第三十八話 夏真っ盛り 後編
第三十八話後半です。前半からの続きです。あらすじは前編を参照してください。それでは、どうぞ。
午後八時。祭りの熱気は、まだ衰える気配を見せなかった。むしろ、日が完全に落ちたことで、会場は昼間よりもずっと賑やかになっている。頭上には提灯の明かり。屋台からは焼きそばやたこ焼きの匂い。櫓の周囲では、子どもたちが走り回り。少し離れた場所では、盆踊りの輪ができていた。
「……すごいな」
湊は、会場を見渡した。
「町内会の祭りだよな、これ」
「うん」
ひまりが頷く。風鈴を買ってから、湊はひまりと優斗がいないことに気づき、結局合流したのであった。
「でも、毎年こんな感じらしいよ」
「規模がおかしくない?」
「うちの地域、意外と人口多いから」
「それにしたってさぁ……」
優斗も辺りを見回す。
「下手なイベントより人いるんじゃないの?」
「……」
しろは、そんな三人の会話を聞きながら、手に持っていた風鈴を、そっと揺らした。
ちりん。
祭りの喧騒の中では小さな音だった。けれど、湊には、なぜかよく聞こえた。
「しろさん」
「はい?」
「さっきか、風鈴、大事そうに持ってますね」
「……そう見えますか?」
「見えます」
「そうですか」
しろは少しだけ笑った。
「では、大切にします」
「……」
湊は、それ以上何も言えなかった。そのときだった。
ドン。
遠くで、おなかに響くような、低い音が響いた。
「ん?」
ひまりが空を見上げる。
「……そろそろかな?」
周囲の人々も、少しずつ、同じ方向を見始めていた。屋台の人、子どもたち、浴衣姿の人たち。そして、町内会の人たち。誰もが、手を止め、空を見上げている。
「何かあるの?」
湊が聞く。すると、ひまりが驚いたような困惑したような顔を見せた。
「……知らなかったの?」
という顔をした。
「何を?」
「花火」
「は?」
「花火大会」
「……」
湊は優斗を見る。
「知ってた?」
「知ってた」
「しろさんは?」
「聞いておりました」
「俺だけ?」
「そうじゃない?」
「総会長なのに?」
「総会長のくせに」
湊は数秒黙った。
「……資料に書いてあった?」
「書いてあったぞ」
優斗が即答する。
「俺、何の資料読んでた?」
「同じページ三回めくってたけどねぇ」
ひまりが静かに言った。
「そんなこと覚えてるの?!」
◇
そして、午後八時十分。最初の一発が上がった。
ドンッ。
夜空が一瞬で明るくなる。それに開いているのは、大きな花火。
赤、緑、金。
次々と夏の夜空へと広がっていく。
「うわ……!」
ひまりが声を上げた。
「……でか」
優斗も呆然としている。
「一応聞きますけど、町内会のお祭りですよね?」
湊はもう一度確認した。
「町内会主催のものです」
しろが答える。
「町内会の花火じゃないだろ、これ」
ドン。ドドォン。
間を置かず、次々に花火が上がる。一発。また一発。大輪の花が、夜空いっぱいに咲いていく。咲いては消えてゆくのに合わせて、会場の人々も声を上げたり、静かになったり。
「すごい……!」
ひまりは完全に釘付けだ。
「こんなの毎年やってるの?」
「……俺も知らなかった」
優斗が答える。
「この町、何者?」
「ただの町です」
しろの返答に、湊が笑う。しかし、湊は本当に驚いていた。町内会の祭り、と聞いて想像する規模ではない。まるで地域で行われている花火大会には見えなかった。
「……」
湊は、隣を見る。
しろ。
ひまり。
優斗。
三人とも、花火を見ている。ここ数日、ずっと一緒に準備してきた。いや、数日どころではない。夏休みが始まって以来、ずっと一緒にいる。
暑いのに朝から集まって、バカな事を言いながら、何だかんだで、ここまで来た。
「……」
湊は、少し笑った。四人で見る。それでいい。それが一番自然だった。
「なあ」
湊が言う。
「どうした?」
優斗が振り返る。
「なんか、みんな、ありがとな」
「なんだ急に」
「いやなんか色々思い出してさ」
「ずっと四人でいたいなって」
三人が同時に湊を見る。
