第十六話 大荒れ
第十六話です。賑わいを見せる二年C組『コーヒーカップ』。忙しさに汗を流す湊たちのもとへやってきたのは……?
文化祭初日。午後一時過ぎ。昼休みを終えた青嶺高校は、午前中以上の賑わいを見せていた。校門からは家族連れや卒業生、中学生の姿が次々と入ってくる。模擬店からは焼きそばやフランクフルトの香ばしい匂いが漂い、吹奏楽部の演奏が風に乗って校舎の間を流れていく。グラウンドでは運動部が企画したゲームコーナーに子どもたちの歓声が響き、中庭では軽音楽部がリハーサルを終え、ライブが始まろうとしていた。学校全体が、笑顔で満ちている。その中心で。
「次の方どうぞー!」
湊も汗を拭きながら声を張っていた。
「ありがとうございます!」
「お気を付けて降りてください!」
午前中だけで何十組ものお客さんを案内した。疲れているはずなのに、不思議と体は軽かった。目の前で、自分の作ったもので誰かが笑ってくれている。それだけで疲れが吹き飛ぶような気がした。
◇
「湊」
受付をしていた優斗が廊下を見ながら言う。
「知り合いじゃない?」
「え?」
湊が入口へ目を向ける。そこには見慣れた銀色の髪が揺れていた。淡い水色のブラウスに白いカーディガン。紺色のロングスカート。休日らしい落ち着いた私服に身を包み、ゆっくりと校内を歩いていた。
「……しろさん」
思わず声が漏れた。しろはその声に気付き、小さく会釈をする。
「ご主人。」
その穏やかな笑顔に、湊の胸が少しだけ高鳴る。
「いらっしゃい!」
気付けば笑顔で駆け寄っていた。
「来てくれたんですね!」
「はい。」
しろは校舎を見回す。
「皆さんが頑張って準備された文化祭ですので」
「ぜひ見に来たいと思いました。」
その言葉だけで、湊は嬉しかった。
「案内します!」
「ありがとうございます」
◇
「あ、しろさん!」
ひまりがこちらへ走ってくる。
「来てくれたんですね!」
「こんにちは。」
「こんにちは!」
ひまりは満面の笑みだった。
「今日はお客さんなんですから、いっぱい楽しんでくださいね!」
「はい」
しろは素直に頷く。
「実は」
「文化祭というものに来るのは初めてなんです。」
「えっ?」
湊もひまりも驚いた。
「初めて?」
「はい」
少しだけ照れくさそうに笑う。
「ですので、少し楽しみにしていました。」
その笑顔を見て、湊は思わず見入ってしまう。
(そんな顔もするんだ……)
普段の穏やかな笑顔とは少し違う。どこか子どものように、期待に胸を膨らませている表情だった。
「ご主人?」
「え?」
「どうかされましたか?」
「い、いえ!」
慌てて視線を逸らす。その様子を優斗は少し離れたところから見ていた。
「……」
口元が緩む。
(また始まった)
分かりやすすぎる。
(これは……)
(後で絶対いじってやろ)
◇
「しろさん」
ひまりが手を差し出す。
「せっかくだし、一緒に乗りません?」
「私がですか?」
「もちろん!」
「湊たちは運営だから乗れないし」
「私が一緒に乗ります!」
しろは少しだけ迷った。
「ですが、お仕事の邪魔では……」
「全然!」
湊も笑う。
「むしろ乗ってほしいです」
「皆さんが楽しんでくれるのを見るために作ったんですから」
しろは小さく頷いた。
「……では、」
「お言葉に甘えさせていただきます」
◇
ゆっくりとコーヒーカップへ乗り込む。ひまりとしろ。二人が向かい合って座る。
「準備いいですか?」
「はい」
「大丈夫です」
安全バーを確認し、係がゆっくりと回転を始める。コーヒーカップは静かに動き出した。最初は少し緊張した様子だったしろ。周囲を見渡しながら、恐る恐る中央のハンドルへ手を添える。
