第五話 後輩は一直線
第五話です。しろの意外な特技の判明から一夜。今度は昼休みにある人物が押しかけてきて……?
翌朝。青空が広がる通学路を、湊とひまりは並んで歩いていた。
「昨日は面白かったね~」
ひまりが笑いながら言う。
「優斗の顔、忘れられない」
「レート12000って聞いたとき?」
「そう!」
ひまりは優斗の真似をするように目を見開いた。
「『イチマンニセン!?』って」
「似てる!」
湊も思わず吹き出した。
「優斗、本気で固まってたもんね」
「私あんまりそういうの詳しくないけど、しろさんあれだけ強いなら大会とか出られるんじゃない?」
「本人は絶対嫌がると思う」
「ですよねぇ」
二人は笑いながら校門をくぐった。
◇
昼休み。チャイムが鳴ると同時に、教室は昼食を広げる生徒や購買へ急ぐ生徒で賑わい始めた。
「いただきます」
湊は弁当箱の蓋を開ける。
「今日もおいしそう!」
ひまりが身を乗り出した。ふっくらと焼き上げられた白身魚。中にネギが入っている彩り豊かなだし巻き卵。ブロッコリーやミニトマトが綺麗に並び、ご飯には小さな梅干しがちょこんと乗っている。
「しろさんの手作りお弁当?」
「まあ」
「いいなぁ……」
「今日の私のお弁当、冷凍食品ばっかり。」
「それもおいしいじゃん」
「でも、しろさんの料理食べちゃうと比べちゃうんだよね」
ひまりが羨ましそうに眺めていると、
「朝比奈! お客さんだぞ」
クラスメイトの一人に呼ばれ、二人とも振り向く。教室の入口に、一人の女子生徒が立っていた。丁寧な三つ編みのおさげ。小柄な体格。制服はきっちりと着こなし、胸元には一年生の学年章が付いている。少し緊張した様子で、両手を胸の前で握っていた。
「……え?」
湊は首を傾げる。見覚えがない。
「一年生?」
女子生徒は小さく頷いた。
「はい」
「あ、あの……」
「朝比奈湊先輩、ですよね?」
「そうだけど……。」
「どちら様?」
少女は一度深呼吸をしてから、ぺこりと頭を下げた。
「一年C組の天宮 結衣です!」
「突然すみません!」
元気よく名乗ると、顔を上げる。大きな瞳がまっすぐ湊を見つめていた。心なしか頬が少し赤いだろうか。
「ずっと、お会いしたいと思っていました!」
「……え?」
湊の思考が止まる。ひまりは「ん?」と二人を見比べた。
「知り合い?」
「いや……」
湊は困ったように首を振る。
「初めて会ったと思うけど」
「ですよね……」
結衣は少しだけ照れくさそうに笑った。
「先輩は覚えてないと思います」
「でも私は、先輩のことを覚えてるんです。」
その言葉に、教室の空気が少し変わる。近くにいたクラスメイトたちも「何だ何だ」と、興味津々でこちらを見始める。
「ちょ、ちょっと待って」
湊は苦笑しながら立ち上がる。
「ここだと目立つから、廊下で話そうか」
「は、はい!」
結衣は嬉しそうに頷いた。湊が教室を出ようとすると——
「……」
ひまりはじっと結衣の背中を見送る。
(なんだろう)
(あの子のあの目……)
(ただの憧れって感じじゃない気がするな……)
幼なじみとして長年湊を見てきた幼馴染の勘というやつだろうか、小さく胸をざわつかせていた。その頃、教室の窓際では。
「一年生?」
優斗が興味深そうに廊下を覗き込み、にやりと笑う。
「これは何かありそうだな。」
廊下には、昼休みらしい賑やかな声が響いていた。窓から差し込む初夏の日差しが床を明るく照らし、運動部の生徒たちが弁当を片手に談笑しながら行き交っている。その隅で、湊は目の前の一年生に向き直った。
「それで……」
優しく微笑む。
「僕に何か用が?」
「は、はい!」
天宮結衣は背筋をぴんと伸ばした。しかし、さっきまでの勢いとは裏腹に、口を開こうとしては閉じ、また開こうとしては閉じる。少しその仕草が可愛く見えた気がした。
「あの……」
「その……」
緊張で顔が赤くなっている。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「あ……」
湊が柔らかく笑うと、結衣も少しだけ肩の力を抜いた。
「ありがとうございます……」
深呼吸を一つ。そして、意を決したように口を開く。
