第十八話 この景色を、もう少しだけ
第十八話です。初日に大成功を収めた二年C組は二日目の朝を迎える。「今日で文化祭も終わりか……」そんな一言に少ししんみりするクラスメイト達だったが、笑って終わりたい、そんなみんなの気持ちが一つになっていく。文化祭編、完結話です。
文化祭二日目、日曜日の朝。昨日と同じように、青空が青嶺高校の校舎を照らしていた。朝露をまとった木々は風に揺れ、校門へ続く坂道には、日曜だからだろうか、昨日以上に多くの人の姿がある。家族連れ。近所の子どもたち。卒業生。来年に受験を控えているであろう中学生。それぞれがパンフレットを手に、笑顔で校門をくぐっていく。
「おはようございます!」
文化祭実行委員の元気な声が響く。昨日は少し緊張して聞こえたその声も、今日はどこか余裕が感じられた。青嶺祭は二日目、文化祭最後の一日が始まろうとしていた。
◇
「おはよう!」
教室の扉を開けた湊を迎えたのは、クラスメイトたちの明るい声だった。
「朝比奈、おはよう!」
「昨日お疲れ!」
「今日はもっと忙しくなりそうだな!」
昨日までなら、どこかぎこちなかった会話も、今日は自然に飛び交っている。誰が言い出すでもなく、それぞれが自分の持ち場へ向かう。受付担当は受付へ。誘導係は入口へ。点検担当はコーヒーカップの確認へ。誰かが指示を出さなくても、全員が動ける。何週間もの準備と、昨日という忙しかった一日を共に過ごしたことで、二年C組は一つのチームになっていた。
「湊」
優斗が工具箱を閉じながら笑う。
「点検終わったぞ」
「異常なし」
「ありがとう」
湊も笑顔で頷く。
「ひまり!」
「受付の準備できたよー!」
「はーい!」
ひまりも手際よくパンフレットを並べていく。その様子を見ながら、湊はふと昨日の朝を思い出した。
あの時はまだ、全員の表情に緊張があった。
「ちゃんと動くだろうか」
「お客さんは来てくれるだろうか」
そんな不安を、それぞれが胸に抱えていた。でも今日は違う。誰もが余裕を持っている。不安よりも、「今日も楽しもう」という気持ちが教室を満たしていた。
◇
開場まで少し時間があった。教室の中央に置かれたコーヒーカップを囲みながら、自然と雑談が始まる。
「昨日さ」
「家帰ったら速攻寝た」
「分かる!」
「俺なんか制服のまま寝てたわ」
笑いが起こる。
「足痛くない?」
「マジふくらはぎえぐい」
「でも今日で終わりだぞー」
その言葉に、教室が少し静かになった。
「……今日で最後か」
誰かがぽつりと呟く。文化祭はたったの二日間。つまり、この時間も今日で終わる。完成したコーヒーカップも、教室を彩る装飾も、みんなで走り回るこの時間も。明日には元通りになってしまう。
「終わるの、もったいないな」
女子生徒が寂しそうに笑う。
「せっかく仲良くなれたのに」
「分かる」
優斗も頷く。
「準備してる時は『早く本番来い』って思ってたのに」
「始まったら一瞬だった」
湊も静かに教室を見渡す。色紙で飾られた壁。手作りの看板。クラスみんなで磨き上げたコーヒーカップ。どれも何度も見てきた景色なのに、今日は少し違って見えた。
「みんな!」
ひまりが笑いかける。
「しんみりするのはまだ早いよ!」
「今日はまだ始まってないんだから!」
「……そうだね」
湊も笑う。
「最後まで楽しもう!」
「それで終わってから寂しがればいい!」
「湊大先生の言う通り!」
優斗が笑いながら頷く。
「今日は笑って終わろうぜ」
その一言に、教室の空気がまた明るくなった。
◇
その時、教室の扉が開き、担任教師が姿を見せた。
「みんな、おはよう」
「おはようございます!」