「しろさん!」
ひまりが笑う。
「回してみましょ!」
「こうですか?」
二人で少しだけ力を入れる。
すると、くるり。
カップがゆっくりと向きを変えた。
「あ……」
しろが小さく声を漏らす。
「回りました……!」
「もう一回!」
「はい」
くるり。
くるり。
回るたびに、しろの表情が少しずつ柔らかくなっていく。
「ふふっ」
小さな笑い声。それは、湊が今まで見たことのない笑い方だった。教室の入口でその様子を見守っていた湊は、思わず息を呑む。
「……」
しろが、あんな風に楽しそうに笑っている。誰かとはしゃいで、子どものように目を輝かせている。それが嬉しくて、胸の奥が熱くなる。
「お前のそんな顔、初めて見たわ」
隣に立った優斗が小さく笑う。
「え?」
「めちゃくちゃ嬉しそうだぞ」
湊は慌てて否定しようとした。
「そ、そんなこと……」
「ある、よな?」
優斗は即答する。
「だって」
「さっきからずっとしろさんしか見てないし」
「……っ!」
顔が一気に熱くなる。
「ち、違うって!」
「違わないでしょ」
今度はひまりの声だった。いつのまにかコーヒーカップから降りたひまりは、にやにやしながら湊を見ている。
「湊」
「しろさんが笑った瞬間、完全に見惚れてたよ」
「見惚れてない!」
「いーや「見惚れてた」」
優斗とひまりの声がぴったり重なる。湊は何も言い返せない。その様子を見たしろは、不思議そうに首を傾げる。
「皆さま、どうされたのですか?」
「……」
三人は顔を見合わせる。
そして、
「「「何でもありません」」」
声を揃えて答えた。
しろだけが、きょとんとした表情を浮かべている。
「……よく分かりませんが、私は楽しかったです」
コーヒーカップから降りたしろは、小さく息をついた。頬には、ほんのりと笑みが残っている。
「そう言ってもらえてよかった!」
ひまりも満足そうに笑う。
「ありがとうございます」
しろはもう一度、完成したコーヒーカップへ目を向けた。楽しそうに回るカップ。響く笑い声。その光景を見つめながら、小さく呟く。
「……もう少し」
「もう少しだけ、ここにいてもよろしいでしょうか」
「もちろんですよ」
「何か気になることでも?」
しろは静かに首を振った。
「気になるというより……」
教室の中を見回す。列に並ぶ家族連れ。写真を撮り合う高校生。笑顔で案内する二年C組の生徒たち。その一つひとつへ視線を向けながら言った。
「皆さんが楽しんでいる様子を、なんだかもう少し見ていたいのです」
「……」
湊はその言葉を聞いて、自然と笑顔になった。
「じゃあ」
「特等席を用意しますね」
◇
教室の端。運営の邪魔にならず、それでいて全体を見渡せる場所に椅子を一つ置く。
「ここでどうですか」
「ありがとうございます」
しろは静かに腰を掛けた。そこから見える景色は、とても賑やかだった。
「はい、次のお客様どうぞ!」
「小さなお子さんは保護者の方と一緒にお願いします!」
受付係の声。回転を始めるコーヒーカップ。教室いっぱいに広がる笑い声。
◇
次に乗ったのは、小学生くらいの姉妹だった。
「お姉ちゃん!」
「回して!」
「いいよ!」
二人で中央のハンドルを握る。ぎこちないながらも力を合わせると、カップがゆっくり向きを変えた。
「わぁ!」
「回った!」
二人は顔を見合わせ、大きく笑う。その笑顔につられて、見守っていた母親も自然と笑顔になる。
「楽しそうね」
「うん!」
妹が元気よく手を振った。
◇
続いて乗ったのは、おそらく卒業生と思われる大学生のグループだった。
