第三十四話 ご主人のいない一日
第三十四話です。今回は少しだけ、いつもと違うお話です。湊が友達と遊びに出かけ、珍しく一人で過ごすことになったしろ。静かな家で暇を持て余した彼女は、ふらりと外へ出かけます。そして偶然出会ったのは――湊も知らないところで、いつの間にか仲良くなっていたあの人でした。それでは、どうぞ。
朝。いつもなら、リビングには湊の姿がある。
「おはようごらいまふ、しろさん」
そう言って、少し眠そうな顔で朝食を食べている。しかし――
「……」
今日は誰もいない。いつもの席も空。湊は友人たちと遊びに出かけている。
「……静かですね」
しろは一人、キッチンで朝食の片付けをしていた。食器を洗い、テーブルを拭く。普段と何も変わらない朝。ただ一つ違うのは、家の中に湊の声がないことだった。
「……」
食器を棚へ戻し、時計を見る。なんとまだ午前九時。恐るべき家事能力である。
「今日は、何をしましょうか……」
誰に聞くでもなく呟いた。湊がいない休日。仕事もなく、急いでやらなければならない家事も、すでに終わっている。つまり――
暇だった。
「……暇ですね」
しろはソファに座った。テレビをつける。ニュース、天気予報、通販番組。
「……」
チャンネルを変える。また変える。結局、全局を一周してテレビを消した。
「静かすぎますね」
普段なら湊がテレビを見ている。学校の話をしたり、宿題の愚痴を言ったり。最近では、ひまりや優斗と遊びに行く予定をメッセージで話していることも多い。しろは窓の外を見る。夏の強い日差しが庭を照らしていた。
「……せっかくですし」
しろは立ち上がった。
「今日は私も、少しゆっくりさせていただきますよ、ご主人」
いつもより少しだけ肩の力を抜いて、ソファへ横になる。誰にも見られていないのだから、敬語で話す必要もない、と今になって気が付く。
「……あー」
ぽつりと声を漏らす。
「ひ ま」
いつもの丁寧な口調とは違う、素の声。しろは天井を見上げた。
「ご主人、早く帰ってこないかな」
言ってから、自分で少し驚く。
「……」
誰もいないリビングに、その言葉だけが残った。しろは小さく息を吐いて、目を閉じる。
「……まあ、いいか」
今日は一人。ならば、一人でしかできないことをすればいい。そう考えながら、しろは静かな昼前の家で、ソファへと身を預けた。
◇
昼を少し過ぎた頃、しろは一人で街へ出ていた。特に目的があるわけではない。ただ、お昼ご飯も済ませ、家に一人でいるのも少し飽きたので、買い物ついでに散歩でもしようと思ったのだ。
「……暑い」
日差しが強い。しろは日陰を選びながら歩いていく。普段なら湊と一緒に歩くことの多い道も、一人だと妙に広く感じる。
「ご主人は今頃、楽しんでいるでしょうか」
スマートフォンを確認する。湊から連絡はない。
「……まあ、当然ですね」
そう呟いて、スマートフォンをしまう。そして、商店街の角を曲がったところで――。
「……?」
聞き覚えのある声がした。しろが顔を上げる。
「しろさん?」
「……ひまりさま?」
そこにいたのは、ひまりだった。片手に買い物袋を提げ、もう片方の手にはなにやらジュースが。
「やっぱりしろさんだ!」
ひまりが駆け寄ってくる。
「こんにちは!」
「こんにちは、ひまりさま」
「今日は一人?」
「はい。 ご主人はお友達と遊びに出かけていますので」
「そっか!」
ひまりは頷いた。
「じゃあ、しろさんは暇なわけだ」
「……」
しろは少し考える。
「まあ、そういうことになりますね」
「やっぱり!」
ひまりが嬉しそうに笑う。
「じゃあ一緒に遊ぼ!」
「え?」
「私もちょうど一人だったんだよ」
「ひまりさまも、ですか?」
「うん。 買い物してたら、たまたましろさん見つけた!」
ひまりはジュースを一口。せわしない女の子だ、としろは思った。
「せっかくだし、どっか行こうよ」
「しかし……」
「大丈夫大丈夫!」
「何がでしょう?」
「なんとかなる!」
「一番信用できない言葉ですね」
「ひどい!」
ひまりが笑う。しろも思わず笑った。
「……では、少しだけ」
「やった!」
ひまりが嬉しそうに歩き出す。
「どこ行く?」
「ひまりさまが決めてよろしいですよ」
「じゃあ――」
ひまりが考える。
「喫茶店!」
「……」
「どうしたの?」
「ご主人がいない日に、ひまりさまと喫茶店へ行くことになるとは思いませんでした」
「私たち仲良しだから湊の許可なんていらないの!」
「……そうですね」
しろは少し微笑んだ。
湊が知らないところで。
いつの間にか、ひまりとしろの距離はかなり近くなっていた。
「じゃあ行こ!」
「はい。」
二人は並んで歩き始めた。
その頃、遊びに出ていた湊は――。
「くしゅん!」
「どうした湊?」