「「「……」」」
「湊さぁ」
ひまりが、少しだけ呆れたように言った。
「何だよ」
「本当に?」
「何が?」
「……」
ひまりは優斗を見る。優斗もひまりを見る。そして、二人は同時に
「「鈍いなあ……」」
「は?」
「いや、いいんだ」
優斗がため息をつく。
「俺、ちょっと飲み物買ってくる」
「今?」
「じゃあ俺も行こうかな」
立ち上がった優斗を湊が追おうとする。
「来なくていい」
とっさに優斗が制止する。
「何で」
「いいから」
「……?」
続いて。
「私も行くわ」
ひまりが言った。
「え」
湊が二人を見る。
「何だよ、二人とも」
「湊」
ひまりが言う。
「町内会長の言葉を借りるなら、『青春しろ』」
「……」
湊は嫌な予感がした。優斗が笑う。
「じゃあ」
「いや、待て」
「しろさんと見てな」
ひまりが捨て台詞のように言った。
「は?」
「花火」
「いや、四人でって話じゃ……」
「湊」
今度は優斗が言った。
「さっきの風鈴」
「……」
「俺たち、見てたぞ」
湊が押し黙る。ひまりが、にやりと笑った。
「あそこまでしといて、四人で見ようぜ、はちょっとなぁ」
「何がちょっとなんだよ」
「情けない」
「何なんだよ『情けない』って」
「自分で考えろ」
優斗が言った。
「何で急に怒られてるんだ、俺」
「怒ってない」
「いーや私はちょっと怒ってる」
「怒ってんじゃん」
「……」
湊は二人を見る。
「お前ら」
「余計な事考えてるだろ」
二人の顔は、完全に何かを企んでいる顔だった。
「じゃ」
「おい、ちょっ、まっ」
「じゃあ改めて飲み物買ってくる」
「私も」
「湊は来なくていい」
「何で」
「……青春」
「それ免罪符にならないぞ」
「じゃあねー」
「おい、ひまり!」
手をひらひらと振って、二人は本当にどこかへ行ってしまった。
湊と、事の成り行きを黙って見ていたしろを残して。
◇
ドン。
引き続き夜空に大きな花が咲く。
「「……」」
二人だけになった。祭り会場は、相変わらず賑やかだ。
人の声。
屋台の音。
遠くの盆踊り。
そして、花火。
「……」
湊は頭を掻いた。
「……あいつらめ」
「ご主人」
「優斗さまと、ひまりさまは」
「はい」
「何か、怒っていましたか?」
「いや、そういうわけじゃなくて」
湊は笑う。
「怒ってたというか」
「何かムキになってました」
「そうですね」
しろも小さく笑った。また、花火が上がる。
ドンッ。
夜空いっぱいに金色の光が広がった。しろが再び空を見上げる。その横顔が、提灯の明かりに照らされて。
「……綺麗ですね」
「そうですね、ご主人」
湊も空へ視線を戻す。
「こんなに大きい花火、久しぶりに見ました」
「久しぶり?」
「はい」
しろは、小さく頷いた。
「昔は」
少し沈んだ声に、湊が少しだけ反応する。
「……昔?」
「いえ」
しろは笑った。
「大した話ではありません」
「……」
湊は無理には聞かなかった。その代わり、と言ってはなんだが。
「風鈴、ちゃんと持ってますね」
「もちろんです」
しろが手に持った風鈴を見る。
「……ありがとうございます」
「さっきも言われましたよ」
「何度でも言います」
「そうですか」
湊は笑った。しばらく、二人は静かに花火を見ていた。言葉は少ない。けれど、と気まずさはなく、むしろ居心地がいいとまで言える。
ドン。
ドドン。
夜空に何度も花が咲き、散っていく。その光が消えるたびにほんの一瞬、暗くなる。そしてまた、次の光が二人を照らす。
「ご主人」
「……今日は、とても楽しかったです」
湊は少し驚いて、しろを見る。
「急ですね」
「そうですね」
「……」
しろは、空を見上げたまま。
「最初は」
静かに言った。
「少し大変でした」
「俺もです」
「ご主人は特に、でしょう」
「総会長でしたので」
「なりたくてなったわけじゃないです」
しろは少しだけ笑った。
「ですが」
その声が、少し柔らかくなる。
「こうして」
「皆さまと一緒に過ごせて」
また花火が上がっていく。
「……楽しかったです」
ドォォォン!
