第三十九話 盆の入り
第三十九話です。夏祭りを終え、長いはずの夏休みももう中盤。やってきたお盆の準備を進める中、湊としろが見つけたのは、とあるアルバムで――。ついに過去を掘り下げるお盆編、始まります。
八月。夏祭りが終わって数日が経った、ある日の昼下がり。
「……暑いなぁ」
湊はリビングのソファに沈み込みながら、天井を見上げていた。窓の外では、蝉がこれでもかというほど鳴いている。風はほとんどなく、カーテンだけが、エアコンの風に揺れていた。
「暑いですね……」
向かいのソファでは、しろも力なく伸びている。普段なら多少暑くても淡々としている彼女だが、今日はさすがに参っているらしい。
「しろさん、溶けてません?」
「大丈夫です。 まだ人間ですから」
「まだって何ですか」
「あと三時間ほどしたら分かりません」
「怖いこと言わないでくださいよ」
そんなやり取りをしていると、しろがふと窓の外へ目を向けた。
「……そういえば」
「はい?」
「もうすぐお盆ですね」
「ああ」
湊も思い出したようにスマホのカレンダーを見る。八月も、もう中旬。夏休みが始まったと思っていたら、海へ行き、祭りまで終わった。時間が過ぎるのは早い。
「そうですね。 じゃあ、そろそろ準備しないと」
「はい」
しろがゆっくり立ち上がる。さっきまで溶けかけていたとは思えないほど、動きは早かった。
「え、今までの動き何だったんですか」
「暑かったので」
「お盆という言葉を聞いた瞬間、復活したんですけど」
「お盆は大切ですから」
しろは気にせず、押し入れの前まで歩いていく。
「毎年使うものを出しておきましょう」
「俺も手伝います」
「ありがとうございます、ご主人」
二人で押し入れを開ける。奥からいくつか箱を取り出していく。お盆に使う道具。古い飾り。掃除用品。普段はほとんど触らないものばかりだった。
「これ、結構古くないですか?」
「そうですね。 長く使っているものと伺っています」
「うちって、こういうのちゃんと残してるんだな」
「昔から大切にしてきたのでしょうね」
湊は箱を一つ持ち上げた。その拍子に、奥に押し込まれていた別の箱がずれる。
「あ」
箱の下から、薄い冊子のようなものが滑り落ちた。床に落ちたそれを、湊が拾い上げる。
「……?」
表紙には何も書かれていない。少し古びていて、角も擦れている。
「しろさん、これ何ですか?」
「アルバム……でしょうか」
「見てもいいですかね」
「はい」
湊はその場に座り込み、表紙を開いた。一枚目、そこに写っていたのは――
「……父さん?」
今よりずっと若い、父の姿。その隣には、まだ幼い湊を抱いた母親が写っていた。
「……」
湊の手が止まる。写真の中の自分は、今よりずっと小さい。そして、写真の中の朝比奈家には、今とは違う時間が流れている気がする。
「……これ、いつの写真だ?」
しろも、静かに隣からアルバムを覗き込む。 湊は、アルバムのページをゆっくりめくっていった。最初の数ページには、湊が幼い頃の写真が並んでいる。
公園。
海。
家の庭。
そして、旅行先で家族三人で撮ったであろう写真。
「……こんな写真あったんだな」
湊は少し驚いたように呟いた。
「ご主人は、昔から写真を撮られていたのですね」
「母さんが好きだったんだと思う。 俺が小さい頃は、結構撮ってたっぽいですし」
写真の中の湊は、今とは別人のように小さい。両親の間に座っていたり、父親に肩車をされていたり。どの写真でも、楽しそうに笑っている。
「……父さんも若いな」
「そうですね」
「母さんも」
「ええ」
「俺だけ変わってない」
「それは無理があります」
「冗談ですって」
しろが小さく笑う。湊も笑いながら、さらにページをめくった。
幼稚園。
小学校。
入学式。
運動会。
少しずつ、湊の姿が成長していく。
「……懐かしい」
湊の声が、少しだけ静かになった。写真の中には、まだ両親が頻繁に家にいた頃の朝比奈家が写っている。けれど、ページを進めるにつれて、両親の姿が少しずつ減っていった。
「……あれ?」
湊が手を止める。
「小学校卒業した頃から、写真少ないな」
「そうなのですね」
「はい。 まあ、忙しくなったんだと思いますけど」
何気なく言って、またページをめくる。すると、一枚の写真が目に入った。中学一年生になったばかりの湊。そして、その隣には――。
「……しろさん」
「え?」
しろが固まった。写真の中には、今よりずっと若い、というか幼いしろが写っていた。まだ今ほど落ち着いた雰囲気もなく、少し緊張したような顔をしている。その横では、中学一年生の湊が妙に不機嫌そうな顔をしていた。
