第十三話 いつもありがとう
第十三話、遅くなってすみません。作者、2日ほど夏風邪で死んでおりました。すいませんでした。引き続き文化祭準備を手伝うしろ。しかし、少しづつ異変が現れ始めて……
文化祭まで、あと一週間。六月を目前にした土曜日の朝。朝比奈家の玄関には、いつもより少し早い時間から二人分の気配があった。結局しろは今週も文化祭を手伝うことになった。というか、結果は見えていた。手伝わないわけがなっかたのだ。
「ご主人」
「はい?」
「忘れ物はありませんか?」
しろが確認する。湊は鞄の中を見る。
「大丈夫です」
「筆箱、水筒、お弁当etc……」
「そうですか」
しろは小さく頷く。今日は休日。しかし、二人が向かう場所は学校だった。
「しろさん」
「はい」
「本当に大丈夫ですか?」
湊は少し心配そうに聞く。
「昨日も言いましたけど、無理はしてないですよね?」
「ご主人」
しろは少し困ったように笑った。
「私は大丈夫です」
「それに」
玄関の靴を履きながら続ける。
「皆さんが待っていますから」
その言葉に、湊は少しだけ笑った。
「……しろさん」
「もう完全にクラスの一員ですね」
「そうでしょうか」
「はい!」
「皆、この一週間しろさんが来るの楽しみにしてました」
しろは少しだけ視線を逸らした。
「……そう言っていただけるのは、嬉しいです」
◇
学校へ着くと、まだ朝早いにも関わらず、校門には何人もの生徒が集まっていた。
「湊!」
優斗が手を振る。
「おはよう!」
「おはよう、優斗」
そして、優斗の視線が、湊の隣へ向く。
「……」
一瞬、固まる。
「優斗?」
「あ、いや」
「おはようございます、しろさん」
慌てて挨拶する。
「おはようございます」
しろも丁寧に頭を下げる。その自然なやり取りを見て、ひまりが笑った。
「優斗」
「何?」
「前より緊張してない?」
「してない」
「してる」
「してないって」
そんな二人の会話に、湊は首を傾げる。
「?」
「何の話?」
「何でもない!」
二人が同時に答えた。
◇
「おはようございます!」
教室へ入ると、すぐに声が飛ぶ。
「しろさん来た!」
「待ってました!」
「今日はよろしくお願いします!」
もう前回のような緊張はなかった。まるで以前からいたメンバーのように迎えられる。しろは少し驚いたように目を瞬かせた。
「……」
そして
「はい」
「本日もよろしくお願いいたします。」
静かに頭を下げる。その姿を見て、湊は嬉しそうに笑った。
◇
作業開始。今日の主な作業は、コーヒーカップ本体の装飾と安全確認だった。
「もう少し補強した方がいいかな」
湊が設計図を見る。
「湊」
優斗が声を掛ける。
「ここ」
「昨日より強度上がってるんだけど」
「本当?」
「ああ」
「しろさんが言ってた通りに直したら、かなり良くなったんだ」
湊は頷く。しろは直接指示を出すわけではない。でも。
「この部分は、人が触れる可能性がありますので丸くした方が安全です。」
「こちらは重さが偏っていますので、少し分散すると良いと思います。」
そうやって気付いたことを伝えていく、それだけで作業の質が上がっていた。
「しろさんって」
ひまりが隣で呟く。
「本当に何でもできるね」
「そうだね」
湊は笑う。
「でも」
「本人は普通だと思ってるんだよな~」
「そこもすごいんだけどね」
◇
昼休憩。みんなで机を寄せて昼食を取る。休日の学校、普段なら別々に過ごしているクラスメイトたちが一つの場所に集まっている。
「なんかさ」
女子生徒が言った。
「文化祭準備って大変だけど」
「こういう時間、好きだわ」
「分かる」
「本番終わったら寂しくなりそう」
そんな会話を聞きながら、しろは静かに微笑む。
「楽しそうですね」
湊が頷く。
「はい」
「僕もこの時間、結構好きです」
その表情を見て、ひまりは少しだけ目を細めた。
(やっぱり)
(湊はこういう顔してる時が一番楽しそう)
いつも誰かのために動いている。でも。本当はこうやって、みんなと笑っている時間が好きなのだ。だからこそ、
(無理しすぎないでほしいんだけどな)
ひまりは小さくため息をついた。
◇
午後。作業はさらに進んだ。看板は完成し、装飾品も予定以上。コーヒーカップの形も、かなり完成に近づいている。
