第二十四話 解放宣言
第二十四話です。長きにわたる戦いを終え、夏休みまでのカウントダウンを始めようかという一行は勝利の報酬を食べに行くことに。
カリカリ、と教室に響くのは、シャープペンシルが紙の上を走る音だけだった。普段は賑やかな二年C組も、今だけは別世界のように静まり返っている。湊は問題用紙へ視線を落としたまま、最後の計算問題に取り組んでいた。
(ここは……)
途中式を一つずつ確認する。焦ると計算ミスをする。そう自分に言い聞かせながら、丁寧に数字を追っていく。やがて答えを書き終え、時計へ目を向けた。残り十分。解答用紙を最初から見直す。
名前。
受験番号。
記号の書き間違い。
数字の写し間違い。
一つずつ確認し終えたところで――。
「そこまで」
試験終了の声が響いた。教室中から一斉に息を吐く音が漏れる。
「終わった……。」
「数学厳しいって……」
「最後の問題、何だったんだよ……」
問題用紙が回収されると同時に、教室はいつもの騒がしさを取り戻した。優斗は机へ突っ伏したまま動かない。
「……生きてるか」
湊が声を掛ける。
「半分だけ」
「半分か」
「最後の関数で力尽きた」
「途中までは?」
「そこそこ」
「じゃあ大丈夫じゃない?」
「そう思いたい……」
ひまりも苦笑いを浮かべる。
「私は途中の大問かなぁ」
「難しかった?」
「時間ぎりぎり」
「俺なんか読むだけで終わった」
「それは読めてないんだよ」
三人で顔を見合わせ、思わず笑った。どれだけ勉強しても、終わったあとは結局同じような会話になる。それが少しおかしかった。
◇
翌日。二日目の教科は英語と理科。教室には昨日以上の緊張感が漂っていた。
「英単語……英単語……」
優斗は教科書を片手に、ぶつぶつと単語を唱えている。
「今さら詰め込んでもな」
「言うなって!」
「昨日やればよかったじゃん」
「昨日は数学で燃え尽きてた」
「もったいな!」
ひまりがくすりと笑う。
「優斗って、本当に飽きないよね」
「褒め言葉?」
「さあ?」
始業のチャイムが鳴る。問題用紙が配られ、また静寂が訪れた。
――そして。
その日も、気づけば終わっていた。
◇
三日目、四日目と、テスト期間中は一日が驚くほど早い。朝は教科書を開き、試験を受け、昼休みに答え合わせをしては一喜一憂し、放課後には「明日の教科、やばいな」と言いながら帰る。そんな毎日の繰り返しだった。優斗は相変わらず、
「今回は本当に終わった!」
と言っては、
「いや、昨日も同じこと言ってたじゃん」
とひまりに突っ込まれ。湊は苦笑しながら二人のやり取りを眺めていた。慌ただしい数日間は、まるで夏の風に押されるように過ぎていく。
そして――
「いよいよ明日で最後か」
帰り支度をしながら、湊が呟く。
「長かったような、短かったような」
ひまりも鞄を持ち上げる。
「最後は現代文だっけ」
「あと世界史」
「現代文はどうにかなる!」
優斗が自信満々に胸を張る。
「世界史は?」
「……気合い」
「勉強しろ」
「今からする!」
教室に笑いが広がる。いよいよ明日は、期末テスト最終日。あと一日。それを乗り越えれば、待ちに待った夏休みがぐっと近づくのだった。
◇
翌朝。空は朝から雲ひとつない快晴だった。照りつける日差しは、まだ午前中だというのに容赦がない。最終日。その言葉だけで、学校へ向かう足取りはどこか軽かった。
「おはよう」
教室へ入ると、すでに優斗が机に突っ伏していた。
「……どうしたんだよ」
「世界史まだ始まってないぞ」
「だから怖いんだよ」
「昨日勉強したんじゃなかったの?」
湊が席へ鞄を置きながら尋ねる。
「した」
「じゃあ大丈夫だろ」
「でも年号が全部仲良く見えてくる」
「それはもう末期だな」
優斗は机に額を押しつけたまま、小さくうめく。
「一五四三……」
「鉄砲伝来」
「一五四九……」
「キリスト教伝来」
「一六〇〇……」
「関ヶ原」
「おぉ!」
勢いよく顔を上げる。
「湊、ありがとう!」
「そこだけ覚えてどうする」
「気持ちが落ち着いた!」
「単純すぎるでしょ」
ひまりが笑いながら席へやって来る。
「おはよ」
「おはよう」
「二人とも、最後だから元気だね」
「元気じゃない!」
優斗が即座に否定する。
「心は泣いてる!」
「顔は元気そうだけど」
「それは強がり」
三人が笑い合っていると、始業のチャイムが鳴った。担任が教室へ入ってくる。
「はい、席着けー」
いつものように教室が静まり返る。試験監督の先生が問題用紙を抱えて入室し、一枚ずつ配っていく。机の上へ置かれた問題用紙。最後の一枚だ。
(ふぅ、これで終わり)
そう思うと、不思議と肩の力が抜けた。
「んんん、始めぇぇぇぇぇぇい!」
