第四十話 お墓参りへ
第四十話です。三十九話に引き続き、季節はお盆。二人は近所にある朝比奈家の墓へ、墓参りに向かう。幼い頃の思い出。遠くで働く両親。そして、五年前にこの家へやってきたしろ。様々なことを考えながら、お墓参りです。それでは、どうぞ。
翌朝。昨日までの暑さが嘘のように――とは、もちろんいかなかった。
「……暑いですね」
「まだ朝ですよ」
「朝でも暑いものは暑いです」
玄関先で、しろが日傘を開く。時刻は午前九時過ぎ。太陽はすでに高く、蝉の声も住宅街いっぱいに響いている。
「忘れ物ないですか?」
「大丈夫です」
湊は手に持った小さな袋を確認する。中にはお墓参りに使うものが入っている。
「じゃあ行きましょう」
「はい」
二人は並んで家を出た。今日の目的は、朝比奈家のお墓参り。墓地は朝比奈家から歩いて十分ほどの場所にある。車を出すほどの距離でもなく、歩いて行くのが毎年の習慣だ。
「しろさん」
「はい?」
「暑くないですか?」
「暑いです」
「即答なんですね」
「ですが、お盆ですから」
「昨日からそればっかりですね」
湊が笑う。しろは日傘を少し傾けながら歩く。住宅街の道は静かだった。夏休みの朝だからか、人の姿もほとんどない。時折、自転車が通り過ぎるくらいだ。角を曲がると、古い神社が見えてくる。その先に、墓地へ続く細い坂道がある。
「昔から変わらないな」
湊が呟いた。
「ご主人は小さい頃から、この道を歩いていたのですか?」
「ええ。 父さんや母さんと一緒に」
「……そうですか」
しろが少しだけ目を細める。五年前の自分は、この道を知らなかった。朝比奈家のことも、湊の家族のことも。もちろん、ここにある墓のことも。それでも今は、当たり前のように湊と並んで歩いている。
「しろさん」
「はい」
「俺、昔は墓参りって結構面倒だと思ってたんですよ」
「そうなのですか?」
「暑いですし、蚊いますし」
「確かにですね」
「でも、今はそうでもないかな」
湊は前を向いたままつぶやくように言う。
「こうやって歩いてると、昔のこと思い出せますから」
しろは何も言わなかった。ただ、隣を歩く。やがて坂を上り切ると、その先に「朝比奈家」と書かれた墓石が見えた。
「着きましたね」
「はい」
二人は足を止めた。蝉の声が響く墓地。夏の強い日差し。風に揺れる木々。そして、静かに佇む墓石。
湊は袋を持ち直した。
「じゃあ、掃除しましょうか」
「はい、ご主人」
二人は墓の前へ歩いていった。
◇
墓石に水をかける。夏の日差しを受けて熱くなっていた石が、少しずつ冷えていく。
「ここ、結構汚れてますね」
湊がしゃがみ込み、濡らした雑巾で墓石を拭いていく。
「毎年掃除しているのに、どうしても汚れてしまいますね」
しろは周囲の草を抜いていた。
「雑草もすごいな」
「夏ですから」
湊は苦笑しながら、もう一度墓石を拭いた。しばらくすると、墓の周りが少しずつ綺麗になっていく。普段はあまり来ることのない場所、けれど、湊にとっては見慣れた場所でもあった。
「……お盆に墓参りに来たときは」
「父さんは『暑いから』とかいって掃除とか結構適当だったんですけど」
「意外ですね」
「いつも母さんに怒られてました」
湊が笑う。
「『そこ、まだ汚れてる』って」
「……想像できます」
「ははっ」
「なんとなく、ですが」
二人の間に、小さな笑いが起こった。蝉の声が遠くから響いている。墓地には二人以外の人影はない。
「……今は、二人とも忙しいですからね」
湊がぽつりと言った。
「はい」
「父さんも、母さんも海外」
「今年も戻られる予定は?」
「たぶん、ないと思います」
「なにも言ってきてないですし」
湊は淡々と答える。寂しそうには見えなかった。けれど、しろには分かった。その「たぶん」に、少しだけ寂しさが混ざっていることが。
「昔は」
湊が再び口を開く。
「お盆になると、父さんも母さんも帰ってきてたんです」
「……そうなのですか?」
「はい。 だから、お盆って家族が集まるものだと思ってた」
湊は墓石を見る。
「今は、俺としろさんだけですけど」
「……」
しろは一瞬、返事に迷った。
「そうですね」
それだけ答えた。湊は気にする様子もなく、掃除を続ける。やがて墓石は綺麗になり、周囲の草も取り終えた。
「これで大丈夫かな」
「はい。 綺麗になりました」
二人で墓の前に立つ。湊は仏花を挿し、線香に火をつけ、手を合わせる。しろも隣に並んだ。
蝉の声。木々を揺らす風。遠くから聞こえる町の音。静かな夏の昼だった。目を閉じながら、湊はふと思う。昔はここに父と母がいた。そして今は――。おもむろに目を開ける。隣には、しろがいる。五年前には、こんな光景になるなんて想像もしなかった。湊は小さく息を吐いた。
「……帰りましょうか」
「はい、ご主人」
二人は墓地を後にする。来たときと同じ道を、並んで歩いて帰った。
◇