元気な返事が返ってくる。担任は教室を見渡し、満足そうに微笑んだ。
「いい顔してるな」
「昨日とはまるで違う」
「はい!」
誰かが元気よく返事をする。
「昨日は不安でいっぱいでしたけど」
「今日は楽しむだけです!」
「その意気だ」
担任は頷いた。
「昨日、お前たちの教室にはたくさんの笑顔が集まった」
「今日もきっと、いや、今日以上にそうなる」
「自信を持って、お客さんを迎えろ」
「はい!」
教室いっぱいに声が響く。その声は昨日よりも力強く、昨日よりも一つになっていた。文化祭最後の一日。二年C組は、それぞれの胸に少しの寂しさと、それ以上の期待を抱きながら、新しい一日を迎えようとしていた。
◇
文化祭二日目は、学校全体で初日以上の盛り上がりを見せた。二年C組のコーヒーカップは相変わらずの人気で、開場から一時間もしないうちに教室前には長い列ができている。しかし昨日と違うのは、運営する側の表情だった。
「次のお客様どうぞ!」
「こちらでーす!」
声を掛けるタイミング。誘導のしかた。安全確認。どれも自然に体が動く。誰かが困れば、誰かがすぐに助ける。目を合わせるだけで意思が伝わることも増えた。担任はそんな様子を教室の後ろから眺め、小さく笑う。
「もう俺が口を出すことはないな」
◇
昼前。運営も落ち着いた頃、クラスでは交代で休憩を取ることになった。
「湊」
優斗が肩を叩く。
「前半頑張ったし、少し見にいこーぜ」
「でも……」
湊が列を見る。まだ待っているお客さんは多い。
「大丈夫」
ひまりが笑った。
「今日は昨日より人手に余裕あるし」
「ちゃんと交代で休むって決めたでしょ?」
「そうそう」
優斗も頷く。
「文化祭なんだから、自分たちも楽しまないともったいない」
そこまで言われて、湊はようやく苦笑した。
「じゃあ……少しだけ、ね」
「決まり!」
◇
三人は教室を出て、久しぶりに校舎を歩く。昨日はほとんど自分たちの教室から動けなかった。だからこそ、どこを見ても新鮮だった。
二年A組では射的。歓声が上がるたび、景品のお菓子を手にした生徒が笑顔で飛び跳ねている。二年B組はお化け屋敷。出口から絶叫が聞こえ、出てきた男子生徒が友達に笑われていた。
「お前、腰抜かしてたじゃん!」
「抜かしてねぇ!」
そのやり取りに、ひまりが吹き出す。
「入りたい?」
優斗が聞く。
「いや、今日はいいかな」
湊は笑って首を振る。
「並んでるし」
「俺も」
「私も絶対やだ」
三人は笑い合いながら廊下を進んだ。
◇
中庭に出ると、たこ焼きや焼きそばの香りが漂ってくる。
「……お腹空いたかも」
ひまりが小さく呟く。
「確かに」
優斗も即答した。
「俺、実は朝ほとんど食べてないんだわ」
「じゃあ」
湊が売店を指差す。
「何か買う?」
三人は模擬店で焼きそばとフランクフルト、それぞれ飲み物を買い、中庭のベンチへ腰掛けた。
「いただきます」
「いただきまーす!」
文化祭の喧騒を眺めながら食べる昼食は、普段の学校では味わえない特別な時間だった。
「普段より美味しく感じるかも」
ひまりが笑う。
「疲れてるからじゃない?」
湊が返す。
「これぞ文化祭マジック」
優斗も焼きそばを頬張りながら頷いた。
「みんなで食べるからかも」
湊のその一言に、二人は顔を見合わせる。
「……湊さぁ」
「たまにいいこと言うよね」
「たまにって何」
三人で笑い合う。
◇
「あ、朝比奈せんぱーい!」
聞き覚えのある元気な声が飛んできた。三人が振り向くと、手を大きく振りながら駆け寄ってくる女子生徒がいた。
「雨宮さん」
「こんにちは!」
昨日と変わらず文化祭Tシャツ姿の結衣だった。
「昨日ぶりですね!」
「一年生の展示、忙しくないの?」