「こりゃあすごい……」
担任が教室を見て呟く。
「一週間前とは思えないな」
「みんな頑張ってるな」
生徒たちが嬉しそうに笑う。その中心には、いつものように湊。そしてその隣には、しろがいた。しかし、誰も気付いていなかった。朝から一度も座っていないこと、休憩時間もみんなのために動いていたこと、少しずつ疲れを溜めていることに。
◇
土曜日の夕方。窓の外はオレンジ色に染まり始めていた。教室には、まだ作業を続ける生徒たちの姿がある。
「今日はここまでにしよう!」
湊が声を掛けた。
「えー、もう少しできそうだけど」
「気持ちは分かるけど、集中力落ちてる時にやると失敗すると思う」
湊が笑う。
「続きはまた明日だ」
その言葉に、みんなが頷く。
「じゃあ片付けよう!」
最後の力を振り絞り、全員で教室を整理する。
工具を戻す。
材料をまとめる。
ゴミを片付ける。
そして、
「終わったー!」
「疲れた……」
生徒たちは椅子に座り込んだ。その中で、しろだけは、まだ動いていた。机を拭き、落ちているものがないか床を確認し、忘れ物がないかロッカー裏まで見回っている。
「しろさん」
湊が声を掛ける。
「もう大丈夫ですよ」
「後は僕たちがやりますから」
「ありがとうございます」
しろは振り返る。
「ですが、最後の確認だけさせて下さい。」
「……」
湊は少し困った顔をした。前にも見たことがあった。しろが「大丈夫」と言う時の顔。本当に無理をしていないのか。それとも――。
ただ、湊には少し分かるようになっていた。
「しろさん」
「はい。」
「今日は、少しでも休みましたか?」
突然の質問に、しろは少し考える。
「……はい」
ほんの少し間があったことに湊は気付いた。
「今、どう答えようか迷いましたよね?」
「……」
しろは黙ってしまう。
「……やはりご主人は細かいところを見ていますね」
「しろさんほどではないです。」
二人は少し笑った。
◇
帰り道。夕暮れの道を、湊としろは並んで歩いていた。
「今日はありがとうございました」
湊が言う。
「本当に助かりました」
「皆さん、とても楽しそうでした」
しろは答える。
「……私も楽しかったですし」
その言葉に、湊は少し驚く。
「楽しかった?」
「はい。」
「皆さんが一つのものを作るために頑張っている姿を見るのは」
「とても楽しかったです」
しろは空を見る。
「昔は」
少しだけ間を置く。
「こういう経験は、あまりありませんでしたから」
湊は何も言わずに聞く。
「ですので」
しろは小さく笑った。
「ありがとうございます」
「そんな、僕がお礼を言う方ですよ」
湊も笑う。
◇
その夜。
「しろさん」
「本当に明日も来るんですか?」
「はい。」
「でも……」
湊は少し迷う。
「今日かなり動いてましたよね」
「大丈夫です。」
「それに、参加したいと言ったのは私ですので。」
即答だった。しかし、湊にはその声にいつもの余裕が少しだけ足りなく感じた。
「しろさん」
「はい」
「無理してるなら言ってください」
「僕は当然ですけど、みんなも手伝ってほしいと思います」
「でも、しろさんが辛い思いをしてまでお願いしたいわけじゃありません」
しろは少し黙った。そして、
「……ご主人」
「ありがとうございます」
「でも」
しろは優しく笑う。
「明日も行きたいのです」
「皆さんと一緒に作業する時間が、私にはもったいないほど楽しいですから。」
湊はそれ以上言えなかった。
「分かりました」
「では、今日は早めに休んでくださいね」
「はい」
◇
翌日。五月終わりの梅雨前の日差しが広がる、日曜日の朝。
「……」
しろはいつもの時間に起きた。朝食を作り、掃除をし、洗濯をする。いつもの家事。ただ、少しだけ体が重かった。
(昨日、少し頑張りすぎましたでしょうか)
そう思った。が、鏡を見る。そして、
「大丈夫」
小さく呟く。湊が大切にしている場所。湊が楽しそうに話す場所。そこへ行けることが嬉しい。
「行きましょう」
一息ついて、しろは準備を整えた。
◇
日曜日の昼の学校。
「しろさん!」
「おはようございます!」
昨日と同じように、みんなが迎える。
「おはようございます」
しろも笑顔で答える。しかし、その様子を見ていたひまりは、少しだけ眉を寄せた。
(……?)