墓参りを終えた二人が朝比奈家へ戻ってきたのは、午前の十時を少し過ぎた頃だった。八月の太陽は、朝だからといって容赦をしてくれない。アスファルトから立ち上る熱気が足元からまとわりつき、蝉の声は途切れることなく住宅街に響いている。
「暑いですね……」
「暑いです」
玄関まであと数メートルというところで、しろが小さく呟いた。
「溶けてしまいます……」
「大丈夫ですよ、すぐ家ですから」
かしこまりました、と言いながらも、しろの顔には納得した様子がまるでない。湊は少しだけ笑った。そんな他愛のないやり取りをしながら、二人は玄関へ歩を進める。湊が鍵を取り出して回した、そのときだった。
「……あれ?」
湊の手が止まる。
「どうかされましたか?」
「いや……」
鍵をもう一度回す。おかしい。閉めたはずだ。しろと二人で家を出るときには、必ず施錠するようにしている。そして鍵を閉めた記憶は、確かにあった。
戦々恐々としながら扉を開ける。
ガチャリ
と、いつもの音。
「ただいま」
誰もいない家に向けて、いつものように声をかける。返事はない。
――はずだった。
「おー、おかえりー」
「…………」
湊の動きが止まった。聞き間違いかと思った。けれど、聞き間違えるにはあまりにも懐かしい声だった。玄関から続く廊下。その奥から、足音がする。
ドタドタ、と。
そして。
「おかえり、湊」
廊下の向こうから、一人の男が顔を出した。
ラフな服装に、少し伸びた髪。そして手には、なぜかコンビニの袋。
その姿を見た瞬間、湊の頭の中が一瞬だけ真っ白になった。
「……と、父さん?」
「おう」
男は、何でもないことのように笑った。
「ただいま」
その一言が、妙に耳に残った。
「…………」
湊は何も言えなかった。隣にいたしろも固まっている。
「……ご主人?」
「……うん」
湊は小さく頷いた。目の前にいる。本当にいる。写真でも、電話でもない。今、この家の廊下に立っている。父親が。
そして――。
「あなた、玄関で何してるの?」
今度は奥から、もう一つ声がした。これまた懐かしい、穏やかな声。湊は廊下の先へ視線を向ける。父親の横に、女性が立っているではないか。
「おかえりなさい、湊」
「……母さん」
それだけ言うのが精一杯だった。最後に顔を見たのは、いつだっただろう。思い出そうとして、やめた。思い出せば思い出すほど、目の前の光景が現実ではないような気がして。
家を出ていく朝。電話越しの声。画面の向こうの笑顔。短いメッセージ。どれも、湊にとっては「遠くにいる両親」だった。
だから。
今、ここにいることが、どうにも不思議だった。窓から差し込む夏の光。玄関に落ちる四人分の影。冷房の効いた室内から流れてくる、ひんやりとした空気。さっきまで外にいたせいで、その冷たさがやけに心地よかった。静かだったはずの家に、人の気配がある。誰かが歩く音がする。誰かが話す声がする。それだけのことなのに。
――我が家が、少しだけ違う場所に見えた。
「……どうして?」
ようやく湊が口にした。
「ん?」
「帰ってきたの?」
父親が笑う。
「お盆だからな」
「いや、それは分かるけど……」
言葉が続かない。そんな湊を見て、母親が少しだけ笑った。
「たまには、家に帰らないとね」
「…………」
湊は黙って二人を見た。そして、ふと隣を見る。しろもまた、静かに両親を見つめていた。
「お久しぶりです」
しろが、いつもの丁寧な声で頭を下げる。
「ああ、しろちゃん」
「はい」
「元気だった?」
「……はい」
ほんの少しだけ。しろの声が揺れた気がした。湊はそれに気づいた。けれど、何も言わなかった。言う必要はないような気がした。
蝉の声が、開け放たれた玄関の向こうから聞こえてくる。風鈴が、風に揺れた。
チリン。
その音が、夏の家の中に静かに響く。
――今年のお盆は、どうやら、いつもとは少し違うものになりそうだった。
第四十話でした。ついに四十話です。最初は「高校生とメイドさんの日常をゆるく書こう」くらいだったはずなのに、気づけば海へ行き、夏祭りをやり、花火まで見て、とうとうお盆まで来ました。……季節が進むって、いいですね。作者の執筆は全然進んでないんですけど。さて、今回からお盆編。お盆ということで、今回からは少しだけ「家族」や「家」というものに触れていこうと思っています。特にしろは、朝比奈家に来てから約五年。湊が中学一年生だった頃から今まで、この家で一緒に過ごしてきました。本人にとって朝比奈家がどんな場所なのか。そこも、これから少しずつ描いていければと思います。そして、ついに両親が帰ってきました。四十話まで海外にいました。いや、長い。読者の皆さんもそろそろ、「この家の親、存在する?」と思っていた頃でしょう。存在します。しかも、お盆なので帰ってきました。……もっと早く帰ってきてやれよ。というわけで、次回から朝比奈家のお盆が始まります。家族が四人揃ったことで、いつもの朝比奈家が少しだけ違って見えるかもしれません。まあ、四人も集まったら静かに終わるわけがないんですが。感想、ブックマーク等いただけると幸いです。次回、四十一話もお楽しみに。