日本史教師の奇声のような合図と同時に、一斉に問題用紙を裏返す。湊は深呼吸を一つしてから、最初のページへ目を通した。
(……よかった)
昨日見直したところが、そのまま出ている。落ち着いて読めば解ける問題ばかりだ。焦らず、一問ずつ。時間を確認しながら、丁寧に解き進めていく。教室には、ペン先が紙を走る音だけが響いていた。
◇
「そぉぉぉこまでぇぇぇぇぇい!」
先生の声が響く。シャープペンシルを置く音が、あちこちで重なった。問題用紙が回収されていく。最後の一枚が集められた瞬間――
教室中から大きな息が漏れた。
「終わったぁぁぁ!」
誰かの叫びをきっかけに、教室は一気に騒がしくなる。
「夏休みだー!」
「いや、まだ終業式あるぞ」
「細かいことはいい!」
優斗も勢いよく立ち上がった。
「終わった! 終わったぞ!」
「お疲れ」
湊が笑いながら声を掛ける。
「どうだった?」
「分かる問題は分かった!」
「分からない問題は?」
「分からなかった!」
「正直でよろしい」
ひまりが茶化す。
「でも、勉強会やってなかったらもっと悲惨だったかも」
「それはある」
優斗は何度も頷いた。
「湊、ほんっとにありがとな!」
「別にいいんだよ」
「ほんと助かった」
照れくさそうに笑う優斗を見て、湊も小さく笑みを浮かべる。テストの結果はまだ分からない。それでも、一週間みんなで頑張った時間は無駄ではなかったと思えた。窓の外では、真夏の青空がどこまでも広がっている。長かった期末テストは、こうして幕を閉じた。
◇
ホームルームが終わると同時に、教室はまるでお祭りのような騒ぎになった。
「終わったーーー!!」
優斗が両手を突き上げる。
「自由だぁぁぁ!」
「まだ終業式あるけどな」
湊が苦笑すると、
「そんなの誤差誤差!」
と優斗は胸を張る。
「今日くらい現実見なくていいだろ!」
「テスト中から現実逃避しすぎなんだよ」
「いやー、でも分かる!」
ひまりが椅子から立ち上がりながら笑った。
「なんかさ、テスト終わった瞬間って空気まで軽くなるよね!」
「それはある」
「ほらほら、窓の外見て!」
三人そろって窓の外へ目を向ける。どこまでも続く青空。真っ白な入道雲。グラウンドでは解放された運動部の元気な掛け声が響き、蝉の鳴き声が校舎中へ降り注いでいた。
「夏だねぇ」
ひまりが眩しそうに目を細める。
「うん」
湊も自然と頷いた。テストが終わっただけなのに、不思議と景色まで違って見える。
「よーし!」
優斗が勢いよく鞄を肩へ担ぐ。
「今日は寄り道して帰ろうぜ!」
「いきなり?」
「だって解放記念日だぞ!?」
「何その記念日」
「今決めた!」
ひまりが吹き出す。
「優斗らしい!」
「だろ?」
「褒めてないよ?」
「え?」
「褒めてない」
優斗は「マジかぁ」と肩を落とした。その様子に、湊も思わず笑ってしまう。
「じゃあ、どこ行くんだ?」
「それは……」
優斗が腕を組む。
「アイス!」
「絶対言うと思った」
「いやいや、この暑さだぞ?」
「確かに食べたくなるけど」
「ひまりもだろ?」
「うん、なる!」
あっさり同意した。
「ほら! でもさ!」
ひまりはいたずらっぽく笑う。
「今日は私がお店決めていい?」
「珍しいな」
「この前、新しくできたクレープ屋さん見つけたんだよね」
「クレープ?」
「駅前商店街の入口か!」
「そうそう、あそこ気になってたんだ!」
優斗が目を輝かせる。
「行こうぜ!」
「勉強頑張ったご褒美ってことで」
ひまりが笑う。
「湊も行くでしょ?」
「もち」
「よし、決まり!」
ひまりは満足そうに頷いた。教室を出ると、廊下には同じように解放感に包まれた生徒たちがあふれていた。
「あー、ゲームしたい!」
「俺は寝る!」
「カラオケ行こうぜ!」
そんな声があちこちから聞こえてくる。誰もが夏休みを待ちきれない顔をしていた。昇降口で靴を履き替え、三人は校門を出る。強い日差しが照りつける。
「暑っ!」
優斗が顔をしかめる。
「さっきまで教室にいたから余計に暑く感じる」
「アイス溶ける前に行こ!」
ひまりが先に歩き始めた。
「急げ急げー!」
「走るなって」
「だってクレープ逃げちゃう!」
「逃げないよ」
湊が笑うと、優斗も笑った。三人の笑い声は、蝉の鳴き声に負けないくらい賑やかだった。
◇
駅前でクレープを食べ終えた頃には、空は少しだけ茜色に染まり始めていた。
「いやー、食べた食べた!」
優斗は満足そうに両手を頭の後ろで組む。
「テスト終わりのクレープは格別だな!」
「ね! ほんとおいしかった!」
ひまりが笑いながら紙ナプキンで手を拭く。会話を聞いていた湊も思わず笑みをこぼした。改札口の前で三人は立ち止まる。
