第四十一話 再会と昼飯は突然に
第四十一話です。突然帰ってきた湊の父と母。久しぶりに家族四人が揃った朝比奈家で、とりあえず昼食を囲むことに。食卓を囲みながら、両親は湊やしろの五年間について尋ねていく。そして最後に、二人から湊としろへ伝えられた言葉とは――。
朝比奈家に、久しぶりに四人の人間が揃った。玄関から差し込んでいた夏の光も、いつの間にか少し高くなっている。時計を見ると、もう十一時を回っていた。
「……腹減ったな」
最初に沈黙を破ったのは、父、朝比奈孝一だった。あまりにも自然な一言に、湊としろは驚きを隠せない。
「え?」
湊が顔を上げる。
「いや、お前らも墓参りから帰ってきたなら、腹減っただろ」
「……まあ、それはそうだけど」
言われてみれば、朝から何も食べていない。墓を掃除して、手を合わせて、暑い道を歩いて帰ってきた。湊も空腹を自覚した途端、胃のあたりが妙に存在感を主張し始めた。
「とりあえず、昼飯にしよう」
「まだ昼前だけど」
「腹が減ったなら飯だろ」
「理屈が雑だな……」
そんな会話をしていると、母、朝比奈美咲が小さく笑った。
「じゃあ、お昼にしましょうか」
「私もお手伝いします」
しろがすぐに立ち上がる。
「しろちゃん、久しぶりなんだから座っててもいいのよ?」
「いえ。 こういうことをしているほうが落ち着きますので」
「そう?」
「はい」
しろはいつものように、ほとんど迷いなくキッチンへ向かった。その後ろを母がついていく。
「じゃあ、一緒に作りましょうか」
「はい」
二人がキッチンに立つ。冷蔵庫を開ける音。食器を取り出す音。包丁がまな板に当たる、小気味のいい音。そんな生活音が、静かだった家の中に少しずつ増えていった。湊はその様子を、何となく眺めていた。しろがこの家に来たばかりの頃は、母とこうして並んで料理をすることなんてあったのだろうか。
五年前。
中学一年生だった自分。まだ今よりずっと小さかった自分の隣に、しろがいた。
そして今。
当たり前のように、母としろが同じキッチンに立っている。
「湊」
「ん?」
父の声で、湊は振り向いた。
「久しぶりなんだから、少し話そう」
「……何を?」
「色々あるだろ」
「色々って?」
「学校の話とか」
「ああ……」
湊はソファに腰を下ろした。父も向かいに座る。
「高校生活はどうだ?」
「楽しいよ」
「友達は?」
「いるよ」
「彼女は?」
「いない」
「即答だな」
「なんで父さんにそんなこと聞かれなきゃいけないんだよ」
「いや、父親として気になるだろ」
「ならないでいい」
即座に返すと、父が笑った。その笑い声が、家の中に響く。キッチンからも、母としろの話し声が聞こえてくる。
なんでもない会話。
なんでもない昼前の時間。
けれど湊は、妙に落ち着かなかった。いつもなら静かな家は、今日は人の声であふれている。
父がいて。母がいて。しろがいて。そして、自分もいる。ただそれだけなのに。五年前、といっても一時期だが、当たり前だったものが、今では少しだけ懐かしく感じられた。
「……まあ」
父が笑いながら言う。
「今日はゆっくりしよう」
「うん」
湊は短く返した。キッチンから、味噌汁の香りが漂ってくる。久しぶりに、家で食べる四人分の昼飯だった。
◇
昼を少し過ぎた頃。朝比奈家の食卓には、四人分の昼食が並んでいた。白いご飯に味噌汁。焼いた魚と、いくつかの副菜。特別豪華な料理というわけではない。けれど、湊にはそれが妙に新鮮だった。
「いただきます」
四人の声が重なる。
「……うん」
湊は味噌汁を一口飲んだ。温かい。それだけで、少しだけ肩の力が抜けた。
「どう?」
母が尋ねる。
「おいしいよ」
「よかった」
母が嬉しそうに笑う。向かいでは父が焼き魚を食べながら、しろに話しかけていた。
「しろちゃん、湊の学校生活どう?」
「学校生活、ですか?」
「ああ。 ちゃんとやってる?」
「はい。 ご主人は真面目に学校へ通っていらっしゃいます」
「そうかそうか」
「ただ……」
しろが少しだけ考える。
「夏休みの宿題は、少々後回しにする傾向があります」
「え、ちょっと」
湊がすぐに口を挟む。
「それは今言わなくていいでしょしろさん」
「事実ですので」
「事実でも!」
母がくすくすと笑う。
「昔から変わらないわね」
「母さんまで……」
久しぶりの食卓なのに、話題が自分の宿題なのはどうなんだ。そう思いながらも、不思議と嫌ではなかった。父も母も笑っている。しろも、ほんの少し口元を緩めている。食事の音と会話が交互に続く。それだけで、家の中が以前より広くなったような気がした。
「ところで」
父が箸を置いた。
「湊としろちゃんって、普段どんな感じなんだ?」
「……普段?」
「そう。 五年も一緒に暮らしてるんだろ?」
「まあ」
湊が答える。
「朝起こしたり、起こしてもらったり、ご飯作ってもらったり」
「なるほど」
「あと、買い物に行ったり、一緒に出かけたり」
「文化祭の準備も手伝ってくれたし」
「へえ」
父が妙に楽しそうな顔をする。
「結構、仲いいんだな」
「家族なんだから普通じゃない?」
「家族……」