昨日より、ほんの少しだけ疲れて見える。
「しろさん!」
「はい?」
「大丈夫ですか?」
「はい」
いつもの返事に、ひまりは湊を見る。と、目が合った。どうやら湊も同じことを感じているらしい。でも、しろは笑っている。だから、何も言えなかった。
文化祭まで、あと一週間。最後の追い込みの日が始まった。
そこから作業を続け、日曜日の午後。二年C組の教室は、昨日以上の熱気に包まれていた。ここから先は、少しの遅れも許されないからだ。
「制作班、最後の補強確認!」
「装飾班、完成したやつは廊下側に並べて!」
「通路は絶対空けといて!」
湊が声を掛け、それに合わせてクラスメイトたちが動く。以前なら混乱していたような状況でも、今では誰も慌てない。それぞれが自分の役割を理解している。もちろん湊もだった。
「しろさん、これお願いします!」
「はい」
「しろさん、こっち確認してもらえますか?」
「承知しました。」
しろもまた、教室の中を動き続けていた。
◇
午後三時。
「休憩にしよう!」
湊が声を上げる。
「あと少しでここ終わるから!」
何人かがそう返す。その様子を見て、湊は苦笑した。
「みんな頑張りすぎだよ」
「お前がいうか?」
優斗がすぐに突っ込む。
「え?」
「お前も頑張りすぎだよ」
「……」
何も言い返せない。ひまりも笑う。
「二人とも似てるよね」
「似てない」
「たしかに」
湊と優斗の声が重なった。その様子を見て、教室に笑いが起きる。しろも少しだけ微笑んだ。けれど、その直後。しろの手が、ほんの少し止まった。
「……」
ほんの一瞬、本人でも気付かないほどの変化。しかし、湊だけは見逃さなかった。
「しろさん?」
「はい?」
「どうかしましたか?」
「いいえ?」
しろはいつもの笑顔。
「大丈夫です」
その返事に、湊は少しだけ不安になる。以前なら、その言葉をそのまま信じていた。でも今は違う。しろは、誰かのためなら、自分の疲れを後回しにする人だと知っている。
◇
夕方。最後の作業。コーヒーカップの装飾を取り付ける。
「あと少し!」
「ここ完成したら今日の目標達成!」
みんなの声に力が入る。しろも脚立の横で、細かな装飾を手伝っていた。
「しろさん」
ひまりが声を掛ける。
「少し座ったらどうですか?」
「ありがとうございます」
「ですが、まだ大丈夫です」
「……」
ひまりは少し困った顔をする。その言葉に、湊を重ねた。
(この二人は)
(本当にそっくり)
誰かのために動いて、自分のことを後回しにして。でも、そんなところがひまりには少し心配だった。
「しろさん」
「はい」
「湊もそうなんですけど」
「?」
「頑張るのはいいですよ?」
「でも、ちゃんと休むのも大事にしてください」
しろは少し目を丸くする。そして、
「……はい」
素直に頷いた。
◇
時刻は午後六時を回っていた。
「終わったー!」
教室に歓声が響く。今日の目標だった作業は、予定以上に進んだ。
「みんなお疲れ!」
湊が頭を下げる。
「ありがとう!」
クラスメイトたちも笑顔だった。
「しろさんも!」
「今日は本当にありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
しろは一人一人に頭を下げる。
「こちらこそ」
「皆さんと作業できて楽しかったです」
その笑顔を見て。誰もが思った。また来てほしい。そう思える人だったのだからしょうがない。
しばらくして、のそのそと帰りの準備が始まる。教室には、湊としろだけが残っている。忘れ物確認、戸締まり、最後のチェック。
「しろさん」
「はい」
「本当に大丈夫なんですか?」
同じ質問が繰り返される。しろは少し笑った。
「ご主人」
「今日何度目の質問ですか?」
「……三回目です」
「心配性ですね」
「心配しますよ」
湊は真剣な顔で言う。
「しろさんが倒れたら、僕は困ります」
その言葉に、しろは少しだけ目を伏せた。
「……」
「ご主人。」
「ありがとうございます。」
「でも」
いつものように続けようとして。
――そこで。
言葉が止まった。
「……」
しろの体が少し揺れる。
「しろさん!」
湊がとっさに支える。
「大丈夫です」
小さな声。
「少し……眠たいだけ……ですから」
しかし、その瞬間、湊には分かった。もうとっくに、限界だったのだと。
◇
校門を出た頃。街はもう薄暗くなっていた。
「しろさん」
「はい……」
「帰ったら休んでください」
「夕飯は僕が作って……」
ふと気づく。返事がない。湊が振り返ると、しろは目を閉じていた。
「しろさん?」
「……」