湊が尋ねる。
「もちろん大盛況ですけど、今ちょうど交代なんです!」
結衣はにこっと笑う。
「先輩たちも休憩ですか?」
「うん」
「少しだけ」
「じゃあ、一緒に回りません?」
結衣はパンフレットを広げる。
「美術部の展示、すごく良かったですよ!」
「あと写真部もおすすめです!」
「詳しいね」
ひまりが感心すると、結衣は少し得意そうに胸を張る。
「昨日、閉場後に友達と回ったんです!」
「だから今日は案内できますよ!」
◇
四人はまず、美術部の展示室へ向かった。教室いっぱいに並ぶ油絵や水彩画。風景画、人物画、抽象画。一枚一枚に個性があり、静かな空気が流れている。
「すごい……」
湊は思わず足を止めた。美術がそう得意というわけではない。それでも、一つひとつの作品から伝わる熱意は十分に感じられた。
「これ、高校生が描いたんだ」
優斗も驚いたように呟く。
「文化祭って面白いですよね」
結衣が展示を眺めながら言う。
「普段知らない人の『好き』とか『得意』が見られるから」
「……確かに」
湊は静かに頷いた。コーヒーカップも。演劇も。展示も。全部、そのクラスや部活が積み重ねてきた時間の結晶なのだ。だから、見ていて自然と心が動く。四人はゆっくりと展示を見て回りながら、それぞれの作品について感想を語り合う。自分たちの教室とはまた違う文化祭の景色を楽しみながら、限られた休憩時間はあっという間に過ぎていった。
「そろそろ戻ろうか」
湊が時計を見る。
「午後も忙しくなるだろうし」
「ですね!」
結衣は元気よく頷いた。
「じゃあ私も一年生の教室に戻ります!」
「午後も頑張りましょう!」
「うん」
「また後で!」
四人は笑顔で手を振り合い、それぞれの持ち場へ戻っていく。文化祭は終盤へ向かっていた。だからこそ、一つひとつの時間が、いつもより少しだけ大切に思えた。
◇
午後四時。文化祭二日目の終わりを告げる校内放送が、青嶺高校中に静かに響き渡った。
『以上をもちまして、本年度青嶺祭を終了いたします』
『ご来場いただいた皆様、誠にありがとうございました』
そのアナウンスとともに、校舎のあちこちから拍手が起こる。二日間にわたる文化祭。その幕が、ゆっくりと下ろされた。
◇
「ありがとうございましたー!」
二年三組の教室でも、最後のお客さんを見送る。
「楽しかったです!」
「また来年も頑張ってください!」
「ありがとうございます!」
最後に頭を下げた家族連れが教室を出ていくと、廊下から聞こえていた賑やかな声も少しずつ遠ざかっていった。教室には、静けさが戻ってくる。
「……終わったな」
優斗が大きく息をついた。
「終わったね」
ひまりも笑う。疲れているはずなのに、不思議と誰も嫌な顔はしていなかった。むしろ、やり切ったという充実感が教室を満たしている。
◇
「よーし!」
その時、担任がパンパンと手を叩いた。
「片付け……の前に!」
生徒たちが一斉に顔を上げる。
「せっかくここまで頑張ったんだ」
「最後だから……?」
担任は教室の中央にあるコーヒーカップを指差した。
「みんなで乗るか!」
一瞬の静寂。そして――
「うおおーーーっ?!」
教室中から歓声が上がった。
「先生、最高!」
「それやりたかった!」
「最後の思い出だ!」
あっという間にコーヒーカップの周りへ生徒たちが集まる。
「順番に乗れー!」
担任が笑いながら声を張る。
「俺が回してやる!」
「先生、本気でお願いします!」
「任せろ!」
◇
一組目。優斗、ひまり、湊を含めた四人組が乗り込む。
「準備いいかー!」
「はい!」
「いくぞ!」
担任が勢いよく回し始める。
「うわっ!」
「速いって! 速いって!」