「これ……」
しろが写真を見つめる。
「私ですね」
「やっぱりそうだ」
湊は驚いたように写真としろを見比べる。
「懐かしいな」
「……ご主人、覚えているのですか?」
「そりゃ覚えてますよ」
湊は笑った。
「しろさんがここに来たばっかりの頃でしょ」
「……はい」
しろは写真に写った自分を見つめた。五年以上前。まだ自分が、この家で暮らすことになるとは思っていなかった頃。
「この写真、いつ撮ったんだろう」
「たぶん……来てすぐじゃないですか?」
「そうでしたかね?」
「はい」
しろは少し考えてから答えた。
「私が勤めさせていただき始めたのは、ご主人が中学一年生になられた、確か春でしたから」
「ああ」
湊は頷く。
「そうだったかな」
何気ない一言。けれど、しろにとっては少しだけ重かった。あの日から、もう五年以上が経っている。最初はただの仕事、そう思っていた。誰とも関わらず、穏便に過ごせればいい。そう思って、ここに長くいるつもりなんてなかったのに――。
「……五年、ですか」
しろが小さく呟く。
「早いですね」
「本当だよ」
湊は写真を見ながら笑った。
「俺、こんな顔してたんだな」
「今より少し幼いですね」
「少しどころじゃないでしょ」
しろは笑う。写真の中の二人と、今の二人。同じ家で、同じ時間を過ごしてきた。ただ、それだけのことなのに。しろには、その五年間がひどく長くて――同時に、驚くほど短く感じられた。
「……このアルバム、もう少し見てみましょうか」
湊が言った。
「はい」
しろは頷く。そして二人は、古いページをもう一度ゆっくりとめくり始めた。
◇
アルバムを閉じる頃には、外はすっかり夕暮れになっていた。窓から差し込んでいた強い日差しも、いつの間にか柔らかくなっている。
「結構長いこと見てましたね」
湊がアルバムを箱へ戻しながら言った。
「はい。 懐かしかったです」
「しろさんでも懐かしいんですか?」
「私も写っていますから」
「確かに」
湊は笑った。五年以上前の写真。まだ中学一年生だった自分。朝比奈家に来たばかりのしろ。写真の中の二人は、今よりずっと距離があった。それでも、同じ場所にいた。
「……この頃から、ずっとここにいたんですよね~」
湊が何気なく呟く。
「はい」
しろは答える。
「気づけば、長くなりました」
「五年ですもんね」
「五年……」
しろは、その言葉を口の中で小さく繰り返した。五年前。あの頃の自分は、今とは違った。何も決まっていなかった。この家にいることも、湊とこうして話す関係になることも。毎朝起きて、家の掃除をして、食事を作って、夜になれば「おやすみなさい」と言うことも。全部、あの頃には知らなかった日常だった。
「しろさん?」
「……はい」
「どうかしました?」
「いえ」
しろはいつもの笑顔を浮かべた。
「良いアルバムですね」
「はい」
湊も頷いた。そして、二人で押し入れを閉める。そのときだった。遠くから、どこかで鳴っている風鈴の音が聞こえた。
チリン――。
暑さの残る夕方に、涼しげな音が一つ。湊は窓の外を見る。
「もう、お盆か」
「そうですね」
しろも同じように外を見る。夏の空は、まだ明るい。けれど、その向こうには確かに季節の移り変わりがあった。祭りが終わり。夏休みも半分を過ぎ。そして今度は――人が帰ってくる季節。
「今年は、ちゃんと準備しないとな」
「はい。 朝比奈家のお盆ですから」
しろはそう言って、静かに笑った。けれど、その胸の奥には、先ほど見た一枚の写真が残っていた。
お盆とは、帰ってくる人を迎える日だ。
ならば――。自分は、今まで何処から来て。これから、何処へ帰るのだろう。そんなことを考えながら、しろは湊と並んで夕暮れの縁側を眺めていた。蝉の声が、少しずつ遠ざかっていく。夏の真ん中、今年もお盆がやってくる。
そしてそれは、昔の記憶を静かに呼び起こす季節でもあった。
三十九話でした。さあ、お盆ということで、ついに当作品もしろの過去を掘り下げ始めました。しろが朝比奈家にやってきた時期がらりと公開されてしまいました。「お前ら意外と長い付き合いだったんだな……」と、作者もびっくりです。では、ひまりや優斗とはいつからツルみ始めたのか。そんな疑問もあるかと思いますが、そこのところも近々お話できたら、と思っています。海編で触れられた湊の両親に関しても、お盆編で再び触れられるかな(今回はガッツリかも)とも思っていますので、お楽しみに。感想、ブックマーク等いただけると幸いです。次回、第四十話もお楽しみに。