特段大きな一発だった。
湊は、何か気の利いたことを言おうとして言葉を探すけれど、結局、
「……俺も」
それだけだった。
「俺も、楽しかったです!」
「……」
しろが、湊を見る。
「本当ですか?」
「本当ですよ」
「ご主人は」
しろが微笑む。
「思っていたより、お祭りを楽しんでいらしたようで」
「私は安心いたしました」
湊は笑った。ふと、しろの手元を見る。風鈴が、少しだけ強く握られている。
「……しろさん」
「はい」
「来年も」
しろが湊を見る。
「……」
湊は、自分でもなぜそんな言葉が出たのか分からなかった。
「……また」
一瞬言葉を選ぶ。
「お祭りに来ましょう」
しろは少しだけ目を見開いた。そして、
「……はい」
笑った。
「ぜひ」
ちりん。また風が吹き、風鈴が鳴った。今度は少し涼しい風だった。
ドンッ。
その直後、夜空には、この日一番大きな花火が上がった。金色の光が空いっぱいに広がる。
「……すごい」
しろが呟いた隣で、湊は。花火ではなく、一瞬だけ。しろの横顔を見ていた。
夏の夜。提灯の明かりの下を歩く、遠くの人の声。そして空に咲く大きな花火。来年になれば、今日のことをどれだけ覚えているか、分からない。
それでも湊は、今だけは。この時間だけは、終わりがこなければいいと思った。
◇
最後の花火が消えたあと、夜空には、何事もなかったかのような暗闇が戻っていた。さっきまで。あれほど大きな花火が何度も上がっていたというのに。今は、星が静かに見えている。
「……終わってしまいましたね」
しろが呟いた。
「……そうですね」
湊も空を見上げた。耳にはまだ花火の音が残っているような気がした。
ドン、と響く音。夜空に広がる光。周囲から上がった歓声。全部たった今のことなのに、なんだかすべて消えてしまいそうだった。
「なんか」
湊がぽつりと言う。
「祭りって、終わると急に静かになりますね」
「……はい」
しろが頷いた。
「さっきまで、あんなに賑やかだったのに」
会場の方を見る。花火は終わったけれど、まだ祭りそのものが終わったわけではない。屋台には、まだ人が並んでいて、子どもたちの声も聞こえる。提灯も、変わらず灯ったまま。それでも、湊には、なにかが終わってしまいそうな、消えてしましそうな少し寂しい気がした。そんな空気が流れていた。
「……」
湊は、おもむろに立ち上がる。
「戻ります?」
「はい」
二人は、ゆっくりと歩き始める。
「あいつら探さないとな」
人混みの中を、急ぐことなく。屋台の明かりを眺めたりしながら。
「ご主人」
「はい」
「足、痛くありませんか?」
「え?」
「少し歩き方がおかしいです」
「大丈夫ですよ」
「本当ですか?」
「本当です」
「……」
しろは立ち止まった。
「本当に、ですか?」
「すいません。 言われると急に痛くなってきました」
「ですよね」
しろが少し得意げに笑った。
「座りますか?」
「いや、大丈夫です」
「ですが」
「祭り、もうちょっと見てたいんで」
湊が周囲を見る。
「せっかくですし」
しろも少しだけ辺りを見回した。
「……そうですね」
二人は再び歩き出した。
◇
「お」
湊は少し先の屋台の前に、見慣れた二人を発見した。
「遅いぞお前ら」
優斗が言った。湊が足を止める。
「飲み物買いに行ったんじゃなかったのか?」
「買ったよ」
ひまりが、ジュースを見せる。
「遅すぎ」
少し怒ったように優斗が言う。
「誰のせいだと思ってるんだよ」
と、湊。
「湊」
「何」
「……」
優斗が少し笑った。
「……まあ、楽しめたなら良かった」
「何なんだよ」
「何でも」
「お前ら、今日ずっとそればっかだな」
「気のせい」
「気のせいじゃない」
しろが小さく首を傾げている。
「皆さま、何のお話をされているのですか?」
「「何でもないです」」
優斗とひまりが同時に答えた。
「……仲いいな」
「そういうわけじゃない!」
また声が重なる。湊が笑う。
「やっぱり仲いいじゃん」
「違う!」
「何でそんなに否定するんだよ」
なんやかんやで四人は再び屋台を見て回った。
「次、何する?」
「もう結構食べたぞ」
「私デザート食べたい」
「お前の胃袋どうなってる?」
「別腹」
「便利だな」
「私は負けられないのよ」
「何の勝負だよ」
結局ひまりの希望で、四人は最後にかき氷を買った。ベンチに座って祭りを見渡す。少し離れたところでは、盆踊りが続いていた。
「……疲れた」
優斗が背もたれに体を預ける。
「お前、今日一番働いてないだろ」
「精神的に疲れた」
「何に」
「湊くんのお世話」
「してないだろ」
「した」
「いつ」
「主に恋愛方面」
「何の話だ」
「何でもない」
湊が優斗を見る。