「懐かしいな」
「俺らも文化祭こんな感じだったよな」
「いや、ウチはもっと適当だったぞ」
「それはお前だけな」
そんな冗談を言い合いながら乗り込む。回転が始まると。
「おっ!」
「意外とよくできてる!」
「これ手作りなのすごいな!」
感心したような声が上がる。降りる際には、
「ありがとう!」
「楽しかった!」
そう言って笑顔で教室を後にした。
◇
しろは、その一組一組を静かに見つめていた。誰かが笑えば、自分も少し微笑む。小さな子どもが喜べば、目を細める。高校生同士が楽しそうに写真を撮っていれば、その様子を穏やかに眺める。
「……」
湊は受付をしながら、何度もしろの方へ目を向けてしまう。コーヒーカップだけではなく、そこに集まる人たちの笑顔を、まるで宝物を見るような目で見つめている。
(しろさんって、人が笑ってるのを見るのが好きなんだな)
その優しい横顔に、また胸が少しだけ温かくなった。
◇
その時だった。
「朝比奈先輩!」
廊下から元気な声が響く。振り返ると、小走りでこちらへ向かってくる女子生徒がいた。
「雨宮さん」
「こんにちは!」
結衣だった。今日は制服ではなく、文化祭用のクラスTシャツを着ている。
「約束通り来ました!」
「ありがとう」
湊も笑顔になる。
「一年生の展示は?」
「大成功ですよ!」
結衣は胸を張る。
「だから遊びに来ちゃいました!」
その元気いっぱいの様子に、周囲も思わず笑顔になる。
「あっ!」
結衣は教室の奥にいるしろを見つけた。
「しろさん!」
「こんにちは!」
「こんにちは」
しろも優しく会釈する。
「今日はお客さんなんですね!」
「はい」
「文化祭を楽しませていただいています」
「それなら」
結衣は目を輝かせた。
「一緒に乗りましょう……って言いたいところなんですけど、しろさんはさっき乗ったって聞きました」
「はい」
「では私、一人で乗ってきます!」
その勢いに、湊は苦笑する。
「慌てなくても大丈夫だよ」
「もう待てません!」
◇
「雨宮さん、ご案内します!」
結衣は嬉しそうにコーヒーカップへ乗り込んだ。
「それでは、スタートします」
ゆっくりと回り始める。
「わぁー!」
結衣は最初こそ笑顔だった。しかし、途中から自分でも勢いよくハンドルを回し始める。
「もっと回れー!」
くるくる。ぐるぐるぐる。
カップは思った以上に勢いよく回転した。
「雨宮さん!」
湊が苦笑する。
「回しすぎ!」
「だ、大丈夫ですー!」
そう返事をした次の瞬間。ようやく回転が止まる。
「……」
結衣は立ち上がろうとして、
ふらっ。
「わっ!」
足元がもつれ、そのまま前へ倒れそうになる。そこへ咄嗟に湊が駆け寄る。
「危ない!」
結衣の体を支える。
「だ、大丈夫?」
「うぅ……」
結衣は少し涙目になりながら、小さく笑った。
「ちょっと……目が回っちゃいました……」
力が入らないのか、そのまま湊の肩へ体を預ける。
「ご、ごめんなさい……」
教室の空気が、一瞬だけ止まった。
「思ったより……回しすぎちゃいました……」
「だから言ったのに」
湊は苦笑しながら近くの椅子を引いた。
「ほら、座っていいよ」
「ありがとうございます……」
結衣は大人しく腰を下ろす。まだ少しだけ視界が揺れているらしく、目をぱちぱちさせていた。
「お水飲む?」
「お願いします……」
湊は紙コップに冷たい水を注ぎ、結衣へ渡す。
「ありがとうございます」
ゆっくりと水を飲む結衣。その様子を見て、湊はようやく安心した。
「いくら文化祭だからって、無茶しちゃ駄目だよ」
「はい……」
二人とも笑う。
◇
