってきた。その声を聞いた瞬間、しろはふっと笑った。
「……はい。 ただいま、です」
しろは、五年前の自分に声を掛けたくなった。今は不安かもしれないけど、きっと温かく受け入れてくれる、と。
四十三話でした。今回はしろの休日でした。……いや、しろの休日、これで何回目だ?たぶん二、三回くらい描いてます。作者も「よし、今回はしろの休日を描こう」と思って書き始めるんですが、冷静に考えると、「この前も休日だったな?」となります。でも仕方ないんです。しろが一人でいると、なんか書きたくなるんですよ。普段は朝比奈家で働いているしろが、ちょっとだけ肩の力を抜いて、誰かと遊んだり、何もしなかったりする。……つまり作者がしろを休ませたいだけです。なお、しろ本人は「休みの日に何をすればいいのか分からない」という、休日初心者状態です。五年間働き続けた結果、休日の使い方まで忘れている。これはもう労働の弊害です。そんなわけで今回はひまりとお出かけでした。さて、両親が帰ってきた朝比奈家。ここから物語も「夏の終わり」へ向かっていきます。……まあ、まだ夏休みなんですけどね。夏、長いな。感想、ブックマーク等いただけると幸いです。次回、間話もお楽しみに。