眠っている。立ったまま、その場で。湊は驚いた。ちょっと鈍感なところはあれど、いつも完璧で、何でもできて、疲れた姿なんて見せなかったしろが。安心しきったように眠っている。
「……」
湊は小さく息を吐いた。
「頑張りすぎなんですよ、ほんとに」
そして、ゆっくりしゃがむ。
「失礼します……」
そっと、しろを背負う。軽かった。でも、その背中には、今までしろが一人で抱えてきたものが詰まっているような気がした。
「ご主人……」
眠ったまま、しろが小さく呟く。
「……」
湊は少し笑う。
「寝てる時までその呼び方で呼ぶんですね」
夕暮れの帰り道。湊は、しろを背負って歩いていく。いつも支えてもらっているから。今日くらいは、自分が支える側でありたかった。しばらく湊は、しろを背負ったまま歩いていた。
普段なら、学校から帰れば、しろが夕食を作って待っている。疲れて帰ってきた時も、
「おかえりなさいませ、ご主人」
そう言って笑って迎えてくれる。当たり前になっていた。当たり前にしすぎていた。
でも、今は違う。
自分の背中に、しろがいる。
「……」
湊は少しだけ緊張していた。別に重いわけではない。むしろ驚くほど軽い。だからこそ、余計に心配になった。
「しろさん」
寝ているとわかっていながら話しかける。いつもなら、何か頼めばすぐに返事をしてくれる。どんなことにも気付いてくれる。そんな人が、今は完全に力を抜いて、自分に身を預けている。
「……」
その事実に、湊は不思議な感覚になった。
(しろさんって。)
(こんな顔で寝るんだ。)
いつもは落ち着いていて、何でもできて、大人びて見える。
けれど。
今のしろは、ただ眠っている若い女性だった。無理をして、疲れて。それでも誰かのために頑張った。
そんな普通の人だった。
「……僕は」
湊は小さく呟く。
「しろさんのこと、何も分かってなかったのかもしれないな」
◇
家に着く。玄関の扉を開けても、しろは起きなかった。
「……本当に疲れてたんですね」
湊は苦笑する。いつもなら、玄関を開ける音だけで気付くのに。そんなことを考えながらそっと部屋へ運び、椅子に座らせる。
「しろさん」
湊は優しく呼び掛ける。
「……ご主人」
小さな声。
「起きましたか?」
「……申し訳ありません」
しろはゆっくり目を開ける。
「私……」
「寝てしまいました。」
「はい」
湊は笑う。
「珍しいですね」
「……」
しろは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんかじゃないです。」
湊はすぐに答えた。
「むしろ」
一瞬、言葉が詰まる。
「……助けてもらってばかりだったんだなって思いました。」
しろが顔を上げる。
「ご主人?」
「いつも」
「家のことも、僕のことも、学校のことまで気にしてくれて。」
「なのに僕は、しろさんが大丈夫って言ったら、そのまま信じてしまってたんです」
しろは静かに聞いている。
「だから」
「今日くらいは、僕がしろさんを助けられてよかったです。」
少しの沈黙。そして、
「……ありがとうございます」
しろは優しく笑った。
「ご主人は、優しいですね」
その笑顔を見た瞬間、湊の胸が少しだけ変な鼓動を打った。
「……」
自分でも理由が分からない。
いつもの笑顔。
いつもの声。
いつものしろ。
なのに、今日は少し違って見えた。
(……あれ?)
湊は戸惑う。今までだって、しろのことは大切に思っていた。感謝していたし、尊敬していた。
でも。
それとは少し違う何かが。胸の奥にある気がした。
「ご主人?」
「え?」
「どうかしましたか?」
「い、いえ……」
湊は慌てて視線を逸らす。
「何でもないです」
しろは不思議そうに首を傾げる。その仕草ですら、なぜか今日は目に残った。
◇
その夜。湊は自分の部屋のベッドに横になっていた。疲れているはずなのに、眠ろうとしてもなかなか眠れない。頭に浮かぶのは、今日の帰り道。背中に感じた温かさ。安心しきったしろの表情。
「ありがとうございます」
そう言って、少し申し訳なさそうに笑った顔。
「……」
湊は布団を頭までかぶる。
「……何考えてるんだ」
今までだって、しろは大切な存在だった。でも、今日から少しだけ、見え方が変わった気がする。
それが何という感情なのか。まだ本人は気付いていなかった。
第十三話でした。お楽しみいただけましたでしょうか。少し長くなってしまいましたが、ここまでは書ききらないと歯切れが悪くなってしまうので、書かせていただきました。湊、優しいですね。人のことをよく見てます。ここから少しづつ2人の関係性にも変化が出てきます。感想、ブックマーク等よろしくお願いいたします。次回、第十四話もお楽しみに。