そのやり取りを、教室の隅から見ていたしろは、小さく首を傾げた。
「雨宮さん」
椅子から立ち上がり、静かに近付く。
「もう大丈夫ですか?」
「しろさん……」
結衣は照れくさそうに笑う。
「はい」
「ちょっと目が回っただけです。」
「それなら安心しました」
しろは穏やかに微笑む。
「無理はなさらないでくださいね」
「ふふっ、朝比奈先輩と同じこと言ってますね」
そんな会話を聞いていた湊は、少しだけ拍子抜けしていた。
もっと驚いたり、何か反応があるのかと思っていた。
けれど。
しろにとっては、目の前でふらついた人を助けた。ただ、それだけの出来事だったらしい。その自然な様子に、湊は心の中で苦笑する。
(考えすぎかな)
◇
一方で、室の反対側では。
「……」
ひまりがその様子をじっと見ていた。
「ひまり?」
隣の女子生徒が声を掛ける。
「どうしたの?」
「え?」
「ああ、いや」
慌てて笑顔を作る。
「何でもないよ」
そう答えたものの、心の中は少しだけ落ち着かなかった。
(……なんだろ)
結衣が悪いわけじゃない。目が回わってしまったのも仕方ない。湊が支えたのも当然。頭では分かっている。なのに。なぜだか、胸の奥が少しだけもやもやした。
(……変なの)
自分でも理由が分からない。だから、ひまりはその気持ちを振り払うように大きく息を吐いた。
「よし」
「切り替え!」
いつもの笑顔で受付へ戻る。
◇
そして、そんな三人を見ていた男が一人。
「……」
優斗だった。
「ぷっ」
肩が震える。
「あははは」
もう限界だった。
「優斗?」
湊が怪訝そうに見る。
「おかしくなっちゃった?」
「そんなわけないだろ」
「でも」
優斗は口元を押さえながら言う。
「今日、ちょっと情報量多いわ」
「?」
「湊」
「お前」
「朝から見ててずっと面白いんだよな」
「何が?」
「まず一つ」
指を一本立てる。
「しろさんが笑うたびに、お前が見惚れる」
「違うって!」
「二つ」
二本目。
「雨宮さんが寄りかかる」
「それは事故だから!」
「だから面白い」
「どういう理屈!?」
優斗はとうとう吹き出した。
「しかも」
「しろさん全然気にしてないし」
「ひまりは何か考え込んでるし」
「湊は一人で慌ててるし」
「劇団かよ」
湊は頭を抱える。
「……僕って、そんなに分かりやすい?」
「ああ」
「もうめちゃくちゃだわ」
◇
そのあとしばらくして、
「ご主人」
「はい?」
しろが近付いてくる。
「少しお聞きしたいことが。」
「何ですか?」
「雨宮さんは、昔からあのように元気な方なのですか?」
「え?」
湊は笑った。
「知り合ってまだそんなに経ってないです」
「でも」
「最初はあそこまでではなかったですけどね」
「なるほど」
しろは納得したように頷く。
「元気なのは良いことです」
「見ていて、私も元気をいただけますし」
その横で、優斗がまた肩を震わせる。
「……」
(この人、本当に何にも気付いてない。)
だからこそ、湊が一人で空回りしているように見えてしまう。その光景がおかしくて仕方なかった。
文化祭一日目。午後の教室には、笑い声と歓声と。少しずつ変わっていく、それぞれの想いが静かに流れていた。
第十六話でした。お楽しみいただけましたでしょうか。三角関係どころか五角形ですね。ペンタゴンですよ。メイドと主、親友、幼馴染、尊敬(ほんとに?)する先輩……。おもしろいですね。みんなの関係がどうなるかはわかりませんが、物語はまだまだ続きます。これからもよろしくお願いします。感想、ブックマーク等お待ちしております。次回、第十七話もお楽しみに。