「お前、今日変だぞ」
「今日だけじゃない」
ひまりが言った。
「失礼だな」
「褒めてる」
しろは、かき氷を一口食べながら楽しそうに会話を聞いている。
「しろさんは?」
湊が聞く。しろは少しだけ笑って答える。
「楽しいです」
「……そっか」
湊も笑った。それだけで何となく良かったと思えた。
◇
午後九時半にもなり、祭りの終了時間が近づいていた。屋台が少しずつ片付けを始め、それに合わせて人の数も減っていく。子どもたちは親に連れられ。酔っぱらいは酔っ払いに連れられ。さっきまであれほど多くの人がいた場所が、少しずつ元の公園へ戻ろうとしていた。
「……」
湊はその光景を眺めていた。
「終わるな」
「うん」
ひまりが答える。
「ちょっと寂しい」
「お前、朝からずっとテンション高かったもんな」
「楽しみだったから」
「俺も」
優斗が言う。
「準備してる時は、早く終われって思ってたけど」
「いざ終わるとなると、ちょっと」
「分かる」
湊と優斗が頷く。
「しろさんは?」
「私ですか?」
しろは少し考えた。
「……」
「少し」
しろが小さな声で言う。
「寂しいです」
三人が、一瞬しろを見る。
「「「……」」」
「な、何でしょうか?」
「いや」
湊が笑った。
「珍しいなって」
「そうですか?」
「しろさんがそういうこと言うの」
ひまりも笑う。
「でも」
しろは少しだけ考えてから続ける。
「皆さまとこうして過ごす時間が」
「……好きですから」
「……」
一瞬。空気が止まった。ひまりがゆっくりと湊を見る。優斗もゆっくりと湊を見る。しろは状況が読み込めていないようだった。
「皆さま?」
「「何でもないです」」
何度目の「何でもない」だろうか。例にもよらず優斗とひまりの声が重なる。湊は小さくため息をついた。
そこへ、町内会長がやってくる。
「朝比奈くーん!」
「あ、橋本さん!」
「今日は本当にお疲れさまだったね」
「いえ」
湊は頭を下げる。
「皆さんがいたからです」
「いやいや」
町内会長は笑った。
「若い力に助けられた」
「……」
「どうだった?」
「何がですか?」
「青春、もとい、お祭りは」
「またですか」
町内会長が声を上げて笑う。
「楽しかった?」
湊は一瞬だけ三人を見る。
「楽しかったです」
「そうかぁ」
町内会長は満足そうに頷いた。
「それなら良かった」
そして。
「今日はもう帰って休みなさい」
「片付けは?」
「私たちでやる」
「君たちは」
町内会長は少し笑った。
「もう十分頑張った」
湊は、少し迷ったけれど。
「……分かりました」
「よし」
帰路に就くことを決めた。
◇
軽く挨拶を済ませ、帰り道。四人は来た時よりもゆっくり歩いていた。疲れていて足が重い。それでも、誰も早く帰りたいとは言わなかった。
「……とうとう終わっちゃったな」
優斗が呟く。
「終わったね」
ひまりが答える。
「長かったような、短かったような」
湊が言う。しろは、少し後ろを歩いていた。手には、今日買った風鈴。そして、提灯の明かりが消えた町を、静かに見ている。湊はそんな彼女の隣へ並んだ。
「しろさん」
「はい」
「風鈴」
「来年も、鳴ってるといいですね」
「……」
しろは
「はい」
と言って、小さく笑う。その返事を聞いて。湊も笑った。夏祭りは終わった。けれど、夏そのものはまだ終わらない。これから、何度でも暑い、熱い日が来る。何度でも、だ。そしてまた来年、今日のことを思い出す日が来るかもしれない。四人の足音が静かな夜道に響いていた。祭りの余韻を少しずつ家まで持ち帰るように。
三十八話でした。夏祭り編、これにて完結です!色々書いてたらめっちゃ長くなってしまって、前半と後半に分けざるをえませんでした。長くてすいません。準備から始まった夏祭りが、最後は花火で締めくくられました。そして今回は、湊としろだけでなく、ひまりと優斗にもそれぞれの「青春」がありました(これについてはどっかで間話にしようかと思ってます)。四人で過ごす時間もあれば、二人で過ごす時間もある。同じ夏祭りでも、それぞれが違う思い出を持って帰る。そんな感じの話になったかなと思います。そして、しろに渡された風鈴。夏祭りで買った小さな風鈴が、これからの朝比奈家の夏にどんな音を響かせるのか。「来年も、また祭りに来ましょう」そんな約束も残りました。来年のことは作者にもまだ分かりません。でも、今年の夏祭りが四人にとって大切な思い出になったことだけは確かです。さて、夏休みは、まだ終わりません。次回からは、夏も後半戦。そして、少しずつ――お盆の季節へ入っていきます。
感想、ブックマーク等お待ちしております。次回、第三十九話もお楽しみに。