「朝比奈先輩は……」
「5年前の夏、」
「庄願寺商店街で、小さい女の子を助けませんでしたか?」
「……え?」
湊は目を瞬かせた。5年前、湊もまだ小学生の頃の話だった。
「庄願寺商店街?」
「はい。」
「泣いていた女の子と一緒に、お母さんを探してくれたはずです」
その言葉を聞いた瞬間。
「あ……」
湊の頭に、ぼんやりと記憶が蘇る。毎年庄願寺で行われる夏祭りの日。浴衣姿の小さな女の子が、商店街の真ん中で泣いていた。迷子だった。湊は店の人に事情を話し、放送をお願いして、一緒に母親を探したのだった。十分ほどして母親が見つかり、女の子は泣きながら母へ抱きついていた。
──そんな出来事が、確かにあった。
「思い出しましたか?」
「……うん」
湊は頷いた。
「でも、あの子ってもっと小さかったはずなんだけど……?」
「はい」
結衣は照れくさそうに笑う。
「でも、その子です。」
「私が」
「えぇっ!?」
湊は思わず声を上げた。
「君が?」
「はい」
結衣はこくりと頷く。
「当時、小学四年生でした。」
「そっか……」
言われてみれば面影がある。大きな瞳。少し困ったように笑う癖。確かにあのときの女の子だ。
「久しぶりだね」
「はい!」
結衣の顔がぱっと明るくなる。
「先輩は覚えてないと思ってました」
「ごめんね」
「最初は分かんなかったよ」
「いいんです!」
首をぶんぶん振る。
「覚えていていただけただけで十分です!」
その笑顔は、心から嬉しそうだった。
「実は……」
結衣は少し照れながら続ける。
「あの日から、朝比奈先輩みたいな人になろうって思うようになったんです。」
「え?」
「困ってる人を放っておけないところ」
「優しいところ」
「すごくかっこよかったです」
湊は照れくさそうに頭をかく。
「そんな大したはことしてないよ」
「してくれました!」
結衣はきっぱりと言った。
「私、すごく怖かったんです。」
「知らない人ばかりで」
「お母さんとも離れちゃって。」
「でも、」
「先輩が『大丈夫、一緒に探そう』って言ってくれたから」
「安心できたんです」
湊は少しだけ目を細めた。そんな言葉を言った気がする。あのときは必死で、深く考えていなかったのだが。
「だから」
結衣は胸の前で拳を握る。
「高校も、先輩と同じところを目指しました!」
「……え?」
湊が固まる。
「ええぇ!?」
「はい!」
「頑張って勉強しました!」
「そ、それって……」
湊は言葉を失った。
まさか、自分がきっかけで進学先を決めた人がいるなんて、想像もしていなかった。結衣は少し恥ずかしそうに笑って続ける。
「本当は入学したらすぐ挨拶したかったんです」
「でも、勇気が出なくて……」
「今日、やっと話しかけられました。」
そのときだった。
「おーい、湊!」
教室の方から優斗の声が聞こえてきた。
「昼休み終わるぞー!」
廊下へ顔を出した優斗は、結衣を見るなり一瞬フリーズする。
「お?」
「一年?」
その後ろからひまりも顔を覗かせた。
「話終わった?」
結衣は二人を見ると、小さく頭を下げた。
「こんにちは」
「こんにちは!」
ひまりはにこっと笑う。
一方、優斗は駆け寄ってきて湊の肩に腕を回し、小声で囁いた。
「……お前」
「また女の子助けてたのか」
「またって何だよ」
「しかも可愛い一年生じゃねぇか」
「そういう話じゃないから」
湊がため息をつく。そのやり取りを見た結衣は、くすっと笑った。その笑顔を見て、ひまりは少しだけ安心する。
(よかった)
(悪い子じゃなさそう。)
しかし、その一方で。
(……でも)
(先輩を追いかけて同じ高校に来るなんて)
胸の奥が、ほんの少しだけざわついた。幼なじみとしてなのか。それとも、なにか別の感情なのか。ひまり自身、まだその感情には気が付いていなかった。
◇
夕焼けが住宅街を茜色に染める頃。
「ただいま」
玄関の扉を開けると、聞き慣れた足音が廊下の奥から近づいてきた。コツ、コツ、と一定のリズムで響くその音に、湊の表情が自然と和らぐ。
「……お帰りなさいませ、ご主人。」
しろがいつものように一礼する。銀色の髪がさらりと揺れ、メイド服の裾がふわりと動いた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま、しろさん。」