「……なんか、誰かに噂されてる気がする。」
もちろん、そんなことを知る由もなかった
◇
商店街を抜け、二人は駅前の小さな喫茶店へ入った。冷房の効いた店内に入った瞬間、しろは小さく息を吐いた。
「涼しい……」
「しろさん、今ちょっと素が出た?」
「……出ていません」
「出てたよ」
「気のせいです」
ひまりは楽しそうに笑いながら、窓際の席へ座った。しろも向かいに腰を下ろす。
「何にする?」
「私はコーヒーで」
「私はクリームソーダ!」
「……お昼ご飯は?」
「ちゃんと食べたよ」
「なら安心です」
注文を済ませると、ひまりはテーブルに頬杖をついた。
「なんか変な感じ」
「何がでしょう?」
「しろさんと二人でこうしてるの」
「そうですか?」
「うん。 いつもは湊がいるし」
しろは少し考える。
「確かに、最近は優斗さま含めて四人でいることが多いですね」
「文化祭の頃まで、こんなに仲良くなると思ってなかったし」
「私もです」
「でしょ?」
ひまりが笑う。
「最初はちょっと怖かったんだよね」
「私がですか?」
「うん」
「……」
しろが少しだけショックを受けた顔をする。
「申し訳ありません……」
「いやいや、そういう意味じゃないって!」
ひまりが慌てて手を振る。
「なんていうか、すごく大人っぽかったから。 話しかけにくかったの」
「なるほど」
「でも話してみたら、結構面白いし」
「そうでしょうか」
「うん。 あと、湊のことになるとちょっと過保護かな~」
「……」
「今もそういう顔してる」
「どのような顔でしょう?」
「『ご主人はちゃんと昼ご飯を食べたでしょうか』って顔」
「……」
図星だった。
「……食事は大切ですので」
「やっぱり」
そこへ注文した飲み物が運ばれてくる。ひまりはクリームソーダを見て嬉しそうに笑った。
「いただきます!」
「どうぞ」
一口飲んでから、ひまりはまた口を開く。
「ねえ、しろさん」
「はい」
「湊ってさ」
「一人でいるとき、どんな感じなの?」
「……?」
「私たちといるときは普通だけど、家では違うのかなって」
しろは少し考えた。
「そうですね……」
思い返す。朝、眠そうに起きてくる。学校から帰れば、鞄を放り出してため息をつく。宿題をしながら文句を言う。夕食を食べながら、その日の出来事を話す。特別なことなんて何もない。
「普通ですよ」
「普通?」
「はい。 少し真面目で、少し不器用で……優しい子です」
「へえ」
ひまりがニヤッとする。
「『子』って言った」
「……」
しろは少しだけ目を逸らした。
「まだ高校生ですから」
「そっか」
ひまりはクリームソーダを飲む。
「なんか、しろさんにとって湊って特別なんだね」
「……」
しろは答えなかった。ただ、テーブルの上の紅茶を見つめる。
「大切なご主人ですから」
その答えに、ひまりはそれ以上踏み込まなかった。
「そっか」
そして、にっこり笑う。
「じゃあ今日は私がしろさんを独占しちゃおうかな」
「独占、ですか?」
「うん!」
ひまりは楽しそうに立ち上がった。
「次、買い物行こう!」
「まだ飲み終わっていませんよ」
「あ、そうだった」
「ふふっ」
しろは思わず笑った。湊のいない一日。最初は静かすぎると思っていた。けれど――。
「しろさん、これ見て!」
「はいはい」
「こっちも!」
「ひまりさま、走らないでください」
「大丈夫!」
こうして新しい相手と過ごしてみると、それはそれで悪くない。文化祭以来、いつの間にか仲良くなっていた二人、その関係を湊はまだ知らない。そして夕方。
「今日は楽しかった!」
「私もです」
「また遊ぼうね」
「はい」
ひまりと別れたしろは、一人で帰路についた。朝とは違い、少しだけ足取りが軽い。
「……帰ったら、ご主人に今日のことをお話ししましょう」
そう呟いて、しろは夕暮れの街を歩いていった。
三十四話でした。今回はしろの一人の日でした。普段は「ご主人」「皆さま」と丁寧に話しているしろですが、一人になると少しだけ素が出ます。「暇」とか言います。人間、誰にも見られていないと急に語彙力が減りますからね。そして今回のもう一つのポイントは、しろとひまりの関係です。文化祭以来、湊も知らないところでいつの間にか仲良くなっていた二人。気づけば普通に二人で喫茶店へ行くくらいの関係になっていました。湊からしたら、「え、いつの間に?」でしょうね。作者も書いていて、「……いつの間に?」と思いました。ざまあみろ。そして今回は久しぶりにゆっくりした日常回になりました。たまには主人公がいない話があってもいい。次回からも、まだまだ夏休み。湊たちの騒がしい夏は、もう少し続きます。感想、ブックマーク等よろしくお願いいたします。次回、第三十五話もお楽しみに。