その言葉に、しろの箸が一瞬だけ止まった。けれど、すぐに何事もなかったように食事を続ける。母がしろを見る。
「しろちゃんは、湊と暮らしていて困ったことはない?」
「困ったこと……ですか」
「はい」
しろは少し考えた。
「……寝起きが悪いことでしょうか」
「それは困ってるんじゃなくて、湊が悪いだけだろ」
「その通りです」
「即答!?」
また笑い声が起きる。父は楽しそうに湊を見る。
「五年前は、こんなにしっかりしてなかったもんな」
「父さん、五年前の話ばっかりするなよ」
「そりゃあ久しぶりだからな」
そう言って、父は味噌汁を飲んだ。
「いろいろ聞きたいんだよ」
湊は一瞬、黙った。五年前。しろがこの家に来た春。自分が中学一年生だった頃。あの頃のことを、湊は少しずつ思い出し始めていた。
「……まあ」
湊は箸を動かしながら言った。
「話すことなら、いっぱいあるよ」
その言葉に、父と母が顔を見合わせる。しろだけが、静かに湊を見ていた。四人の昼食は、まだ始まったばかりだった。
◇
食事が一段落した頃だった。
父が、ふと箸を置いた。
「……なあ、湊」
「ん?」
「ちょっと、謝らないとな」
その声には、さっきまでの軽さがなかった。その雰囲気を感じ取った湊も箸を止める。母も静かに湊のほうを見た。
「俺たち、ずっと家を空けてただろ」
「……うん」
「お前が中学生の頃から、ほとんど家にいられなかった」
父は少しだけ目を伏せた。
「仕事だから仕方ない、って言い訳して」
母も続ける。
「私たちなりに、一生懸命やってきたつもりだった。 でも……」
一度、言葉を切る。
「湊には寂しい思いをさせたと思う」
「……」
湊は何も言わなかった。確かに、両親がいないことを寂しいと思ったことはある。
学校から帰っても家に誰もいない日。
誕生日に電話越しで祝ってもらった日。
授業参観や学校行事で、両親の代わりにしろが来てくれたこと。
思い出そうとすれば、いくらでも出てくる。けれど。
「……別に」
湊は小さく息を吐いた。
「今さらじゃない?」
「そう言うと思ったよ」
父が苦笑する。
「でも、それでも謝りたかったんだ」
母も静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、湊」
「……母さん」
「あなたが大きくなっていく時間を、もっと近くで見ていたかった」
その言葉を聞いて、湊は視線を落とした。少しだけ、胸の奥が熱くなる。
「……俺も」
湊は小さく呟いた。
「二人が帰ってくるのは、全然嫌じゃなくて」
「うん」
「むしろ……嬉しかった」
父が笑った。
「そっか」
その隣で、しろが静かに座っていた。やがて母が、しろのほうへ顔を向ける。
「それから、しろちゃんにも」
「……私、ですか?」
「うん」
母は少し困ったように笑った。
「湊のこと、ずっと支えてくれてありがとう」
「……」
「私たちがいない間、この家を守ってくれてたでしょう?」
しろはしばらく黙っていた。そして、ゆっくり首を横に振った。
「私は……自分の仕事をしていただけです」
「それでもよ」
母が笑う。
「ありがとう」
しろは返事をしなかった。ただ、少しだけ目を伏せた。四人の間に、静かな時間が流れる。窓の外では、蝉が鳴いている。夏の昼下がり。久しぶりに家族が揃った食卓。その空気は、少しだけ寂しくて。それ以上に、温かかった。
「……さて」
父が突然顔を上げる。
「せっかく帰ってきたんだ、今日はいっぱい話そう。 いろんな話をしよう」
「急に戻したね」
「しんみりしたままだと、また腹減るからな」
「もう食べただろ」
湊が呆れたように言う。母としろが、同時に小さく笑った。久しぶりの家族の時間は、まだ始まったばかりだった。
四十一話でした。今回は作中では初めて登場した湊の両親と、家族四人で昼食を食べるお話でした。こういう「何か大きな事件が起きるわけではないけど、久しぶりに家族が揃っている」という話、個人的にはかなり好きです。四十話までは一回も登場しなかった両親なので、読者の皆さんからすると、「ちゃんと親いたんだな」くらいの感覚かもしれません。作者も書いていて同じことを思いました。ただ、二人とも湊のことをちゃんと気にかけているし、しろにも感謝している。離れて暮らしていた時間が長かったからこそ、今回の「ごめんなさい」という言葉には、それなりに意味があるんじゃないかなと思っています。そして今回、個人的に一番描きたかったのが、四人で食卓を囲む場面です。今までの朝比奈家は、湊としろの二人が中心でした。そこに両親が加わるだけで、同じ家なのに少し違って見える。家って、建物そのものよりも、そこに誰がいるかで雰囲気が変わるんだな……と書きながら改めて感じました。そして次回からは、いよいよ五年前の話へ。しろが朝比奈家に来た頃のことを、少しずつ描いていきます。今のしろしか知らない湊や読者の皆さんにとっては、「最初のしろ」がどんな人だったのかも見えてくると思います。二人がどうやって今の関係になったのか。そこをゆっくり描いていければと思います。感想、ブックマーク等いただけると幸いです。次回、第四十二話もお楽しみに。