「先生、本気すぎ!」
教室いっぱいに笑い声が響く。昨日までお客さんを楽しませるために回していたコーヒーカップ。今日は、自分たちがその楽しさを味わう番だった。降りる頃には、全員が笑い転げていた。
「ちょっと先生!」
優斗が笑いながら抗議する。
「ガチりすぎっすよ!」
「大丈夫だ!」
担任は満足そうに腕を組む。
「乗るなら全力!」
その言葉に、また笑いが起こる。
◇
二組目、三組目。普段は物静かな生徒まで声を上げて笑い、女子たちは写真を撮り合い、男子たちは「もう一回!」と子どものようにはしゃぐ。担任も、生徒も、みんな笑っていた。その光景を見ていた湊は思った。
(これが、このクラスの文化祭だったんだ)
準備で意見がぶつかった日も、作業が思うように進まなかった日も。全てこの笑顔に繋がっていたと、確信した。
◇
「さあ!」
担任が手を叩く。
「楽しい時間は終わり!」
「現実に戻るぞ!」
「えぇー!」
ブーイングが飛ぶ。
「片付けまでが文化祭だ!」
「そんなテンプレみたいな!」
愚痴りながらも、元気な返事が返ってくる。
◇
教室の空気が少しずつ変わっていく。壁に貼られていた色紙が一枚、また一枚と剥がされる。色鮮やかな装飾が外され、教室の隅へ積まれていく。黒板いっぱいに描かれていたイラストも、濡れた雑巾でゆっくりと消されていく。机を元の配置へ戻す。椅子を並べる。昨日まで「文化祭の教室」だった場所は、少しずつ「いつもの教室」に戻っていった。さっきまでの賑やかさが嘘のように、静かな時間が流れる。誰も大きな声を出さない。作業をしながら、それぞれが今日までの日々を思い返していた。
最後の机を運び終えた時だった。
「……終わっちゃったね」
女子生徒の小さな呟きが、静かな教室に溶けていく。誰も、すぐには返事をしなかった。それぞれが同じ気持ちだったからだ。文化祭のために集まり。文化祭のために笑い。文化祭のために頑張った日々。
それが、今終わった。
教室の中央には、まだコーヒーカップだけが残っている。解体は明日。だから今だけは、完成した姿のままだった。湊はゆっくりとその前まで歩いていく。何度も磨き、何度も調整し、みんなで作り上げたコーヒーカップ。そこには、この二か月近い準備の日々が詰まっていた。
優斗とバカ笑いした日も。
ひまりと意見を出し合った日も。
クラスみんなで遅くまで残った日も。
そして、しろが教室へ来てくれた日のことも。
一つひとつが思い出として胸に蘇る。湊は小さく息を吸い、静かに呟いた。
「……楽しかった」
その言葉は誰かに向けたものではない。自分自身の、本心だった。夕日が差し込む教室に、コーヒーカップの長い影が伸びていた。それは、この文化祭の日々を引き延ばしていたい自分が、どこかにいるみたいだった。
こうして、二年三組の文化祭は、たくさんの笑顔とともに幕を閉じた。
文化祭編・完
第十八話でした。ついに終わってしまいました、文化祭編、ここまで読んでいただきありがとうございました。この章では、文化祭そのものだけでなく、「みんなで一つのものを作り上げる時間」を大切に描きました。準備期間から本番、そして終わった後の少し寂しい空気まで、高校生活ならではの青春を感じていただけたら嬉しいです。また、この文化祭を通して、湊としろ、そして優斗やひまりとの関係も少しずつ変化し始めました。派手な出来事ではありませんが、日常の積み重ねがこの作品らしさだと思っています。文化祭は終わりましたが、湊たちの日常はまだまだ続きます。これからも、彼らのゆっくりと進む毎日を見守っていただけたら嬉しいです。感想、ブックマーク等お待ちしております。次回、第十九話もお楽しみに。