「じゃあ、また明日!」
「……いや、明日も学校だからな」
「分かってるよ!」
ひまりがくすっと笑う。
「でもテスト終わったから、気分はもう夏休み!」
「あと数日で終業式だしな」
「そうそう!」
優斗が大きく頷く。
「終業式終わったら遊ぼうぜ!」
「まずは成績返却でしょ」
「忘れてた」
「忘れようとしてただけだろ」
三人は顔を見合わせて笑う。
「じゃあな」
「またねー!」
それぞれの方向へ向かい、手を振って別れた。
◇
駅の構内を抜けると、昼間の暑さは少しだけ和らいでいた。夕風が吹き抜け、どこかの家から夕飯の匂いが漂ってくる。住宅街を歩きながら、湊はふと空を見上げた。茜色の空に、ゆっくりと流れる雲。
(終わったんだな)
一週間続いた期末テスト。結局毎日のように図書室へ集まり、三人で勉強した放課後。優斗の大げさな反応や、ひまりの明るい笑い声を思い返すと、自然と口元が緩んだ。気づけば、自宅の前まで来ていた。玄関の扉を開ける。
「ただいま帰りました」
すると、ぱたぱたと軽い足音が聞こえてくる。
「おかえりなさいませ、ご主人」
しろが玄関まで迎えに来て、いつものように穏やかに頭を下げた。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
湊は靴を脱ぎながら、小さく息をつく。
「今日で全部終わりました」
「期末テスト、ですか」
「はい」
その一言を聞くと、しろは表情をぱっと明るくした。
「それは、本当にお疲れさまでした」
まるで自分のことのように嬉しそうに微笑む。
「皆さまも無事に終えられたのですか?」
「たぶん大丈夫だと思います。 優斗は最後まで騒いでましたけど」
「白峰さまらしいですね」
「ひまりも『気分はもう夏休み!』って言ってました」
「お二人とも、楽しそうです」
「はい」
学校での賑やかな時間を思い返しながら答えると、しろは優しく頷いた。
「ご主人も、今日はどこか楽しそうなお顔をされています」
「そうですか?」
「はい」
少しだけ首を傾げる。
「最近は文化祭の準備やテスト勉強で忙しかったので、気分転換できたからですかね?」
「……そうかもしれません」
気づけば、この一か月ほどは毎日何かに追われていた。文化祭が終われば、すぐに期末テスト。ようやく一区切りついたのだ。
「今日は、ご褒美をご用意しております」
「ご褒美?」
「はい」
しろはそう言って、珍しく少し得意げに笑った。
「冷蔵庫をご覧になってください」
言われるまま扉を開けると、中にはガラスの器が三つ並んでいた。透き通った寒天の中に、みかんや桃、それにさくらんぼが彩りよく浮かんでいる。
「これ……」
「フルーツポンチです」
しろが少し照れくさそうに言う。
「期末テスト、お疲れさまでしたという気持ちを込めて作りました」
湊は思わず笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
「お口に合うと嬉しいのですが」
「しろさんが作ったものなら、なんでもおいしいですよ」
その言葉に、しろは少しだけ目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。
「……ありがとうございます、ご主人」
窓の外では、夕暮れの空にひぐらしの鳴き声が響き始めていた。文化祭が終わり、期末テストも終わった。あとは終業式を迎えれば、いよいよ夏休み。少しずつ近づいてくる夏への期待を胸に、湊はしろと並んで食卓へ向かった。
第二十四話でした。やっとテストが終わりました。……いや、終わったのは作中の湊たちであって、作者の現実には何も終わってません。むしろ「次は七夕か……」「夏休みどうしよう……」って頭を抱えてます。高校生ってイベント多すぎません?六月終わったと思ったらテスト、七夕、終業式、夏休み、お祭り、花火、海、宿題……。昔の自分は「夏休み長ぇ!」とか思ってましたけど、今見ると「学校側、詰め込みすぎだろ」って気持ちになります。ひまりはようやく本来の明るさが戻ってきましたね。作者としても「あ、これこれ。このテンションだよ」と安心しております。そして、しろ。学校にはいませんが、帰る場所としてちゃんと存在感を出せるキャラクターになってきた気がします。賑やかな学校と、静かな家。その温度差も、この作品らしさとして大事にしていきたいですね。さて、次回はいよいよ七夕です。短冊に何を書くのか。誰がどんな願い事をするのか。そして優斗はちゃんと宿題を終わらせられるのか。……いや、それはまだ先の話でした。感想、ブックマーク等お待ちしております。次回、第二十五話もお楽しみに。