湊は靴を脱ぎながら、ふわりと漂ってくる香りに鼻をくすぐられる。
「いい匂い……」
「今日の晩ご飯、何ですか?」
「チーズ入りハンバーグに……」
「やった!」
しろがくすり、と笑う。
「……それとポテトサラダに、野菜スープです。」
「楽しみです。」
湊が笑うと、しろは小さく頷いた。
「……もう少しでできますので、少々お待ちを」
「ありがとうございます」
◇
制服から部屋着に着替えた湊は、キッチンで皿を並べるしろを手伝っていた。これも朝比奈家ではいつもの光景だ。
「そのお皿、こっちでいいですか?」
「はい。」
「フォークも出しますね」
「ありがとうございます。」
二人で準備をしていると、不意にしろが口を開いた。
「……今日は学校で何かありましたか?」
「え?」
「少し嬉しそうでしたので……」
「そんなに分かります?」
「……はい。」
湊は少し照れくさそうに笑った。
「実は今日、一年生の子に話しかけられたんです」
「一年生」
「昔助けた子だったみたいで」
しろの手がぴたりと止まる。
「昔?」
「小学生の頃、迷子の女の子をお母さんと会えるように手伝ったことがあったんです」
「その子が今日、会いに来てくれて。」
「『あの日から先輩に憧れて、同じ高校を目指しました』って」
静かなキッチンに、しばらく言葉が途切れる。しろは何も言わない。ただ、小さく目を伏せていた。
「……そうですか。」
ぽつりと呟く。その声は、どこか優しかった。
「覚えていてくれたんですね。」
「そうみたいです」
「正直、僕は最初分からなかったんですけど」
「思い出したら、確かにそんなことがあったなって」
しろは皿をテーブルへ運びながら、小さく頷く。
「……ご主人らしいです。」
「そうですか?」
「……はい」
その口元が、ほんのわずかに緩んでいた。普段は滅多に表情を変えないしろ。それなのに今は、どこか誇らしそうだった。
「……」
湊は首を傾げる。
(あれ?)
(なんだろう。)
少しだけ嬉しそう……?
「しろさん」
「……はい?」
「なんだか誇らしそうですね」
「……」
しろは一瞬だけ動きを止めた。そして、湊の方を見据える。数秒、沈黙が流れる。
「……さすが、ご主人です」
「え?」
あまりにも真っ直ぐな返事だった。
「困っている人を放っておけないところ」
「昔から変わりません。」
「だから、『さすが、ご主人』です」
その言葉に、湊は思わず笑ってしまう。
「それ、理由になってます?」
「……ええ。」
しろは真面目な顔で頷いた。
「ご主人は」
「昔から誰かのために動ける人です」
「だから」
少しだけ目を細める。
「……助けてもらえた人が、ちゃんと幸せになってる。」
「それが嬉しいです」
その言葉を聞いた瞬間、湊は胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。しろがこんなふうに誰かを褒めることは珍しい。ましてや、それが自分のこととなればなおさらだ。
「ありがとうございます」
少し照れながら頭をかく。
「でも、本当に大したことはしてないんですよ」
「……違います」
しろは静かに首を横に振る。
「ご主人は、そう思っていても」
「助けられた人は、一生忘れませんから」
その一言には、不思議な重みがあった。まるで、自分自身の経験を重ねるように。湊はその意味を深く考えず、小さく笑う。
「そうだったら、嬉しいですね。」
「……はい」
しろも静かに頷いた。
(私も、忘れてない。)
胸の中だけで、小さく呟く。あの日。仕事を失って、行き倒れていた自分に手を差し伸べてくれた少年。
「うちに来ませんか」
そう笑ってくれた少年は高校生になってもその優しさは失っていない。あの日がなければ、今の自分はいなかった。
(やっぱり)
しろは食卓に最後の皿を並べながら、心の中で小さく微笑む。
(……さすがご主人、ですね。)
第五話でした。楽しんでいただけたでしょうか。結衣ちゃん、まだまだ波乱の展開を巻き起こしそうです。感想、ブックマーク等ぜひよろしくお願いします。六話もお楽しみに




